美術室の掃除を行った数日後、呪術高専の会議室に三度変死事件の資料が並べられる。
集まっているメンバーは以前と同じ。現在高専2年生となった虎杖、伏黒、釘崎の三人。各地へ散った面々が持ち帰った報告書は、机の端に積み上がっている。そんな中、釘崎は、椅子の背にもたれたまま質問を投げかけた。
「で、進展はあったわけ?」
「ああ。まずは黒部ホノカから取り出した呪物についてだ。伊地知さん」
「こちらです」
「あざっす」
伊地知の配った資料を受け取り、虎杖が感謝を告げる。
同時に伏黒は一枚の写真を机の中央へ置いた。そこにはホノカの体内から摘出された、例の呪物が写っている。
「家入先生が調べた結果、こいつには注がれた呪力を増幅して持ち主に還元する機能があることがわかった。加えて増えた呪力を内部に蓄えることもできるらしい」
「それって、持たせた相手を強くするってこと?」
「一時的にな。ただ、この呪物の場合その貯蔵上限が尋常じゃないらしい」
伏黒の言葉に虎杖は同意する。
家入からの報告でこのあたりの内容は虎杖も聞いている。家入の呪力量は高専の人間の中だと多い方である。これは普段から消耗の大きい反転術式を使い続けていることに起因するのだが、そんな彼女の数倍という貯蔵量は一つの呪具に含有する量としては規格外と言える。
「……乙骨先輩に協力してもらって、どの程度溜められるかを計測した」
「え、そのレベルのアイテムなのこれ?」
「結果だが、大体乙骨先輩の7割程度……五条先生と同等レベルまで呪力を蓄積できることが分かった」
「冗談でしょ?」
釘崎が引き気味に言うのも無理はない。
両面宿儺と五条悟がこの世を去った結果、当代において最強の術師は乙骨というのが定説である。彼の強みを表現するにあたり、その生まれ持つ呪力量の多さは特筆に値するだろう。あふれ出る呪力により強化された彼の身体能力は陸橋を素手で破壊できるほどであり、その総量に並び立つものは当然存在しない。
「当然、これを使えばだれでも五条先生並みに強くなる、というわけじゃないけどな」
「なんだっけ、タンクがでかくなっても蛇口が変わらないと一度に出せる量は変わらない、みたいなやつだっけ?」
「基本的な理解はそれで問題ない。そして、この呪物の危険性はまさにその部分にある」
伏黒が資料をトンとつつく。
「虎杖の例えに乗れば、この呪物はタンクを大きくするというより、タンクの中の水を直接増やしているという方が認識に近い。だが、蛇口を据え置きのまま水だけが増えていけば──」
「……いずれタンクが爆発する」
虎杖の脳裏に浮かぶのは先日救出した黒部ホノカ、そして現在4年の先輩、秤金次の姿である。
彼には条件を満たすと無限の呪力を得る能力があるが、この際肉体の方は呪力に耐えられずに崩壊する仕様があった。実際は体の方が無意識に反転術式を使用するため問題にはならないが、呪術の素養が薄い者が同じ状態になれば、その結末は──
「発見された遺体はいずれも全身が異形化していますが、家入さん曰く、これらは呪物の影響で体の構成要素が呪力に寄り過ぎたことが原因とのことです。呪力があふれ出た部分が呪霊と同質の存在に変質、制御を失い固着したのだろう、と」
伊地知の目元はメガネの反射で見えないが、よい感情を持っていないのは誰の目にも明らかである。
暗澹とした空気を切り替えるように伏黒が続ける。
「もう一つ。これまでの変死事件の被害者からは、同じ呪物が一つも見つかってない」
「……一つも?」
「ああ」
伏黒は被害者の資料を写真の横へ並べた。
発見時の状況は異なっているが、どのケースも呪物を保有していないということは一致している。
「黒部の姉は俺たちが助けたから、犯人に回収がされてないってことだよな?」
「おそらくな。犯人の目的は呪物を完成させることの方なんだろう。被害者が死んでいるのは結果的なもので、死体を隠さないのも気にしていないからと推測できる」
「人間を牧場とでも思ってんのソイツ……腹立つわね」
釘崎が写真を見て歯噛みする。
彼女のその表情になにか特別な思いを感じ取った虎杖はその内容について尋ねようとするが、直後投げかけられた伏黒の言葉でその思いは霧散する。
「釘崎は実際に被害者少女の一人と交戦したんだよな?」
「交戦じゃない。話し合っただけ」
「え、俺その話初耳なんだけど?」
「そりゃ言ってないし」
彼女の薄情な物言いに虎杖は天を仰いだ。
とはいえ、彼もまた今日言えばいいやで共有していない情報が山ほどあるため、人のことは言えないのだが。
「私が会った子はとんでもない威力の炎をばらまいて制御不能になってたわた。ホノカみたく術式持ってたぽいわね」
「それマジ? 術式って誰でも持ってるわけじゃないだろ? 確率的におかしくね」
「呪力を扱えなくても術式は持ってる、って人間は普通にいるぞ」
「そうなの!?」
「そうよ知らなかったの?」
「お前も昨日俺に聞いたばっかだろ……」
釘崎の態度に伏黒が呆れた声で口をはさむ
とはいえ、虎杖が驚くのも無理のないことである。そもそもこの情報が発覚したのは死滅回遊の後であり、いわゆる覚醒型の術師が世にあふれ出して以降の話である。呪術を扱う才能と生得術式の有無は別の話であるが、無為転変により脳の構造を変化させられた彼らは、まさしく術師の才能を外付けされた者たちである。死滅回遊により日本中の人間に術師の機能が目覚め始めた現在、今年度から高専のマーケティングもこれを前提にしたものに切り替わっているのは虎杖も知るところではあったが、その詳細な内容を知るのは呪術を学んで一年少しの彼には難しいことであった。
「……その子、今どうしてんの?」
「当然保護してるわ。呪物も華の術式で無力化済み」
「そっか~よかった~……」
「といっても運が良かったのは否定しないわ。あの子自身が求めてたから止めれただけだし……」
続けて彼女は当時の状況について語る。
もともと行方不明の少女の捜索を行っていた釘崎だったが、その途中で家出少女を受け入れたという女性にたどり着いていた。女性から聞いた特徴と行方不明の少女の特徴が似ていたことから釘崎はその足取りを追っていたが、そこからほど近い湖のほとりにて少女を発見。その時点で少女の異形化はかなり進んでおり、あふれ出す炎が周囲に火花を散らし続けていたが、本人が自ら釘崎の攻撃を受けることを望んだことでギリギリで意識を保つことに成功。高専の提携する病院まで運びこむこみ、来栖華こと天使の協力にて呪物を引きはがすことが出来ていた。
「……あの子が湖の横にいたの、多分術式で周りの人傷つけないためよ」
顔を上げた釘崎の顔は真剣そのもの。
虎杖は彼女が内包した怒りを感じ取り、どんな言葉をかけるべきか迷ってしまった。何かを察した伊地知が眼鏡を上げる。
「虎杖君が6件、釘崎さんと伏黒君がそれぞれ7件。各地で捜索をしてくれたおかげで調査は進んでいます。特に釘崎さんの1件は呪詛師との繋がりが決定的な案件です。手遅れになる前に防げたのは立派なことだと私は思います」
「……ありがとうございます、伊地知さん」
釘崎の珍しくしおらしい態度を見て、4人の間にしばし沈黙が落ちた。
気を取り直すように、虎杖は机に残された写真へ目を戻す。
「結局犯人の目的は何なんだろうな」
「おそらく何らかの儀式だろう。大量の呪物や呪力を集める理由なんてそれしかない」
「その儀式がなんなのかってのを突き止めないといけないわね……私は被害者の子に会ってくるわ」
「俺は他の案件の調査行ってくる。ほんと忙しすぎるわ」
「アンタこないだ休みだったでしょ。ミリアから聞いたわよ」
「それならみんなで美術室掃除したってとこまで聞いといてくれよ……」
掃除、と言って、虎杖は釘崎が知らないであろう一つの事象を思い出す。
予定が重なっていたためミリアは大掃除に不参加だったが、
「あ、てか釘崎美術室行ってないよな? 城ケ崎が描いてくれた壁画みたいなの見てみ。マジですげえから」
「へ~ちょっと興味あるかも。城ケ崎って最近保護したっていう画家の子よね? 私まだ会ってない……あ」
何かを思い出したように、釘崎が口をつぐむ。
彼女は机の端に積まれたファイルへ手を伸ばし、数冊目を素早くめくった。
「……あった。城ケ崎ノア」
「何?」
「伊地知さんが前に渡してくれた捜索予定の子の一覧。どっかで見た名前だなって思ってたけどこれだわこれ」
釘崎は開いたページを二人へ向けた。
添えられた写真に写る白髪の少女の姿は、虎杖が先日会ったばかりの城ケ崎ノアまさにその人である。横から覗く伏黒もそれに続く。
「そっか。言われてみればアイツも行方不明の少女だもんな」
「最初にちょっと探したんだけど、全然情報でてこないから後回しにしてたのよね」
「本人曰く海外いたらしい。最近帰ってきたらしいぞ」
「なるほどね。実はこの子ちょっと気になる部分があったのよ」
釘崎はファイルを伏黒の前へ滑らせる。
行方不明届は両親ではなく彼女の知り合いからのものであった。ノアを高専で保護する際、伏黒と虎杖は彼女の捜索願が出ていることは把握しており、無事見つかった旨も報告している。ただ、共有された資料には気になる記載があった。
「伊地知さん、この【術師の可能性あり】っていうのなんで知ってたの?」
資料の終盤、備考欄にはそのような記述がなされていた。背後に控えていた伊地知へ三人の視線が集まる。
「高専のデータベースには呪いの目撃データも多く残っています。城ケ崎ノアさんがストリートアーティスト【バルーン】として活躍しているのは高専側も把握していましたし、アートに残穢が見られるという報告も上がっていましたので」
「可能性、っていうのは呪具拾った一般人の可能性もあるからってこと?」
「左様です」
もっとも、バルーンの場合は活動期間が長いので違うと思いますが、と補足が入れられる。
死滅回遊以降に発生する呪いの案件は、呪霊よりも術師によるトラブルの方が多い。これは意図せず覚醒した術師の暴走が多いが、少数ながら呪具を手に入れた民間人によるものもある。過去の術師達によって持ちこまれた呪具の多くは持ち主不在のまま野に放たれており、高専側も回収を急いで入るが当然人では足りていない。結果、偶然拾った人間に魔が差すという案件が発生している。ただし、以前から活動していたバルーンがそのケースである可能性は低いというのはメンバー共通の見解である。
「先日国内でバルーンの作品が確認されましたので、確認したところ帰国していることがわかりました。その後の足取りは不明でしたが、橘さん達はお手柄でしたね」
「期せずして釘崎の任務取ってたわけか」
「私としては楽になんならありがたいけどね~」
「……城ケ崎も被害者って可能性は無いよな?」
話の流れに不穏なものを感じ取り、虎杖が言う。
「俺たちは城ケ崎のことをまだよくわかってない。アイツが高専に来るまでの間のこととかもちゃんと調査してねえし……」
「黒部ホノカいわく、呪物を埋め込まれてから数分で体の変容が始まっているそうだ。城ケ崎は帰国してから少なくとも数か月間は今の状態を維持している。可能性は低いと思うが」
「でも個人差とか呪物の個体差の可能性もあるんじゃない? その呪物って呪力を増幅するものなんでしょ? そもそも呪力練るの下手な場合増える量も少ないとかありそうじゃない?」
「……一度家入さんに見てもらうべきです」
散逸しかけた議論を伊地知の声が引き留めた。
虎杖は自身が少し熱くなっていたことに気づき、体を縮める。
「呪物が無ければそれでいいですし、仮に呪物が見つかっても虎杖くんがいるならば問題ないでしょう」
「……それもそうっすね」
「家入先生には伝えておく。虎杖は城ケ崎を呼んでおいてくれ」
「おう!」
強気の声を上げた虎杖は、その勢いのまま席を立つ。
ノアの帰国は死滅回遊以後、変死事件が起こり始める前である。今日まで呪詛師が接触するタイミングはいくらでも存在するだろう。しかしバルーンの活動期間自体はそれより長く、少なくとも以前から術式を使っていたのは確実。彼女の呪術が呪物によってたたき起こされたものである可能性は低い。そのことは虎杖も理解している。
(なんか嫌な感じがする…)
しかし、不安は消えるどころか強まるばかりで、彼はぎゅっと拳を握りしめる。
廊下から見える外の景色は曇天。雨が降る前特有の空気を感じ、虎杖の気分もまた降下していくのだった。