昼食を終えて海の家を出ると、外の日差しは入った時よりも強くなっていた。
「暑っ」
瑞葉が片手を額にかざす。
「中が涼しかったから、余計に暑く感じるね」
「早く海に戻ろうぜ」
大輔君はそう言うと、先にレジャーシートの方へ歩き出した。
「食べた直後なんだから、いきなり激しく動いたら駄目だよ」
「分かってるって」
「さっきも同じようなこと言って、サーブを思いっきり外してたよね」
「あれは関係ないだろ」
瑞葉と大輔君のやり取りを聞きながら、私たちもあとに続く。
レジャーシートへ戻ると、ここあはすぐに腰を下ろした。
「ここあ、海に入らないの?」
「少し休むぅ」
里穂もここあの隣へ腰を下ろす。
「私も少し休んでから行く」
「じゃあ、先に行ってるね」
瑞葉はそう言って立ち上がり、直樹君と一緒に波打ち際へ向かった。
大輔君も待ちきれない様子で、そのあとを追いかけていく。
「叶多は?」
「俺も行くよ」
叶多が立ち上がったため、私もタオルを置いて腰を上げた。
「私も行く」
先に向かった3人を追い、叶多と並んでもう一度海へ入る。
昼前よりも水が冷たく感じられ、足首から膝へ波が当たるたびに、火照っていた身体が少しずつ冷えていった。
「気持ちいいね」
「ああ。さっきより日差しが強くなってるから、ちょうどいいな」
隣を歩いていた叶多が答える。
先に進んでいた直樹君たちは、腰ほどの深さまで来たところで身体を水へ浮かせた。
「私たちも泳ごうか」
「そうだな」
私と叶多も少し間隔を空け、ゆっくりと泳ぎ始める。
昼食を取ったばかりなので、誰も競うような泳ぎ方はしていない。
波に合わせて身体が上下する感覚が心地よく、私は瑞葉たちの少し後ろを進んでいった。
しばらく泳いだところで、瑞葉が水面から顔を上げた。
「海で泳ぐのって、プールより疲れるね」
「波があるからな」
大輔君も一度泳ぐのを止め、息を整える。
「でも、こっちの方が楽しくない?」
「波に揺られながら泳ぐのも、海ならではだよね」
直樹君が答える。
私も顔を上げると、少し離れた岸辺が見えた。
思っていたより進んでいたらしい。
「この辺で一度戻ろうか」
瑞葉の言葉に、全員が岸の方へ向きを変える。
私は少し速度を上げ、叶多の隣まで追いついた。
「まだ疲れてない?」
「今のところは大丈夫だ。千夏は?」
「私も平気。まだ泳げるよ」
「無理はするなよ」
「分かってる。叶多もね」
「ああ」
叶多と並んで岸へ向かう。
波に身体を揺らされ、思うように一定の速さでは進めない。
それでも急ぐ必要はないため、私は呼吸を整えながら、ゆっくりと腕を動かした。
その時、右のふくらはぎに小さな違和感が走る。
「ん……」
一度脚を伸ばせば治ると思い、そのまま泳ぎ続ける。
けれど、もう一度脚を動かした瞬間、ふくらはぎが強く引きつった。
「痛っ……!」
思わず動きを止める。
右脚へ力が入らなくなり、波に押されて身体が傾いた。
「千夏?」
すぐ近くにいた叶多が振り返る。
「ごめん。脚、つったかも」
「大丈夫か?」
「ちょっと待てば治ると思う」
両腕と動かせる方の脚だけで身体を支えようとする。
けれど、次の波を受けた瞬間、体勢が大きく崩れた。
「千夏!」
叶多がすぐに戻ってきて、私の身体を抱き寄せる。
片腕が肩へ回り、もう片方の手が腰に添えられた。
「っ……」
腰に触れられた瞬間、脚の痛みとは別の意味で胸が跳ねる。
「無理するな」
「う、うん……」
叶多の胸元へ寄りかかるような格好になる。
脚に力が入らない以上、離れるわけにもいかない。
「岸まで戻るぞ」
「うん」
叶多は肩を抱いたまま私の身体を支え、ゆっくりと岸へ向かって進み始めた。
波に揺られるたび、腰に添えられた手を意識してしまう。
顔を上げると、叶多の横顔がすぐ近くにあった。
その距離に、水泳の授業で顔が近づいた時のことを思い出す。
けれど、今はあの時よりもずっと近い。
「痛み、ひどいか?」
「ま、まだ痛いけど……大丈夫」
「無理に動かさなくていいからな」
「うん」
返事をするだけなのに、声が少し上ずった。
少し進むと、左足の先が海底へ触れた。
けれど、右脚を着こうとした瞬間、また痛みが走る。
「っ……」
「まだ無理そうだな」
叶多が腰を支え直す。
「一度シートまで戻った方がいいね」
近くまで戻ってきた瑞葉が、心配そうに私の脚を見る。
「ここからなら歩けると思う」
「本当に?」
「叶多につかまってれば大丈夫」
口にしてから、少しだけ恥ずかしくなった。
けれど、叶多は特に気にした様子もなく頷く。
「ああ。ゆっくり戻ろう」
波打ち際まで進む頃には、脚の痛みも少しずつ弱くなっていた。
それでも念のため、叶多の肩を借りたまま砂浜を歩く。
レジャーシートの近くまで戻ると、ここあと里穂がこちらに気づいて立ち上がった。
「どうしたの?」
「千夏が脚をつったみたい」
瑞葉が答える。
「大丈夫なの?」
「もうだいぶ良くなったよ」
叶多に支えてもらいながら、レジャーシートへ腰を下ろす。
「ありがとう。もう大丈夫だから」
「まだ少し休んだ方がいいぞ」
「うん。そうする」
叶多の腕が離れる。
助けてもらっただけなのに、それを少しだけ残念に思ってしまった。
しばらく座っていると、右脚に残っていた痛みもほとんどなくなった。
瑞葉たちは様子を見ながら少し休んだあと、再び海へ戻っていった。
叶多も何度かこちらを気にしていたけれど、もう大丈夫だと伝えると、大輔君たちのあとを追っていく。
私はここあと里穂と一緒にシートへ残り、保冷バッグから取り出した飲み物を口にした。
「もう痛くない?」
ここあが私の右脚を見る。
「うん。少し違和感が残ってるくらい」
「今日はもう泳がない方がいいんじゃない?」
「そうだね。しばらくは大人しくしてる」
そう答えて海の方へ目を向ける。
叶多は大輔君たちと少し離れた場所にいた。
さっきまで腰に添えられていた手の感触を思い出し、慌てて視線を逸らす。
ただ助けてもらっただけだ。
そう分かっているのに、思い出すたびに胸が落ち着かなくなる。
「千夏、顔赤い」
「暑いからだよ」
「そっかー」
誤魔化すように顔を上げると、少し離れた売店の前で、かき氷と書かれた旗が風に揺れていた。
「私、かき氷買ってこようかな」
「脚はもう大丈夫?」
里穂が心配そうに尋ねる。
「もう普通に歩けるよ。お金もロッカーにあるし、ゆっくり取ってくる」
「無理はしないでね」
「うん」
「私も食べる」
ここあがすぐに手を上げた。
「何味?」
「いちご」
「分かった。買ってくるね」
私は一度更衣室のロッカーへ向かい、売店で使う分だけ取り出してから、財布を元の場所へ戻した。
それから砂浜沿いの売店へ向かった。
脚にはまだ少し違和感が残っていたものの、ゆっくり歩く分には問題なかった。
売店の前には何人か並んでいて、かき氷の旗が潮風に揺れている。
列の最後へ並び、壁に貼られたメニューを見上げた。
いちご、メロン、レモン、ブルーハワイ。
ここあの分は決まっているけれど、自分の分を何にするか少し迷う。
「いちごと、ブルーハワイを一つずつお願いします」
順番が来て注文を済ませ、売店の脇へ移動する。
混んでいるため、出来上がるまで少し時間がかかりそうだった。
「ねえ、1人?」
不意に横から声を掛けられた。
顔を向けると、私たちと同じくらいの年齢に見える男の人が立っていた。
明るい髪に、よく日に焼けた肌。
軽そうな雰囲気ではあるけれど、嫌な感じはしなかった。
ただ、こうして声を掛けられるのは少し困る。
「友達と来てます」
「そっか。今は休憩中?」
「まあ、そんな感じです」
「俺も友達と来てるんだけどさ。よかったら、少し向こうで話さない?」
「すみません。友達を待たせてるので」
そう断ると、男の人は困ったように笑った。
「5分だけでもさ。お願い」
「ごめんなさい」
「あー、もしかして、彼氏と来てるとか?」
「それは――」
「悪いけど、その子は俺の連れなんだ。他を当たってくれ」
後ろから聞き慣れた声がした。
振り返ると、叶多が売店の前に立っていた。
「叶多?」
「俺も少し休憩しようと思ってな。ソフトクリームを買いに来たら、千夏が見えた」
叶多はそう答えてから、男の人へ視線を戻した。
男の人は私と叶多を交互に見る。
「彼氏くん?」
「そうだ」
叶多は迷うことなく答えた。
その一言に、胸が大きく跳ねる。
「なんだ、そういうことか。悪かったな」
男の人は軽く片手を上げた。
「彼女、かわいいから大事にしろよ」
「ああ」
「じゃあ、お幸せに」
そう言い残し、男の人は少し離れたところにいる友達の方へ戻っていった。
叶多はその背中を見送ってから、私へ顔を向ける。
「大丈夫だったか?」
「う、うん。嫌な人ではなかったけど……助かった。ありがとう」
「ならよかった」
叶多はそれだけ答えると、売店のメニューへ目を向けた。
さっきの言葉を気にしている様子はない。
けれど、私は簡単には切り替えられなかった。
気づいてしまったから。
私は、叶多のことが好きなんだと。
そう認めた途端、これまで曖昧だったものが一つにつながっていく。
水泳の授業で顔が近づいた時に、妙に落ち着かなかったこと。
今日、水着を褒められて嬉しかったこと。
脚をつった私を支えてくれた腕が離れた時、残念に思ったこと。
そして今、叶多が彼氏だと答えたことを、嬉しいと思っていること。
全部、理由は同じだった。
「千夏?」
名前を呼ばれ、はっとして顔を上げる。
「どうした?」
「な、何でもないよ」
「そうか?」
叶多が不思議そうにこちらを見る。
気持ちに気づく前なら、普通に見返せていたはずなのに、今は目を合わせているだけで落ち着かない。
「いちごとブルーハワイ、お待たせしました」
ちょうど売店から声を掛けられ、私は逃げるようにそちらを向いた。
「ありがとうございます」
出来上がったかき氷を二つ受け取る。
両手に一つずつ持ってみたものの、山盛りの氷が崩れそうで歩きにくい。
「片方持つよ」
叶多が手を差し出した。
「じゃあ、ここあの分をお願いしてもいい?」
「ああ」
いちごのかき氷を渡すと、叶多は落とさないよう慎重に受け取った。
「ソフトクリームはいいの?」
「これを置いてから、また買いに来るよ」
「ごめんね」
「謝ることじゃないだろ」
叶多は何でもないことのように答え、レジャーシートの方へ歩き始める。
私はその隣へ並んだ。
さっきまでと同じ距離のはずなのに、叶多がすぐそばにいることを意識してしまう。
好きだと気づいただけで、こんなにも変わるものなのだろうか。
「脚はもう平気か?」
「うん。歩くくらいなら大丈夫」
「ならいいけど、今日はもう泳がない方がいいな」
「そうする。さすがにまたつったら怖いし」
「その方がいい」
叶多がこちらの歩調に合わせ、少しゆっくりと歩いてくれる。
以前なら、優しいなと思うだけだった。
今はそれだけで、胸が少し温かくなる。
レジャーシートへ戻ると、ここあが私たちの持っているかき氷を見て身体を起こした。
「いちご」
「はいはい。ちゃんと買ってきたよ」
叶多がここあへかき氷を差し出す。
「ありがとう、叶多君」
「ああ」
ここあは満足そうに受け取ると、すぐにスプーンを氷へ差し込んだ。
「叶多君も一緒だったの?」
里穂が尋ねる。
「ソフトクリームを買いに来てたの」
「結局、買ってないけどな」
「私のかき氷を持ってくれたから」
「あとで買ってくるよ」
叶多はそう答え、再び売店の方へ向かおうとする。
「叶多」
「ん?」
「さっきは、本当にありがとう」
脚をつった時のことも、ナンパから助けてくれたことも。
どちらへのお礼なのかは、あえて言わなかった。
「気にするな」
叶多はいつものように答え、そのまま売店へ歩いていく。
遠ざかる背中を見送りながら、私はブルーハワイのかき氷を一口食べた。
冷たいはずなのに、火照った頬はなかなか冷めてくれなかった。