スクリーンに表示された6桁の数字は、何度見比べても叶多君の抽選券と同じだった。
本当に、ニューロノットが当たっていた。
当選発表が終わると、私たちはスタッフに案内され、ステージ脇に設けられた受付へ向かった。
そこで叶多君は本人確認を済ませ、用紙に配送先を記入する。
製品版のニューロノットは、発売日の9月26日に指定した住所へ届けられるらしい。
「これで手続きは完了です。発売日まで、楽しみにお待ちください」
「ありがとうございます」
スタッフに頭を下げ、受付を離れる。
それでも叶多君は、受け取った控えを見ながら、まだ不思議そうな顔をしていた。
「本当に当たったんだな」
「うん。当たった」
「昼には、いつか買えればいいって話してたのにな」
「すぐ手に入るようになった」
「運がよかったとしか言えないな」
叶多君は困ったように笑った。
私は、その横顔を見つめる。
ニューロノットがあれば、VFをもっと自由に動かせる。
発売されたら、叶多君と一緒に遊べる。
そう考えると、自分が当たったわけでもないのに嬉しかった。
「よかったね」
「ああ。姫岡さんが連れてきてくれたおかげだな」
「私?」
「この抽選券も優待入場でもらったものだろ。そもそも、姫岡さんに誘われなかったら来てなかったし」
「でも、当てたのは叶多君」
「それでも、きっかけは姫岡さんだよ。ありがとう」
「……うん」
まっすぐお礼を言われ、返事が少し遅れた。
私たちは荷物を持ち直し、会場の出口へ向かう。
時刻はすでに夕方に近づいていた。
それでも会場内には多くの人が残っていて、各ブースの前にはまだ試遊を待つ列が続いている。
「今日は楽しかった?」
気になって、そう尋ねた。
「ああ。思っていた以上にな」
「本当?」
「本当だよ。知らないゲームばかりだったけど、姫岡さんがいろいろ教えてくれたから楽しめた」
叶多君は会場内を見渡しながら答える。
「VFも面白かったし、ほかにも気になるゲームができた。来てよかったよ」
「……そう。よかった」
叶多君は普段、あまりゲームをしない。
だから、私の好きなものに一日付き合わせてしまったんじゃないかと、少し気になっていた。
叶多君の言葉を聞いて、胸の奥が軽くなった。
ちゃんと楽しんでくれていた。
それが嬉しかった。
出口へ近づくにつれて、人の流れが少しずつ密になっていく。
帰る人と、別の会場へ向かう人が交差し、少し気を抜けば進む方向すら分からなくなりそうだった。
前を歩いていた叶多君との間へ、何人かが入り込む。
追いつこうと歩幅を速めた時、叶多君がこちらを振り返った。
「姫岡さん」
「うん」
「はぐれそうだから」
叶多君が手を差し出す。
「つかまって」
差し出された手を、反射的につかんだ。
叶多君の指が、離れないように私の手を握り返す。
そこで初めて、自分が何をしたのかに気づいた。
手をつないでいる。
混雑の中ではぐれないため。
それだけだと分かっているのに、触れたところから熱が広がっていく。
「行こう」
「う、うん」
叶多君が人の流れに合わせて歩き出す。
私は手を引かれるまま、その少し後ろを歩いた。
つないだ手ばかりが気になった。
さっきまで普通に話せていたのに、今は何を言えばいいのか分からない。
カラオケで初めて、叶多君とアニメの話をした時のことを思い出す。
自己紹介の時に小さな声で言った『紫電のレガリア』を、叶多君は覚えてくれていた。
私が好きな機体や作品の話をしても、途中で退屈そうにすることはなかった。
話しすぎたと思って謝った時も、面白かったと言ってくれた。
次に見るなら何がおすすめかと、私に聞いてくれた。
それからも、ゲームやアニメの話をすると、知らないことを適当に流さず、分からないところは聞いてくれた。
今日も朝からずっと、私の行きたい場所へ一緒に回ってくれた。
ただ付き合ってくれただけではない。
初めて見るゲームにも興味を持ち、試遊を終えたあとには面白かったと言ってくれた。
私の好きなものを、知らないからと遠ざけず、知ろうとしてくれた。
それが、ずっと嬉しかった。
自分の好きなものを分かってもらえたからだと思っていた。
けれど、今は少し違う。
つないだ手の温かさも、目の前を歩く背中も、全部が大切に思えた。
私は、つないだ手の先をたどるように視線を上げる。
その瞬間、叶多君が振り返った。
「大丈夫?」
目が合う。
叶多君は、安心させるように微笑んだ。
「もう少しで人混みを抜けられそうだ」
「……うん」
胸の奥が、苦しいほど大きく跳ねた。
その理由を、もう知らないふりはできなかった。
やがて人の流れが緩やかになり、前を塞いでいた人の姿も少なくなっていく。
「もう大丈夫そうだな」
叶多君が足を止め、つないでいた手を離した。
指先から温かさが消える。
それだけのことなのに、少しだけ物足りなく感じた。
「姫岡さん?」
「……なに?」
「いや、ぼんやりしてたから」
「だ、大丈夫」
「疲れた?」
「少しだけ。でも平気」
叶多君は私の顔を確かめるように見てから、歩き出した。
私も隣へ並ぶ。
会場を出ると、外の空気は中よりも少し涼しかった。
入口付近には、これから帰る人や待ち合わせをしている人が集まっている。
今日が終わってしまう。
そう思うと、帰るのが惜しくなった。
このまま駅へ向かえば、あとは電車に乗って帰るだけ。
もう少しだけ、一緒にいたかった。
「あの……叶多君」
「ん?」
「このあと、時間ある?」
「特に予定はないけど」
「朝、話してたゲーム機、今日貸せる」
「予備があるって言ってたやつ?」
「うん。家に置いてある」
「じゃあ、今から取りに行ってもいいのか?」
「うん」
そこまでは言えた。
ゲーム機を渡すだけなら、玄関先で済む。
でも、本当はもう少し一緒にいたかった。
「それで……」
「うん」
「『アンビバレンス・リバーサル』、少しやっていかない?」
「姫岡さんが前に勧めてくれたゲームだよな」
「うん。最初は私が教えられるから」
「それなら、少しだけお邪魔しようかな」
「……うん」
自然に答えようとしたのに、声が少しだけ遅れた。
叶多君は気にした様子もなく、駅へ向かって歩き始める。
その隣を歩きながら、私は小さく息を吐いた。
家へ来る。
叶多君が、私の家に。
自分から誘ったのに、今になって急に緊張してきた。
「姫岡さんの家って、ここから近いのか?」
「で、電車で二駅。それから少し歩く」
「思っていたより近いんだな」
「うん」
「急にお邪魔しても大丈夫?」
「今日は父さん、仕事で帰りが遅いから……」
答えたあとで、その言葉の意味を自分で意識してしまった。
しばらくは、家に二人きりになる。
急に、そのことばかりが頭から離れなくなった。
「そうか。連絡はしておいた方がいいな」
「うん」
スマートフォンを取り出し、父へ短いメッセージを送る。
クラスメイトにゲーム機を貸すため、少し家へ寄る。
しばらくして、父から返信が届いた。
『分かったよ。戸締まりだけ気をつけてね』
それだけだった。
誰を連れていくのか聞かれるかと思っていたけれど、父はそういうことを強く聞ける人ではない。
たぶん気にはしている。
それでも、私が嫌がると思って遠慮しているのだと思う。
電車に乗ってからも、叶多君は今日見たゲームの話をしていた。
「『アンビバレンス2』、面白そうだったな」
「うん。私も楽しみ」
「今日やるリメイク版も、ああいう雰囲気なのか?」
「似てる。でも、物語は違う」
「じゃあ、実際に遊びながら教えてもらうよ」
「うん。分からないところは教える」
「頼りにしてる」
「……うん」
こういう話をしている間は、いつもどおり話せる。
それなのに、ふと叶多君の横顔を見ると、さっきつないでいた手の感触がよみがえってくる。
慌てて視線を窓の外へ向けた。
二駅先で電車を降り、住宅街を歩く。
見慣れた道なのに、今日は落ち着かなかった。
「ここ」
自宅の前で立ち止まり、玄関の鍵を開ける。
「どうぞ」
「お邪魔します」
「部屋、二階だから」
「分かった」
階段を上がり、自分の部屋の前へ立つ。
いつもなら何も考えずに開けられる扉なのに、今日は手が止まった。
「姫岡さん?」
「……少し待って」
散らかってはいない。
それでも、叶多君に見られると思うと急に気になる。
私は一度だけ部屋の中を確かめ、それから扉を大きく開けた。
「どうぞ」
「お邪魔します」
叶多君が部屋へ入る。
壁際の棚にはゲームソフトや設定資料集が並び、テレビ台の周りには何台かのゲーム機が置いてある。
今日買ったものが入った袋を、ローテーブルの横へ置く。
「すごいな」
「多い?」
「思っていた以上に本格的だな」
「……好きだから」
「姫岡さんらしいと思う」
叶多君は棚を眺めながら、興味深そうにしていた。
からかわれている感じはしない。
それが少し嬉しい。
「貸すのはこれ」
棚の下段から、箱に入ったゲーム機を取り出す。
「これが予備?」
「うん。同じ機種の通常版。私は上位モデルを使ってるから」
「本当に借りてもいいのか?」
「使ってないから大丈夫」
箱をローテーブルへ置き、接続用のケーブルも用意する。
「『アンビバレンス・リバーサル』は入れてあるから、先に少しやろう」
「ああ。お願いするよ」
叶多君がソファーへ腰を下ろす。
私はテレビ台の前へ移動し、必要なものをそろえ始めた。
ゲーム機本体。
電源ケーブル。
映像用の接続端子。
順番につないでいく。
最後にコントローラーを手に取り、ソファーへ戻ろうとした時だった。
「あっ」
靴下の先が、ローテーブルの横へ置いた買い物袋の持ち手に引っかかる。
身体が前へ傾いた。
「姫岡さん!」
叶多君が咄嗟に立ち上がり、私の腕をつかむ。
そのまま強く引き寄せられた。
けれど、叶多君もその勢いを受け止めきれなかった。
後ろへ倒れ、背中からソファーへ沈み込む。
私も止まれず、その身体の上へ倒れ込んだ。
叶多君の腕が、私の背中へ回る。
「……大丈夫か?」
「う、うん」
すぐ近くから声が聞こえた。
顔を上げる。
倒れ込んだ拍子に、長い前髪が左右へ流れ、いつも隠れている視界が開けていた。
叶多君と目が合う。
近すぎる距離で、驚いた表情も、熱くなった頬も、全部見られている。
「どこか痛くない?」
「だ、大丈夫。叶多君は?」
「俺も平気」
そう答えながらも、叶多君の視線は私の顔に止まったままだった。
心臓が速く鳴る。
こんなに近ければ、その音まで聞こえてしまいそうだった。
叶多君はすぐに背中へ回していた腕を緩め、代わりに私の肩へ手を添える。
「起きられる?」
「う、うん」
返事をして腕に力を入れる。
けれど、叶多君に見つめられていることを意識すると、思うように身体が動かなかった。
「ゆっくりでいいよ」
「……うん」
肩を支えられながら、どうにか身体を起こす。
叶多君も続いて上体を起こし、私がソファーへ座れたことを確かめてから手を離した。
「ご、ごめん」
「謝らなくていいよ。怪我がなくてよかった」
「叶多君も、本当に大丈夫?」
「ああ。ソファーだったから平気だよ」
叶多君はそう答えたあと、改めて私の顔を見た。
前髪はまだ横へ流れたままだった。
「姫岡さん、目、綺麗なんだな」
「……え?」
「普段は前髪で隠れてるから、ちゃんと見たことなかった」
「き、綺麗……?」
「ああ」
叶多君は迷わず頷いた。
からかっているようには見えない。
ただ、思ったことをそのまま口にしたようだった。
「顔が見えると、印象も結構変わるな」
「へ、変?」
「かわいいと思うけど」
頭の中が真っ白になった。
前髪を直そうとしていた手も、そのまま止まる。
「姫岡さん?」
「あ……」
何か言わないといけない。
そう思うのに、声がうまく出てこなかった。
「あ、ありがとう……」
ようやくそれだけ答え、逃げるように前髪を元へ戻す。
視界が狭くなり、叶多君の顔も少し見えにくくなった。
これ以上、顔を見られたくなかった。
「袋、こっちに動かしておくな」
「……うん」
叶多君が買い物袋を壁際へ移す。
私は床へ落としたコントローラーを拾い上げた。
ただそれだけなのに、まだ指先がうまく動かない。
「大丈夫か?」
「だ、大丈夫」
叶多君がソファーへ座り直す。
私はテレビとゲーム機の電源を入れた。
画面にホームメニューが映る。
そこから『アンビバレンス・リバーサル』を選び、タイトル画面を表示させた。
「これが、前に話してたゲームか」
「うん」
夜の街を映した背景の中央に、主人公が立っている。
背後の鏡には、現実とは違う反転した街並みが広がっていた。
「雰囲気あるな」
「最初は少し暗いけど、ずっとこういう感じではない」
「そうなのか?」
「仲間が増えてからは、明るい場面も多い」
「じゃあ、やってみないと分からないな」
「うん」
新しいデータを作り、叶多君へコントローラーを渡す。
私は叶多君の隣へ腰を下ろした。
さっきより少しだけ間を空けた。
それでも、二人で同じ画面を見るには十分近い。
「最初は説明が入るから、その通りに進めれば大丈夫」
「分かった」
ゲームが始まり、主人公が夜の街を歩き出す。
叶多君は画面に表示される操作説明を確かめながら、慎重にコントローラーを動かした。
「走るのはこれか?」
「うん。長く押す」
「なるほど」
こうしてゲームの話をしている間は、いつもどおり話せる。
けれど、ふと隣を見ると、さっきの距離を思い出してしまう。
目が綺麗。
かわいい。
また言葉が頭に浮かび、私は慌てて画面へ視線を戻した。