機動戦士ガンダム:残響   作:片蔵清優

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■第1巻 第12章 「白い家」

海岸沿いの道を、

一台の車が走っていた。

 

 

激しい雨。

 

 

ワイパーの音だけが、

一定のリズムで車内へ響いている。

 

 

窓の外には、

暗い海。

 

 

白波だけが、

時折ヘッドライトへ浮かび上がった。

 

 

後部座席。

 

 

レイジは窓へ額を預けたまま、

黙っていた。

 

 

頭痛はまだ消えない。

 

 

断片的な映像が、

何度も脳裏を過ぎる。

 

 

白いモビルスーツ。

 

 

宇宙。

 

 

誰かの怒鳴り声。

 

 

雨の中で出会った女性。

 

 

そして。

 

 

ガンダム。

 

 

その言葉だけが、

頭の奥へ深く引っ掛かっていた。

 

 

前席では、

セイラが静かに運転している。

 

 

何かを話そうとして、

やめる。

 

 

そんな沈黙が、

車内へ重く積もっていた。

 

 

やがて。

 

 

車がゆっくり止まる。

 

 

海辺の崖上。

 

 

古い白い家。

 

 

雨に濡れながら、

窓の灯りだけが暖かく浮かんでいる。

 

 

レイジは、

その家を見た瞬間、

胸の奥がざわついた。

 

 

初めて来た場所のはずだった。

 

 

なのに。

 

 

“帰って来た”。

 

 

そんな感覚があった。

 

 

理由は分からない。

 

 

だが。

 

 

波の音を聞いているだけで、

涙が出そうになる。

 

 

セイラが静かに振り返る。

 

 

「降りられる?」

 

 

レイジは無言で頷き、

車を降りた。

 

 

潮風。

 

 

湿った空気。

 

 

遠くで砕ける波。

 

 

その全てが、

胸の奥を妙に締め付ける。

 

 

レイジは、

しばらく海を見つめていた。

 

 

暗い海面。

 

 

荒れる波。

 

 

その景色を見ているだけで、

知らない感情が込み上げてくる。

 

 

帰りたい。

 

 

守りたい。

 

 

生きていてほしい。

 

 

でも。

 

 

もう戻れない。

 

 

誰の感情なのか、

分からなかった。

 

 

「……何なんだよ」

 

 

小さく呟く。

 

 

セイラは、

その背中を静かに見ていた。

 

 

若い頃の彼も、

時々こんな目をしていた。

 

 

誰にも理解されず。

 

 

でも。

 

 

誰より、

世界を見てしまう目。

 

 

セイラは、

胸の奥の痛みを押し殺す。

 

 

「中へ入りましょう」

 

 

 

家の扉が開く。

 

 

暖炉の熱。

 

 

木の匂い。

 

 

静かな灯り。

 

 

そこだけ、

戦争から切り離された場所みたいだった。

 

 

レイジはゆっくり室内を見回す。

 

 

古い本棚。

 

 

レコード。

 

 

写真立て。

 

 

時間そのものが、

ここだけ止まっているようだった。

 

 

その時。

 

 

壁の写真へ、

レイジの視線が止まる。

 

 

若い男女。

 

 

軍服姿。

 

 

知らない顔。

 

 

だが。

 

 

その中の一人だけが、

異様にはっきり見えた。

 

 

黒髪の少年。

 

 

不器用そうな表情。

 

 

その瞬間。

 

 

周囲の音が遠ざかる。

 

 

他の人物が、

視界から薄れていく。

 

 

その少年だけが、

鮮明になる。

 

 

レイジの呼吸が止まる。

 

 

脳裏へ、

映像が流れ込む。

 

 

白いガンダム。

 

 

宇宙。

 

 

振り返る少年。

 

 

誰かが、

その名を呼んでいる。

 

 

だが。

 

 

名前だけが聞こえない。

 

 

ノイズに呑まれて、

消えていく。

 

 

レイジは反射的に、

写真を掴んでいた。

 

 

「これ……

誰だよ」

 

 

セイラの表情が、

僅かに曇る。

 

 

しまった。

 

 

そう思った時には、

もう遅かった。

 

 

「昔の友人よ」

 

 

静かな声。

 

 

だが。

 

 

レイジは鋭く睨み返す。

 

 

「嘘だ」

 

 

空気が止まる。

 

 

「アンタ、

その写真見た時……」

 

 

「知ってる顔してた」

 

 

セイラは答えない。

 

 

答えられなかった。

 

 

その時。

 

 

家の奥から、

足音が聞こえる。

 

 

レイジが振り向く。

 

 

そこにいたのは、

ひとりの女性だった。

 

 

長い髪。

 

 

疲れた瞳。

 

 

だが。

 

 

どこか優しい空気を纏っている。

 

 

彼女は、

レイジを見た瞬間、

その場で立ち止まった。

 

 

持っていたカップが、

指から滑り落ちる。

 

 

乾いた破砕音。

 

 

沈黙。

 

 

女性の唇が、

微かに震える。

 

 

「……」

 

 

声にならない。

 

 

ただ。

 

 

目だけが、

レイジから離れなかった。

 

 

レイジが眉をしかめる。

 

 

まただ。

 

 

この人も。

 

 

自分を見ているのに、

自分を見ていない。

 

 

そんな気がした。

 

 

「だから……」

 

 

掠れた声。

 

 

「誰なんだよ」

 

 

沈黙。

 

 

女性の肩が震える。

 

 

遠くから見ていた時は、

まだ違った。

 

 

似ているだけだと、

思おうとしていた。

 

 

だが。

 

 

こんな近くで見ると。

 

 

怒った時の目。

 

 

呼吸の荒さ。

 

 

不器用な立ち方。

 

 

全部が、

あまりにも似ていた。

 

 

ずっと。

 

 

ずっと待ち続けていた人に。

 

 

「……ごめんなさい」

 

 

掠れた声。

 

 

「本当に……」

 

 

「ごめんなさい……」

 

 

次の瞬間。

 

 

彼女は、

堪え切れずレイジへ駆け寄っていた。

 

 

強く。

 

 

逃がさないように。

 

 

壊れてしまわないように。

 

 

両腕で、

レイジを抱き締める。

 

 

レイジの身体が硬直する。

 

 

暖かい。

 

 

震えている。

 

 

抱き締めているはずの彼女の方が、

泣きそうに震えていた。

 

 

「生きて……」

 

 

「いてくれて……」

 

 

言葉にならない。

 

 

涙だけが零れる。

 

 

レイジは何も言えない。

 

 

初めて会った相手のはずだった。

 

 

なのに。

 

 

胸の奥が、

どうしようもなく苦しい。

 

 

懐かしい。

 

 

泣きそうになる。

 

 

知らない感情が、

胸の奥から溢れてくる。

 

 

帰りたかった。

 

 

会いたかった。

 

 

触れたかった。

 

 

守りたかった。

 

 

知らない。

 

 

こんな感情、

自分のものじゃない。

 

 

なのに。

 

 

気付けば。

 

 

震える手が、

ゆっくり彼女の背へ触れていた。

 

 

その瞬間。

 

 

彼女の涙が、

静かに零れ落ちる。

 

 

「私は……」

 

 

一度。

 

 

息を吸う。

 

 

そして。

 

 

「ベルトーチカ」

 

 

静かな声。

 

 

「ベルトーチカ・イルマよ」

 

 

レイジの瞳が揺れる。

 

 

ベルトーチカ。

 

 

その名前を聞いた瞬間。

 

 

脳裏へ、

白い光が走る。

 

 

暖かな部屋。

 

 

優しい声。

 

 

誰かが待っている。

 

 

ずっと。

 

 

長い時間。

 

 

帰って来ない誰かを。

 

 

声だけが聞こえる。

 

 

『お帰りなさい』

 

 

誰に向けた言葉なのか。

 

 

分からない。

 

 

それでも。

 

 

胸の奥だけが、

その温度を覚えていた。

 

 

レイジの瞳が揺れる。

 

 

知らない。

 

 

知らないはずなのに。

 

 

なぜか。

 

 

涙だけが、

止まらなかった。

 

 

セイラは、

二人を静かに見つめていた。

 

 

何も言わない。

 

 

言えるはずもない。

 

 

この再会は、

救いではない。

 

 

まだ。

 

 

何も終わっていない。

 

 

それでも。

 

 

失われたはずの温もりが、

確かにここに戻ってきた。

 

 

窓の外では、

波の音が静かに響いている。

 

 

まるで。

 

 

遠い時代の残響を、

海がまだ覚えているように。

 

 

■機動戦士ガンダム:残響

 

第1巻『アクシズの残響』完

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