4時間目の終了を告げるチャイムが鳴った。
教師が教室を出ていくと、張り詰めていた空気が一気に緩む。
あちこちで椅子を引く音が響き、生徒たちはそれぞれ昼食の準備を始めた。
俺も机の中から弁当箱を取り出す。
すると、前の席に座る大輔が勢いよく振り返った。
「叶多、一緒に食おうぜ」
「いいよ」
「返事早いな」
「断る理由もないからね」
「よし、決まり」
大輔は満足そうに頷くと、自分の机をこちらへ向けた。
俺も机を少し前へ寄せる。
その様子を見ていた直樹が、右隣から声をかけてきた。
「僕も混ぜてもらっていいかな?」
「もちろん」
「聞くまでもねえって。直樹も一緒に食おうぜ」
大輔が手招きすると、直樹は小さく笑いながら机を寄せた。
3人分の机が向かい合う。
そこで大輔は、左隣に座る瑞葉へ視線を向けた。
「雛森さんも一緒に食おうぜ」
瑞葉は弁当箱を取り出しかけた手を止め、少し驚いたように目を瞬かせた。
「私もいいの?」
「もちろん。せっかく席が近くなったんだし、人数が多い方が楽しいだろ」
大輔らしい、遠慮のない誘い方だった。
だが、押しつけがましさはない。
瑞葉は俺たちの顔を順番に見てから、柔らかく笑った。
「じゃあ、ご一緒させてもらおうかな」
「どうぞ」
俺が机を少しずらして場所を空けると、瑞葉も自分の机をこちらへ寄せた。
これで4人。
席替え後、初めての昼休みは、今までとは少し違う形で始まることになった。
「よし。じゃあ食おうぜ」
「いただきます」
瑞葉の声に続き、俺たちも箸を手に取った。
大輔の弁当は、唐揚げやソーセージが隙間なく詰められた、いかにも男子高校生らしい内容だった。
直樹の弁当は、焼き魚を中心に副菜がバランスよく並んでいる。
瑞葉の弁当は小ぶりだが、色鮮やかなおかずが丁寧に詰められていた。
そして、大輔の視線が俺の弁当へ止まる。
「……なあ、叶多」
「何?」
「それも自分で作ったのか?」
「そうだよ」
今日の主菜は豚肉の生姜焼き。
副菜には出汁巻き卵、ひじきの煮物、ほうれん草の胡麻和えを入れている。
「毎日こんなの作ってんの?」
「毎日まったく同じじゃないけどね」
「いや、そういう意味じゃなくてさ」
大輔は自分の弁当と俺の弁当を見比べた。
「なんか俺の弁当、急に茶色く見えてきたんだけど」
「唐揚げ、美味しそうだと思うよ」
「慰められてる気がする」
「本当にそう思ってるよ」
俺が答えると、直樹が小さく笑った。
「叶多の弁当は、見た目も綺麗だな」
「彩りは意識してるからね。食欲にも関わるし」
「味だけじゃなくて、そこまで考えるんだ」
瑞葉が興味深そうに弁当を眺める。
「毎朝作るの、大変じゃない?」
「前の日に準備しておけば、そこまででもないよ」
「それでもすごいと思う。私だったら、朝は時間がなくなりそう」
「慣れればそうでもないよ」
「それ、料理が得意な人の意見じゃねえか?」
大輔が口を挟む。
「俺なんて朝は、あと5分寝るかどうかで毎日ぎりぎりだぞ」
「5分早く起きればいいんじゃないか?」
直樹が当然のように言う。
「それができたら苦労しねえんだよ」
「夜に少し早く寝れば?」
「叶多まで正論を重ねるな」
大輔は唐揚げを口へ放り込みながら、恨めしそうに俺たちを見る。
「お前ら二人、見た目だけじゃなく生活までまともなのかよ」
「大輔が少しだらしないだけじゃない?」
瑞葉が柔らかな声で言った。
大輔の動きが止まる。
「雛森さんまで……」
「ご、ごめん。言いすぎた?」
「いや」
大輔は数秒黙ったあと、ゆっくりと首を横へ振った。
「優しい顔で言われると、余計に効くな」
瑞葉が困ったように笑う。
その様子を見て、俺と直樹も笑いを堪えきれなかった。
「ひどくないか?」
「悪い。でも、大輔が悪いと思う」
「また俺だけ不利じゃねえか」
口では不満を言いながらも、大輔自身も笑っている。
瑞葉も最初こそ少し遠慮していたが、大輔の軽い調子に引っ張られたのか、すぐに会話へ馴染んでいた。
席替えをして、まだ半日も経っていない。
それでも、この4人で過ごす昼休みは思っていたより居心地がよかった。
「そういえばさ」
大輔が唐揚げを飲み込んでから、こちらを見る。
「叶多、火野さんと早速仲良くなったんだって?」
「誰から聞いたんだ?」
「聞くまでもねえよ。ずっと隣で話してたし、昼も一緒に食ってただろ」
「席が隣だったから、自然に話すようになっただけだよ」
「それで名前を呼び捨てにするところまで行くか?」
「本人に千夏でいいって言われたからね」
「だからって、すぐ呼べるのがすげえんだよ」
大輔は箸を持ったまま、呆れたように首を振った。
「しかも、雛森さんのことも下の名前で呼んでるだろ」
「瑞葉にも、そう呼んでいいって言われたからね」
「お前、女子を名前で呼ぶことに抵抗なさすぎない?」
「本人が嫌がってないなら、別にいいだろ」
「俺だったら、許可をもらっても一週間は練習が必要だぞ」
「何を練習するんだい?」
直樹が尋ねる。
「頭の中で呼ぶ練習だよ。いざ本人を前にしたら、結局『火野さん』とか『雛森さん』って言いそうだけど」
「それだと練習の意味がないね」
「直樹は普通に呼べそうだから分かんねえんだよ」
大輔はそう言ってから、今度は瑞葉へ顔を向けた。
「雛森さんも、叶多みたいにいきなり名前で呼ばれても平気?」
「本人がそう呼んでほしいって言ったなら、私は気にしないかな」
「ほら」
「雛森さんも、叶多みたいにいきなり名前で呼ばれても平気?」
「うん。私がそう呼んでいいって言ったから、気にしてないよ」
「じゃ、じゃあ、俺も下の名前で呼んでもいい?」
大輔が食い気味に尋ねる。
瑞葉は少し驚いたように目を瞬かせたが、すぐに柔らかく笑った。
「うん、いいよ」
「よし。じゃあ……」
大輔は瑞葉へ顔を向けたまま、口を開く。
「み、みず……」
そこで声が止まった。
数秒の沈黙のあと、大輔はゆっくりと顔を伏せる。
「……やっぱり呼べねえ」
「自分から聞いたのに?」
俺が言うと、大輔は悔しそうに顔を上げた。
「許可をもらうのと、実際に呼ぶのは別なんだよ!」
「何が違うんだ?」
直樹が不思議そうに尋ねる。
「心の準備が違う!」
瑞葉は困ったように笑いながらも、どこか楽しそうだった。
「無理しなくても、今までどおり雛森さんでいいよ」
「いや、いつか絶対呼んでみせるからな」
「そこまで大げさなことかな?」
「俺にとっては大きな一歩なんだよ」
大輔は妙に真剣な表情で言い切った。
「そもそも俺だって聖凰に入ったら、女子と自然に話せるようになると思ってたんだけど」
「まだ入学して一週間だろ」
「叶多はその一週間で、もうクラス一番人気と仲良くなってるじゃねえか」
「叶多くん、話しやすいからじゃないかな」
瑞葉がそう言うと、大輔は少し考えるように俺を見た。
「話しやすい、ねえ……」
「変に緊張させるような話し方をしないし、普通に接してくれるから」
「なるほどな。そこが俺との違いか」
「でも、大輔くんも話しやすいし、無理に焦らなくてもいいと思うよ」
「……今のはかなり嬉しい」
大輔の表情が一気に明るくなる。
「雛森さん、やっぱり優しいな」
「単純だな」
「うるさい。女子から褒められる機会は大切にするんだよ」
そう言いながらも、大輔はどこか満足そうだった。
叶多と千夏の関係を羨ましがってはいる。
それでも、陰で不満を溜め込むより、こうして本人へ直接聞いてくるあたりは大輔らしい。
軽い調子で遠慮なく踏み込んでくるが、嫌な感じはしない。
直樹も瑞葉も、すでにその性格を理解し始めているようだった。