男女比100対1で男が多いとかマジ終わってる   作:ののじん

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56話 合宿免許

 7月20日。

 

 朝早くに家を出た俺は、電車と送迎バスを乗り継ぎ、県外にある教習所へ到着した。

 

 市街地から離れた場所にあり、敷地の周囲には低い山と田畑が広がっている。

 

 駐車場の奥には広い教習コースがあり、その向こうに校舎と宿泊施設が並んでいた。

 

 今日から29日まで、卒業検定の合格を目指す。

 

 前世では、普通自動車だけでなく普通二輪の免許も持っていた。

 

 仕事が忙しくなるまでは、休日によくバイクで出かけていた。

 

 クラッチやギアの操作は覚えているが、最後に乗ってからはかなりの時間が経っている。

 

 昔の感覚を過信せず、最初から教わるつもりで臨んだ方がいいだろう。

 

 送迎バスから荷物を下ろし、ほかの参加者と一緒に受付のある建物へ向かう。

 

 夏休みを利用しているのか、高校生や大学生くらいの若者が多い。

 

 普通自動車の免許を取りに来た者もいれば、俺と同じ普通二輪の参加者もいるようだった。

 

 受付で名前を伝え、必要な書類を提出する。

 

 本人確認と視力検査を終えると、受付の女性から予定表と宿泊施設の鍵を渡された。

 

「槻山さんは普通二輪ですね。荷物を置いたあと、12時50分までに第3教室へお越しください」

 

「分かりました」

 

「宿泊施設は、この建物を出て右手です。昼食はそちらの食堂を利用してください」

 

「ありがとうございます」

 

 簡単な案内を受け、宿泊施設へ移動する。

 

 指定された部屋へ荷物を置き、予定表に目を通した。

 

 朝から夕方まで技能と学科が組まれており、空いている時間はそれほど多くない。

 

 10日間で教習を終えるのだから、当然だろう。

 

 食堂で昼食を済ませたあと、指定された教室へ向かった。

 

 中にはすでに何人もの参加者が集まっている。

 

 空いていた席へ座り、受付でもらった書類を机の上に置いた。

 

 しばらくすると、後方の扉が開く。

 

 教室へ入ってきた女子に、周囲の視線が集まった。

 

 両側を短く刈り上げ、長く残した黒髪を後ろへ流している。

 

 鋭い目つきに加え、耳にはいくつものピアスが並んでいた。

 

 黒を基調にした服装も相まって、かなり近寄りがたい雰囲気だ。

 

 本人は周囲から見られていることなど気にせず、空いている席を探して教室を見回した。

 

 通路に置かれていた鞄の前で足を止める。

 

「それ、どけろよ。通れねぇだろ」

 

「あ、ごめん」

 

 持ち主らしい若い男が、慌てて鞄を足元へ引き寄せる。

 

 女子は何も言わず、その横を通り過ぎた。

 

 声を荒らげたわけではない。

 

 それでも、相手が反射的に従うような圧があった。

 

 女子は後方の席へ腰を下ろし、頬杖をつく。

 

 やがて教官が入ってくると、入校説明が始まった。

 

 合宿中の決まりや教習の流れを聞いたあと、出席の確認が行われる。

 

久我凌華(くがりょうか)さん」

 

「はい」

 

 先ほどの女子が、短く返事をした。

 

 久我凌華(くがりょうか)

 

 それが彼女の名前らしい。

 

 ☆

 

 適性検査を終えたあとは、教習で使用する装備の説明を受けた。

 

 長袖と長ズボンに着替え、ヘルメットや各種プロテクターを身につける。

 

 屋外へ出た途端、強い日差しが身体へ降り注いだ。

 

「今日は気温が高いので、待っている間も水分を取ってください。少しでも体調が悪い場合は、すぐに申し出るように」

 

 教官の注意を聞き、全員で返事をする。

 

 参加者はいくつかの班に分けられ、俺と久我も同じ班になった。

 

 初日の技能教習は、車両の取り回しと基本操作から始まる。

 

 最後にバイクへ乗ってから長い時間が経っていたが、車体の支え方や動かし方は覚えていた。

 

 教官の説明どおりに何度か繰り返すうち、少しずつ昔の感覚が戻ってくる。

 

 教官の指示に従い、教わった内容を順番にこなしていった。

 

「久我さん、力だけで押さないでください。もう少し車体を身体へ寄せましょう」

 

「分かった」

 

 久我は愛想のない返事をしたものの、教官の指示には素直に従った。

 

 最初は勢いに任せていたが、姿勢を直すと安定して教習車を動かしていく。

 

 飲み込みも悪くないらしい。

 

 教習が進み、クラッチをつないで短い距離を走る。

 

 久しぶりに聞くエンジン音と、身体へ直接伝わる振動。

 

 以前は当たり前だった感覚が、今は妙に新鮮だった。

 

 初日の教習は、大きな失敗もなく終わった。

 

 ☆

 

 合宿が始まってから数日が過ぎた。

 

 朝から学科と技能教習を受け、夕食後はその日の復習をする。

 

 同じことの繰り返しに見えて、教習内容は少しずつ難しくなっていた。

 

 発進と停止、変速、カーブ、坂道発進。

 

 前世で経験したことのある操作でも、検定で求められる手順には細かな決まりがある。

 

 余計な癖を出さず、教官から指示されたとおりに練習を続けた。

 

 久我とは毎日同じ班だったが、言葉を交わす機会はなかった。

 

 俺は出席確認で彼女の名字を覚えていたが、向こうにとって俺は、同じ班にいる男子の1人にすぎないだろう。

 

 久我は覚えが早く、1度注意されたことはすぐに直していた。

 

 休憩中は少し離れた場所で1人で過ごし、ほかの参加者と話すこともほとんどない。

 

 特に男子へは、自分から声をかけようともしなかった。

 

 ただ、通路を塞がれたり、何かを動かす必要があったりすれば、ためらわず短く指示を出す。

 

 頼むというより、相手が従うことを疑っていない口調だった。

 

 見た目と態度のせいか、久我に視線を向けられただけで場所を空ける者もいる。

 

 誰かと親しくする気はなさそうだが、人を動かすことには慣れているらしい。

 

 一方で、失敗した人間を笑ったり、理由もなく絡んだりすることはなかった。

 

 ☆

 

 7月24日。

 

 合宿が始まってから5日目を迎えた。

 

 慣れない生活と連日の教習で、参加者の顔にも少しずつ疲れが見え始めている。

 

 その日は朝から気温が高く、午後になっても強い日差しが教習コースへ降り注いでいた。

 

 屋根のある待機場所にいても、外から流れ込んでくる空気は熱い。

 

 俺は持っていたペットボトルから水を飲み、次の教習を待っていた。

 

 しばらくすると、前の組がコースから戻ってくる。

 

 その中に久我の姿もあった。

 

 普段なら先頭に近い位置を歩いてくるが、今日はほかの参加者より少し遅れている。

 

 待機場所まで戻ってきた久我が、壁へ片手をついた。

 

 ほんの一瞬だった。

 

 だが、普段の彼女ならしない動きだった。

 

「大丈夫か?」

 

 声をかけながら一歩近づくと、久我がゆっくりと顔を上げた。

 

 顔色は明らかに悪かった。

 

「……触んじゃねぇ」

 

「触らないから。顔色が悪いぞ」

 

「平気だ。ちょっと暑いだけだって」

 

 久我は壁から手を離そうとしたが、身体がわずかに揺れた。

 

「少し座った方がいい」

 

「このあと教習あんだよ」

 

「その状態で乗るのは危ない。教官には俺から話しておくよ」

 

「そこまでしなくていいって」

 

「すぐに済むから。水は持ってる?」

 

「……もうねぇ」

 

「分かった。持ってくるから、ここで待ってて」

 

 近くにいた教官へ久我の様子を伝え、休憩室の自動販売機へ向かう。

 

 冷えたスポーツドリンクを買って戻ると、久我は待機場所の椅子へ座っていた。

 

 教官からも休むように言われたらしく、不満そうな顔で壁に背を預けている。

 

「飲めそうか?」

 

「ああ」

 

 ペットボトルを差し出すと、久我は受け取って少しずつスポーツドリンクを飲んだ。

 

「一気に飲まない方がいい。ゆっくりでいいから」

 

「分かってる」

 

 言葉は荒いが、先ほどまでの強い語気はない。

 

 俺は少し離れた場所へ腰を下ろし、次の教習が始まるまで様子を見ることにした。

 

「お前も行けばいいだろ」

 

「まだ時間があるから大丈夫だよ」

 

「だからって、ここにいる必要ねぇだろ」

 

「また具合が悪くなったら、誰か呼んだ方がいいからな」

 

「……好きにしろよ」

 

 久我はそれ以上何も言わず、目を閉じた。

 

 しばらく休んでいると、青ざめていた顔にも少しずつ血色が戻ってくる。

 

「少しは楽になったか?」

 

「ああ。もう平気だ」

 

「よかった」

 

 次の教習へ向かおうと立ち上がると、久我がこちらを見上げた。

 

「なあ」

 

「何?」

 

「お前、優しいな」

 

「具合が悪そうだったから、声をかけただけだよ」

 

「……そっか」

 

 久我は小さく息を吐いた。

 

 それから俺の顔を改めて眺め、わずかに目を細める。

 

「お前、よく見たら随分かわいい顔してんじゃねぇか」

 

「急にどうした?」

 

「そう思ったから言っただけだよ」

 

「そんなことを言えるなら、もう大丈夫そうだな」

 

「何だよ、その返し」

 

 久我の口元がわずかに緩んだ。

 

 普段の近寄りがたい表情とは違い、年相応に見える笑い方だった。

 

「そういや、お前の名前は?」

 

「槻山だ。槻山叶多」

 

「槻山か……覚えとく」

 

 遠くから、教官に俺の名前を呼ばれた。

 

「次の教習に行ってくるよ。まだ無理はしない方がいい」

 

「分かってるって」

 

 歩き出そうとすると、背後からもう1度声をかけられた。

 

「槻山」

 

 振り返ると、久我はこちらをまっすぐ見ていた。

 

「助かった」

 

「ああ」

 

 短く答え、教官のいる方へ向かう。

 

 それが、久我凌華と初めてまともに言葉を交わした時だった。

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