放課後。
授業を終えた俺は、生徒会室へ向かった。
扉をノックし、中から返事があるのを待ってから入室する。
「失礼します」
生徒会室には、すでに二年生の先輩たちがそろっていた。
天ヶ瀬先輩は長机の正面で書類へ目を通し、如月先輩は隣で行事予定表を確認している。
桜庭先輩は電卓を片手に帳簿を開き、真壁先輩は窓際で備品一覧を整理していた。
榊先輩は自分の席へ座り、何枚かの書類を揃えている。
「来たわね、叶多君」
俺に気づくと、榊先輩はゆっくりと微笑んだ。
「今日は書記の仕事を教えるわ。こちらへいらっしゃい」
「はい。よろしくお願いします」
榊先輩の隣に用意されていた椅子へ腰を下ろす。
ほどなくして鷹取君と石倉君も入室し、決められた席へ着いた。
全員がそろったところで、天ヶ瀬先輩が資料を手に立ち上がる。
「一年生には、まず生徒会の基本的な活動について説明する」
配られた資料には、活動日や書類の保管場所、職員室へ提出する際の手順などがまとめられていた。
生徒会の活動は、原則として平日の放課後に行われる。
ただし、仕事の進み具合や部活動、アルバイトなどの事情がある場合は、担当の先輩へ相談した上で早退や欠席も認められていた。
試験一週間前からは活動を縮小し、緊急性のない仕事は行わない。
「生徒会活動を理由に、学業を疎かにすることは認めない」
天ヶ瀬先輩が俺たち三人を見渡した。
「自分の予定と抱えている仕事は、各自で管理しろ。難しいと判断した場合は、早めに相談するように」
「はい」
三人で返事をする。
「欠席や早退の連絡は、前日までに担当者へ伝えること。ただし、体調不良などの場合はその限りではない」
説明は簡潔だったが、必要なことはきちんとまとめられていた。
天ヶ瀬先輩らしい進め方だと思う。
「基本的な説明は以上だ。ここからは、担当ごとに仕事を教えてもらえ」
鷹取君は桜庭先輩の隣へ移動し、会計資料を受け取った。
「今日はぁ、帳簿の付け方から確認しましょうかぁ」
「分かりました。すぐに覚えます」
「頼もしいですねぇ。でもぉ、急がなくても大丈夫ですよぉ」
「急いでいるわけではありません。覚えるのに時間はかからないと思っただけです」
「自信があるんですねぇ」
「根拠のない自信ではありません」
桜庭先輩は、楽しそうに目を細めた。
反対側では、石倉君が真壁先輩から備品一覧を受け取っている。
「まずは、一覧と実際の数が合っているか確認する」
「分かりました」
「足りない物や壊れている物があれば、勝手に補充せず俺に伝えろ。それと、気になる物があっても、今の仕事を途中で放り出すな」
「はい」
強面の見た目に反して、真壁先輩の説明は丁寧だった。
石倉君の性格を把握した上で、注意する順番まで考えているように見える。
「叶多君」
榊先輩に呼ばれ、そちらへ向き直る。
「こちらが、前回の生徒会会議で使われた記録よ」
机の上へ二種類の書類が並べられた。
一方には、会議中に交わされた発言や意見が細かく書き残されている。
もう一方は、それを整理して作られた議事録だった。
「書記の仕事は、話されたことをすべて書き写すことではないわ」
榊先輩が議事録の上へ指先を置く。
「何が決まったのか。何が保留になったのか。誰が、いつまでに、何をするのか。それを誰が読んでも分かるようにまとめるの」
「発言の順番ではなく、内容ごとに整理するんですね」
「ええ。余計な部分を削っても、必要な情報まで落としてはいけないわ」
榊先輩の説明は分かりやすく、口調も真剣だった。
「こちらが会議中の記録で、こっちが完成した議事録よ。まずは見比べてみてちょうだい」
「分かりました」
二つの書類へ目を通す。
会議中の記録には、同じ内容の意見が何度も書かれていた。
完成した議事録では、それらが一つにまとめられ、決定事項や担当者が見つけやすいように整理されている。
「文章を短くすることより、必要な情報を見つけやすくすることが大事なんですね」
「その通りよ」
榊先輩が満足そうに頷いた。
「飲み込みが早いのね」
「見本が分かりやすかったので」
「それでも、最初からそこまで理解できる子は多くないわ」
「ありがとうございます」
「それだけ分かっているなら、実際に一つ作ってみましょうか」
渡されたのは、来月行われる校内清掃活動についての会議記録だった。
実施日。
学年ごとの担当区域。
必要な道具。
各委員会への連絡期限。
会議中の発言を読みながら、項目ごとに内容を整理していく。
誰が発言したかより、何が決まったかを優先する。
曖昧な部分は無理にまとめず、保留事項として分けた。
しばらくして、一通り書き終える。
「できました」
「見せてちょうだい」
榊先輩へ用紙を渡す。
整った文字を目で追いながら、時折小さく頷いていた。
「本当に綺麗な字を書くのね」
「ありがとうございます」
「応募用紙の字も綺麗だったと聞いていたけれど、これなら書記に選ばれるのも納得だわ」
選考を担当した誰かから聞いたのだろう。
榊先輩は内容を最後まで確認し、用紙を机へ戻した。
「初めてにしては悪くないわ。ただ、ここは少し長いわね」
一つの項目を指先で示す。
「この二文は、一つにまとめられるでしょう?」
「確かにそうですね」
「それから、担当者の名前は先に書いた方が見つけやすいわ」
「直します」
「素直なのね」
「直した方が良くなるなら、意地を張る必要はありませんから」
「そういうところ、嫌いじゃないわよ」
榊先輩が楽しそうに目を細める。
指摘された部分を書き直そうと、用紙へ視線を落とした。
「ほら、ここよ」
榊先輩が俺の肩へ手を置き、そのまますぐ隣から用紙を覗き込んでくる。
近い。
俺は何も言わず、用紙が見やすいようにするふりをして、椅子をわずかに横へずらした。
肩に置かれていた手が離れる。
「この言葉を先に持ってくれば、もっと短くできるわ」
「分かりました」
榊先輩は説明を続けながらも、一瞬だけ俺の顔を見た。
今の動きに気づいたらしい。
けれど、何も言わずに微笑んでいる。
その笑みが先ほどより楽しそうに見えたのは、気のせいだろうか。
「では、直してみてちょうだい」
「はい」
担当者の名前を先に置き、二つに分かれていた文章を一文へまとめる。
内容を削りすぎないよう注意しながら、ほかの項目も読み直した。
「できました」
「見せて」
用紙を渡すと、榊先輩は最初から順番に目を通した。
「さっきより、ずっと読みやすくなったわ。指摘した部分以外も直したのね」
「同じように長くなっているところがあったので」
「一つ教えれば、ほかにも応用できるのね」
榊先輩は用紙を机へ置いた。
「これなら、次はもう少し長い会議記録を使ってもよさそうね」
近くから電卓を叩く音が聞こえた。
「ここはぁ、支出した金額だけではなくてぇ、確認した日付も記入してくださいねぇ」
「入力履歴に残るのでは?」
「残りますよぉ。でもぉ、紙の帳簿だけを見る先生もいますからねぇ」
鷹取君は資料と帳簿を見比べ、少し考えてから頷いた。
「なるほど。確かに必要ですね。修正します」
「素直で助かりますぅ」
「まあ、間違いを認められない方が、よほど愚かでしょう」
「ふふ。頼もしいですねぇ」
鷹取君は平静を装っているようだったが、わずかに口元が緩んでいた。
桜庭先輩に褒められたことが、思った以上に嬉しかったらしい。
反対側では、石倉君が棚の上に置かれた段ボールへ手を伸ばそうとしていた。
「真壁先輩、あれも片づけておきましょうか?」
「今はいい。先に一覧の確認を終わらせろ」
「でも、少し邪魔になっているような……」
「目についた物へ次々手を出していたら、どれも終わらなくなる」
「……分かりました」
「気づけるのは長所だ。順番を間違えなければな」
「はい」
真壁先輩は、石倉君の長所を否定せずに仕事の進め方を教えている。
見た目は近寄りがたいが、随分と面倒見のいい人らしい。
「槻山」
名前を呼ばれ、顔を上げた。
天ヶ瀬先輩が、俺の作った議事録を手に取っている。
「これは君がまとめたものか?」
「はい。榊先輩に教わりながら作りました」
天ヶ瀬先輩は用紙へ視線を走らせ、最後まで確認してから顔を上げた。
「よくまとまっている。初めて作ったものとは思えないな」
「ありがとうございます」
「決定事項と保留事項が分けられ、担当者や期限も見つけやすい。このままで問題ない」
「はい」
「書記の仕事には向いているようだな。これからも頼りにしている」
「ありがとうございます。頑張ります」
返された用紙を受け取る。
入学式で姿を見て以来、ずっと気になっていた人から、仕事を評価された。
自然と頬が緩みそうになる。
「……何だ」
見つめすぎていたのか、天ヶ瀬先輩が怪訝そうに眉を寄せた。
「いえ。天ヶ瀬先輩に褒めていただけて、嬉しかっただけです」
「そうか」
天ヶ瀬先輩は短く答えた。
それから何かを言おうとしたように唇を開く。
「それと……」
「はい」
「……いや、何でもない」
天ヶ瀬先輩は視線を外し、手元の書類へ戻した。
仕事については迷いなく話せるのに、それ以外のことになると、少し言葉に詰まるらしい。
「がっせー」
隣に座っていた如月先輩が、楽しそうに声をかける。
「何だ」
「せっかくなんだから、もう少し話せばいいのに」
「必要なことは話した」
「仕事の話しかしてないだろ?」
「今は生徒会活動中だ」
「そういうところだよ」
如月先輩は苦笑している。
天ヶ瀬先輩は反論せず、書類を一枚めくった。
表情は普段と変わらない。
ただ、耳がほんの少し赤くなっているように見えた。
「叶多君」
隣から声をかけられ、榊先輩へ顔を向ける。
榊先輩は頬杖をつきながら、こちらを見ていた。
「美紘に褒められたのが、そんなに嬉しかったの?」
「正直、かなり嬉しいです」
変に取り繕うより、その気持ちは正直に伝えた方がいいだろう。
「あら。随分素直なのね」
「尊敬している先輩に評価されたら、普通は嬉しいと思います」
「尊敬、ね」
榊先輩はゆっくりと天ヶ瀬先輩へ視線を移した。
「相変わらず、何もしなくても人から好かれるのね」
先ほどまでの柔らかな声に、わずかな冷たさが混じる。
天ヶ瀬先輩が顔を上げた。
「榊。指導が終わったなら、次の作業に移れ」
「あら。何も言い返さないの?」
「今は生徒会活動中だ」
天ヶ瀬先輩はそれだけ答えると、再び手元の書類へ視線を戻した。
「お嬢」
真壁先輩が備品一覧から目を上げる。
「その辺にしておいてください」
「……分かったわよ」
榊先輩は不満そうに答えたものの、それ以上何かを言うことはなかった。
天ヶ瀬先輩も何事もなかったように、書類へ視線を戻している。
二人とも声を荒らげてはいない。
それでも、単なる意見の食い違いではないことだけは分かった。
「叶多君」
榊先輩が俺の作った議事録を指先で軽く叩く。
「会長のお墨付きももらえたことだし、今日はここまででいいわ。残りの時間は、過去の議事録に目を通しておいてちょうだい」
「分かりました」
榊先輩から受け取ったファイルを開く。
行事ごとに議事録が整理され、見出しや書式も統一されていた。
作成者の欄には、榊先輩の名前が並んでいる。
同じ書式を使っていても、議題によって項目の順番やまとめ方は少しずつ異なっていた。
「何か分からないところはある?」
視線に気づいた榊先輩が尋ねる。
「行事によって、項目の並べ方が違うんですね」
「ええ。決まった書式に当てはめるだけでは、かえって分かりにくくなることもあるわ」
「読む人が確認しやすい順番に変えているんですか?」
「その通りよ。決定事項を先に置く場合もあれば、日程や担当者を先に示した方がいい場合もあるの」
「内容に合わせて変える必要があるんですね」
「最初から完璧に判断する必要はないわ。迷ったら、過去の似た議事録を探して参考にしなさい」
「分かりました」
俺は再びファイルへ視線を戻した。
同じ内容でも、書き方一つで読みやすさは大きく変わる。
文章を短くするだけではなく、項目の順番や見出しの付け方も重要らしい。
その後は目立った問題もなく、それぞれの作業を続けた。
窓の外が夕方の色へ変わった頃、天ヶ瀬先輩が顔を上げる。
「今日はここまでにする」
全員が手を止めた。
「一年生は初日だからな。使用した資料を元の場所へ戻したら、帰って構わない」
「はい」
ファイルを棚へ戻し、机の上を片づける。
初めての仕事だったが、書記の役割そのものは自分に向いているように思えた。
榊先輩の教え方も分かりやすい。
少し接しづらいところを除けば、指導役として不満はなかった。
「お疲れさまでした」
鞄を手に取り、先輩たちへ頭を下げる。
「お疲れさま、叶多君」
榊先輩が柔らかな笑みを浮かべた。
「明日も、今日と同じ席へ来てちょうだい」
「分かりました」
「次はもう少し、私と仲良くしてくれると嬉しいわ」
「仕事に支障が出ない範囲なら」
榊先輩は一瞬だけ黙り、それから楽しそうに目を細めた。
「本当に、可愛げがないのね」
そう言いながらも、榊先輩はどこか楽しそうだった。
本気で不満なのか、こちらの反応を面白がっているだけなのか、やはり判断しづらい人だ。
俺は小さく息を吐き、生徒会室をあとにした。
初めての生徒会活動は、思っていた以上に順調だった。
ただ、俺の指導役とは、仕事以外の部分で少し苦労することになりそうだった。