苦手な方はご注意ください。
───これは夢だ。
一目見てわかる。
これが夢であることなんて。
───だって、倒れてはいけない人が倒れてる。
その人の『病気』は、もう3年前に治したはずだ。
僕がこの手で治した、はずなんだ。
───それなら、何で『お義母さん』は倒れているんだろう?
───始まりは咳だった。
いつもは僕に見つからないよう隠れて行うそれが、一度。二度。三、四、五度。
なおも続き、何度も何度も咳き込む音は、段々と乾いて、重々しくなる。
そして───ゴボリ、と。
その口から、あか・・・赤、紅、朱、赫。
まるで命の泉がこぼれ落ちていくように流れる『血』が、お義母さんの顔を、手を、服を──床を汚していく。
毒々しいほどに紅かった『血』は、段々と酸素が抜けて『赤黒く』なる。
───倒れた。
お義母さんが。
美しい灰色の髪をした女性が。
その髪に血がつくことにすら気づかず。
そして広がる、『血』。
赤から赤黒く、赤黒から漆黒へ。
血溜まりに転がるお義母さんを前に、僕は何もできなくて。
何をすればいいのかわからなくて。
ふと何かがついている気がして。手を上げて、見る。
そこにあるのは、お義母さんの『血』。
生暖かくて、少し粘ついていて、鉄の匂いがする『ソレ』。
それに、僕は─────
─────『憎しみ』を、感じた。
─────■■■、な■たい。
─────ノイズも、走った。
────
「─────は、ぁ?」
目を開いた。
何時もとは違う寝心地のするベッド。
少しヒンヤリとした空気。
見上げる天井が、氷で形作られている。
(夢、か)
『何時もの夢』であることを理解して、僕は重く深呼吸する。
「いつかの出来事を忘れるな」、とでも言うかのようなソレに、僕は今回も抗えず。
ひとまず、『今』のことを確認する。
(確か、あのまま話し合いは続かなくて・・・しょうがないから、そのまま終わって・・・・・・いつから、寝てたんだっけ?)
『今』を確認して、『過去』を断ち切ろうとして──失敗して。
とにかく今日も体中が汗ばんでいることを理解して、「着替えなきゃ」、と起き上がろうとした。
それでも、体が動かない。
まるで体が鉛になったかのように。
───『心』が動かない。
自分でもわかってしまうほどに、顔から表情が消えている。
いっそこのまま寝てしまおう、と瞼をもう一度閉じて。
「────大丈夫か、オリオン?」
───綺麗な声が、聞こえた。
その直後に、顔の汗を布で拭かれる感覚がした。
ゆっくりと瞼を上げると、そこには青髪を後ろに束ね、寝巻きに体を包んだ女性───アルテミス様がいた。
驚いた。
何でここにいるのか、と問いたかった。
───それでも、体が動かない。声が──喉が動かない。
そんな僕の様子に、気づいてか気づかずか。
アルテミス様が、僕の頭を撫でた。
「んぅ・・・・・・」
思わず声が漏れてしまうのも止められず。
僕はされるがままになっていた。
手櫛で梳くように撫でられて、ようやく声が出せるようになった。
「どうして、ここに・・・・・・?」
「貴方の部屋から、うめき声が聞こえた。もしや、輩が忍び込んだのでは、と思ったら・・・・・・貴方が、うなされていた」
「そう、なんですね・・・・・・ごめんなさい・・・・・・」
「何故謝る?」
本気でわからない、という声のアルテミス様に、僕は何も言えない。言ったら、今の『平気なフリ』が崩れる気がして。
ふと───アルテミス様の、僕を撫でている手が止まった。
もういいのかな、と僕が思っていると───アルテミス様が、ベッドに寝転んだ。
───僕の、隣に。
「何、を?」
突然のことに思うように声が出ない僕は、疑問の思いしか吐き出せない。
そんな僕を見て、アルテミス様は微笑んだ。
「貴方が眠れるように、『添い寝』?とやらをしようと思ってな」
すぐに必要ない、と言おうとして──その目が、僕の目に映った。
美しい青色の瞳は、僕の心を見透かしているかのように細められ・・・・・・心配そうに、眉をひそめていた。
その目に、僕は何も言えなくなって。
「・・・・・・・・・・・・」
ただただ無言で、寝転ぶことしかできなかった。
────
「・・・・・・・・・・・・」
数秒?数分?それとも数時間経っただろうか。
僕は中々寝付けないでいた。
瞼を閉じて眠りの沼に浸かろうとしても、その沼自体が乾ききっていて。
僕はただ目を閉じているだけになっていた。
誰もが寝静まった静寂の中で聞こえるのは、自分自身とアルテミス様の呼吸音。
見惚れてしまうほどに美しい女性と一緒に寝ているというのに、僕の心臓が早鐘を打つことはなかった。
それほどまでに消耗しているから?
それとも────この胸の内を締める、『安心感』があるから?
場を満たす『静寂』に、僕は心を許していた。
───それでも、眠れない。
多分、さっき見た『夢』のせいなんだろう。
そう結論付けて、僕は朝が来るのを待とうと───
「眠れないのか、オリオン?」
「───っ、アルテミス様・・・・・・はい」
急に話しかけられてびっくりした僕は、つい返事をしてしまった。
すると、アルテミス様が起き上がるのを感じて、僕は瞼を開けた。
そこには、こちらを覗き込んでくる女神様の姿があった。
「どうするべきか・・・・・こんなとき、ヘスティアがいれば・・・・・・」
「・・・・・・ヘス、ティア、様?神様、ですか?」
「そうだ。私の・・・・・・神友だ」
「神友・・・・・・」
そこまで言われて、僕は気づいた。
そういえば、僕は目の前の女神様のことを、何も知らないな、と。
だから───
「アルテミス様。あなたのことを、教えてくれませんか?」
「私の、こと?」
「はい。聞かせて・・・・・・くれますか?」
「・・・・・・いいぞ」
その言葉を聞いて、僕は起き上がってベッドの端に移動して、座った。
アルテミス様も続くように、僕の右隣に座った。
美しい女性と肩と肩が振れそうな程に近いと言うのに、僕の心臓は穏やかで。・・・・・・それが、何処か恐ろしい。
「私のことか・・・・突然言われても、困ってしまうな」
「すみません、眠いですよね?」
「いや、構わない。ただ・・・何を言えばいいのか、困ってしまってな」
本当に困ったかのように眉をひそめ、笑っているアルテミス様。
僕自身、あまりにも漠然としすぎていて、何を聞けばいいのかわからない。
そこで、ふとヴェルフの短剣を受け取ったときに。
武闘派の女神様なのかな、と考えたことを思い出す。
「短剣を上手に扱っていましたけど、アルテミス様は戦いの女神様なんですか?」
「え?あぁ・・・私が司る事物は『貞潔』の他にも、『狩猟』があってな。だから、剣と・・・・・・後は、弓を扱う」
「そうなんですね・・・・剣筋がとても綺麗で、思わず見惚れてしまうほどでした」
「お世辞・・・・・というわけでもなさそうだな、貴方の場合は。ありがとう」
「はい」
少し困ったような笑みを浮かべたアルテミス様に、僕は笑みを浮かべた。
話せば話すほどに心が落ち着いていく。
「貴方は?」
「え?」
「貴方は、どんな『武器』を扱う?」
「あ、あぁ・・・僕は『ナイフ』と『短剣』、後は『短杖』ですね。『魔法』を扱うので」
「『魔法』を・・・貴方は『魔導士』なのか?」
「いいえ、発展アビリティの『魔導』を僕は持っていませんから。単純に『付与魔法』と『回復魔法』の補助として持っているだけです」
「そうなのか・・・」
興味深そうに頷くアルテミス様。
なんだか少しずつ楽しくなってきた。
「僕は弓を扱ったことがないので、なんだか羨ましいです」
「なら扱ってみるといい。大丈夫だ、当たると思えば当たるものだからな」
「それは『アルテミス様だから』なんじゃ・・・」
「そんなことはないぞ。貴方もやってみればわかる」
思わず苦笑いを浮かべる僕に、アルテミス様は『弓』の良さを語る。
その熱量に圧倒されつつも、アルテミス様のことが知れて嬉しい。
「そうだ・・・・・・オリオン。私は、貴方のことを聞きたい」
「え?」
「貴方の好きなこと、やりたいこと、夢・・・色んなことを知りたい」
アルテミス様の言葉に、僕は困ってしまう。
改めて自身のことを尋ねられるのは、こうして聞かれて、ようやく恥ずかしいと分かった。
趣味、やりたいこと・・・『夢』。
─────■■■、なり■い。
───っ。
頭に走ったノイズに顔をしかめそうになって、頑張ってこらえる。
そして、ゆっくりと自分のことを語る。
「僕の好きなことは・・・『調合』をすること、ですかね?」
「ですかね、か・・・それは自分でもよくわかっていない、と言うことか?」
「そうですね・・・好きなことと言えば好きなことですけど、どっちかと言うと『やらなきゃいけないこと』だと思ってるので・・・」
改めて考えても、僕は『趣味』と言えるものが特にない。
『調合』だって、結局は『僕が選んだ道』だからやってることで・・・・・・。
「それなら、『夢』はないのか?」
「夢・・・・・・」
───■■■、なりたい。
また走ったノイズが鬱陶しい。
僕は顔をしかめるのを抑えきれず、アルテミス様を困らせてしまった。
「すまない、聞くべきではなかったか」
「いいえ・・・これはそういうのじゃなくて・・・えぇっ、と」
なんていえばいいのかわからなくて。
僕は取り敢えず、『家族』にだけ言ったことのある『夢』を語ることにした。
「僕の、夢は・・・・・・『英雄を支える人』になること、です」
「英雄を・・・・・支える?」
「はい」、と僕は頷いて。
掻き回されている心を悟られないよう、『笑み』を浮かべた。
「『英雄』って、孤独なんです。家族からも、仲間からも」
僕は『出発の日』と同じことを話しているはずなのに。
同じ言葉。同じ声なのに。
何故か───言葉が空虚に、響いている気がした。
それでも、僕は続けた。心を、見透かされないように。
「周りの人達は、皆助ける人達で。『英雄』を助けてくれる人は───中々現れないんです」
「・・・・・・・・・」
「だから・・・誰かが・・・僕が、支えてあげたいんです」
なんとか言葉にして。
場が静寂に包まれていた。
アルテミス様は何も言わずに、僕のことを見つめていた。
────その目が、何処か危ういものを見るものになっていた。
「オリオン」
「はい・・・・・・?」
「・・・・・・・・・・・・」
無言で見つめてくる。
僕の瞳とは違う、青い瞳。
まるで湖畔に映る月のように美しいそれが、僕の『血溜まりみたいな瞳』を、見つめて。
「嘘・・・・・いや、これは『本当』も混ざっているか。だがそれ以上に・・・・・『自分のことに気付いていない』が故のもの、か」
「え・・・・・・?」
「─────オリオン」
「はいっ?」
何処か重々しく口を開いたアルテミス様。
『月』が隠れたのだろう。
部屋が暗がりに包まれていて、その顔は・・・もう伺いしれない。
「貴方は、『英雄』が憎いのか?」