8月3日。
学校説明会を翌日に控え、俺たち生徒会役員は朝から学校へ集まっていた。
夏休み中の校舎には、部活動に来ている生徒の姿が僅かにあるだけだ。普段なら話し声の絶えない廊下も、今日は静まり返っている。
生徒会室の扉を開けると、すでに天ヶ瀬先輩たちが集まっていた。
「おはようございます」
「おはよう、槻山」
長机の正面に座る天ヶ瀬先輩が、手元の書類から顔を上げる。
隣では如月先輩が、人数分の予定表を並べていた。
「これで全員かな?」
「真壁がまだだ」
天ヶ瀬先輩が壁の時計へ目を向けたところで、廊下から足音が近づいてきた。
扉が開き、大きな段ボール箱を抱えた真壁先輩が入ってくる。
「遅れたわけじゃありません。下でこれを運ぶよう頼まれました」
「誰も責めてないよ」
如月先輩が笑いながら答える。
真壁先輩が長机の端へ置いた箱には、『学校案内』と書かれていた。
「それ、明日配るパンフレットですか?」
「ああ。職員室の前に積んであった」
「ほかの資料も運ぶんですか?」
「入試要項と部活動の案内もある。あとでまとめて運ぶぞ」
「分かりました」
全員が席へ着いたところで、天ヶ瀬先輩が予定表を配った。
「明日の学校説明会は9時半開始だ。受付は8時半から始める」
予定表には、集合時間や担当場所が細かく記されていた。
受付、体育館への誘導、校内見学の案内、個別相談会場の補助。
俺の名前は、受付と校内案内の両方に入っている。
「槻山は受付を手伝ったあと、校内案内へ回ってくれ」
「分かりました」
「男子の受験希望者や保護者から質問があった場合も、可能な範囲で対応してほしい」
「俺が答えてもいいんですか?」
「実際に通っている男子生徒へ聞きたいこともあるだろう。ただし、分からないことを推測で答えるな。必ず近くの教員へ確認してくれ」
「はい」
天ヶ瀬先輩は全員の担当を確認すると、予定表を机へ置いた。
「午前中に体育館と受付を設営する。午後は案内表示を置き、校内見学の経路を確認する予定だ」
「今年は何人くらい来るの?」
如月先輩が尋ねる。
「受験希望者と保護者を合わせて、200人ほどだ」
「結構多いね」
「ああ。誘導で混乱が起きないよう、今日のうちに準備を済ませる」
天ヶ瀬先輩が立ち上がる。
「では、始めよう」
最初に向かったのは体育館だった。
倉庫からパイプ椅子を運び、床に貼られた目印へ合わせて並べていく。
作業自体は単純だが、200人分となると数が多い。
「槻山、そっちの列が少しずれてる」
真壁先輩に言われ、数歩離れて確認する。
1脚だけ、前へ出ていた。
「これですか?」
「ああ、それだ」
椅子を動かすと、列が真っ直ぐになる。
「よく気づきましたね」
「後ろから見ると目立つ。今のうちに直した方がいい」
強面な見た目に反して、真壁先輩はこういう細かなところまでよく見ている。
舞台前では、天ヶ瀬先輩と桜庭先輩が教員と一緒にマイクや映像設備を確認していた。
「ボス、椅子は並べ終わりました」
「分かった。中央の通路を確認してくれ」
「はい」
真壁先輩は天ヶ瀬先輩に答えると、体育館の後方へ移動した。
如月先輩も入口から座席を眺め、首を傾げる。
「もう少し通路を広くした方がよくない?」
「そうだな。保護者が並んでも通れる幅は必要だ」
数列分の椅子を動かし、中央の通路を広げる。
体育館の準備を終えたあとは、昇降口へ移動した。
受付用の長机を並べ、来場者名簿や筆記具、名札を用意する。
学校案内や入試要項などの資料は、種類ごとに分けて受付の後ろへ積んでいった。
「槻山、学校案内と入試要項の部数を確認してくれ」
「はい」
真壁先輩から渡された資料を、20部ずつの束に分けていく。
すべての数を確認した頃には、昼を少し回っていた。
「午前の作業はここまでにしよう。午後は1時から再開する」
天ヶ瀬先輩の言葉で、生徒会室へ戻る。
それぞれが席へ着き、持参した昼食を取り出した。
俺も鞄から弁当箱を出す。
今日の主食は、梅と鮭のおにぎり。
おかずには、冷しゃぶのレモン塩だれ、ピーマンとツナの塩昆布炒め、ミニトマトのベーコン巻き、ソーセージとパプリカのカラフル炒めを詰めてきた。
暑い日でも食べやすいものを中心にしている。
向かい側では、天ヶ瀬先輩が鞄から袋入りのパンを2つ取り出していた。
惣菜パンと、クリームの入った甘いパンだ。
「天ヶ瀬先輩、昼はそれだけですか?」
「ああ。夏休み中は食堂が開いていないからな」
そう答えた天ヶ瀬先輩は、手元のパンと俺の弁当を見比べた。
「買ったときはこれで十分だと思ったが……こうして見ると、少し味気ないな」
「よかったら、俺の弁当を分けますよ」
「いや、お前の分が減るだろう」
「少し多めに作ってきたので大丈夫です」
「しかし――」
「パンだけよりはいいでしょう」
俺が弁当箱の蓋を開けると、天ヶ瀬先輩の視線が中へ向いた。
「随分と彩りがいいな」
「茶色ばかりにならないようにしたので」
「これを朝から作ったのか?」
「はい」
鞄に入れていた小さな保存容器を取り出し、蓋を開ける。
「おにぎりは梅と鮭があります。どちらがいいですか?」
天ヶ瀬先輩は少し迷ってから、梅おにぎりへ目を向けた。
「では、梅をもらってもいいか?」
「どうぞ」
梅おにぎりを保存容器へ移し、おかずも取り分ける。
「おにぎりだけで十分だ」
「おかずも多めにありますから、遠慮しないでください」
「だが、そこまで分けてもらうのは……」
「せっかくなので、おかずも食べてみてください」
天ヶ瀬先輩は申し訳なさそうにしながらも、それ以上は断らなかった。
「……ありがとう」
「どういたしまして」
天ヶ瀬先輩は梅おにぎりを一口食べる。
しばらく噛んだあと、その表情が僅かに緩んだ。
「美味しい」
「よかったです」
「梅の酸味が強すぎないな」
「刻んだ鰹節を少し混ぜています」
「なるほど」
次に、冷しゃぶへ箸を伸ばす。
レモン塩だれを絡めた豚肉を食べると、天ヶ瀬先輩は小さく頷いた。
「これも美味しい。さっぱりしていて食べやすいな」
「暑い日でも食べやすいようにしました」
「こちらはピーマンか?」
「ツナと塩昆布で炒めてあります」
天ヶ瀬先輩はそちらも口に運ぶ。
「ピーマンの苦味があまり気にならない」
「ツナと塩昆布の味が強いですからね」
「ミニトマトにベーコンを巻くのも面白いな」
「見た目も明るくなるので」
一品ずつ確かめるように食べていく天ヶ瀬先輩を見ていると、気に入ってもらえたらしい。
「槻山は、本当に料理が得意なんだな」
「料理人を目指してますから」
「そうなのか」
「はい」
天ヶ瀬先輩は、取り分けた料理を改めて見下ろした。
「なるほど。趣味で作っているだけではないのだな」
「まだまだ勉強中ですけどね」
「それでも、十分に納得できる味だ」
そこまで素直に褒められると、少し照れくさい。
天ヶ瀬先輩は買ってきたパンを脇へ置き、梅おにぎりをもう一口食べた。
「嫌じゃなければ、明日も作ってきますよ」
天ヶ瀬先輩の箸が止まる。
「……私の分もか?」
「はい」
「だが、1人分増えれば手間がかかるだろう」
「1人分も2人分も、そこまで変わりませんよ」
「そういうものなのか?」
「同じおかずを、もう一つの弁当箱へ詰めるだけです。大した手間じゃありませんよ」
天ヶ瀬先輩は手元の弁当へ視線を落とした。
「正直に言えば、とてもありがたい。……頼んでもいいのか?」
「もちろんです」
天ヶ瀬先輩は僅かに迷ったあと、静かに頷いた。
「では、お願いする。ありがとう、槻山」
「食べられないものはありますか?」
「特にはない」
「分かりました。明日はちゃんと1人分作ってきます」
「すまないな」
俺は梅おにぎりへ目を向ける。
「明日も梅でいいですか?」
「ああ」
天ヶ瀬先輩の表情が、僅かに柔らかくなる。
「できれば、お願いしたい」
「分かりました」
そのやり取りを聞いていた如月先輩が、こちらへ顔を向けた。
「よかったね、がっせー」
「ああ。ありがたい」
天ヶ瀬先輩はそう答えながら、残っていた梅おにぎりを食べる。
いつもより機嫌がよさそうに見えた。
昼休憩を終えると、午後は校内へ案内板を設置していった。
正門から昇降口、昇降口から体育館、体育館から個別相談会場。
遠くからでも矢印が見えるか確認しながら、位置を一つずつ調整する。
最後に、明日の校内見学と同じ経路を全員で歩いた。
「ここは階段が狭い。一度に全員を上げると詰まるな」
「2組に分けますか?」
「ああ。先頭と最後尾で連絡を取りながら進めよう」
天ヶ瀬先輩は手元の配置図へ書き込んでいく。
図書室、特別教室、食堂、体育館。
案内する場所を一通り確認し、生徒会室へ戻った頃には夕方になっていた。
「今日の準備は以上だ」
天ヶ瀬先輩が全員を見回す。
「明日は8時集合。来場者には丁寧に対応し、分からないことを曖昧に答えないようにしてくれ。学校の代表として見られていることを忘れるな」
「はい」
全員で返事をする。
「それと、できれば表情も柔らかくね」
如月先輩が付け加える。
天ヶ瀬先輩が僅かに眉を寄せた。
「……善処する」
「がっせーが一番心配なんだけど」
「努力はしてみる」
笑顔を求められても、天ヶ瀬先輩には難しいらしい。
けれど、今日一日かけて準備を確認していた姿を見れば、表情が硬くても対応そのものに心配はないだろう。
明日は学校説明会本番だ。
帰ったら、明日の弁当を仕込んでおこう。