男女比100対1で男が多いとかマジ終わってる   作:ののじん

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57話 バイクと学科教本

 久我凌華とまともに言葉を交わした翌日。

 

 午前の教習を終えた俺たちは、次の時間まで休憩所で待機していた。

 

 外では別の班が教習を続けており、低いエンジン音が途切れることなく聞こえてくる。

 

 俺は自動販売機で買ったお茶を机の端に置き、鞄から夏休みの課題を取り出した。

 

 合宿中は教習以外の時間もそれなりにある。

 

 部屋へ戻ってからまとめて取り組んでもいいが、空いた時間を使って少しずつ進めておいた方が楽だ。

 

 数学の問題集を開き、途中になっていたページから解き始める。

 

 何問か進めたところで、机の前に人影が落ちた。

 

「槻山」

 

 顔を上げると、久我さんが立っていた。

 

 昨日より顔色はよく、体調に問題はなさそうだった。

 

「もう大丈夫なのか?」

 

「ああ。寝たら治った」

 

「そうか」

 

「これ」

 

 久我さんが机の上へ硬貨を置いた。

 

 昨日、俺が買って渡したスポーツドリンクの代金らしい。

 

「別にいいよ。大した金額じゃないし」

 

「借りたままは気持ち悪ぃんだよ」

 

 そう言われては、受け取らない方がかえって面倒だろう。

 

「分かった。ありがとう」

 

「礼を言うのはあたしの方だろ」

 

 久我さんはそう言いながら、俺の向かい側にある椅子を引いた。

 

 彼女の視線は俺ではなく、机の上に開かれた問題集へ向いていた。

 

「……お前、聖凰か?」

 

「そうだけど」

 

 表紙には学園名が印刷されている。

 

 久我さんは少し眉を上げた。

 

「何年だ?」

 

「1年」

 

「あたしもだ」

 

「久我さんも聖凰だったのか」

 

「ああ」

 

 同じ学校どころか、同じ学年らしい。

 

 聖凰学園は生徒数が多い。

 

 特に男子は女子よりはるかに人数が多いため、クラスが違えば顔を知らなくても不思議ではなかった。

 

「何組なんだ?」

 

「G組。お前は?」

 

「A組」

 

「A組か」

 

 久我さんが少し意外そうに眉を上げる。

 

「何だ?」

 

「いや、別に。普通は学科の勉強すんだろ」

 

「学科の勉強もやってるよ」

 

「それにしたって、学校の課題まで持ってくるやつは珍しい」

 

「空き時間が結構あるからな。少しでも終わらせておけば、家に帰ってから楽になる」

 

「真面目だな、お前」

 

「後に残したくないだけだよ」

 

「それを真面目って言うんだろ」

 

 久我さんは呆れたように息を吐くと、近くの自動販売機へ視線を向けた。

 

「そういや、お前は学科どうなんだ?」

 

「今のところは問題ないかな。前日に少し復習するくらいで何とかなってる」

 

「へぇ」

 

「久我さんは?」

 

「実技の方が好きだな。座学は眠くなる」

 

 それから会話が途切れたが、沈黙を気まずいとは感じなかった。

 

 しばらく無言になったところで、場内に教習開始を知らせる放送が流れる。

 

『第3教習の受講生は、教習コース前へ集合してください』

 

「俺たちの班だな」

 

「ああ」

 

 俺が問題集を閉じると、久我さんは先に立ち上がった。

 

 休憩所を出て、教習コースへ向かう。

 

 今日も教官の指示に従い、決められた課題を繰り返す予定だ。

 

「槻山」

 

 前を歩いていた久我さんが振り返った。

 

「遅ぇぞ」

 

「今行くよ」

 

 ☆

 

 午後の教習では、一本橋とスラロームを中心に練習した。

 

 一本橋は低速で細い板の上を通過する課題だ。

 

 前世でも経験したが、久しぶりにやると感覚を取り戻すまで少し時間がかかる。

 

 視線を遠くへ向け、ニーグリップで車体を安定させながら、半クラッチと後輪ブレーキで速度を調整する。

 

 最初の数回は規定時間にわずかに届かなかったものの、繰り返すうちに安定してきた。

 

 一方、久我さんは苦戦していた。

 

 橋へ乗ること自体はできているが、途中で車体がふらつき、そのまま板から落ちてしまう。

 

「久我さん、ハンドルを細かく動かしすぎです」

 

「分かってる」

 

「分かっていても、力が入っています。腕をもう少し楽にしてください」

 

「……分かった」

 

 久我さんは返事をして、再び発進位置へ戻った。

 

 次の挑戦でも、途中でバランスを崩して橋から落ちる。

 

 待機場所へ戻ってきた久我さんは、苛立ったように息を吐いた。

 

「時間はあまり意識しなくていいと思うぞ」

 

「は?」

 

「まずは落ちずに渡り切る方が大事だ。規定時間に届かなくても減点で済むけど、落ちたら終わりだからな」

 

「でも、遅く走らねぇと駄目なんだろ」

 

「それは渡れるようになってからでいいよ。今は少し速くてもいいから、最後まで走り切ることを優先した方がいい」

 

 久我さんはしばらく橋の方を見たあと、小さく息を吐いた。

 

「……分かった」

 

「目線も近くに置きすぎない方がいい。橋の先を見ると安定しやすいぞ」

 

「教官と同じこと言ってんな」

 

「教官の言ってることが正しいからな」

 

「それができりゃ苦労してねぇよ」

 

「最初から全部できる人はいないだろ」

 

「……もう1回やる」

 

 久我さんはそれだけ言うと、自分の順番を待った。

 

 次の挑戦では、これまでより少し速い速度で橋へ進入する。

 

 途中で車体が揺れたものの、今回は橋から落ちることなく最後まで渡り切った。

 

 規定時間には届いていなかったが、教官は頷いている。

 

「久我さん、今のでいいです。まずは落ちずに渡る感覚を覚えましょう」

 

「分かった」

 

 待機場所へ戻ってきた久我さんは、ヘルメットのシールドを上げた。

 

「できたな」

 

「時間は足りてねぇけどな」

 

「まず渡れたんだから、それでいいだろ」

 

「次はもっと遅く走る」

 

「その調子でいいと思う」

 

 久我さんは再び一本橋へ挑戦した。

 

 何度か繰り返すうちに少しずつ速度を落とせるようになり、最後には規定時間に近いところまで伸ばしていた。

 

 久我さんは少しだけ視線を逸らした。

 

「さっきの助言、役に立った。ありがとな」

 

「ああ」

 

 昨日の礼を含めても、久我さんは義理堅い性格らしい。

 

 見た目や話し方だけでは分からない部分が、少しずつ見えてきた気がした。

 

 ☆

 

 夕食を終えたあと、俺は宿舎の共用スペースで学科教本を開いていた。

 

 今日習った範囲を一通り読み返してから、練習問題を解いていく。

 

「槻山」

 

 顔を上げると、久我さんが学科教本と問題集を持って立っていた。

 

「ここ、座っていいか?」

 

「ああ。どうぞ」

 

 久我さんは向かい側の椅子へ座り、問題集を開いた。

 

 それからしばらく、俺たちは黙ってそれぞれの問題に取り組んだ。

 

「槻山」

 

「どうした?」

 

「これ、どっちだ?」

 

 久我さんが問題集をこちらへ向ける。

 

 書かれていたのは、二輪車の乗車姿勢に関する問題だった。

 

「これは丸だな」

 

「でも、腕に力を入れてハンドルを押さえた方が安定すんじゃねぇのか?」

 

「力を入れすぎると、かえって操作しにくくなるよ。今日の一本橋でも教官に言われてただろ」

 

「ああ……そういうことか」

 

 久我さんは納得したように答えを書き直した。

 

「実技でやったことと結びつけると覚えやすいと思う」

 

「なら、何とかなりそうだな」

 

 そう言って、久我さんは次の問題へ進んだ。

 

 勉強が好きなわけではなさそうだが、免許を取るために必要なことはきちんと覚えるつもりらしい。

 

 俺も自分の問題集へ視線を戻す。

 

 時折ページをめくる音がするだけで、会話はほとんどなかった。

 

 それでも、向かいに久我さんが座っていることを不自然には感じなかった。

 

「そういえば、久我さんは免許を取ったら、どんなバイクに乗るつもりなんだ?」

 

「もう決めてる。KASASAGIのV400。黒のやつ」

 

「ネイキッドか。前から乗りたかったのか?」

 

「ああ。免許を取るなら、あれに乗るって決めてた」

 

 迷う様子のない答えだった。

 

 久我さんの雰囲気にも合いそうだ。

 

「槻山は?」

 

「俺はHONMAのベイス250あたりにしようかと思ってる」

 

「ベイス250か。意外だな」

 

「そうか?」

 

「お前なら、もう少し今っぽいバイクを選ぶと思ってた」

 

「クラシック系が好きなんだ。見た目も落ち着いてるしな」

 

「まあ、似合いそうではあるな」

 

「そうか?」

 

「ああ。派手なやつより、そっちの方がお前っぽい」

 

 久我さんはそう言うと、再び問題集へ視線を落とした。

 

「ただ、まだ決めたわけじゃないけどな」

 

「他にも候補があんのか?」

 

「一応は。店で実物を見てから決めるつもりだよ」

 

「写真だけじゃ分かんねぇしな」

 

「ああ。足つきや取り回しも確かめたいからな」

 

「慎重だな」

 

「長く乗るものだから、後悔はしたくないんだ」

 

「それもそうか」

 

 久我さんは小さく頷いた。

 

 バイクの話になると、普段よりも言葉が増えるらしい。

 

「久我さんは、もう実物を見たことがあるのか?」

 

「ああ。店にも行った」

 

「跨がってみた?」

 

「当然だろ。足つきも問題なかった」

 

 迷いなく答える辺り、本当にV400に決めているようだった。

 

「納車は免許を取ってからか?」

 

「そのつもりだ。今は店に取り置きしてもらってる」

 

「そこまで済んでるんだな」

 

「免許取ってから探してたら遅ぇだろ」

 

「楽しみにしてるんだな」

 

「悪いかよ」

 

「いや。いいと思う」

 

 そう答えると、久我さんは僅かに目を逸らした。

 

「……まあ、楽しみではある」

 

 それだけ言って、今度こそ問題集へ戻る。

 

 俺も手元へ視線を落としたが、しばらくしてからまた久我さんの声がした。

 

「槻山」

 

「分からないところがあった?」

 

「ああ。ここなんだが」

 

 久我さんが問題集をこちらへ向ける。

 

 それからも、久我さんは分からない問題があるたびに俺へ尋ねてきた。

 

 俺は教本を一緒に確認しながら、できるだけ実技で習ったことと結びつけて説明していく。

 

 久我さんもただ答えを聞くだけではなく、納得できるまで教本へ目を通していた。

 

 勉強が得意ではないというより、文字だけで覚えるのが苦手なのかもしれない。

 

 それでも、この覚え方は久我さんに合っていたらしく、最初より問題を解く手が止まらなくなっていた。

 

「今日はここまでにする」

 

 しばらくして、久我さんが問題集を閉じた。

 

「もういいのか?」

 

「ああ。やりすぎても頭に入らねぇ」

 

「それもそうだな」

 

「槻山はまだやんのか?」

 

「あと少しだけ。今日の範囲までは終わらせたいから」

 

「やっぱ真面目だな、お前」

 

「後に残したくないだけだよ」

 

「それを真面目って言うんだろ」

 

 昼間と同じことを言われ、俺は小さく笑った。

 

「そうかもしれないな」

 

 久我さんは立ち上がると、教本と問題集をまとめて手に取った。

 

「じゃあ、先に戻る」

 

「ああ。おやすみ」

 

「……おやすみ」

 

 去りかけた久我さんが、ふと足を止める。

 

「槻山」

 

「どうした?」

 

「明日も、分かんねぇところがあったら聞いていいか?」

 

「もちろん」

 

「そうか」

 

 短く答えると、久我さんは今度こそ共用スペースを出ていった。

 

 閉まった扉を一度見てから、俺は再び問題集へ視線を戻す。

 

 合宿が始まったばかりの頃は、名前を知っているだけだった。

 

 それが今では、向かい合って学科の勉強をする程度には話すようになっている。

 

 きっかけは些細なことだったが、久我さんとの距離は少しずつ縮まっているように思えた。

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