中間試験が終わり、生徒会活動もいつもの日常へ戻っていた。
放課後。
俺は鞄を肩に掛け、生徒会室へ向かう。
廊下を歩いていると、試験が終わった解放感からか、部活動へ向かう生徒たちの声があちこちから聞こえてきた。
その中を抜け、生徒会室の扉を軽くノックする。
「失礼します」
「入れ」
中から聞こえてきたのは、聞き慣れた落ち着いた声だった。
扉を開けると、天ヶ瀬先輩はすでに長机の一番奥へ座っている。
副会長の如月先輩、書記の琴姫先輩、会計の桜庭先輩、庶務の真壁先輩も揃っていた。
「お疲れ様です」
「お疲れ」
天ヶ瀬先輩は短く返事をする。
俺も空いている席へ腰を下ろした。
少し遅れて、一年生補助役員の鷹取と石倉も入ってくる。
「失礼します」
「揃ったな」
全員が席へ着いたことを確認すると、天ヶ瀬先輩は手元の資料を机へ置いた。
「まずは中間試験、ご苦労だった」
その一言で、生徒会室の空気が少しだけ和らぐ。
「中間試験の結果についてだが」
天ヶ瀬先輩は全員を見渡した。
「試験期間中も、それぞれよく努力したようだな」
そう言って、視線がこちらへ向く。
「槻山」
「はい」
「学年8位だったそうだな」
「……はい」
「よくやったな」
「ありがとうございます」
天ヶ瀬先輩は、そこで少しだけ表情を和らげた。
「書記としての仕事ぶりも悪くない。これからも頼りにしている」
「……ありがとうございます」
素直に嬉しかった。
天ヶ瀬先輩に仕事ぶりを認められた。
その一言だけで、これまで頑張ってきてよかったと思えた。
天ヶ瀬先輩は小さく頷き、今度は鷹取へ視線を移す。
「鷹取」
「はい」
「学年29位だったな」
「ええ。正直、まだ満足はしていません」
鷹取は迷いなく答えた。
「来年はA組へ上がるつもりです」
一年生のクラス分けは、男子は成績順だ。
A組へ入るには、さらに順位を上げる必要がある。
天ヶ瀬先輩はその言葉を聞き、静かに頷いた。
「目標が高いのは結構なことだ」
鷹取は真っ直ぐ天ヶ瀬先輩を見返す。
「結果で示します」
「期待している」
「はい」
短いやり取りだったが、鷹取はどこか満足そうだった。
続いて、天ヶ瀬先輩の視線は石倉へ向く。
「石倉」
「は、はい」
「中間試験はどうだった?」
「えっと……平均より少し上くらいでした」
「そうか」
天ヶ瀬先輩は小さく頷いた。
「悪くない。だが、そこで満足せず上を目指していけ」
「はい!」
「庶務としての動きも評価している。その調子で続けてくれ」
「ありがとうございます」
「それでは、今日の議題だ」
天ヶ瀬先輩はそう言って、机の上に重ねていた資料を手に取った。
人数分に分けられた冊子が、順番に配られていく。
俺の前にも、数枚の紙をまとめたしおりが置かれた。
表紙には、
『
と印字されている。
「六月下旬に実施される、第一学年合同林間学校のしおりだ」
俺は表紙をめくり、中身へ目を通す。
二泊三日。
行き先は、山間部にある青少年自然の家。
初日はバスで施設へ向かい、開所式と昼食を終えたあと、班ごとにハイキングを行う。夜には天体観測も予定されていた。
二日目はペアでのオリエンテーリング、水域調査、飯ごう炊さん、キャンプファイヤー。
三日目は部屋の清掃や活動の振り返りを行い、閉所式を終えて学園へ戻る。
思っていたよりも、かなり予定が詰まっている。
「日程やバスの時刻、宿泊施設、部屋割り、活動時間については、担当教員が作成している」
天ヶ瀬先輩は自分の前に置いた資料へ手を添えた。
「安全管理、緊急連絡先、禁止事項についても、すでに教員側で確認されている」
「では、生徒会は何を担当するんでしょうか」
石倉が尋ねる。
「提出された原稿を、生徒へ配布できる状態に仕上げる」
天ヶ瀬先輩はそう答え、一枚ページをめくった。
「表紙、目次、ページの配置、文章の読みやすさ、誤字脱字、表記の統一。持ち物やレクリエーションの説明についても、生徒の目線から不足がないか確認する」
「先生方が骨組みを作って、私たちが仕上げるということね」
如月先輩が、資料を眺めながら言った。
「内容が正しくても、必要な情報が見つけにくかったら困るからね」
「そうね。しおりは、ただ情報を詰め込めばよいものではないもの」
琴姫先輩が続ける。
「読む側が迷わず理解できる形に整える必要があるわ」
「その通りだ」
天ヶ瀬先輩は、役割分担の書かれた紙を机の中央へ置いた。
「担当を説明する」
全員の視線が集まる。
「榊は文章全体を確認してくれ。意味の伝わりにくい表現や、説明の不足している箇所を洗い出してくれ」
「承知したわ」
琴姫先輩は資料へ視線を落とした。
「槻山は、榊の補助として校正を担当してほしい。誤字脱字、送り仮名、句読点、表記の揺れを確認しろ」
「はい」
「叶多君」
琴姫先輩が俺へ顔を向けた。
「簡単そうに聞こえるけれど、誤字を探すだけの仕事ではないわ。同じ意味の言葉が違う表現で書かれていないか、文章同士に矛盾がないか見る必要があるの」
「分かりました」
「ふふ、良い返事ね。期待しているわ」
その笑みが本当に期待から来るものなのか、それとも俺の反応を見て楽しんでいるのかは分からない。
「桜庭は、費用と提出物の確認を頼む」
「はい。金額や提出期限に間違いがないか、確認しておきますねぇ」
桜庭先輩が、いつものゆったりとした口調で答える。
「鷹取は、時間と数字だ。集合時刻、出発時刻、活動時間、部屋番号まで、すべて照合してくれ」
「分かりました」
鷹取は返事をすると、すぐに日程表を開いた。
「石倉は持ち物と配布物を確認しろ。一年生として見たときに、分かりにくい部分や足りないものがないか挙げてほしい」
「はい!」
「真壁は、石倉の確認と備品関係を担当してくれ。施設から借りるものと、学園から持ち込むものが混在している」
「了解です、ボス」
壁際の席に座っていた真壁先輩が、咥えていた棒付きキャンディをわずかに動かした。
強面で体格がよく、黙って座っているだけでも妙な迫力がある。
「如月には、全体のバランスを任せる。文字の大きさや余白、ページの順番まで含めて確認してほしい」
「了解。表紙も私が考えていいのかな?」
「ああ。頼む」
如月先輩は表紙を眺めながら、少し考えるように顎へ手を添えた。
「山と木だけだと地味だし、バスかキャンプファイヤーも入れてみようかな」
「表紙ばかり目立たせないでちょうだいね」
琴姫先輩が、如月先輩へ意味ありげな笑みを向ける。
「如月さんなら、見栄えのする表紙にしてくれそうね」
「素直に褒めてくれてる?」
「もちろんよ。あなたは人の目を引くのが得意でしょう?」
「それ、褒めてるようで微妙だなあ」
如月先輩は苦笑しながら、表紙へ視線を戻した。
天ヶ瀬先輩も二人のやり取りを気にせず、全員へ視線を巡らせる。
「最終確認と承認は私が行う」
それまで少しだけ和らいでいた室内の空気が、再び仕事へ戻った。
「このしおりは、第一学年の生徒全員が三日間使用する。集合時刻や活動場所に誤りがあれば、多くの生徒へ影響が出る。細かい作業だが、気を抜かずに進めてほしい」
「はい」
全員の返事が揃う。
俺は赤いペンを手に取り、しおりの最初のページを開いた。
「思っていたより予定が多いですね」
石倉が日程表を見ながら呟いた。
「特に二日目だな」
鷹取がすぐに応じる。
「午前も午後も外で活動して、そのまま飯ごう炊さんだ。昼に休めるとはいえ、かなり詰まってる」
「俺は、最後まで体力が持つか少し不安ですね」
思わずそう口にすると、琴姫先輩がこちらへ視線を向けた。
「あら。叶多君は運動が苦手なの?」
「はい。昔からあまり得意ではないです」
「意外ね。何でもそつなくこなしそうに見えるのに」
「そんなことないですよ。走るのも遅いですし、体力にも自信はありません」
「そう。完璧すぎない方が、親しみやすくていいかもしれないわね」
笑顔を崩さないまま、どこか意味ありげに言う。
「お嬢。そろそろ作業に戻りましょう」
真壁先輩が、資料から目を上げることなく声をかけた。
「少しくらい後輩と話をしてもいいでしょう?」
「構いませんが、ほどほどにしてください」
「分かったわ」
琴姫先輩は楽しそうに微笑むと、自分の資料へ視線を戻した。
「それでは、続けましょうか。叶多君」
「はい」
俺も改めて文章の確認へ戻る。
最初は誤字や表記の違いを見つけるだけだと思っていたが、実際に読み始めると、確認するべき箇所は思った以上に多かった。
同じ内容でもページによって表現が違っていたり、説明が足りず分かりにくかったりする。
俺は気になった箇所へ印をつけ、その都度、琴姫先輩へ確認を取りながら修正していった。
向かい側では、鷹取が日程表の時刻や数字を照らし合わせている。
石倉も真壁先輩の指導を受けながら、持ち物や配布物の一覧を確認していた。
如月先輩と桜庭先輩も、それぞれ担当する箇所へ目を通している。
時折、誰かが気づいた点を口にし、天ヶ瀬先輩が確認して方針を決める。
そうして作業を続けるうちに、しおりの余白には少しずつ修正の印と付箋が増えていった。
しばらくして、天ヶ瀬先輩が席を立つ。
全員の進み具合を確かめながら長机の周りを歩き、俺の隣で足を止めた。
「進み具合はどうだ?」
「まだ途中ですが、誤字と表記の違いをいくつか見つけました」
「見せてくれ」
「はい」
俺は冊子を天ヶ瀬先輩の方へ動かした。
天ヶ瀬先輩は、俺が印をつけた箇所へ順番に目を通していく。
「修正が必要だと考えた理由も書いてあるな」
「あとで見直すとき、印だけでは分かりにくいと思ったので」
「正しい判断だ」
天ヶ瀬先輩は小さく頷く。
「任せてよかった」
「ありがとうございます」
「ただし、迷った箇所を自分だけで判断するな。必ず榊へ確認を取れ」
「はい」
「その調子で続けてくれ」
「分かりました」
天ヶ瀬先輩が席へ戻る。
俺は赤いペンを握り直し、次のページを開いた。
林間学校へ参加する側でありながら、その準備にも関わっている。
少し不思議な感覚だったが、自分たちが仕上げたしおりを一年生全員が使うと思えば、適当な仕事はできない。
俺は気持ちを切り替え、次の一文へ目を走らせた。