8月10日。
朝の駅前には、大きな荷物を持った家族連れや、海水浴へ向かうらしい学生の集団が行き交っていた。
集合時間までは、まだ15分ほどある。
待ち合わせ場所へ向かうと、直樹と大輔はすでに到着していた。
「おはよう」
「おはよう、叶多君」
「遅いぞ、叶多」
「集合時間より前だろ」
「俺たちはもっと早く来てた」
「大輔君が待ちきれなかっただけだけどね」
直樹が穏やかに補足する。
大輔の足元には、海水浴に必要なものを詰めた大きめのバッグが置かれていた。
「海だぞ。早く来たくなるのは普通だろ」
「まだ駅だけどな」
「気持ちはもう海にいる」
「身体まで置いていくなよ」
「それくらい分かってる」
大輔はそう答えながらも、いつも以上に機嫌がよさそうだった。
「今日は何して遊ぶ?」
「着いてから決めればいいだろ」
「泳ぐだけじゃもったいないだろ。ビーチボールも持ってきたし、浮き輪も借りられるらしいぞ」
「ずいぶん準備がいいな」
「せっかくの海だからな。遊べるだけ遊ぶ」
「昼になる前に疲れ切らないようにね」
直樹が笑いながら言う。
話しているうちに、駅前の人混みから千夏たちが姿を見せた。
瑞葉、七瀬さん、神崎さんも一緒だ。
「おはよう」
千夏がこちらへ手を上げる。
「おはよう。全員そろったな」
「ここあを起こすのに少し時間がかかったけどね」
「眠いぃ」
七瀬さんが気だるげな声を漏らす。
「昨日、海が楽しみでなかなか寝られなかったんだって」
千夏が苦笑しながら説明する。
「遠足前の子供みたいだな」
大輔が笑う。
「大輔君には言われたくない」
「俺はちゃんと寝たぞ。しかも一番乗りだ」
「イベントには全力だよね」
瑞葉が楽しそうに笑う。
全員がそろったことを確認し、改札へ向かう。
海水浴場までは電車を乗り継ぎ、そこからバスで少し移動する予定になっていた。
混雑する前に乗れたこともあり、7人分の席は近い場所に確保できた。
七瀬さんは座るなり、千夏の肩へ頭を預ける。
「ここあ、もう寝るの?」
「着いたら起こして」
「まだ乗り換えもあるんだけど」
「その時も起こして」
「分かったから、荷物は自分で持ってね」
「うん」
返事だけはしたものの、七瀬さんはすぐに目を閉じた。
「本当に寝たな」
向かい側に座る大輔が感心したように言う。
「こういう時だけ早いよね」
千夏は呆れながらも、七瀬さんの頭がずり落ちないように姿勢を整えている。
俺の隣には直樹が座り、その隣に神崎さんが座った。
瑞葉は千夏の隣で、スマートフォンに表示した予定を確認している。
「向こうに着いたら、先に更衣室だよね」
「うん。着替えたあと、砂浜に持っていかない荷物はロッカーへ預けよう」
神崎さんが答える。
「スマホはどうする?」
「私、防水ケース持ってきたよ」
瑞葉が鞄の中から透明な防水ケースを見せる。
「じゃあ、写真を撮る時は瑞葉のを使わせてもらおうか」
「うん。あとでみんなに送るね」
「俺のはロッカーに入れとくか」
大輔がスマートフォンを鞄へ戻す。
「落としたら大変だから、その方がいいよ」
「昼は海の家で食べるんだよな?」
大輔がそのまま話題を変える。
「もう昼の話?」
「遊んだら腹減るだろ」
「まだ遊んでもいないけど」
「先のことを考えてるんだよ」
「宿題もそれくらい先のことを考えればいいのに」
千夏に言われ、大輔が露骨に顔をしかめた。
「海へ行く日にまで宿題の話をするなよ」
「ちゃんと進んでるなら言わないよ」
「進んでるって」
「どれくらい?」
「……それなりに」
「全然進んでなさそう」
「夏休み中に終わる計算だ」
「へぇ、梅原君、計算できたのね」
神崎さんが、わざとらしく感心したように言う。
「……いや、これでもAクラスなんで」
大輔は小さく肩を落とし、そのまま窓の外へ顔を向けた。
電車が進むにつれ、建物の多かった景色が少しずつ変わっていく。
やがて、窓の向こうに青い海が見えた。
「おい、海が見えてきたぞ」
大輔が少し弾んだ声で窓の外を指さす。
「分かってるよ。ちょっと声大きい」
神崎さんに言われ、大輔が周囲を見回した。
「悪い。ついな」
そう言いながらも、窓の外を見る顔は嬉しそうだった。
まあ、大輔の気持ちも分からなくはない。
日差しを受けた海面は明るく輝き、遠くには小さな船も見えた。
駅を降りてバスへ乗り換え、しばらくして海水浴場へ到着する。
バスを降りた瞬間、潮の匂いを含んだ風が頬を撫でた。
目の前には、白い砂浜と広い海が続いている。
「着いた!」
大輔が嬉しそうに声を上げる。
「やっと海だな」
「朝からずっと楽しみにしてたもんね」
瑞葉が笑う。
「今日は遊べるだけ遊ぶぞ」
海水浴場には、すでに多くの人が集まっていた。
砂浜には色とりどりのパラソルが並び、波打ち際からは子供たちの声が聞こえてくる。
俺たちは更衣室の前で男女に分かれた。
「着替えたら、あそこの時計の下で集合ね」
千夏が入口近くにある大きな時計を指さす。
「分かった」
「男子は早いだろうから、先に場所を探しておいて」
「任せろ」
「大輔君だけじゃなくて、叶多と直樹君にも言ってるからね」
「俺もちゃんと手伝うって」
千夏たちは女子更衣室へ入り、俺たちも反対側の入口へ向かった。
更衣室で水着に着替え、脱いだ服や財布、スマートフォンなどの貴重品をコインロッカーへ入れる。
砂浜へ持っていくのは、タオル、飲み物、レジャーシートと遊び道具だけだ。
スマートフォンは瑞葉のものだけを防水ケースへ入れて持ち出し、ほかはロッカーへ預けることになっていた。
着替えを終えた大輔が、俺と直樹を交互に見た。
「叶多、服の上から見るよりしっかりしてるな」
「そうか?」
「もっと華奢だと思ってた」
「別に鍛えてるわけじゃないけどな」
俺は細身ではあるが、痩せすぎているわけではない。
ただ、毎日部活で身体を動かしている直樹と並べば、体つきの違いは分かりやすかった。
「直樹は完全に運動部って感じだな」
「毎日練習してるからね」
「俺と叶多は普通なのに、直樹だけ明らかに違うな」
「別に比べなくてもいいだろ」
「並ぶと気になるんだよ」
「海へ泳ぎに来ただけなんだから、気にしなくていいと思うよ」
直樹が苦笑する。
着替えを終えた俺たちは、先に砂浜へ出た。
人の流れから少し外れた場所を探し、持ってきたシートを広げる。
その上へタオルや飲み物をまとめて置き、時計の下へ戻った。
女子たちはまだ来ていない。
時計の下で待っていると、大輔が周囲を確認してから声を落とした。
「なあ」
「どうした?」
「お前ら、女子の水着、気にならないのか?」
「気にならないとは言ってないよ」
直樹が穏やかに答える。
「だよな。俺だけじゃないよな」
「どうして確認するんだよ」
「だって、普段は制服だぞ。今日は水着なんだぞ」
「海へ来てるんだから当然だろ」
「そういう話じゃない」
大輔はもどかしそうに首を振った。
「この世界で、同じ学校の女子4人と海に来る機会なんて、そうそうないだろ」
「それは確かに珍しいね」
「ほら、直樹は分かってる」
「でも、じろじろ見るのは失礼だと思うよ」
「そこは分かってるって。ただ、楽しみにするくらいはいいだろ?」
「口に出さずに待ってればいいんじゃないか?」
「叶多は落ち着きすぎなんだよ」
「騒いでも早く着替え終わるわけじゃないだろ」
「それはそうだけどさ」
大輔は女子更衣室の入口へ目を向け、すぐに視線を戻した。
「とにかく、変な顔するなよ」
「それ、俺が言おうとしてたんだけど」
「俺は大丈夫だ」
「今の時点で一番怪しいよ」
直樹に言われ、大輔は不満そうに口を尖らせた。
しばらく待っていると、女子更衣室の方から千夏たちが歩いてきた。
普段とは違う姿に、自然と視線が向く。
瑞葉は落ち着いた色合いの水着を選んでおり、普段の穏やかな雰囲気によく合っている。
七瀬さんは飾りの少ないシンプルな水着で、眠そうな表情もいつもと変わらない。
神崎さんもすっきりしたデザインで、落ち着いた印象によく似合っていた。
最後に、千夏へ目を向ける。
明るい色の水着は、活発な千夏によく合っている。
4人の中では発育がよく、水着になると普段よりも女性らしい体つきが目立って見えた。
「みんな、似合ってるな」
「ありがとう、叶多」
瑞葉が嬉しそうに笑う。
「ありがとー」
「ありがとうございます」
七瀬さんと神崎さんも続いた。
その隣で、千夏が俺の顔を見上げる。
「私は?」
「千夏も似合ってるよ。明るい色が千夏らしいと思う」
「……そっか」
短く答えた千夏の口元が、少しだけ緩んだ。
「……海に来てよかった」
隣で大輔が小さく呟く。
「まだ何もしてないだろ」
「もう十分価値がある」
「梅原君、あんまりじろじろ見ないでくださいね」
神崎さんが釘を刺す。
「なんで俺だけ?」
「下心が透けて見えてるんだよ」
瑞葉が苦笑しながら補足する。
「仕方ないだろ。女子4人と海なんて、普通は一生に一度あるかどうかだぞ」
「言いたいことは分かるけどね」
直樹が苦笑する。
「だろ? 叶多と直樹が落ち着きすぎなんだよ」
「だからって、じろじろ見ていい理由にはならないだろ」
「正論で返すなよ」
大輔が不満そうに口を尖らせる。
「とりあえず、荷物のところへ行こうか」
瑞葉に促され、俺たちは先ほど広げたシートへ戻った。
それぞれ荷物のそばへ腰を下ろしかけたところで、千夏が俺たち3人の腕や肩へ目を向ける。
「そういえば、男子3人は日焼け止め塗った?」
「まだだな」
「今日は少し曇ってるし、平気じゃないか?」
大輔が空を見上げる。
「薄い雲くらいじゃ、紫外線はほとんど減らないよ。海は水面や砂浜からの反射もあるから、普段より焼けやすいんだから」
「詳しいな」
「海へ来るなら、それくらい調べるでしょ」
「俺は日焼け止め持ってきてないぞ」
「僕も忘れたな」
「俺もだ」
「3人とも?」
千夏が呆れたように息をつく。
「仕方ないな。私たちのを貸してあげる」
「助かるよ」
千夏から日焼け止めを受け取り、それぞれ腕や脚、顔へ塗っていく。
自分で塗れる部分は済ませたが、背中の中央までは手が届かなかった。
「直樹、背中を頼んでもいいか?」
「いいよ。僕の方もあとでお願いしていい?」
「ああ」
直樹と互いに届かない部分を塗り合う。
大輔も加わり、男子3人は借りた日焼け止めを順番に使った。
女子たちは更衣室である程度済ませていたらしく、塗り残した部分を確認している。
「これで大丈夫そうだね」
神崎さんが全員を見回す。
「海へ行く前に、飲み物の場所だけ確認しておきましょう」
神崎さんがシートの端へ置いた保冷バッグを示す。
「遊んでいる途中でも、ちゃんと水分を取ること」
「神崎さん、先生みたいだな」
「倒れてからでは遅いですから。みんな、ちゃんと休憩してくださいね」
「それもそうだな」
「じゃあ、そろそろ行こうぜ」
大輔が海へ目を向ける。
「うん。行こうか」
俺たちは荷物を置いた場所を離れ、そろって波打ち際へ向かった。
足元へ押し寄せた海水に触れた瞬間、大輔が肩を跳ねさせる。
「冷たっ!」
「いきなり入るからだよ」
「夏の海なのに冷たいじゃねえか」
「水なんだから、最初は冷たく感じるだろ」
俺も足を入れる。
確かに最初は冷たかったが、少し歩けばすぐに慣れそうだった。
直樹は迷うことなく先へ進み、瑞葉と神崎さんもそのあとを追う。
千夏は七瀬さんの手を引いていた。
「ここあ、行くよ」
「ここでいい」
「足しか入ってないでしょ」
「海には入ってる」
「せっかく水着に着替えたんだから、もう少し入ろうよ」
「波、強いぃ」
「まだ膝にも届いてないから」
七瀬さんは渋々といった様子で、千夏に引かれながら海へ入っていく。
「叶多、何してるんだよ!」
大輔の声が聞こえた次の瞬間、両手ですくわれた海水がこちらへ飛んでくる。
肩から胸元にかけて、冷たい水が勢いよくかかった。
「いきなり何するんだ」
「海へ来たら、こうするだろ」
「そういうことなら」
足元の水をすくい、大輔へ返す。
「おい、量が多い!」
「先にやったのは大輔だろ」
「叶多君、結構容赦ないね」
直樹が笑う。
「直樹も笑ってないで手伝えよ」
「分かったよ」
直樹は足元の水をすくい、大輔へ掛け返した。
「おい、2人がかりは卑怯だろ!」
「先に仕掛けたのは大輔君だからね」
大輔が負けじと水を掛け返す。
直樹が身体をずらしたことで、その後ろにいた瑞葉へ水がかかった。
「きゃっ。やったなー」
瑞葉は笑いながら水をすくい、そのまま大輔へ掛け返した。
「うわっ!」
大輔も負けじと水を返す。
「ちょっと、こっちまで飛んできたんだけど!」
巻き込まれた千夏も水をすくい、大輔へ掛け返した。
そこへ神崎さんも加わり、あっという間に全員を巻き込んだ水の掛け合いになる。
七瀬さんだけは少し離れたところに立ち、自分の近くへ水が飛んできた時だけ、控えめに掛け返していた。
結局、誰が誰を狙っているのか分からなくなるまで水を掛け合い、全員が頭から海水を被ることになった。