新入生歓迎会を終え、俺たちは教室へ戻った。
その後は花城先生からいくつか連絡を受け、帰りのホームルームも滞りなく終わる。
「今日はここまでです。部活動を見学する人は、帰宅時間に気をつけてください」
部活動の見学へ向かう者。
友人同士で相談を始める者。
そのまま帰宅する準備をする者。
新入生歓迎会の直後ということもあり、普段より教室に残っている生徒が多い。
「よし、第2体育館へ行こうぜ」
大輔が鞄を肩へ掛けながら立ち上がった。
「大輔が一番やる気満々だな」
「せっかくの見学だからな。早く行かないと、いい場所を取られるかもしれないだろ」
「何の場所だい?」
直樹が尋ねる。
「見学する場所だよ」
「女子マネージャーがよく見える場所じゃないだろうな」
「……」
大輔が一瞬だけ黙った。
「図星かよ」
「いや、別にそんなことは考えてない。ちょっと言葉を選んでただけだって」
「間が長かったね」
直樹が苦笑する。
俺は運動部へ入るつもりはない。
生徒会への応募を考えているし、アルバイトも始める予定だからだ。
それでも、直樹がどんな部活を選ぶのかには興味があった。
友人の見学に付き合うくらいなら、悪くない。
「じゃあ、行こうか」
俺も鞄を手に取り、席を立った。
隣では、瑞葉が机の上の教科書を鞄へしまっていた。
「瑞葉は、どこか見学に行くの?」
声をかけると、瑞葉が手を止めてこちらを向いた。
「うん。今日は生物部を見に行こうかなと思ってる」
「生物部?」
「学校で飼っている魚の世話もしてるみたいだから、少し気になってるんだ」
「水族館が好きって言ってたもんな」
大輔が横から口を挟む。
瑞葉が少し意外そうに目を瞬かせた。
「覚えてたんだ」
「そりゃ覚えてるよ。情報収集は俺の特技だからな」
大輔は得意げに胸を張った。
「叶多くんたちは?」
「俺は生徒会に入るつもりだけど、見学はしてみたいとは思ってたから大輔たちに付き合うよ」
「僕はバスケットボール部を見に行こうと思ってるよ」
直樹が続ける。
「中学の頃からやっていてね。まだ入部を決めたわけではないけれど、高校でも何かしらのスポーツをやろうとは思ってるんだ」
「似合いそうだね」
「ありがとう」
直樹が柔らかく笑う。
「瑞葉は生物部に一人で行くのか?」
「うん。そのつもり」
「場所は分かる?」
「案内図で確認したから大丈夫だよ。特別棟の2階だよね」
「そうそう。迷ったら誰かに聞けばいいって」
大輔が軽い調子で言う。
「大輔くんは、バスケ部に興味があるの?」
「俺はまだ決めてないかな。今日はとりあえず、いろいろ見て回ろうと思ってる」
「いろいろって言っても、最初はバスケ部だろ」
「直樹の実力を見ておかないとな」
「女子マネージャーを見るためじゃないの?」
瑞葉が冗談めかして言った。
「えっ」
大輔が僅かに言葉を詰まらせる。
分かりやすい反応だった。
「やっぱり図星なんだ」
「違う違う。ちょっと驚いただけだから」
「何に驚いたんだよ」
「雛森さんがそんな冗談を言うと思わなかったんだよ」
「私だって、冗談くらい言うよ」
瑞葉が楽しそうに笑う。
大輔は少しばつが悪そうに頬を掻いた。
「まあ、女子マネージャーがいたら嬉しいとは思うけど」
「正直だね」
「嘘をつかないのが俺の長所だからな」
「さっき違うって言ってなかったか?」
「細かいことは気にするな」
相変わらず都合のいい性格をしている。
「それじゃあ、そろそろ行こうか」
直樹が時計を確認する。
「遅くなると、練習が始まってしまうかもしれないからね」
「そうだな」
俺は鞄を肩へ掛けた。
「瑞葉も見学、楽しんできて」
「うん。叶多くんたちも」
瑞葉と別れ、俺たちは教室を出る。
廊下には、歓迎会でもらった部活動一覧を手にした新入生たちが行き交っていた。
壁には各部が用意した勧誘用のポスターが並び、普段よりも校舎全体が賑やかに感じられる。
「第2体育館って、どっちだ?」
大輔が案内図を広げる。
「校舎を出て、西側の渡り廊下を進んだ先だね」
直樹が案内図を覗き込みながら答えた。
「思ったより遠いな」
「敷地が広いからな」
俺たちは案内表示に従い、廊下を進んでいく。
昇降口へ続く廊下を歩いていると、壁際に設置された生徒会用の掲示板が目に入った。
学校行事や委員会からの連絡に混じり、新しい紙が一枚張り出されていた。
『生徒会補助役員募集予定』
俺は歩く速度を少し緩める。
募集開始は5月上旬。
対象は高等部1年生。
書類選考と面談を行い、若干名を採用する予定らしい。
「何見てるんだ?」
大輔が横から掲示板を覗き込む。
「生徒会の補助役員募集」
「もう始まってるのか?」
「まだ予告だけみたいだな」
募集開始は5月上旬。
対象は高等部1年生。
選考は、志望理由を記入した申込書と学業成績、生活態度、担任所見をもとに行われるらしい。
「書類審査だけなんだな」
「ああ」
「それなら叶多、普通に通りそうじゃないか?」
「どうしてそう思うんだ?」
「A組にいるくらい成績はいいし、見た感じ真面目そうだろ。書類選考なら結構有利なんじゃない?」
「成績だけで決まるわけじゃないよ」
「それでも、悪くはないだろ?」
大輔の言うことも分からなくはない。
少なくとも、学業成績だけで不利になることはないはずだ。
だが、募集人数は若干名と書かれている。
同じように生徒会を希望する新入生が、ほかにどれだけいるかも分からない。
「叶多君なら問題ないと思うよ」
直樹が穏やかに言った。
「ありがとう。ただ、結果が出るまでは分からないよ」
掲示には、詳しい募集要項は後日発表すると書かれていた。
今はこれ以上確認できることもない。
俺たちは掲示板を離れ、再び第2体育館へ向かった。
校舎を出ると、グラウンドから運動部の掛け声が聞こえてきた。
陸上部がトラックを走り、サッカー部がボールを追いかけている。
テニスコートの方からは、乾いた打球音が規則正しく響いていた。
「運動部って、どこも初日から本格的だな」
大輔が感心したように言う。
「見学用に普段の練習を見せてるんじゃない?」
「直樹はあの中に入るんだろ。大変そうだな」
「まだバスケ部に決めたわけじゃないよ」
「でも、一番可能性は高いんだろ?」
「そうだね。3年間続けてきたから、今のところはバスケ部が第一候補かな」
直樹の声は落ち着いている。
だが、第2体育館が近づくにつれて、その視線は自然と前へ向いていた。
やはり、バスケットボールへの思い入れは強いらしい。
やがて、大きな建物が見えてきた。
入口の前には、
『バスケットボール部 見学・体験歓迎』
と書かれた立て看板が置かれている。
中からは、ボールが床を打つ音と、靴底が擦れる音が聞こえてきた。
「ここだな」
大輔が先に入口から中を覗き込む。
コートでは、男女の部員が一緒になって練習していた。
素早いパスが何度も行き交い、空いた選手が迷わずシュートを放つ。
「女子部員もいるじゃん」
大輔の声が、分かりやすく明るくなる。
「男女混合の部活なんだから、いてもおかしくないだろ」
「それはそうだけど、実際に一緒に練習してるのを見ると違うだろ」
「大輔君、急にバスケ部へ興味が出てきたのかい?」
直樹が尋ねる。
「少しな」
「バスケットボールに?」
「部活動全体に」
「随分と広い答えだね」
直樹が苦笑した。
素早いパスが何度も行き交い、空いた選手が迷わずシュートを放つ。
ボールがリングへ吸い込まれるたび、鋭い声が飛び交った。
コートの端には、見学に来た新入生が十人ほど集まっている。
その近くでは、部員らしい男子生徒と女子マネージャーが受付をしていた。
「見学ですか? 体験ですか?」
受付の男子生徒が俺たちへ声をかける。
「僕は体験を希望します」
直樹が答えた。
「二人は?」
「見学です」
俺が答えると、大輔も隣で頷く。
「分かりました。体験の人は、あちらの更衣室で着替えてください。見学の人は壁際の椅子を使ってもらって大丈夫です」
「ありがとうございます」
直樹は借りた更衣室へ向かっていく。
俺と大輔は体育館の端に並べられた椅子へ腰を下ろした。
「直樹、どれくらいやれるんだろうな」
大輔がコートを見ながら呟く。
「中学で3年間やってたんだし、それなりにはできるんじゃない?」
「そうだとは思うけど、ここ強豪校だろ」
「だからこそ、見学して確かめるんだろうな」
少しして、体操着へ着替えた直樹が戻ってきた。
部長らしい上級生へ挨拶し、ほかの新入生たちと一緒にコートへ入る。
準備運動が始まる。
その動きを見ただけでも、直樹が運動に慣れていることは分かった。
周囲に合わせながらも、動作に迷いがない。
「やっぱり様になってるな」
大輔も同じことを感じたらしい。
「ああ」
準備運動を終えると、新入生たちは経験者と初心者に分けられた。
直樹は迷わず経験者の列へ向かう。
ボールを使った練習が始まった。
ドリブル。
パス。
シュート。
直樹は上級生ほど速くはない。
それでも、ボールの扱いには十分慣れていた。
無理に目立とうとはせず、周囲の動きを見ながらパスを回している。
味方が空いた瞬間には迷わずボールを送り、自分が打てる場面では落ち着いてシュートを決めた。
「普通に上手いじゃん」
大輔が感心したように身を乗り出す。
「中学で続けてたっていうのは本当みたいだな」
「疑ってたのか?」
「そうじゃないけど、実際に見ると印象が違うだろ」
直樹が放ったボールが、きれいな弧を描いてリングへ吸い込まれる。
近くにいた見学者から、小さな声が上がった。
女子の見学者も何人か直樹へ視線を向けている。
大輔がそれに気づき、深く息を吐いた。
「やっぱ、持ってる奴は違うよなぁ」
大輔が感心半分、羨ましさ半分といった様子で呟いた。
「俺、同じ土俵に立てる気がしないんだけど」
「別に直樹と競わなくてもいいだろ」
「分かってるけどさ」
大輔は椅子の背にもたれる。
「俺も何か、格好いい特技が欲しいな」
「情報収集が得意なんじゃなかった?」
「それで女子から格好いいと思われる場面、ある?」
「必要な情報をさりげなく教えられたら、頼りにはされるんじゃない?」
「なるほど」
大輔が身体を起こす。
「じゃあ、まずは女子がどの部活に入るのか調べて――」
「そういう使い方をするから駄目なんだよ」
「まだ何もしてないだろ」
体験練習は、その後もしばらく続いた。
直樹は上級生ほどの実力ではなかったが、大きく遅れを取ることもない。
練習が終わる頃には、額に汗を浮かべながらも、どこか満足そうな表情をしていた。
新入生たちはコートの中央へ集められ、部長から活動内容の説明を受ける。
練習日は週に6日。
大会前には休日にも練習や試合が入る。
決して楽な部活ではなさそうだ。
説明が終わると、直樹が俺たちのところへ戻ってきた。
「待たせたね、叶多君、大輔君」
「お疲れ。どうだった?」
「思っていた以上にレベルが高かったよ」
直樹は首に掛けたタオルで汗を拭う。
「でも、楽しかった」
「じゃあ、入るのか?」
大輔が尋ねる。
直樹は一度コートを振り返った。
上級生たちはすでに通常の練習へ戻り、再びボールの音が体育館へ響いている。
「ああ。まだ正式な入部届は出していないけれど、バスケットボール部に入ろうと思う」
その答えに迷いはなかった。
「結局、バスケにしたんだな」
「いくつか見てから決めるつもりだったんだけどね」
直樹が穏やかに笑う。
「実際にやってみたら、やっぱり続けたいと思ったんだ」
「直樹なら、すぐ試合にも出られそうだな」
「そこまで甘くはないと思うよ。上級生は僕よりずっと上手かったから」
「でも、目標があった方が楽しいだろ」
「そうだね」
直樹の表情は明るかった。
どうやら、今日の見学だけで答えは決まったらしい。
「大輔はどうするんだ?」
「俺はまだ保留」
「これから、ほかの部活も見学するのかい?」
「ああ。運動部だけじゃなくて、文化部もいくつか見てみるつもりだ」
「ずいぶん慎重なんだな」
「三年間続けるかもしれないんだぞ。活動日とか練習時間とか、ちゃんと確認しないと後悔するだろ」
「珍しく真面目なことを言ってるな」
「珍しくは余計だ」
大輔は不満そうに言ったあと、少しだけ声を落とした。
「それに、女子部員がいるかどうかも重要だしな」
「やっぱり、そっちが本音なんだね」
「活動内容もちゃんと見てるぞ。割合としては半々くらいだ」
「半分も占めてるのかよ」
「重要な判断材料だろ」
大輔は当然のように言い切った。
ぶれないな。
相変わらず分かりやすい。
「叶多君は、生徒会へ応募するんだよね?」
「ああ。そのつもりだよ」
「叶多君なら向いていると思う」
「ありがとう」
「そろそろ帰るか」
大輔が立ち上がる。
「その前に、直樹君は着替えないとね」
「そうだった」
直樹が苦笑し、更衣室へ戻っていく。
俺と大輔は体育館の入口で待つことにした。
開け放たれた扉の向こうでは、春の空が少しずつ夕暮れに近づいている。
入学してから、まだそれほど時間は経っていない。
それでも、俺たちの高校生活は少しずつ形を持ち始めていた。