「ダメ、どこにもいないよ!」
「こっちもいねえ! やっぱ高専からは出てってるな」
土砂降りの雨の中、シェリーの報告を受けた高専のメンバーはノアの捜索を行っていた。
見逃しがないように一通り見て回り合流したエマや虎杖達だったが、祈りもむなしく成果は上がらなかった。報告を共有したあと、シェリーは隣のナノカへ問いを投げる。
「ナノカさんは、何かわかりましたか?」
「ごめんなさい。部屋の中で術式を使えたけれど、確認できたのは高専を出ていくまでの少しの間だけだったわ。新しい情報は得られなかった……」
申し訳なさそうに落ち込むナノカを見て、シェリーが「全然問題ないです!」と告げる。
ナノカの術式は場所や物を起点として過去を見る能力である。本人曰く、それは物の視点を借りられるような感覚らしいが、だとすれば部屋を出た後の動向を知るのは難しいだろう。
「でも残穢は残ってたんだよね? ならそれで追えるかも!」
「そっちは今窓の人に追ってもらってる。でもなんで残ってんだろうな?」
「先ほど確認したところ、美術室から一枚の絵がなくなっていました。おそらくノアさんが持ち出したんだと思いますが、この雨で濡れないように術式を使い続けているんでしょう」
ノアの液体操作の術式であれば雨に濡れないようにすることもたやすいだろう。
しかし、それよりもエマが気になったのはシェリーの語り口である。
「シェリーちゃん、ノアちゃんが心配じゃないの……?」
彼女に疑問を投げかけながら、エマは複雑な表情を浮かべる。
シェリーがマイペースなのはいつものことである。しかし、ノアと最も仲良くしていたのは彼女だとエマは思っている。にもかかわらず、彼女の態度は普段と全く変わらない。その様子に、エマはどこか空恐ろしいものを感じ取っていた。
「心配……なのでしょうか。出て行ったのがノアさんの意思なら、それを尊重するべきな気もします」
「ノアちゃんのことは、このままにするってこと……?」
「いえ! それとこれとは話が別です! ノアさんの立場は生徒ではなく保護観察対象ですから、脱走がバレれば本当に呪詛師として扱われてもおかしくないです。まずは私たちがちゃんと連れ戻さないといけない、ということですね」
ノアの意思とはつまり絵を描くことである。
シェリーは、彼女の脱走を術式への影響を恐れてのものだと理解していた。呪詛師として判定されてしまえばこれまでのような自由はなくなってしまい、当然ながら絵を描くどころではなくなってしまう。淡白に思える反応は、シェリーなりに優先順位をつけたゆえのものであった。それが伝わったからか、エマはそれ以上何かを言うことはなかったが、ノアへの態度とはまた違う部分に引っかかりを感じたのか、その顔から不満の色は消えなかった。
「……なんにせよ、すぐに城ケ崎を見つけて連れて帰らなきゃだな」
二人の会話が一段落ついたところで虎杖が腕を組む。
「窓の人から連絡来たら俺と伏黒で向かう。俺たちなら式神と戦闘になっても問題ないからな」
「……いえ、ユージさん、ちょっと待ってください」
シェリーの言葉に、その場の全員が彼女の方を向いた。
当の本人はいつものようにルーペをくるくると回している。
「ユージさんはノアさんが出て行った動機を理解していますか?」
「昨日の感じだと、呪物取り出すのを嫌がってるってことじゃねえの?」
「私もそう思います! ではその状況でユージさんが目の前に現れたらどう思うでしょうか?」
「……なるほど。逃げられちまう可能性はあるな」
高専で保護されて以来、ノアはほとんどの時間をシェリーたち1年生と共に過ごしている。
加えて昨日、虎杖や家入は結果的に彼女から拒絶されてしまっている。シェリーの言葉は、言外にそのリスクを指摘したものである。
「はい! ですので、ノアさんを迎えに行く役割はこの名探偵の橘シェリーに任せてほしいんです!」
「橘シェリー。逃げられる可能性という話ならそれはあなたも同じなんじゃないの?」
静観していたナノカからの鋭い指摘が飛ぶ。
「城ケ崎ノアから見れば、高専の人間は全員自身を呼び戻しに来たように見えるはずよ。それはきっとあなたも例外じゃない。あなただからと言って話を聞いてもらえる保証はないわ」
「大丈夫です!」
「……やけに自信があるわね。何か秘策でもあるの?」
彼女の言葉はシェリーのことを心配してのものである。
口にこそ出さないが、ナノカはノアのことを不安視していた。それは彼女の姉が同じ呪物によって危険な状態に陥った経験があるゆえである。今の状態のノアは突然暴走して周囲の存在を傷つける可能性がある。そして、橘シェリーという人間がそういった危険な場所に平気で首を突っ込んでしまうことを彼女は理解していた。しかしそんな事情を知ってか知らずか、当のシェリーは心配ないとでもいう風に胸を張る。
「私、昨日ノアさんに聞かれたんです! 『のあはどうすればいいのかな?』、と。私はその答えを保留ということにしました」
「……?」
「その時約束したんです! また明日お話ししましょう!って。だからノアさんはきっと私の言葉は聞いてくれると思うんですよね~」
「かなり不確実な話に聞こえるのだけど……」
ナノカの言う通り、シェリーの言葉は彼女にしては珍しく、正直あまり論理的ではない。
虎杖はしばらく考え込んだ後、ふと自信ありげな後輩の顔を見る。
「……なあ橘。本当に、それだけが理由か?」
「それだけ、とは? 今の推理に何か穴がありましたか?」
「いや、正直穴だらけだと思うんだけど、そういうことじゃなくて……」
首をかしげる彼女の目には、ごまかしも照れもない。
毎朝ノアを起こしに行っていたこと。昨日、診察の間ずっと扉の前を行ったり来たりしていたこと。そして今朝、誰よりも先に異変を知らせに来たこと。そういった彼女の態度には理屈とは別の何かがあるように虎杖には見えたが、以前の彼女にはなかったその変化を、きっと良いものだと彼は感じていた。
「……いや、何でもない。城ケ崎の保護には橘が向かってくれ。俺たちは最初は後ろからバックアップする」
「ありがとうございます! ユージさん!」
パッと笑顔を咲かせたシェリーの表情を見て、虎杖は頭をかく。
そのとき、集まっていた四人のもとへパシャパシャと水たまりを踏む足音が近づいてきた。
「み、みんな~! タオルと傘! 持ってきたよ~!」
両腕いっぱいにタオルや傘を抱えて駆けてきたのはミリアだった。
彼女自身、慌てて雨の中を走ってきたようで、その前髪がすっかり額に張りついている。ずぶ濡れの面々へ一枚ずつタオルを配って回ったミリアは、最後にシェリーの前で足を止めた。
「えっと……シェリーちゃん、ちょっと聞こえちゃったんだけど、ノアちゃんを迎えに行くの?」
「はい! 今ユージさんの許可をもらったところです!」
「そっか……」
ミリアは手元に残ったタオルをぎゅっと握りしめる。
数回、口を開きかけては閉じ、それから意を決したように顔を上げた。
「虎杖先輩! お、おじさんも、シェリーちゃんと一緒に行きたいです!」
「佐伯?」
「おじさん、戦いは全然だけど……先輩たちとの連絡係とか、できることはあると思うし……。それに、やっぱりおじさんもノアちゃんのことが心配で……」
シェリーとは対照的に、自信がないのか彼女の言葉は徐々に尻すぼみになっていく。
しかし前髪の隙間からのぞく彼女の瞳は真剣さを失っていない。昨日、熱にうなされるノアを看病していたのはミリアであり、ノアの置かれている状況についてもなんとなく察しがついていた。呪物の件についても朝一でシェリーから共有されており、決意は固まっている。
「心強いです! ミリアさんはノアさんと一番仲良しですからね!」
「そ、それなら嬉しいな~……」
手を取ってぶんぶんと振るシェリーに、ミリアは困ったように笑う。
二人の様子を眺めていた虎杖は、やがて観念したように息をついた。
「……分かった。ただし条件がある。城ケ崎と直接話すのは橘と佐伯。俺と伏黒は距離を取って後ろからついていく。式神が出てきたら絶対に無理しないですぐ俺たちを呼ぶこと。黒部と桜羽は他の先輩に連絡してくれ」
「わかったわ」
「はい!」
各々の返事に虎杖は頷き、スマートフォンを取り出す。
彼が窓からの連絡を確認するその横で、エマはミリアと手を取ったシェリーの姿を見つめ、ようやくほっとしたように表情を緩めた。
◆
アーケード街の屋根を大粒の雨が叩いている。
シャッターの下りた店が並ぶ通りの一角、閉店した喫茶店の軒先に、城ケ崎ノアは座り込んでいた。
彼女の膝の上には、布にくるまれた一枚のキャンバスが置かれている。
美術室から持ち出したキャンバスであり、先日彼女が塗りつぶした失敗作。脱走するにあたり、ほとんどの絵はそのまま残してきた彼女だったが、訳あってこの絵だけは持ち出すと決めていたのである。
「約束破ったの、シェリーちゃん怒ってるかな……」
ノアの脳裏にあの活発な友人の顔が浮かぶ。
が、その顔はぶり返してきた熱と頭痛によって霧散してしまう。
──足音がしたのは、そのときだった。
「や、やっと見つけました……!」
ノアが顔を上げると、自分の上に傘が差し出されていた。
白い傘の下に立っていたのは、修道服のような服を着た小柄な少女だった。ずいぶん走ってきたらしく、彼女は肩で息をしており、綺麗な衣装の裾は泥で汚れている。今にも泣き出しそうな弱々しい少女の顔に、ノアは見覚えがあった。
「……あ」
日本に帰ってきたばかりの頃のこと。
いつも通りストリートアーティストとして活動しようと路地裏に入った際、運悪く彼女は呪霊と遭遇してしまった。低級だったこともあり、自身の能力で撃退することには成功したものの、足を怪我してしまった彼女はその場で立ち往生することになる。
その時治療を行ってくれたのが、偶然通りがかったという目の前の少女であった。
「あのときの……?」
「! 覚えててくれたんですね……! よ、よかったぁ……」
少女は嬉しそうに微笑むと、傘をノアの方へ傾けたまましゃがみこむ。
自分の肩が雨に濡れることも気にせず、彼女はノアの額へそっと手を伸ばした。
「ひどい熱……こんな雨の中、外にいたらもっと具合が悪くなってしまいます……」
少女の手のひらが額に触れる。
ひんやりとした感触が広がり、次の瞬間、体の芯にこもっていた重い熱が、すうっと引いていった。頭の奥にかかっていた靄が晴れ、視界の輪郭がはっきりとする。昨日、白衣の女の人に診てもらったときとよく似た感覚だとノアは感じた。
ノアは何度か瞬きをして、少女を見上げる。
「なんだかすっきりしたね~」
「よかったです……! ちゃんと効いたようで……」
「ありがと、ええっと……」
「じ、自己紹介がまだでしたね」
一歩引いた少女はたどたどしい様子でお辞儀をする。
「氷上メルルです。よろしくお願いしますね、ノアさん」