ゴールデンウィーク最終日。
「槻山君、三番テーブルのオムライスをお願いできるかな」
「分かりました」
宗一郎から注文票を受け取り、俺は冷蔵庫から必要な食材を取り出した。
洋食喫茶トネリコで働き始めて、数日が経った。
初日は店内の設備や食材の置き場所、料理を提供するまでの流れを覚えることが中心だったが、今では簡単な仕込みや一部の調理も任されている。
もちろん、面接で作った料理をそのまま出しているわけではない。
店には店の味がある。
同じオムライスでも、使う材料や調味料の分量、チキンライスの仕上げ方まで、俺が普段作っているものとは違っていた。
一度、宗一郎に作り方を見せてもらい、味を確認した。
あとは手順を守り、同じものを作るだけだ。
熱したフライパンへ油を引き、鶏肉と玉ねぎを炒める。
ケチャップを加え、余分な水分を飛ばしてから米を入れた。
トネリコのオムライスは、面接で作った切り開くタイプではない。
薄く焼いた卵でチキンライスを包む、昔ながらの形だ。
盛りつけたチキンライスへ卵を滑らせ、フライパンを傾けながら形を整える。
皿へ返し、最後にケチャップをかけた。
「三番テーブル、オムライス上がりました」
「はいよ」
ホールを担当している男性スタッフが皿を受け取り、客席へ運んでいく。
それを見送る間もなく、次の注文票が届いた。
「次はナポリタンとハンバーグだね」
宗一郎は穏やかな口調のまま、手元のフライパンを動かしている。
「ハンバーグは僕がやるから、付け合わせをお願いするよ」
「分かりました」
昼時の店内は、ほぼ満席だった。
次々と注文が入るが、厨房内に慌ただしい声はない。
宗一郎は忙しいときでも表情を変えず、必要な指示だけを出していた。
初めて見る注文の組み合わせでも、無理にすべてを俺へ任せようとはしない。
できる仕事と、まだ覚えていない仕事をきちんと分けている。
料理人としてだけではなく、人へ教えることにも慣れているのだろう。
「槻山君、五番テーブルのナポリタンもお願いできるかな」
「はい。先に入っている二番テーブルの分と一緒に仕上げます」
「うん。任せるよ」
注文票を確認し、二皿分の材料を用意する。
同じ料理を続けて作る場合でも、注文が入った順番は崩さない。提供の時間に差が出ないよう、ほかの料理の進み具合も見ながら火へかけていく。
宗一郎から教わったのは一度だけだったが、材料の分量も手順もすでに頭へ入っていた。
「本当に飲み込みが早いなあ」
宗一郎が感心したように呟く。
「一度作り方を見せてもらいましたから」
「一度でここまで覚えられる人は、そう多くないよ」
前世の経験がある以上、初めて厨房へ入った高校生と同じではない。
それでも、この店では新人だ。
料理を作る技術があっても、店の味や仕事の流れを無視していい理由にはならない。
任された仕事を終えるたび、次の注文票へ手を伸ばした。
昼の混雑が落ち着いた頃、宗一郎が小さく息を吐いた。
「お疲れさま。少し休憩にしようか」
「はい」
使用した器具を洗い、調理台を拭く。
片づけを終えてから休憩スペースへ向かうと、テーブルの上に一皿のナポリタンが置かれていた。
「賄いだよ」
「ありがとうございます」
「今日は槻山君に作ってもらおうかと思っていたんだけど、忙しかったからね」
「次は俺が作ります」
俺が答えると、宗一郎は嬉しそうに目を細めた。
「それは楽しみだなあ」
期待されるほどのことでもないと思うが、断る理由もない。
次の勤務では、冷蔵庫にある食材を確認して何か作ることにしよう。
☆
アルバイトを終えて部屋へ戻ったのは、午後七時を少し過ぎた頃だった。
今日は連休最終日ということもあり、夜まで働く予定は入れていない。
シャワーを浴び、簡単に夕食を済ませる。
賄いを食べていたため、夜は野菜と卵を使った軽いスープだけにした。
食器を洗い終えると、机へ教科書とノートを広げる。
ゴールデンウィーク中はアルバイトや大輔たちとの勉強会もあったが、自分の勉強時間も確保していた。
聖凰学園の授業は進むのが早い。
入学試験を突破したからといって、何もしなくても成績を維持できるわけではなかった。
英語の教科書を開き、授業で進む予定の範囲へ目を通す。
知らない単語をノートへ書き出し、意味を調べる。
数学は連休前に習った範囲を解き直した。
特別難しい問題ではない。
それでも、途中式を省略せず、一問ずつ確認していく。
成績を維持できているのは、単純にその分の時間を使っているからだ。
時計の針が午後九時を回ったところで、ペンを置く。
予定していた範囲までは終わった。
軽く肩を回していると、机の端へ置いていたスマートフォンが震える。
画面に表示されていたのは、母さんの名前だった。
「もしもし」
『叶多? 今、大丈夫?』
「ああ。ちょうど勉強が一区切りついたところだよ」
『偉いわね。でも、ちゃんと休みも取りなさい』
「明日から学校だから、軽く復習してただけだよ」
『今日は何をしていたの?』
「昼はアルバイトに行ってたよ」
『お店にはもう慣れた?』
「まだ覚えることはあるけど、料理も少しずつ任せてもらってるよ」
『そう。ちゃんと評価してもらえてるのね』
母さんの声が、少し嬉しそうに弾む。
「マスターも穏やかな人だし、働きやすい店だよ」
『それなら安心だけど、勉強もあるんだから頑張りすぎないようにね』
「試験前や学校の予定があるときは、勤務時間を調整してもらえることになってるよ」
『叶多は無理をしていても平気な顔をするから、そこだけは心配なのよ』
「本当に無理はしてないよ。仕事も楽しいし」
『……楽しいならいいけど』
母さんの声から、わずかに力が抜けた。
『結局、連休中は一度も帰ってこなかったわね』
「アルバイトを始めたばかりだったからね」
『一日くらい、顔を見せてくれてもよかったのに』
「まだ家を出てから一か月くらいだろ」
『一か月も、よ』
どうやら母さんにとっては、短い期間ではないらしい。
「まとまった休みが取れたら、一度帰るよ」
『本当でしょうね?』
「ああ」
『あの子も、叶多の料理が恋しいって言ってたわよ』
「そうか」
『今度帰ってきたら、何か作ってあげてね』
「分かったよ」
『学校は楽しい?』
「ああ。友達もできたし、悪くないよ」
『友達もできたの?』
「同じクラスの二人と、よく一緒にいるよ」
『どんな子たちなの?』
「一人は明るくて、よく話す奴。もう一人は穏やかで、勉強も運動もできる」
『そう。なら、少し安心したわ』
母さんの声が、わずかに柔らかくなる。
『明日からまた学校でしょう? あまり夜更かししないようにね』
「ああ。もう寝る準備をするよ」
『朝ご飯もちゃんと食べるのよ』
「分かってる」
『それじゃあ、おやすみなさい』
「おやすみ」
通話を終え、スマートフォンを机へ置いた。
ゴールデンウィークは、今日で終わりだ。
最後に目覚ましの時刻を確認してから、俺は部屋の照明を消した。