【
州当局からの優先緊急速報をお知らせします。】
壁掛けの
父さんが不在であったことを除けば、丁度一年前もこんな感じだった……ような気がする。
そんなことを考えながら父さんの表情を窺うも、黙ったままその視線は
【地球連邦政府が発表したところによると、地球圏協定時昨日深夜、
その瞬間父さんは、ふぅ、と深い溜息をついてボクの方へ向き直った。
手にしたままだった黒パンを皿に戻し、
「今だからこそ正直に言おう。」
と、口開く。
「ずっと
父さんは、国家間の戦いなどというものは宇宙世紀の到来によって
【……この紛争を指揮していたとみられるギレン・ザビ自称ジオン公国大将、実妹にあたるキシリア・ザビ同少将は先月三十一日の戦闘で死亡したもの、と見られており、紛争終結はほぼ確実の情勢です。】
引き続きニュースが何か言っているが、それはボクの頭には入ってこなかった。
予備役とは言え、州軍技術士官の肩書を持ちこの一年間泰然自若に構えているように見えた父さん。
その父さんが、まるで憑きものが落ちたかのような柔らかい表情を浮かべながら打ち明けた不安に虚を衝かれたからだ。
「わかっていると思うが、以前おまえに教えた小銃保管庫の鍵の場所は変えるからな。妙な気をおこしてくれるなよ。」
そういう父さんの表情は常のそれに既に戻っていた。
厳密に言えばそれは軍規違反になるはずだが、サイド3の武装勢力が地球に降下していたことが明らかになった時点で、父さんは兵役未経験のボクに、自宅にある小銃の取り出し方、基本的な扱い方、どこに行けば弾薬が手に入るかなどを教えてくれていた。
「……も、もちろんだよ、父さん。」
ボクは父さんを安心させたい一心で慌てて応じて、返って噛んでしまったが、滑舌が悪くなった理由は、分不相応な小銃に触れる機会を失ったから、では決してなかった。
【詳細な情報が入り次第、追って続報の予定です。市民の皆様におかれては、今しばらく軽挙妄動のないよう冷静な行動をお願いします。】
父さんの気持ちを慮りながら、同時にボクはこう思っていたからだ。
宇宙移民。
ジオン公国を名乗る武装勢力。
オーストラリアに落とされたスペースコロニー。
人型機動兵器モビルスーツ。
地球連邦軍の勝利。
これ全部……本当のことだったのか?
*
宇宙世紀
去年のクリスマス休暇、年が明けてすぐのその日は、鉄道技師として奉職している父さんは勤務日で、ボクは一人自宅で食事をしながら今日と同じように強制起動された
曰く。
ボクから見れば地球の裏側、オーストラリア大陸にスペースコロニーが落下した、と。
たちまちにボクは唇がカラカラに乾く錯覚を憶えた。
酸素の不足する水槽の魚のように、口をパクパクさせていたように思う。
このときボクは、極限の恐怖は感情を麻痺させるのだ、ということを知った。
そして、感情が麻痺すると、返って冷静な思考が強制されるものだな、と。
ニュースはその事実のみを告げ、結果、何が起こったのかについては一切触れなかったが、当時のオーストラリアには宇宙移民を待つ人々が暮らす都市がまだいくらかあったはずで、そこに質量100億トンを超える物体が落下すれば、都市民がどうなるかは語られずとも想像はできるし、落下したスペースコロニーにも数百万人の人々が暮らしていたはずだ。
誰一人として無事であろうはずはないが、これを報じた人たちにも、正しく何が起こったかを確認する
理屈の上では、空恐ろしい死が無辜の多くの人々を襲ったのだ、ということはわかる。
わかってはいても、それがあまりに現実味を欠いていて、心がまったく追い付かなかったのだ。
そしてより一層それを助長したのは、これが不可抗力な事故によるものではなく人為的な出来事、つまりスペースコロニーは、落ちたのではなく
誰が?
いったい何のために?
ニュースが告げた驚愕の事実はこうだ。
地球から見て月の向こう側、
その第一歩として、この『コロニー落とし』は実行されたのだ、と。
ここに至って初めてボクは、
「そんな馬鹿げた話、ある?」
と、独り声を漏らしたのをはっきりと憶えている。
目的も、その手段も、とても正気の沙汰とは思えなかったからだ。
王様とそれに黙々と従う
それともジオン公国とやらは、
ヨーロッパアルプスにもコロニーを落とす?支配すべき
実際ニュースは、地球連邦政府は自称ジオン公国に対し徹底抗戦する旨を告げ、そりゃそうだろう!とボクは留飲を下げたのだが、同時に、父さんがこの戦いに取られてしまうのではないか、と不安になった。
グラウビュンデン州の住民は18歳になればすべての男子、女子の希望者は徴兵されて州軍に加わる。1年間の訓練を経た後は予備役として有事の動員に備えることになるが、電気機関車の整備を生業とする父さんは高圧電気機器を扱い得る技能を買われて技術士官として予備役准尉待遇を受けていて、これはボクの誇りとするところでもあったが、このニュースがあるまでは考えもしなかったことではあるが、当然のことながらその代償として有事の招集順位もまた高くなるのだ。
「州軍は州境を越えて出動することはない。」
そんな不安を帰宅した父さんにぶつけたボクは、たちまちに鼻で
「実際に戦うのは地球連邦軍で、しかも戦場は遥か上空、
そう言われてしまえばごもっともで返す言葉もない。
「でも……ここにもスペースコロニーが落ちてきたりはしないかな?」
ボクは素直に思うところを父さんに問うた。
今度は、父さんは決して
「父さん自身も決して詳しいわけじゃないが、ラグランジュ点で安定しているスペースコロニーを移動させるにはとてつもないエネルギーが必要で、次から次へと地球へ落とす、なんてことは物理的に不可能さ。」
「それに、次のそれがあるとして、狙われるのは地球連邦政府のある南米か、今なお少なからず大都市のある北米だろう。」
「そこだよ、父さん!」
ボクは、件のニュースを聞きながら膨らませていた第二の不安を父さんにぶつけた。
「そもそも、世界征服なんて本当にできると思う?」
普通これは、大人がそれを本気で信じる子どもに対して問うところであったかもしれない。
父さんはしばし怪訝な表情を浮かべながら首を捻った後、
「まぁ……あり得ないよな、どう考えても。」
と答える。
「だとすれば、これはそういう合理的な話じゃなくて、もっと非合理な……怨念のようなものなんじゃないか、とボクは思うんだよ。」
「怨念?」
ボクの言わんとするところが解せなかったのか、父さんはボクの言葉をそのまま鸚鵡返しに問い返した。
「宇宙移民の
ボクのこの物言いに、父さんはハッと息を呑む様子を見せた。
「月の向こうの人たちは、地球に居残ることを認められたボクらを皆殺しにしたいほど恨んでるんじゃないか、と思うんだよ。そうじゃないと、こんな馬鹿げた話にはならないでしょ?」
旧世紀末、壊滅的だった地球環境の回復を目的に始まった宇宙移民、地球・月圏のラグランジュ点に建造されたスペースコロニーへの移住は、原則としてすべての地球住民を宇宙へ送り出すことを目指して始まった。
いくつかのバリエーションが知られているものの、基本的には長さ30Km強、直径6Kmの円筒形。およそ二分に一回転の速度で自転し、その遠心力で外壁部内側に地球のそれに近い1Gの疑似重力を生み出す人工の大地。現代人類の大半はそこを第二の故郷と定め、子を産み、育て、そして死んでいく。
が、ここには一部例外があった。
最たるものは、この壮大な計画を切り盛りする地球連邦政府関係者だが、これとは別に、固有の文化の後世への伝承を目的に、文化保護州という名目で地球定住が認められた人々があって、ヨーロッパアルプスの奥深くに孤立するグラウビュンデン文化保護州がまさにそれだ。
これは決して天から降って湧いた幸運でも何でもなくて、グラウビュンデンは旧世紀以来、化石燃料を使用する内燃機関を極一部の特殊用途のそれを除いて廃絶し、エネルギー供給のほぼすべてを水力発電で賄っている。加えて、決して肥沃の地でこそないものの畜産を軸とした再生可能農法の伝統があり、旧世紀の末には昔の核シェルター跡を利用した穀物の工業的地下水耕栽培が確立され、ほぼ100%の食料自給率を誇っていた。
そういった背景から、地球環境回復の妨げにならずに、
「だとすれば、次に狙われるのがボクらの暮らすここであってもおかしくない……とは思わない?」
「レト。」
ボクのこの問いに、父さんはただボクの名を呼んだ。
「いつまでも子どもだ、とばかり思っていたが、おまえも随分と大人になったものだな。」
「……なんだよ、急に?」
ボクは嬉しさ半分、気恥ずかしさ半分にそう応じた。
父さんは、噛み締めるような口調でこう続けた。
「私が十八で徴兵に応じたとき、厳しくも親身に指導してくれたコンフィーナ中尉というのがいてな。今は確か少佐を務めておいでのはずだ。」
市民皆兵のグラウビュンデンでは、決してそれがすべてではないものの、それでも州軍における階級は人に対する態度を左右する絶対的な基準の一つになる。専任少佐、ましてや父さんが明らかに語調に敬意を込めて語る人の話に、ボクは身を引き締めた。
「今から話すのは、そのコンフィーナ中尉から教えられたことだ。中尉はこうおっしゃった。
おまえたちはこれから、他人の命を奪い得る小銃の扱いを学び、そして、
意味がわかるか?」
唐突にそう問われて、ボクは言葉を返すことができなかった。
ばつが悪そうにしているボクを気遣ってか、すぐに父さんは助け舟を出してくれた。
「いや、無理に答えなくてもいい。かく言う私も、中尉のおっしゃったことの意味がなんとなく理解できたのは、おまえが生まれて、この身に代えても息子だけは守り抜く、という思いを
そのとき私は初めて気づいたんだよ。敵と向かい合うときが来たとして、その敵もまた、きっと私同様の思いを
ボクは、父さんを見つめたまま続く言葉を待った。
「おまえは、月の向こう側の人々が私たちを恨んでいるかも知れない、と言ったな。正直に言えば、私はおまえに言われるまで、そんなことを考えもしなかった。ただ、わけのわからないことが始まってしまったが、自分にはどうしようもない、ただ自分の為すべきことを為すしかない、と思うだけだった。
おまえのその考えが正しいのか、真実であるのかは、私にはわからない。が、おまえがそこに思い至ったことは、若い頃の私に中尉が語ってくださったことに通じている、と思う。少なくともおまえと同じ十四の時分の私には、まったく思い至らなかったことだ。私はおまえを誇りに思うよ。」
「よ、よしてよ、父さん!」
ボクは、真正面からそう言う父さんに諸手を振って赤面したが、父さんは峻厳な表情を一切崩さないままにこう言った。
「その考え方は大切にして欲しいが、悲しいかな現実は厳しい。」
そう言いながら、父さんは技術者特有の大きく荒れてはいるが、優しい手のひらをボクの額に当てた。
「むしろ、そういった思いを踏みにじることの方が多いし、そうあって欲しくはないが、確実にそういうことをおまえはこれから否応なく経験するだろう。それでも、今日、こうして一人の男同士として語り合ったことは決して忘れないでくれ。」
「ありがとう、父さん。決して忘れたりしないよ!」
そのときボクは深い考えもなく胸を張ってそう応じたものだが、この早くも二ヶ月後にはその思いを揺さぶられる場面に行き当たることになった。
きっかけになったのは、たった一つの短い動画。
そこに映っていたのは……緑色の一つ目の巨人だった。