8月16日。
日が傾き始めた頃、俺は祭り会場の最寄り駅へ向かっていた。
今夜は、いつものメンバーで夏祭りへ行くことになっている。
夏休みに入ってから全員で集まる機会は何度かあったが、祭りへ行くのは今日が初めてだ。
駅前へ着くと、待ち合わせ場所にはすでに直樹と大輔が来ていた。
「お、叶多」
「二人とも早いな」
「俺は今来たところ。直樹はもっと前からいたけど」
「待たせるよりはいいからね」
直樹は、いつもと変わらない穏やかな様子で答える。
二人とも浴衣ではなく、俺と同じように普段より少し整えた私服姿だった。
「女子は浴衣で来るんだよな?」
大輔が駅の入口へ視線を向けた。
「そう聞いてるけど」
「浴衣って、普段と結構雰囲気変わるよな」
「そうだな。髪も上げたりするだろうし」
「海のときとは、また違いそうだよな」
水着姿はすでに見ているが、浴衣となれば印象はまるで違うだろう。
「楽しみだな」
「素直だな」
「別にいいだろ。夏祭りなんだし」
大輔はそう言いながら、もう一度駅の入口へ目を向けた。
「直樹は気にならないのか?」
「みんながどんな浴衣を選んだのかは、少し気になるかな」
「相変わらず無難だな」
「じゃあ、大輔は誰の浴衣が一番気になるの?」
「そこで誰か一人の名前を出せるわけないだろ」
「ちゃんと考えてるじゃないか」
「余計なこと言って、祭りが始まる前から空気悪くしたくねぇからな」
大輔なりに慎重ではあるらしい。
「叶多はどうなんだよ」
「実際に見てみないと分からないだろ」
「まあ、それはそうか」
そこで、直樹が駅の入口へ顔を向けた。
「来たみたいだよ」
その言葉につられ、俺と大輔もそちらを見る。
改札から流れてくる人の間に、浴衣姿の4人が見えた。
先頭を歩く千夏は、明るい赤を基調にした浴衣を着ている。髪も普段とは違う形にまとめ、花を模した髪飾りをつけていた。
その隣にいる瑞葉は、淡い水色の浴衣姿だった。柔らかな色合いが、瑞葉の穏やかな雰囲気によく合っている。
七瀬さんが着ているのは、朝顔の模様が入った紺色の浴衣だ。歩く速度も表情も普段とあまり変わらないが、いつもより少し大人びて見えた。
最後に歩いている神崎さんは、白地に紫色の花が描かれた浴衣を身につけている。長い髪を上げ、涼しげな髪飾りを挿していた。
「お待たせー」
こちらに気づいた千夏が、笑顔で手を振る。
「そんなに待ってないよ」
「よかった。着付けに思ったより時間かかっちゃって」
「みんな、よく似合ってるな」
俺がそう言うと、千夏が嬉しそうに笑った。
「本当?」
「ああ。普段と雰囲気が違って新鮮だよ」
「えへへ。ありがと」
千夏は満足そうに髪飾りへ触れた。
瑞葉も嬉しそうに微笑み、七瀬さんは小さく頷く。
「ありがと」
そう答えた七瀬さんは、すぐに祭り会場がある方角へ視線を向けた。
「屋台、もう出てる?」
「会場に着けば並んでると思うぞ」
「フルーツ飴、あるかな」
「七瀬さん、それ目当てで来たのか?」
「半分くらい」
大輔の問いに、七瀬さんは真顔で答えた。
「祭り自体は半分なのかよ」
「フルーツ飴もお祭りの一部だから」
「そういう計算でいいのか?」
二人のやり取りを聞きながら、ふと隣を見る。
直樹はまだ何も言わず、神崎さんの姿を見ていた。
普段の直樹なら、すぐに何か言葉をかけそうなものだが、珍しく反応が遅れている。
「直樹君?」
神崎さんが少し不安そうに名前を呼んだ。
「……ごめん。見とれてた」
「えっ?」
「浴衣、すごく似合ってるよ。いつもと雰囲気が違って、綺麗だと思う」
直樹は照れ隠しをするでもなく、素直にそう伝えた。
神崎さんは目を見開いたまま、一瞬言葉を失う。
「そ、そう。ありがとう」
どうにか返事をしたものの、頬にははっきりと赤みが差していた。
普段の神崎さんなら、褒められても当然とばかりに受け止めそうなものだが、直樹が相手だと勝手が違うらしい。
その様子を見ていた千夏が、面白そうに口元を緩める。
「直樹君、里穂を見たときだけ止まってなかった?」
「……そう見えた?」
「見えた」
「なら、たぶんそうなんだと思う」
「認めるんだ」
「神崎さんの浴衣が、思っていた以上に似合ってたからね」
「ちょっと、直樹君」
神崎さんは咎めるように名前を呼んだが、本気で嫌がっているようには見えなかった。
むしろ、口元が緩みそうになるのを堪えているように見える。
「何か変なこと言ったかな?」
「そういうことを、みんなの前で何度も言わないで」
「ごめん」
「謝らなくてもいいけど……」
神崎さんは歯切れ悪く答え、直樹から視線を逸らした。
隣では、大輔が感心したように頷いている。
「なるほど。ああ言えばいいのか」
「大輔が同じことを言っても、同じ反応になるとは限らないぞ」
「分かってるよ。今のは直樹にしかできねぇ」
「僕は思ったことを言っただけだけど」
「それを真顔で言えるのがすげぇんだよ」
「そうかな」
直樹は、よく分からないというように首を傾げる。
「そろそろ行こっか。ここあがもう待ちきれなさそうだし」
千夏に言われて見ると、七瀬さんは祭り会場へ向かう案内表示をじっと確認していた。
「まだ会場にも着いてないぞ」
「着いたら最初に探す」
「そんなに食べたいのか?」
「うん」
「分かった。見つけたら最初に寄ろうぜ」
大輔がそう答えると、七瀬さんは満足そうに小さく頷いた。
俺たちは浴衣姿の4人と合流し、祭り会場へ向かって歩き始めた。
駅前から祭り会場までは、歩いて10分ほどだった。
会場へ近づくにつれて、浴衣姿の人や家族連れが増えていく。
やがて、通りの両側に並ぶ提灯の明かりと、いくつもの屋台が見えてきた。
焼きそばやたこ焼きの匂いが風に乗って漂い、遠くからは太鼓の音も聞こえてくる。
「人、多いね」
千夏が周囲を見回しながら言った。
「まだ花火の時間までは結構あるのにな」
「もっと遅くなったら、さらに混みそう」
「先に屋台を見て回った方がよさそうだな」
そう話している間にも、七瀬さんは並んでいる屋台の看板へ視線を走らせていた。
「フルーツ飴、あった」
七瀬さんが少し先を指さす。
透明な飴で包まれたいちごやぶどう、みかんが並ぶ屋台だった。
「本当に最初に見つけたな」
「探してたから」
七瀬さんは迷うことなく屋台へ向かう。
大輔もその後ろをついていった。
「七瀬さん、何にするんだ?」
「いちご」
「即決かよ」
「決めてたから」
七瀬さんは、串に刺さったいちご飴を一つ受け取った。
赤いいちごの表面を透明な飴が覆い、提灯の明かりを受けてつやつやと光っている。
「大輔は買わないの?」
「俺は最初から甘いのはいいかな。腹に溜まりそうだし」
「いちごなら、そんなに大きくない」
「そういう問題じゃないって」
七瀬さんは気にした様子もなく、いちご飴へ小さくかじりついた。
硬い飴が砕ける音がする。
「どう?」
「おいしい」
「それだけか?」
「甘くて、いちごが少し酸っぱい」
七瀬さんはもう一口食べると、どこか満足そうに目を細めた。
大輔もその様子を見て、少しだけ口元を緩めている。
「次は何食べる?」
「もう次の話かよ」
「大輔も何か食べたいでしょ」
「まあ、たこ焼きか焼きそばは食いたいけど」
「じゃあ探す」
「七瀬さんが仕切るのか」
二人は屋台を見比べながら、少し先へ歩いていく。
「置いていかれるぞ」
俺が声をかけると、大輔が振り返った。
「分かってるって。先に店見てるだけだよ」
「迷子にならないでね」
瑞葉が笑いながら言う。
「俺たちを子供扱いするなよ」
「ここあは食べ物見つけると、そのまま行っちゃうから」
「迷ってない。目的地に向かってるだけ」
七瀬さんは淡々と答え、またいちご飴をかじった。
全員で並んで歩きながら、屋台を順番に見ていく。
射的、金魚すくい、輪投げ。食べ物以外にも、祭りらしい店がいくつも並んでいた。
「あとで射的やりたい」
千夏が景品の並ぶ屋台を見ながら言った。
「何か欲しいものあるのか?」
「今は特にないけど、せっかくだしやってみたい」
「俺もやる」
大輔がすぐに反応する。
「景品取れる自信あるの?」
「やる前から負けること考えるやつがいるかよ」
「そういう人ほど外すんだよね」
「火野さん、言ったな?」
「じゃあ勝負する?」
「いいぜ」
二人は早くも張り合い始めていた。
「叶多君もやるよね?」
「見てるだけでもいいけど」
「そこは参加してよ」
「分かったよ」
千夏が満足そうに笑う。
その横で、瑞葉も景品を眺めていた。
「瑞葉は何か欲しいものある?」
「小さいぬいぐるみなら、少し欲しいかも」
「じゃあ、取れたら瑞葉にあげるよ」
「本当に?」
「ああ。取れればだけど」
「じゃあ、ちょっと期待しておこうかな」
瑞葉は控えめに笑った。
その少し後ろでは、直樹と神崎さんが並んで歩いている。
しばらくすると、神崎さんが直樹の方へ少しだけ身を寄せた。
「直樹君」
「どうしたの?」
「さっき、浴衣が似合ってるって言ってたわよね」
「うん」
「なら、もう少しくらいちゃんと見てもいいんじゃない?」
「え?」
「せっかく選んできたんだから」
神崎さんはそう言って、少しだけ袖を広げてみせる。
「……そういうことなら」
直樹は改めて神崎さんの浴衣へ視線を向けた。
「やっぱり似合ってると思うよ」
「そう」
「ならいいわ」
神崎さんは前を向いたが、表情はどこか嬉しそうだった。
直樹は、歩く速度を神崎さんに合わせている。
その様子を見ていた千夏が、俺のすぐ隣まで近づいてきた。
「あの二人、今日ちょっと違わない?」
「神崎さんの浴衣を褒めてから、少し意識してる感じはするな」
「やっぱりそう見えるよね」
「でも、前から仲はよかっただろ」
「そうだけど、今日はもっと分かりやすいっていうか」
千夏は声を抑えながら、楽しそうに二人の様子を眺めている。
「見すぎると気づかれるぞ」
「叶多君も見てるじゃん」
「千夏が話を振ったからだろ」
「そうだけど」
千夏は小さく笑い、再び俺の隣へ並んだ。
そのとき、少し先を歩いていた七瀬さんが足を止める。
「たこ焼き」
「見つけたのか?」
「うん」
七瀬さんが指した先には、湯気を上げるたこ焼きの屋台があった。
すでに何人か並んでいるが、それほど待たずに買えそうだ。
「大輔、食べるんでしょ」
「食うけど、七瀬さんはもういちご飴食べたばっかだろ」
「一個もらう」
「俺が買う前提なのかよ」
「駄目?」
七瀬さんがわずかに首を傾げる。
大輔は一瞬言葉に詰まったあと、視線を逸らした。
「……一個くらいならいいけど」
「ありがと」
七瀬さんはいつもと変わらない調子で答えた。
大輔は何か言いたそうにしていたが、結局そのまま列へ並ぶ。
「大輔、顔赤くない?」
千夏が小声で言う。
「暑いんだろ」
「本当に?」
「本人に聞いてみればいい」
「それは可哀想だからやめとく」
千夏は笑いを堪えながら、大輔の後ろへ続いた。
俺たちもその列へ並び、最初の屋台料理を買うことにした。