男女比100対1で男が多いとかマジ終わってる   作:ののじん

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10話 恋愛と結婚の常識

 やがて、始業を告げるチャイムが鳴った。

 

 教室の中に散っていた生徒たちが、それぞれの席へ戻っていく。

 

 先ほどまで俺と話していた男子も、どこか名残惜しそうに千夏を一瞥してから前を向いた。

 

 ほどなくして、教科書を抱えた男性教師が教室へ入ってくる。

 

「席に着いてください。公共の授業を始めます」

 

 号令を終え、教科書とノートを机の上へ広げる。

 

 教師は黒板へ大きく文字を書いた。

 

『個人と家族』

 

「今日は、成人と婚姻制度について扱います」

 

 教室の空気がわずかに変わる。

 

 数学や英語のときよりも、男子たちの表情が真剣になった気がした。

 

 女子との出会いを求めて聖凰学園へ入学した者が多いのだから、結婚に関する話へ興味を示すのも当然か。

 

「皆さんも知っているとおり、我が国では18歳から成人となります。婚姻についても、当事者が18歳以上であれば可能です」

 

 教師の指示に従い、教科書の該当箇所を開く。

 

 成人として認められる権利と、それに伴う責任がまとめられていた。

 

 この辺りは、前世の常識とそれほど大きく変わらない。

 

 問題は、その先だ。

 

「現在、法律上認められている婚姻形態は、一夫一妻、一妻多夫、一夫多妻の3つです」

 

 教師が黒板へ順番に書き出していく。

 

 一夫一妻。

 

 一妻多夫。

 

 一夫多妻。

 

 教室の誰も驚いてはいない。

 

 この世界で生まれ育った者にとっては常識だ。

 

「ただし、多重婚が無条件で認められるわけではありません。複数人で婚姻関係を結ぶ場合、当事者全員の同意が必要です」

 

 教師は一妻多夫と一夫多妻の下へ線を引いた。

 

「すでに成立している家庭へ新たな配偶者を迎える場合も、現在の配偶者全員が同意しなければなりません。一人でも反対すれば、新たな婚姻は成立しません」

 

 当然といえば当然だろう。

 

 多重婚だからといって、誰か一人の意思だけで配偶者を増やせるわけではない。

 

 俺も制度については知っていた。

 

 それでも、一妻多夫や一夫多妻という言葉が教科書へ当たり前のように載っている光景には、今でも僅かな違和感を覚える。

 

 前世では、どちらも身近な制度ではなかったからだ。

 

「もっとも、一夫多妻は、現在より女性の割合が高かった時代の名残です」

 

 教師が一夫多妻の文字を指す。

 

「かつては今ほど男女比が偏っておらず、一人の男性が複数の女性と家庭を築く例も存在していました。そのため現在も制度自体は残されていますが、実際に成立する例はほとんどありません」

 

 一夫多妻は法律上認められている。

 

 しかし、男が100人に対して女が1人という現在の社会では、利用する者などまずいない。

 

 制度としては、ほとんど形骸化しているということだ。

 

「では、一妻多夫が一般的なのかというと、そうとも限りません」

 

 教師は一妻多夫の文字へ視線を移した。

 

「現在の男女比に合わせて制度は整備されていますが、複数の配偶者と円満な家庭を築くのは簡単ではありません。そのため、一妻多夫を選ぶ家庭は少数で、現在も最も一般的な婚姻形態は一夫一妻です」

 

 法律で認められていることと、実際に選ばれることは別らしい。

 

「ただし、一妻多夫を希望する女性の中には、最初の婚姻時に多重婚容認契約を結ぶ者もいます」

 

 教師が教科書の一文を指した。

 

「これは、将来新たな夫を迎える可能性があることを、最初の夫が婚姻前に承諾する契約です。契約へ同意した場合、後になって夫が増えること自体を理由に反対することはできません」

 

 もっとも、誰を迎えるのか、同居するのか、生活費や家事をどのように分担するのかまで、女性一人の意思だけで決められるわけではない。

 

 実際に新しい夫を迎える際には、家族全員で生活条件を話し合う必要がある。

 

 だが、露骨な言い方をすれば、

 

『私と結婚してあげる代わりに、将来ほかの夫を迎えることも認めて』

 

 という条件を、最初から受け入れて結婚するということだ。

 

 女性が極端に少ないこの世界では、それでも構わないと考える男性もいる。

 

 もし俺も、好きになった相手から同じ契約を求められたらどうするだろう。

 

 その人と結婚するために、いつか別の男と同じ家庭を築くことまで受け入れられるのか。

 

 できることなら、好きになった相手とは一対一で向き合いたい。

 

 だが、実際にその選択を迫られても、同じことを言えるかは分からない。

 

 そもそも、今は彼女が一人できるかどうかすら分からないのだ。

 

 結婚後の家庭について悩むのは、さすがに気が早いだろう。

 

「また、我が国では、学生の頃から健全な恋愛関係を築くことが推奨されています」

 

 教師がそう口にした途端、何人もの男子が女子の方へ視線を向けた。

 

 あまりにも分かりやすい。

 

 千夏は慣れているのか、特に反応せず教科書を眺めていた。

 

「恋愛は、他者と信頼関係を築く経験にもなります。成人後は結婚や家族形成、子どもを持つことも社会的に推奨されていますが、その土台となるのは互いを知り、尊重することです」

 

 恋愛が推奨されているからこそ、聖凰学園の男子たちは積極的なのだろう。

 

 休み時間には女子へ声をかけ、連絡先を聞こうとする者もいる。

 

 昼食へ誘って断られていた男子も、すでに何人か見かけた。

 

「ただし、推奨されていることと、相手の意思を無視してよいことは別です」

 

 教師の声が僅かに強くなる。

 

「話しかけることも、食事へ誘うことも、交際を申し込むことも自由です。しかし、断られた相手へ何度も迫ったり、強引に関係を求めたりすることは許されません」

 

 先ほど俺に話しかけてきた男子が、姿勢を正した。

 

 別に彼が何かしたわけではないだろうが、思い当たることでもあったのかもしれない。

 

「恋愛も結婚も、互いの合意があって初めて成立します。これは婚姻形態が変わっても同じです」

 

 積極的に動くことと、強引に振る舞うことは違う。

 

 当たり前の話だ。

 

 もっとも、女子が極端に少ないこの世界では、そうした基本的なことほど繰り返し教える必要があるのだろう。

 

 教師は教科書を数ページめくった。

 

「そして、現代の家族形成を語るうえで欠かせないのが、人工子宮をはじめとする生殖医療です」

 

 開かれたページには、医療施設で使用されている人工子宮の模式図が載っていた。

 

 女性が極端に少ないにもかかわらず、社会が人口を維持できている最大の理由だ。

 

「人工子宮が広く普及したことで、女性が何度も妊娠することなく、複数の子どもを持てるようになりました。現在では自然妊娠と人工子宮のどちらを選ぶかは、本人や家庭の意思に委ねられています」

 

 どちらの方法で生まれても、社会的な違いはない。

 

 人工子宮で生まれることも、この世界ではごく普通のことだった。

 

 ちなみに、俺は自然妊娠で生まれたらしい。

 

 母さんが自分で産むことを望んだのだと、子どもの頃に聞かされたことがある。

 

 そのせいかは分からないが、母さんは昔から俺に対してかなり過保護だった。

 

 一人暮らしを始めたいと伝えたときも、最後まで反対していたほどだ。

 

 何度も話し合い、父さんにも間へ入ってもらい、ようやく許可を得た。

 

 今でも毎日必ず連絡するよう約束させられている。

 

「槻山くん」

 

「はい」

 

 突然名前を呼ばれ、顔を上げる。

 

「人工子宮の普及によって、社会にどのような変化が生まれたと思いますか?」

 

 どうやら、少し考え事をしているように見えたらしい。

 

 俺は質問を頭の中で整理してから答えた。

 

「女性の身体的な負担を減らしながら、人口を維持できるようになったことだと思います。それと、それぞれの家庭の事情に合わせて、子どもを持つ方法を選べるようになりました」

 

「そうですね」

 

 教師が満足そうに頷いた。

 

「技術の発展によって、家族の形や選択肢は増えました。しかし、どのような家庭を築く場合でも、当事者同士が話し合い、互いの意思を尊重する必要があります」

 

 教師が再び黒板へ向き直る。

 

 隣から視線を感じて顔を向けると、千夏がこちらを見ていた。

 

「急に当てられたのに、よく答えられたね」

 

「一応、授業は聞いてたからね」

 

「ちょっとぼーっとしてるように見えたけど」

 

「昔のことを思い出してただけだよ」

 

「昔?」

 

「一人暮らしを始めるとき、母さんを説得するのが大変だったなって」

 

「叶多のお母さん、反対してたんだ」

 

「かなりね。今でも毎日連絡してるよ」

 

「へえ。大事にされてるんだね」

 

「大事にされすぎてる気もするけど」

 

 千夏が小さく笑う。

 

「でも、ちょっと羨ましいかも」

 

 そう言って、千夏は黒板へ視線を戻した。

 

 その横顔を見ながら、俺も再びペンを握る。

 

 前世とは異なる恋愛や結婚の常識。

 

 この世界で15年も生きてきた今でも、時折、不思議に思うことはある。

 

 だが、制度がどう変わろうと、相手の気持ちを知ることから始めなければならないのは同じだ。

 

 そのためには、まず話しかけるしかない。

 

 先ほど男子へ言ったことは、やはり間違っていないと思う。

 

 もっとも、正しい方法が分かっているからといって、恋愛が思いどおりに進むとは限らないのだろうが。

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