クラスごとに列を作り、体育館へ向かう。
廊下には他のクラスの新入生も並んでおり、想像していた以上に混雑していた。
花城先生を先頭に、人の流れに合わせて歩いていく。
体育館へ入ると、壇上の前に椅子が整然と並べられていた。
正面には、円を斜めに横切る意匠が描かれた聖凰学園の校章。
壁には入学を祝う紅白の幕が張られている。
俺たちは案内された場所へ進み、出席番号順に腰を下ろした。
俺は二列目の前から三番目。
前方には、先ほど出席確認で目立っていた梅原大輔の姿が見えた。
しばらくすると、体育館内がほとんど埋まった。
周囲を見渡せば、当然ながら男子ばかりだ。
それでも、ところどころに女子の姿が見える。
「なあ、生徒会長って、めちゃくちゃ美人らしいぞ」
右斜め前から、押し殺した声が聞こえてきた。
大輔だ。
隣の男子へ身を寄せ、何やらこそこそと話している。
「見たことあるのか?」
「いや、ない。でも入学前に調べた。学園一の美女って噂だぜ」
「入学前からそんなこと調べてたのかよ」
「当然だろ。女子の情報は一通り押さえてある」
ずいぶん入念に調べたらしい。
だが、その気持ちは分からなくもない。
俺だって彼女が欲しくて、この学園を選んだのだから。
大輔の場合、少し情熱の向け方が露骨なだけだ。
だが、学園一の美女という言葉には俺も興味を引かれた。
女子そのものが少ないこの世界で、学園中に美人として知られている。
それだけでも相当な存在だ。
しかも生徒会長まで務めているらしい。
いったい、どんな人なのだろう。
「私語は慎んでください」
教師の声が飛び、大輔たちは慌てて口を閉じた。
俺も何事もなかったように正面へ向き直る。
やがて、開式を告げる声が体育館に響いた。
新入生一同が立ち上がり、頭を下げる。
こうして、聖凰学園高等部の入学式が始まった。
校長の式辞。
来賓からの祝辞。
祝電の紹介。
真面目に聞くつもりではいる。
だが、長いものは長い。
姿勢を崩さないようにしながらも、少しずつ集中力が薄れていく。
そんなときだった。
「続いて、生徒会長より歓迎の言葉です」
司会の声に、少し緩みかけていた意識が戻る。
生徒会長。
大輔が話していた、学園一の美女か。
体育館にいる男子たちも同じことを考えたのだろう。
壇上の袖へ向けられる視線が、明らかに増えた。
やがて、一人の女子生徒が姿を現す。
その瞬間。
体育館の空気が変わった。
艶のある黒髪を腰近くまで伸ばした、息を呑むほど整った顔立ちの少女。
長い髪は後頭部で一部を編み込み、上品なハーフアップにまとめられている。重めの前髪は顔の片側へ流れ、右目をほとんど覆い隠していた。
前髪の隙間から覗く瞳は、灰紫色を帯びた切れ長のアーモンドアイ。目尻が鋭く、静かに見つめられるだけで気圧されるような冷たさがある。
白い肌に、すっと通った鼻筋。薄く色づいた唇は小さく引き結ばれ、表情から感情を読み取ることは難しい。
背は高く、細くくびれた腰を中心に、全身の均整が美しく整っている。女性らしい柔らかな曲線を持ちながらも、姿勢の良さと隙のない立ち振る舞いのせいか、華美な印象は受けない。
黒を基調とした制服も一分の乱れなく着こなし、翡翠色の縁取りとチェック柄のリボンやスカートが、冷たい美貌にわずかな彩りを添えていた。
美しいだけではない。
近寄ることさえためらわせるような、完成された気品と威圧感をまとった少女だった。
背筋を伸ばし、迷いのない足取りで演台へ向かっていく。
誰かが息を呑む音が聞こえた。
前の列も、隣の列も、壇上から目を離せずにいる。
振り返らなくても分かる。
この場にいる男子のほとんどが、彼女に釘付けになっていた。
俺も例外ではない。
美人らしい、どころではなかった。
絶世の美女。
そんな大げさな言葉が、何の抵抗もなく頭に浮かぶ。
これまでだって、綺麗な女性を見たことはある。
それでも、ここまで強く目を奪われたことは一度もなかった。
彼女が演台の前に立つ。
広い体育館は、いつの間にか物音一つしないほど静まり返っていた。
「新入生の皆さん、入学おめでとうございます。生徒会長の
凜とした声が、体育館の隅々まで響き渡る。
声まで綺麗だった。
だが、ただ耳触りがいいだけではない。
力強く、聞く者の意識を自然と引きつける声だった。
「皆さんは本日、厳しい受験を乗り越え、この聖凰学園の門をくぐりました。今日まで重ねてきた努力に、心から敬意を表します」
彼女は手元の原稿へほとんど目を落とさない。
背筋を伸ばし、正面を見据えながら言葉を紡いでいく。
「しかし、合格は終着点ではありません。ここから始まるのは、これまで以上に厳しい、己との戦いです」
容姿だけではない。
立ち振る舞いにも、言葉にも、一切の迷いがなかった。
「『
努力。
その言葉が、不思議と胸に残った。
俺は天才ではない。
前世でも、今世でもそうだ。
ただ、人より少し長く努力を続けてきただけだった。
「我が校のカリキュラムは厳格であり、生徒に求められる水準も極めて高いものです。合格したことで安心し、今日から努力を怠る者がいるならば、その才能はたちまち錆びついていくでしょう」
厳しい言葉だ。
入学を祝う場で告げるには、少し冷たくすら感じる。
それでも、不快には思わなかった。
彼女自身が、誰よりも努力を重ねてきたのだろう。
そう思わせるだけの説得力があった。
「そして、この学園で得られるものは学問だけではありません。友人や先輩、教師との出会いも、皆さんを成長させる大切な糧となるでしょう。互いに高め合い、時には支え合いながら、自らの進む道を見つけてください」
ほんのわずかに、声が柔らかくなった気がした。
「皆さんが厳しい環境から逃げることなく、己を磨き続ける覚悟を持っているのならば、私たち生徒会はその努力を尊重し、皆さんの学園生活を支えるために全力を尽くすことを誓います」
天ヶ瀬先輩は一度言葉を切る。
静まり返った体育館を見渡し、最後にはっきりと告げた。
「皆さんがこの聖凰学園で、自らを誇れる真の『器』へと成長することを期待しています」
一礼。
直後、体育館を揺らすような拍手が巻き起こった。
俺も無意識に手を叩いていた。
綺麗だから目を奪われた。
それは間違いない。
だが、今はそれだけではなかった。
堂々とした立ち姿。
努力を重んじる考え方。
これだけの人数を前にしても揺らがない自信。
もっと知りたい。
一度、話してみたい。
そんな気持ちが、胸の奥から湧き上がってくる。
これが一目惚れなのだろうか。
前世を含めても、こんな感覚は初めてだった。
天ヶ瀬美紘。
その名前を、俺は心の中で繰り返す。
生徒会長なら、普段は生徒会室にいるはずだ。
だが、普通に学校生活を送っているだけで、関わる機会があるとは思えない。
ならば、こちらから近づくしかない。
生徒会に入ろう。
その瞬間、俺の高校生活に新しい目標が生まれた。
入学式が終わり、俺たちは再び教室へ戻った。
席へ着いても、先ほど目にした生徒会長の姿が頭から離れない。
「噂以上だったな……」
右の方から大輔の呟きが聞こえた。
どうやら、衝撃を受けたのは俺だけではないらしい。
むしろ会場にいた男子の大半が、似たような状態だったのだろう。
「はい、お疲れさまでしたー」
花城先生の子供っぽい声が教室に響く。
教卓の上には、入学式前にはなかった大量の書類が積まれていた。
「今からいくつか配ります。後ろへ回してください」
花城先生が前列の生徒へ書類の束を渡していく。
学校生活の案内。
年間予定表。
時間割。
生徒手帳。
部活動の紹介冊子。
緊急連絡先や健康状態を記入するための用紙。
次々と回ってくる紙を受け取り、種類ごとに机の上へ重ねていく。
「記入が必要な書類は、今週中に提出してください。保護者の署名が必要なものもあるので、忘れないように」
保護者の署名か。
一人暮らしを始めたとはいえ、こういうところではまだ高校生らしい。
あとで父さんたちに送る必要がありそうだ。
「それから、明日は校内案内と自己紹介を行います。通常授業が始まるのは明後日からです」
教室のあちこちから、小さな声が上がる。
自己紹介。
何を話すか、今のうちに考えておいた方がいいかもしれない。
「座席は一週間、今のままです。私が皆さんの名前と顔を覚えた頃に、改めて席替えをします」
花城先生はそう言いながら名簿を閉じた。
「連絡は以上です。今日は慣れないことばかりで疲れたでしょうし、これで終わります」
ずいぶんあっさりしている。
長々と話を聞かされるよりはありがたいが、本当に必要最低限しか説明しない先生らしい。
「配ったものをなくすと、再発行する私が面倒なので気をつけてください」
自分の都合だった。
教室の何人かが笑う。
「それでは、今日は解散。寄り道はほどほどに。明日も遅刻しないように」
花城先生が教室を出ていくと、張り詰めていた空気が一気に緩んだ。
椅子を引く音。
鞄へ書類を詰める音。
友人同士で話す声。
入学初日の教室が、再び騒がしくなる。
「じゃあ、また明日ね」
千夏が鞄を肩へ掛けながら言った。
「ああ。また明日」
軽く手を振ると、千夏は教室の前方へ向かっていく。
その先にはもう一人のギャル、七瀬ここあの姿があった。
どうやら、二人は知り合いらしい。
俺も配布物を鞄へ入れ、席を立った。
新しい教室。
個性の強いクラスメイトたち。
そして、壇上で目を奪われた生徒会長。
入学式だけだというのに、ずいぶん濃い一日だった。
だが、高校生活はまだ始まったばかりだ。
明日から、少しずつこの学園での日常が始まっていく。
そんなことを考えながら、俺は教室を後にした。