男女比100対1で男が多いとかマジ終わってる   作:ののじん

74 / 77
74話 水槽越しの横顔

 8月14日。

 

 午後1時半の待ち合わせに間に合うよう、俺は駅前へ向かっていた。

 

 昨日の夕方、千夏から水族館へ行かないかと誘われた。

 

 急な話ではあったものの、今日はアルバイトもなく、ほかに予定も入っていなかったため、その場で了承した。

 

 午前中はいつもどおり二学期の予習を進め、昼食を済ませてから家を出ている。

 

 駅前へ着くと、待ち合わせの時間まではまだ10分ほどあった。

 

 休日ということもあり、改札の周囲には待ち合わせらしい人の姿が多い。

 

 その中から千夏を探していると、柱の近くに立つ見慣れた姿が目に入った。

 

 千夏はすでに到着していた。

 

 白い半袖のブラウスに、淡い色のロングスカート。肩には小さめのバッグを掛けている。

 

 海へ行ったときとは違う、落ち着いた服装だった。

 

 こちらに気づいた千夏が、ぱっと表情を明るくする。

 

「叶多!」

 

 手を振りながら近づいてくる。

 

「待たせた?」

 

「ううん。私も今来たところ」

 

「まだ時間前だけど、早かったな」

 

「叶多を待たせるのも悪いかなって」

 

「俺も同じことを考えてたけど、負けたな」

 

「なにそれ」

 

「先に着いた方の勝ちだろ」

 

「そんな勝負してないし」

 

 千夏はそう言いながら、楽しそうに笑った。

 

 海で見たときよりも落ち着いた服装だが、明るい髪色にはよく似合っている。

 

「その服、似合ってるな」

 

「えっ」

 

「普段と少し雰囲気が違うけど、千夏らしいと思う」

 

「そ、そう?」

 

「ああ」

 

 千夏は自分のスカートへ視線を落とし、裾を軽くつまんだ。

 

「昨日、ちょっと迷ったんだよね。せっかく出かけるんだし、いつもと同じなのもどうかなって」

 

 千夏は照れくさそうに笑ったあと、今度はこちらの服へ視線を向けた。

 

「叶多も、今日の服いいじゃん」

 

「ありがとう」

 

 今日は半袖のシャツに細身のパンツを合わせている。

 

 千夏と二人で出かける以上、あまり適当な格好をするのも失礼だと思い、普段より少しだけ整えてきた。

 

「じゃあ、行こっか」

 

「ああ」

 

 並んで改札を通り、ホームへ向かう。

 

 水族館の最寄り駅までは、ここから電車で20分ほどらしい。

 

 到着した電車へ乗り込むと、休日の昼過ぎということもあって、車内にはそれなりに人がいた。

 

 空いている座席を見つけ、千夏と並んで腰を下ろす。

 

「急に誘ってごめんね」

 

「気にしなくていいよ。ちょうど予定も空いてたし」

 

「本当は、もう少し早く誘おうと思ってたんだけど」

 

「そうなのか?」

 

「うん。でも、海の次の日にまた出かけようって言うのも、疲れてるかなって」

 

「少し疲れは残ってたけど、昨日にはもう大丈夫だったよ」

 

「ならよかった」

 

 千夏は安心したように息を吐いた。

 

「水族館にはよく行くのか?」

 

「子供の頃は何回か行ったけど、最近は全然。叶多は?」

 

「俺も久しぶりだな。最後に行ったのがいつか、すぐには思い出せないくらいだ」

 

「じゃあ、二人とも同じだね」

 

「ああ」

 

 話しているうちに、電車が次の駅へ到着する。

 

 乗り込んできた人たちで、車内は少し混み始めた。

 

 千夏は隣に座ったままだが、人が通るたびに肩が触れそうになる。

 

 海へ行ったときには大勢で一緒にいたため、こうして二人きりで並んでいると少し不思議な感じがした。

 

 千夏とは普段からよく話している。

 

 それでも、学校の外で二人だけになるのは今日が初めてだ。

 

「どうしたの?」

 

「いや、千夏と二人で出かけるのは初めてだと思って」

 

「……うん」

 

「いつもは直樹たちもいるから、少し新鮮だな」

 

「私も、そう思ってた」

 

 千夏は前を向いたまま答える。

 

 声が少し小さくなった気がしたが、周囲が騒がしくなったせいだろう。

 

「今日は付き合ってくれてありがとね」

 

「俺も水族館には行きたかったし、誘ってくれて助かったよ」

 

「そっか」

 

 千夏の口元が、わずかに緩んだ。

 

 それからは、海水浴のときに撮った写真や、夏祭りの予定について話しているうちに最寄り駅へ到着した。

 

 改札を出ると、水族館へ向かう人らしい家族連れやカップルの姿が多い。

 

 駅からは案内表示に従って、広い歩道を進んでいく。

 

「思ってたより人いるね」

 

「夏休みだからな」

 

「入口、混んでるかな」

 

「事前に買ってあるんだろ?」

 

「うん。昨日のうちに買った」

 

「準備がいいな」

 

「誘ったの私だし、そのくらいはね」

 

 千夏はスマートフォンを取り出し、画面に表示された電子チケットを確認する。

 

「代金、あとで払うよ」

 

「いいよ。私が誘ったんだし」

 

「そういうわけにはいかないだろ」

 

「でも、急に誘ったのは私だよ?」

 

「それとチケット代は別だ。中に入ってからでもいいから、金額を教えてくれ」

 

「叶多、こういうところ真面目だよね」

 

「普通だと思うけど」

 

「じゃあ、今度ご飯奢ってもらおうかな」

 

「それでいいのか?」

 

「うん。それで交渉成立」

 

 千夏は満足そうに笑い、スマートフォンをバッグへ戻した。

 

 しばらく歩くと、海を思わせる青い壁面の建物が見えてくる。

 

 入口の前には大きな水槽を模した看板が置かれ、その周囲では家族連れが記念写真を撮っていた。

 

「着いた」

 

「思っていたより大きいな」

 

「ね。中にトンネル水槽もあるみたい」

 

「それは楽しみだな」

 

「ほかにも結構いろんな展示があるみたいだよ」

 

「事前に調べたのか?」

 

「一応ね。せっかく来るなら、見逃したくないし」

 

 千夏が少し得意そうに笑う。

 

 入口へ向かう人の列へ並び、千夏が二人分のチケットを表示した。

 

 係員の確認を終えて館内へ入ると、外の明るさから一転し、周囲が薄暗くなる。

 

 青い照明に照らされた通路の先で、大きな水槽の中を魚の群れがゆっくりと泳いでいた。

 

「わあ……」

 

 千夏が小さく声を漏らす。

 

 普段より静かな反応が珍しくて、思わず横顔を見る。

 

 水槽から漏れる青い光が、千夏の髪や頬を淡く照らしていた。

 

「綺麗だな」

 

「うん。すごく綺麗」

 

 千夏は水槽を見つめたまま答える。

 

 俺もその隣へ並び、ゆっくりと泳ぐ魚へ視線を向けた。

 

 水槽の中では、銀色の小さな魚がまとまって泳いでいた。

 

 一斉に向きを変えるたび、鱗が照明を反射し、水中に細かな光が走る。

 

「こういうの、ずっと見てられるかも」

 

「分かる。動きがそろってるのに、ぶつからないのも不思議だな」

 

「一匹だけ違う方に行ったりしないのかな」

 

「端の方には何匹かいるけど、すぐ戻ってるな」

 

 俺が水槽の隅を指すと、千夏もそちらへ顔を近づけた。

 

「あ、本当だ」

 

 水槽を見ようとした千夏の肩が、俺の腕へわずかに触れる。

 

 千夏はすぐに身体を離したが、何か気になるものを見つけたように、そのまま水槽へ視線を向けていた。

 

「次、向こうも見たい」

 

「ああ」

 

 通路に沿って進むと、壁へ埋め込まれた小さな水槽が並んでいた。

 

 色鮮やかな熱帯魚や、岩の隙間に身体を隠す魚。砂の中から顔だけを出している細長い生き物もいる。

 

「これ、かわいい」

 

 千夏が足を止めたのは、岩陰から丸い顔を覗かせている小さな魚の水槽だった。

 

「さっきの大きな水槽より、こういうのが好きなのか?」

 

「大きいのも綺麗だけど、この子、なんかぼーっとしてない?」

 

「確かに、悩みなんてなさそうな顔だな」

 

「ちょっと羨ましいかも」

 

「こうして岩陰でじっとしてるのを見ると、のんびりしてるようには見えるな」

 

「でしょ?」

 

 千夏はそう言いながら、水槽の前に置かれた説明板へ目を落とした。

 

「夜になると動くんだって」

 

「今は休んでるだけか」

 

「ぼーっとしてるんじゃなくて、のんびりしてるだけだったんだね」

 

 そんな話をしながら、順番に水槽を見て回る。

 

 千夏は気になる生き物を見つけるたびに足を止め、そのたびに俺も隣へ並んだ。

 

 普段は明るくよく話す印象が強いが、水槽を眺めている間は思っていたより静かだった。

 

「千夏って、こういう場所が好きなんだな」

 

「うん。詳しいわけじゃないけど、見てるのは好き」

 

「学校にいるときとは、少し雰囲気が違うな」

 

「そう?」

 

「こういう静かな場所も、似合うと思う」

 

「……そっか」

 

 千夏は少し照れたように笑い、再び水槽へ視線を戻した。

 

 いくつかの展示を通り過ぎると、通路の先に下り坂が見えてくる。

 

 壁には、トンネル水槽と書かれた案内表示があった。

 

「ここだ」

 

「思ったより早かったな」

 

「楽しみにしてた?」

 

「水槽の下を歩くのは、ほとんど覚えがないからな」

 

「じゃあ、ゆっくり見よ」

 

 坂を下りるにつれて、天井まで水槽に覆われていく。

 

 頭上では、大きな魚がゆっくりと横切り、そのさらに奥を小さな魚の群れが泳いでいた。

 

 水面から差し込む光が揺れ、通路の床にも波のような模様を映している。

 

「すごい……」

 

 千夏が足を止め、頭上を見上げた。

 

 その直後、影が俺たちの上を通り過ぎる。

 

 見上げると、平たい身体をした大きなエイが、翼を広げるように泳いでいた。

 

「でかいな」

 

「お腹、顔みたいに見える」

 

「目に見えるのは鼻の穴らしいけどな」

 

「知ってるけど、顔にしか見えないじゃん」

 

 千夏はスマートフォンを取り出し、頭上を泳ぐエイへ向けた。

 

 だが、光の反射が強いのか、何度か角度を変えている。

 

「うまく撮れない?」

 

「動いてるし、暗いから難しい」

 

「少し貸して」

 

 千夏からスマートフォンを受け取り、画面の明るさと角度を調整する。

 

 エイが再び近づいてくるのを待ち、頭上を通過する瞬間に何枚か撮影した。

 

「こんな感じでどうだ?」

 

「見せて」

 

 千夏が俺の横から画面を覗き込む。

 

 肩が触れるほど近い位置まで来たが、写真へ集中しているらしい。

 

「綺麗に撮れてる。叶多、写真撮るの上手いんだ」

 

「何枚か撮った中で、ましなのを選んだだけだよ」

 

「それでも、私が撮ったのより全然いい」

 

「何枚か撮ったから、好きなのを残しておけばいいよ」

 

「うん。ありがと」

 

 スマートフォンを返すと、千夏は撮った写真を見比べながら、そのうちの一枚を選んだ。

 

 俺は再び頭上の水槽へ視線を向ける。

 

 大きなエイがゆっくりと通り過ぎ、その後ろを銀色の魚の群れが追うように泳いでいた。

 

 カシャリ、と背後で小さな撮影音が鳴る。

 

 千夏も水槽を撮っているのだろう。

 

 特に気にせず、そのまま頭上を泳ぐ魚を眺める。

 

 しばらくして振り返ると、千夏はスマートフォンの画面を見つめながら、嬉しそうに頬を緩めていた。

 

「いい写真、撮れた?」

 

「えっ? う、うん。結構いいかも」

 

「ならよかった」

 

「……うん」

 

 千夏はもう一度だけ画面を確かめると、スマートフォンを大事そうにバッグへ戻した。

 

「次、向こうも見てみようか」

 

「ああ」

 

 千夏はどこか機嫌よさそうに、俺の隣へ並んだ。

 

 それからもいくつかの水槽を見て回り、気づけば館内を一通り見終えていた。

 

 外へ出ると、まだ日は高かったものの、海から吹く風は来たときより少し涼しく感じられた。

 

「楽しかったね」

 

「ああ。思っていたより長く見てたな」

 

「途中で結構立ち止まってたからね」

 

「千夏が気になるものを見つけるたびにな」

 

「叶多も一緒に見てたじゃん」

 

「俺も気になったからな」

 

 千夏は満足そうに笑い、俺の隣を歩く。

 

 駅へ向かう途中、入口で話したことを思い出した。

 

「そういえば、今度のご飯はどうする?」

 

「ちゃんと覚えてたんだ」

 

「忘れないよ」

 

「じゃあ、食べたいもの考えておく」

 

「ああ。決まったら教えてくれ」

 

「うん。今日は付き合ってくれてありがとね」

 

「こちらこそ。誘ってくれてありがとう」

 

 千夏は嬉しそうに笑った。

 

 昨日になって急に決まった外出だったが、来てみれば思っていた以上に楽しかった。

 

 今度の食事も、きっと今日と同じように楽しい時間になるだろう。

 

 そんなことを考えながら、俺たちは並んで駅へ向かった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。