7月12日、日曜日。
今日はバイトも休みだ。
朝食を済ませ、使った食器を洗っていると、テーブルの上に置いていたスマホが鳴った。
画面には、母さんの名前が表示されている。
「もしもし」
『叶多、誕生日おめでとう』
「ありがとう、母さん」
『もう16歳なのね。和樹君と司君も、おめでとうって言ってたわよ』
「父さんたちにも、ありがとうって伝えておいて」
『自分でもあとで連絡してあげなさい』
「分かってるよ」
母さんの声は普段と変わらなかったが、どこか嬉しそうだった。
『ちゃんと朝ご飯は食べた?』
「今、食べ終わったところ」
『ならよかった。今日は何か予定があるの?』
「今のところは特にないよ」
『そう。せっかくの誕生日だけど、無理に予定を入れずに過ごすのもいいかもしれないわね』
「そうするつもり」
友達と出かける約束もなく、夕食も自分で用意するつもりだった。
誕生日だからといって、必ずしも特別な一日になるわけではない。
『ところで、夏休みはいつ帰ってくるの?』
「まだ決めてない。帰る前に、バイクの免許を取りたいと思ってるんだ。普通二輪の」
『バイクの免許? 普通二輪って、400ccまで乗れる免許よね?』
「うん。夏休みに合宿へ行こうと思ってる」
『そうだったのね。もう行くところは決めているの?』
「候補は決めてる。日程と費用も調べたから、あとで送るよ。申し込みには保護者の同意が必要だから、そのことも相談したくて」
『分かったわ。内容を確認してから、和樹君と司君にも話しておく』
「ありがとう」
『免許を取ったら、バイクも買うつもりなの?』
「ああ。乗りたいバイクは、もう決めてる」
『そこまで調べていたのね。購入費なら、私たちで出してもいいのよ』
「いや、それはいい」
『16歳の誕生日祝いも、まだ渡していないでしょう? 和樹君と司君も、叶多が欲しいものなら出してくれると思うけど』
「気持ちは嬉しいけど、自分が欲しくて乗るものだから、自分で払いたい」
『安い買い物じゃないのよ』
「分かってる。バイク本体だけじゃなくて、自賠責と任意保険、ヘルメットやグローブにかかる費用も調べてる」
『それを全部、自分で払えるの?』
「一括は難しいから、契約については父さんたちに相談したい。でも、支払いは俺がするつもりだよ」
『ずいぶん前から考えていたのね』
「中途半端な気持ちで相談してるわけじゃないから」
電話の向こうで、母さんが少し考えるように黙った。
『分かったわ。そこまで考えているなら、頭ごなしに反対するつもりはないわよ』
「ありがとう」
『ただし、買いたいバイクと合宿先、それに必要な費用をまとめて送って。和樹君と司君にも確認してもらうから』
「ああ。今日中に送るよ」
『ローンのことも、2人にきちんと相談しなさい。契約する側にも責任があるんだから』
「分かってる」
『それと、ヘルメットやグローブも安さだけで選ばないこと。安全に関わるものなんだからね』
「そこは妥協しないよ」
『ならいいわ』
母さんの声が少し柔らかくなる。
『でも、購入費を私たちが出すという話は、まだ取り下げていないからね』
「俺は自分で払いたい」
『叶多がそう考えていることは分かったわ。でも、私たちにも何かさせてちょうだい』
「……それは、父さんたちとも話してから決めるよ」
『ええ。それでいいわ』
そのとき、電話の向こうから幼い声が聞こえてきた。
『ママ! りっくん、いちご食べる! 早く!』
「律か?」
『ええ。苺を早く食べたいんですって』
『ママ、早く! いちご食べるの!』
『はいはい。電話が終わったら食べようね』
律は俺と話していることには気づいていないらしく、電話の向こうで何度も母さんを急かしていた。
「元気そうだな」
『元気すぎるくらいよ。最近は、起きている間ずっと何か話してるの』
『ママ! いちご、まだ?』
『もう少し待ってね。りっくん、今はにーにと電話してるのよ』
『にーに?』
『そうよ。今日は、にーにのお誕生日なの。おめでとうって言ってあげて』
少し間が空いた。
『にーに、おめでとう』
「ありがとう、りっくん」
俺の声が聞こえると、りっくんは不思議そうに黙り込んだ。
『ママ、にーにどこ?』
『電話の向こうにいるのよ』
『向こう?』
『そう。にーにの声が聞こえるでしょう?』
『にーに?』
「りっくん、久しぶり」
『にーに、いちご食べる?』
「帰ったら、一緒に食べよう」
『一緒、食べる?』
「ああ。一緒に食べよう」
『にーに、りっくん、一緒!』
電話の向こうで、りっくんが嬉しそうな声を上げた。
『よかったわね、りっくん』
『にーに、早く帰ってきて!』
「夏休みになったら帰るよ」
『にーに、帰ってくる?』
「ああ。帰る日が決まったら、また電話するから」
『いちご、一緒、食べる!』
「約束な」
『うん!』
『それじゃあ、合宿のことは、また詳しく送ってね』
「ああ。今日中に送るよ」
『分かったわ。待ってるから』
通話を終え、スマホをテーブルの上へ戻す。
静かになった部屋の中でも、りっくんの嬉しそうな声が耳に残っていた。
夏休みに帰ったら、まずは約束どおり、一緒に苺を食べよう。