ゴールデンウィーク初日の午前。
「せっかくの休みなのに、男三人で集まって勉強ってどうなんだよ」
ローテーブルへ教科書を広げた大輔が、心底嫌そうな声を漏らした。
手にしていたシャープペンシルを置き、そのまま机へ突っ伏す。
「大輔が勉強を教えてほしいって言ったんだろ」
「言ったけどさ」
大輔は顔だけをこちらへ向けた。
「普通、ゴールデンウィークに友達の家へ集まるなら、もっと楽しいことするだろ。ゲームとか、カラオケとか、ボウリングとか」
「勉強道具を持ってきたのは大輔君だよね」
向かいに座っていた直樹が、苦笑しながら指摘する。
「できれば女子も一緒に」
「最後のが本音か」
「当たり前だろ」
大輔は悪びれることなく言い切った。
今日は俺の部屋で勉強会をすることになっていた。
中間試験までは、まだ少し時間がある。
それでも授業が本格的に進み始めたこともあり、早いうちに分からない部分を確認しておきたいと、大輔から持ちかけられたのだ。
もっとも、勉強会を始めてからまだ三十分ほどしか経っていない。
「休憩するには早いだろ」
「もう三十分だぞ」
「まだ三十分だよ」
直樹が教科書から顔を上げずに答える。
「直樹まで叶多の味方をするのかよ」
「味方というか、事実を言っただけだけどね」
「二人とも真面目すぎるんだよ」
大輔はそうぼやきながらも、再び身体を起こした。
勉強ができないわけではない。
俺たちがいる一年A組には、男子の成績上位者が集められている。
大輔も入学試験を突破して、このクラスにいるのだ。
ただ、集中力が長く続かないだけだった。
「さっきの問題、もう一度説明してくれ」
「どこが分からなかった?」
「この途中式。なんでここで符号が変わるんだ?」
大輔がノートを指さす。
俺は隣へ移動し、書かれた式を確認した。
「ここで右辺へ移項してるからだよ」
「それは分かってる」
「なら、どうして間違えるんだ」
「分かってることと、できることは別だろ」
「堂々と言うことじゃないと思うよ」
直樹の言葉に、大輔は不満そうに口を尖らせた。
それでも説明を始めれば、真面目に耳を傾ける。
一度理解すると、そのあとの問題は自力で解いていった。
やはり、頭が悪いわけではない。
気分が乗るまでに時間がかかるだけだ。
それから一時間ほど勉強を続け、予定していた範囲まで終えたところで休憩にした。
俺が飲み物を用意してリビングへ戻ると、大輔は部屋の中を見回していた。
「それにしても、何度見ても綺麗な部屋だよな」
「来たときにも言ってただろ」
「だって、男子高校生の一人暮らしだぞ。もっと服とか漫画とか、適当に散らばってると思うじゃん」
「それは大輔君の部屋だけじゃないかな」
直樹が受け取ったグラスをテーブルへ置く。
「俺の部屋だって、足の踏み場くらいはあるぞ」
「基準が低すぎないか?」
「叶多の部屋が綺麗すぎるんだよ」
大輔は納得がいかないように言った。
「キッチンもきちんと片づいていたね。毎日掃除をしているのかい?」
「使ったあとに軽く掃除してるだけだよ。汚れを溜めると、あとで面倒になるからな」
「それを毎日できるのがすごいんだよ。直樹ならできそうだけどな」
「僕も自分の部屋くらいは片づけるけれど、ここまでではないかな」
飲み物を口にした大輔が、深く息を吐く。
「部屋は綺麗。成績もいい。料理もできる。そのうえ見た目もいいときた」
「急にどうしたんだ」
「世の中、不公平だと思ってさ」
「大輔君にも、いいところはあるよ」
直樹が慰めるように言う。
「本当か?」
「場を明るくするのが上手だし、誰とでもすぐに打ち解けられるよね」
「ほかには?」
「人の顔と名前を覚えるのも早いかな」
「もっと見た目とか運動とか、そういうのはないのかよ」
「無理に挙げても仕方ないだろ」
「叶多、お前は少しくらい迷えよ」
大輔がこちらを睨む。
その顔に、本気で傷ついている様子はなかった。
俺は空になりかけたグラスへ飲み物を注ぎ足す。
「休憩が終わったら、次は英語をやるぞ」
「まだやるのか?」
「そのために集まったんだろ」
「せっかくのゴールデンウィークなのになあ」
大輔は再び机へ突っ伏した。
「せっかく女子の多い聖凰学園に入ったんだぞ。ゴールデンウィークくらい、女子とどこかへ遊びに行きたいだろ」
「それなら、誰か誘えばよかったんじゃないか?」
「簡単に言うなよ。入学してまだ一か月も経ってないんだぞ」
「その割には、ずいぶん女子の情報を集めているみたいだけどね」
「情報を集めるのと、遊びに誘うのは別だろ」
大輔は身体を起こすと、今度は直樹へ顔を向けた。
「そういう直樹は、女子の方から話しかけられてたよな」
「里穂さんと七瀬さんのことかい?」
「ああ。入学してすぐ、向こうから来てただろ」
「そうだったのか?」
思わず直樹へ視線を向ける。
女子の方から話しかけてきたというのは、さすがに少し気になった。
「同じクラスなんだから、話しかけられることくらいあるだろう?」
「それを普通だと思ってる時点で違うんだよ」
大輔は呆れたように首を振った。
「しかも、里穂さんと七瀬さんだぞ。二人とも内部進学組の中じゃ有名なんだからな」
「僕からすれば、叶多君も入学初日から女子と普通に話していたように見えたけどね」
「叶多は自分から話しかけてるだろ。直樹は何もしてないのに、向こうから来てるんだぞ」
「何もしていないという言い方は、少し引っかかるな」
「褒めてるんだよ。顔がいいだけで女子の方から寄ってくるって」
「大輔君は、もう少し言葉を選んだ方がいいと思うよ」
「伝わればいいだろ」
「直樹が困ってるぞ」
「叶多までそっちにつくのかよ」
大輔は不満そうに言ったあと、直樹の制服へ視線を向けた。
「そういえば、大輔君は部活動をどうするんだい?」
直樹が尋ねると、大輔は露骨に嫌そうな顔をした。
「入らない。いくつか見学したけど、聖凰の部活ってどこも本気すぎるだろ」
「強豪校だからね」
「運動部は平日も遅くまで練習するし、休日もほとんど潰れる。文化部だって大会や発表会に向けて、普通に朝練までしてるんだぞ」
「それが嫌だったのか?」
「ああ。せっかく女子の多い学校に入ったのに、部活だけで三年間終わるのは嫌だからな」
「結局、そこなんだね」
直樹が苦笑する。
「大事なことだろ。それに、放課後まで自由なら、女子と遊びに行く機会だって作れるかもしれない」
「今のところ、その予定はないみたいだけどな」
「これからだよ、これから」
大輔はそう言い切ると、今度は直樹へ視線を向けた。
「そもそも、直樹は何で聖凰学園を選んだんだ? 進学実績とバスケだけじゃないだろ?」
直樹は少し考えたあと、苦笑した。
「中学が男子校だったからね」
グラスをテーブルへ置く。
「高校では、女子とも普通に関わってみたいとは思っていたよ」
「ほら、やっぱり期待してたんじゃないか」
「それが一番の理由ではないけどね」
「十分だろ」
大輔は満足そうに頷くと、今度はこちらへ視線を向けた。
「じゃあ、叶多は何で聖凰学園を選んだんだ?」
「彼女が欲しいから」
俺があっさり答えると、大輔だけでなく、直樹まで少し目を見開いた。
「それは少し意外だね」
「何が?」
「叶多君は、そういうことをあまり口にしないと思っていたから」
「隠すようなことでもないだろ」
「ここまで堂々と言われると、逆に何も言えないな」
大輔は呆れたように笑った。
「でも、言われてみれば納得か。入学初日から女子と普通に話してたもんな」
「千夏とは、向こうから話しかけてきただけだよ」
「雛森さんともよく話してるし、お前、案外女子と話すの得意だよな」
「普通に接してるだけなんだけどな」
「それができない奴も多いんだよ」
大輔は自分のことを棚に上げるように言う。
「それで、誰か気になる女子はいないのか?」
「どうしてそんな話になるんだよ」
「彼女を作るために入ったんだろ。だったら、一人くらいいるんじゃないか?」
「雛森さんや火野さんは?」
「友達だよ」
「じゃあ、ほかにいるのか?」
大輔に尋ねられ、少しだけ迷う。
直樹も口を挟まず、こちらの答えを待っていた。
二人になら、話してもいいだろう。
「……天ヶ瀬先輩が気になってる」
「天ヶ瀬先輩って、生徒会長の?」
「ああ」
大輔は目を丸くした。
そのまま数秒ほど黙り、呆れたように息を吐く。
「いきなり高嶺の花狙いかよ」
「そんなに意外か?」
「だって、あの天ヶ瀬先輩だぞ?」
大輔は指を折りながら数え始めた。
「財閥のお嬢様で、学年一位で、生徒会長。そのうえ、あの見た目だろ」
「分かってるよ」
「分かってて行くのか。お前、見た目によらず攻めるな」
「まだ話したことすらない。気になってるって言っただけだ」
「まあ、彼氏がいるって話は聞かないけどな」
「そこまで調べてるのか?」
「言ったろ。情報収集は俺の特技だって」
大輔は得意げに胸を張った。
「それどころか、告白されたって話も不思議と聞かないんだよな」
「人気がないわけじゃないだろ」
「逆だろ。人気は間違いなく高い。でも、近寄りがたいっていうか、格が違いすぎるんだよ。誰も告白しようとしないんじゃないか?」
大輔はそこで何かに気づいたように、俺の顔を見た。
「それで生徒会に入るのか?」
「まあ、それが一番の理由だよ」
天ヶ瀬先輩に近づきたい。
それが、生徒会へ入ろうと思った一番の理由だった。
もちろん、入ったからには任された仕事を真面目にこなすつもりだ。
仕事を放り出して、天ヶ瀬先輩の後ばかり追いかけるつもりはない。
「でも、まだ話したこともないんだよね?」
直樹が尋ねる。
「ああ。入学式で見ただけだよ」
「それで生徒会に入ろうと思ったのか?」
大輔が半ば呆れたように言う。
「別に、入っただけでどうにかなるとは思ってないよ。ただ、何もしなければ話す機会すらないだろ」
「なるほどなあ」
大輔は腕を組み、何度も頷いた。
「思ってたより行動派だな、お前」
「彼女を作るために入学したんだから、何もしない方がおかしいだろ」
「そう言われると、確かにそうなんだけどな」
大輔はしばらく考え込んだあと、こちらへ身を乗り出した。
「それで、付き合えそうなのか?」
「分かるわけないだろ。まだ一度も話してないんだぞ」
「じゃあ、まずは生徒会に入って顔を覚えてもらうところからか」
「採用されればな」
「叶多君なら大丈夫じゃないかな?」
直樹が穏やかに言った。
「成績も出欠も問題ないだろうし、書類審査なら十分可能性はあると思うよ」
「俺も通ると思うぞ。少なくとも、俺が選ぶ側なら採用する」
「大輔に選ぶ権限はないけどな」
「たとえ話だよ」
「それにしても、高嶺の花かあ」
大輔は天井を見上げながら、感心したように呟いた。
「叶多なら、いい線いってると思うけど、相手は天ヶ瀬先輩だからな」
「ずいぶん高く評価してくれるんだな」
「顔もいいし、成績もいい。料理もできて、一人暮らしもちゃんとしてる。少なくとも、俺よりは可能性あるだろ」
「最後に自分と比べる必要はあるのか?」
「分かりやすい基準だろ」
大輔はそこで、何かを想像するように腕を組んだ。
「それにしても、生徒会か。あの美人ぞろいの中へ入っていくのは、さすがに勇気がいるぞ」
「仕事をしに行くんだよ」
「分かってるけど、美人の女子の先輩が四人もいるんだろ? 俺なら緊張して仕事にならないかもしれない」
「大輔君は、別のことばかり考えていそうだね」
「失礼だな。少しくらいは仕事もするぞ」
「少しくらいなのかよ」
「まあ、応援はするぞ」
「急だな」
「友達が本気で気になってる相手なら、応援するのが普通だろ。俺にできることがあれば手伝うし」
思っていたより真っ当な言葉に、少し意外に感じる。
「それに、お前が天ヶ瀬先輩と付き合えば、生徒会の女子と知り合う機会も増えるかもしれないしな」
「結局、それが目的か」
「それはついでだよ。ついで」
直樹が小さく笑う。
「でも、僕も応援するよ」
「ありがとう」
「叶多君は真面目だからね。天ヶ瀬先輩へ迷惑をかけるようなこともしないだろうし」
「当たり前だよ」
「大輔君みたいに、いきなり連絡先を聞いたりもしないだろうからね」
「俺だって、いきなりは聞かないぞ」
大輔が抗議する。
「まずは会話して、少し仲良くなって、それから自然な流れで聞く」
「その自然な流れを作れていないんじゃないか?」
「う、うるさいな」
大輔は誤魔化すようにグラスへ口をつけた。