天体観測の集合を知らせる放送が終わると、大輔は名残惜しそうにゲームを中断した。
「いいところだったのに」
「大輔がコースの外に押し出されたところだろ」
「まだ逆転できた」
大輔は黒瀬君へ言い返しながら、携帯ゲーム機の電源を切った。
俺たちは上着を羽織り、しおりと筆記用具を持って部屋を出る。
廊下には同じように準備を終えた生徒たちが集まり、教師の指示に従って玄関へ向かっていた。
外へ出た瞬間、冷たい空気が頬に触れる。
「寒いな」
大輔が上着の前を閉じながら呟いた。
「昼間とは全然違うね」
直樹の言うとおり、日が沈んだあとの山は想像していたよりも冷え込んでいた。
宿泊棟の周囲には照明が設置されているが、少し離れれば、その先は暗闇に包まれている。
クラスごとに人数を確認したあと、教師を先頭にして観察広場へ移動する。
足元を照らすために使っていた懐中電灯も、広場へ到着すると消すよう指示された。
広場には大きな望遠鏡が何台か並べられ、その近くでは施設の職員が準備を進めている。
空を見上げたが、大部分が厚い雲に覆われていた。
「これ、本当に見えるのか?」
隣にいた大輔が小声で尋ねる。
「雲が切れるまで待つんじゃないかな」
木下君も空を見上げながら答えた。
全員が広場へ揃うと、施設の職員が前へ立った。
「今夜は雲が多いため、予定どおり観察できるかは分かりません。しばらく外で説明を行い、雲が晴れなければ室内での活動へ切り替えます」
続けて、観察中の注意事項が説明される。
望遠鏡には勝手に触れないこと。広場の中では走らないこと。目が暗さに慣れるまでは、スマホや懐中電灯を使わないこと。
俺たちは配られたシートの上へ、班ごとに腰を下ろした。
照明が消されると、周囲は一気に暗くなった。
最初は隣に座っている相手の顔さえ見えにくかったが、しばらくすると、少しずつ目が慣れてくる。
空と山の境目が分かるようになり、近くに座る生徒たちの姿も薄く見え始めた。
「暗い場所に慣れると、最初より見えるようになるんだな」
「人の目は、暗い場所に合わせて変わるからね」
木下君が小声で答える。
施設の職員は星図を使いながら、方角の見分け方や、季節によって見える星が変わることを説明していた。
俺も配られた観察用紙へ目を落とす。
天候の欄には、迷うことなく曇りと記入した。
今のところ、雲の向こうに星は一つも見えない。
「このまま何も見えなかったら、天体観測にはならないな」
「天気ばかりは仕方ないよ」
直樹が穏やかに答えた。
同じシートの端では、姫岡さんが一人で空を見上げていた。
やがて施設の職員から、しばらく自由に空を観察するよう言われる。
周囲から小さな話し声が聞こえ始める中、俺は少し場所を移し、姫岡さんの隣へ腰を下ろした。
「何か見えるか?」
「まだ、何も」
「やっぱり雲が多いな」
「うん」
星は見えなかったが、街中とは違って周囲にほとんど明かりがないため、普段よりも空が広く感じられた。
「姫岡さんは、こういう場所で空を見たことあるのか?」
「ない。星空ならゲームで何度も見たけど、こんなに暗い場所で見るのは初めて」
「俺もだ。街にいると、ここまで暗くなることはないからな」
「うん。周りに明かりがほとんどないから、空しか見えない」
姫岡さんは雲に覆われた空を見上げたまま、小さく呟いた。
「こうやって待つのも、嫌いじゃないかも」
「俺もだ。何も見えなくても、普段とは違う感じがするな」
しばらくすると、広場の一角から声が上がる。
「あ、見えた!」
何人もの生徒が同じ方向を見上げた。
厚い雲の間に細い切れ目ができている。
そこから小さな光が一つ見え、さらに雲が流れると、周囲にもいくつかの星が現れた。
広場のあちこちから、控えめな歓声が上がる。
「見えてよかったな」
姫岡さんへ声をかけると、彼女は空を見上げたまま頷いた。
「うん。待っててよかった」
雲の切れ間は少しずつ大きくなり、やがて白い月も姿を見せた。
施設の職員たちが望遠鏡を調整し、班ごとに並ぶよう指示を出す。
順番を待つ間にも雲は動いていたが、月はまだはっきりと見えている。
最初に望遠鏡を覗いた大輔が、驚いたように声を漏らした。
「本当に表面がでこぼこしてる」
「そんなにはっきり見えるのか?」
黒瀬君が望遠鏡へ視線を向ける。
「ああ。写真で見るのとは全然違うぞ」
大輔が場所を譲ると、今度は黒瀬君が望遠鏡を覗いた。
しばらく月を眺めたあと、ゆっくりと顔を上げる。
「思っていたより細かく見えるな」
「だろ?」
「ああ。これは面白い」
黒瀬君は短く感想を口にし、次の生徒へ場所を譲った。
俺の順番が回ってきたので、教えられたとおりに接眼レンズを覗き込む。
視界の中に、白く輝く月が大きく映った。
肉眼では滑らかな円にしか見えなかった表面に、いくつもの凹凸と濃い影がある。
写真で見たことはあったが、実際に望遠鏡を通して見ると、月が遠くにある巨大な物体なのだと改めて感じられた。
「見えた?」
望遠鏡から離れると、直樹が尋ねてきた。
「ああ。思っていたよりはっきり見えたよ」
「雲が切れてくれてよかったね」
俺たちの班が一度ずつ望遠鏡を覗き終えた頃には、再び雲が月へ近づいていた。
観察用紙へ、見えた天体や望遠鏡で確認した特徴を書き込んでいく。
やがて月が完全に隠れると、施設の職員が観察の終了を告げた。
長い時間ではなかったが、雲の切れ間ができたおかげで、予定していた活動は一通り行えたらしい。
帰り道では再び懐中電灯をつけ、足元に気をつけながら宿泊棟へ戻った。
☆
部屋へ戻った俺たちは、壁際に積まれていた布団を敷いた。
大輔は携帯ゲーム機へ視線を向けたものの、すぐに小さく欠伸をする。
「少しくらいなら、さっきの続きできるかな」
「もうすぐ消灯だよ」
木下君が時計を見ながら答えた。
「明日でもできるだろ」
黒瀬君は自分の布団を整えながら言う。
「仕方ない。続きは明日だな」
大輔も素直に諦め、ゲーム機を旅行鞄へ戻した。
歯磨きや明日の準備を終え、それぞれが布団へ入る。
間もなく消灯を知らせる放送が流れ、部屋の照明が消された。
暗くなった天井を見上げていると、今日一日の出来事が次々と思い浮かぶ。
朝に学校を出発し、施設へ到着してからは、ほとんど休む間もなく山道を歩いた。
かなり疲れたが、展望広場から見た景色も、雲の切れ間から現れた星空も、普段の学校生活では見ることのできないものだった。
明日は姫岡さんと二人でオリエンテーリングを回ることになる。
今日の様子を見る限り、急がずに進んだ方がよさそうだ。
そんなことを考えているうちに、疲れの残った体へ眠気が広がっていった。