調査場所は、施設から少し歩いたところにある浅い川だった。
川幅はそれほど広くなく、水の底にある石まで見えるほど澄んでいる。
職員から網と透明な観察ケース、測定器具、記録用紙を受け取り、班ごとに決められた範囲を調べる。
記録するのは、水温、透明度、川底の様子、そして見つけた魚や小さな生き物の種類だった。
「まずは水温と透明度だね」
木下君が手順を確認しながら言う。
「俺が水温を測る」
黒瀬君が温度計を受け取った。
川の水に温度計を沈め、しばらく待つ。
「……冷たいな」
黒瀬君が短くつぶやいた。
「そんなに?」
木下君が覗き込む。
「手を入れると分かる」
俺も川の水に指先をつけてみた。
澄んでいるだけあって、見た目以上に冷たい。六月の空気に慣れた身体には、山の水の冷たさがはっきり伝わってくる。
「水温、何度?」
「十五度」
黒瀬君が目盛りを確認して答える。
木下君が記録用紙へ数値を書き込んだ。
「じゃあ、俺は魚を探すか」
大輔は浅瀬へ視線を向ける。
「滑りやすいから、気をつけてよ」
本田さんが注意する。
「分かってますって」
大輔は慎重に川辺へしゃがみ込み、流れの緩い場所へ網を入れた。
俺は木下君の記録を手伝いながら、黒瀬君が読み上げる数値を書き込んでいく。
姫岡さんと本田さんは、見つかった魚や生き物を資料と見比べる担当になった。
「何か入ったぞ」
大輔が水を切りながら、網を持ち上げる。
透明な観察ケースへ移すと、中には小さな魚が一匹入っていた。
銀色の体が、ケースの中で素早く向きを変える。
「これ、資料のどれだ?」
「見せて」
姫岡さんが資料を開き、観察ケースの中と何度も見比べる。
「多分、カワムツ……だと思う」
「本当か?」
「体の横に線があるし、形も似てるから。でも、魚は詳しくない」
「それだけ分かれば十分だよ」
木下君も資料を確認し、該当する魚の名前を記録用紙へ書き込んだ。
「よく分かったな」
俺が言うと、姫岡さんは観察ケースから少しだけ距離を取り、資料へ視線を落とした。
「資料に特徴が書いてあったから」
「それでも、すぐ見つけられるのはすごいと思う」
「……絵と説明を見比べるだけなら、できる」
「今日の活動に向いてるな」
姫岡さんは少しだけ肩を揺らし、それから小さく頷いた。
「……こういうのは、少し楽しいかも」
理由は分からなかったが、朝よりも楽しそうにしているようには見えた。
その後も、大輔が網を入れ、黒瀬君が流れの様子を測り、木下君が記録をまとめていった。
本田さんは観察ケースの中を確認しながら、見つかった魚が弱らないように日陰へ移している。
「大輔君、あまり何度も追い回さない方がいいわよ」
「分かってるって。捕まえたらすぐ戻すんだろ?」
「ならいいけど」
「次はもっと大きいのを狙うか」
「調査だからね。釣り大会じゃないよ」
木下君が苦笑する。
「分かってる。分かってるけど、見えると捕まえたくなるんだよ」
「子供みたいね」
本田さんが呆れたように言う。
大輔は言い返そうとしたが、流れの中を泳ぐ小さな魚を見つけると、すぐにそちらへ意識を向けた。
「いた」
「大輔、足元に気をつけろよ」
「ああ」
大輔は川岸の石に手をつき、サンダルのまま浅瀬へ片足を入れた。
「つめたっ」
反射的に足を引きかけた大輔が、慌てて体勢を戻す。
「さっき水温を測っただろ」
「数字で見るのと、足で感じるのは違うんだよ」
「それは分かるけど、そこで跳ねるな。危ない」
「分かってるって」
大輔は少し肩を震わせながら、網をそっと水に沈めた。
水深は足首にも届かない程度だったが、石の表面は濡れていて滑りやすい。流れも見た目より速く、油断すれば簡単に足を取られそうだった。
次の瞬間、足元の石がわずかに動いた。
「おっと」
大輔の身体が少し傾く。
「言ったそばから!」
本田さんが声を上げた。
俺は反射的に手を伸ばしかけたが、大輔はどうにか体勢を立て直した。
水しぶきが少しだけ跳ね、膝下が濡れる。
「……セーフ」
「アウト寄りのセーフだろ」
「転んでないからセーフだ」
「サンダル、流されなかった?」
木下君が心配そうに尋ねる。
「そこは無事」
「ならよかったけど、足元は本当に気をつけた方がいいよ」
「水が綺麗だったから、つい」
「理由になってないわよ」
本田さんはそう言いながらも、完全に怒っているわけではなさそうだった。
姫岡さんも資料を抱えたまま、大輔の濡れた足元を見ている。
「……転ばなくてよかった」
「姫岡さん、優しいな」
「……怪我したら、大変だから」
姫岡さんはそれだけ言って、資料へ視線を戻した。
黒瀬君が川岸を指差す。
「戻った方がいい」
「はい」
珍しく素直に返事をして、大輔は慎重に浅瀬から戻ってきた。
今度はさっきよりもずっとゆっくりと足を運んでいる。
「最初からその慎重さを出せばよかったのに」
「失敗から学ぶ男だからな」
「失敗する前に学べよ」
俺が返すと、木下君が記録用紙を抱えたまま笑った。
「でも、怪我がなくてよかったよ」
「それは本当にそうね」
本田さんも頷く。
調査で観察した魚は、職員の指示に従って元の川へ戻した。
姫岡さんはその様子を、最後までじっと見ていた。
「名残惜しいのか?」
「少し」
「楽しかった?」
「……うん」
姫岡さんは小さく頷いた。
前髪で表情はよく見えない。
それでも、その声は朝より少しだけ柔らかかった。