機動戦士ガンダム0080FUMO   作:wash I/O

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8.Juli / fanadur 0080

「クールまで?徒歩で?」

 

 卒業を間近に控えた、父さんが非番の日曜日。

 計画の一端を明かしたボクに、父さんは素っ頓狂な声を出してそう言った。

 

「そうだよ。アルブラ峠を越えて、プレダ、フィルズール、トゥージスと。」

 

 ボクは、ちゃんと下調べもしているんだ、と装うべく、具体的な中継地を示しながら敢えて軽口交じりにそう言った。

 

「別に構わないが……何でまた?」

 

 予測通りの疑問に、ボクは事前に用意していた模範解答を示す。

 

「8月からの職業学校、何より見習い生(レルネンデ)暮らしの前に自分を試したくてね。始まってしまえば、もうなかなかこういう長い休みもとれないし。」

「それはそうだが……2年もすれば否応なく兵役で試みられるんだぞ。」

 

 これまた想定通りの父さんの返しに、ボクは胸を張ってこう応じた。

 

「与えられる試練と、自ら飛び込む試練はまた別物じゃない?

 まぁ、途中で折れるかもしれないから、敢えて鉄道沿いのコースを選んだ、っていうのもあるんだけどね。途中リタイアしたときは(わら)ってくれていいよ。」

 

 クールはグラウビュンデン文化保護州の北西端、州庁のある街だ。ボクが示したコースにそって父さんが面倒を見る機関車たちが走る線路が通っていて、その途中にペイデルの家のリビングに再現された奇景、ランドヴァッサー橋もある。

 読み通り父さんは、大歓迎こそしないものの、ボクのひと夏の冒険を承認してくれた。

 これで10日間を稼いだ。不安要素がないではないが、おそらくは十分だ。

 

 

                    *

 

 

 ボクら4人組はもちろんのこと、適性試験に落ちるような間抜けはクラスメートには一人もいなかった。

 ペイデルはご両親の伝手でサメーダンではよく知られた食品卸の事務方に教習事業所を確保し商業高校に合格した。ドゥーリは、目論見通り下級公務員見習いの席を得て、呆れたことに市の図書館が隣接している、という理由だけで自身まったくその分野に興味がなさそうに思われる教員養成校を選んだ。

 

「親父がうちの地所にあるコテージを使っていい、と言ってくれてるんだが。」

 

 ニヤニヤ顔でそんなことを言い出したのはギエリ。

 

「夏休みに入ったらそこでひと騒ぎしないか?何人か女の子たちも誘ってよー!」

 

 ペイデルもドゥーリもノリノリの様子だが、ボクはこれを謝絶した。

 

「行きたいのは山々なんだけど、悲しいかな夏休みがなくてね。」

 

 これは必ずしも嘘ではない。

 

 やはり父さんの伝手で、ボクはRhB(レーティッシュ鉄道)傘下の電気設備保守会社で見習いをすることになるが、就業までに目を通しておくように、と恐ろしく分厚い安全教本を既に受け取っている。

 加えて、進学先となる工業学校で、2年のうちに高圧電気取り扱いの州認定資格を取得しなければならないが、これは、どう考えても実務に必要ないと思われる無暗に高等な数学の素養を要するもので、夏休みの間にこなすべき義務教育のおさらいとなる課題を大量に頂戴していた。

 もっとも、それは夏休みすべてを潰すようなものではないし、実のところもうほとんどこなしているのだが。

 

「……なんでぃ、残念だな。

 まぁ、レトには改めて機会をもうけてやるよ!」

 

 お節介甚だしくも、ギエリの気持ちは嬉しかった。

 (みな)に内緒のままに計画を進めることに若干のうしろめたさがなくはないが、これは誰を巻き込むべき話でもない。

 

 そして感動の卒業式。

 ほとんどのクラスメートは足掛け11年間一緒に過ごしてきたかけがえのない仲間たちだ。そしてここから、それぞれに異なる道を歩んでいくことになる。

 ボクたちは、男の子も女の子も(みな)混ざり合って肩を組んで泣いた。驚くべきことに、あのカドゥフ曹長が、一番顔をくしゃくしゃにして泣いていた。存外、花を愛でる心優しい紳士、との自己申告は嘘ではないのかもしれない。

 もちろんボクも嘘偽りなく感涙を流したが、同時に、どこかで醒めた感覚があった。これは仲間たちに対する裏切りなのだろうか、という思いと、計画の有無にかかわらず、元からボクらはここで袂を分かつ運命(さだめ)だったではないか、との割り切りが拮抗していたのだと思う。

 

「私の携帯情報端末(ハント)を持っていくか?」

 

 二日経った出発の日の朝、父さんに問われた。

 ギエリと違って、ボクは自分用のそれをまだ持ってはいなかったからだ。

 

「荷物が重くなるからいいよ、父さんもそれがないと仕事で困るだろ?」

 

 情報端末は、公的な情報の取得の他に、かなり割高な利用料金が設定されているため常用する人は少ないが、個々人、家庭間の双方向通信にも使える。父さんの心が「困ったら連絡してこい」にあるのは明白だが、ボクからするとありがた迷惑だった。

 そういう機能が本当にあるのかまでは実のところ知らないが、強制起動を伴う緊急速報を含めて、情報端末の挙動には一定時間毎に基地局にアクセスしている、と考えないと説明のつかないものが多い。このとき端末が現在位置を報告していると、所有者の行動は関係当局に筒抜けだ、ということになる。そのリスクを背負うわけにはいかなかった。

 

「鉄道沿いの旅だからね、大丈夫だよ。」

 

 行き先は異なるが、鉄道沿いの旅であることは嘘ではない。

 ボクは、ここしばらくの自身の発話が、徹して言葉尻の意味合いは嘘にならないが(じつ)のところ自身の本心を巧妙に隠していることを、不謹慎ながらも面白おかしく感じていた。

 ボクは存外腹黒い人間だったのだ。

 

「途中まで送ってやろう。」

 

と言う父さんの好意を「過保護だ!」と切り捨てて出勤を見送った後、ボク自身も出発した。

 

 10日分の携帯食糧、水、寝袋、最低限に絞った道具類で背負い袋は12Kgほどの重さになったが、この程度は何ほどのものでもない。父さんに伝えた通りの行程を歩めば、1日目からのアルブラ峠越えになるのでちょっときついが、幸いにして真の行程は当面はゆるやかな登りだ。

 ボクは、この日のために用意した鍔広の帽子とサングラスをかけて、でありながら、故意に顔を隠していると感じられないように自然を装いつつ南へ向かって歩き出した。父さんに言っていたのとは逆方向だ。

 季節柄、ボクよりは軽装だが山歩きの人たちの姿は少なからずある。やはりボクは、あまり印象に残らないように気遣いながら、それでも自然な会釈を送って黙々と歩き続けた。

 2時間ほど歩き続けて、グラウビュンデン文化保護州南端の町、ポントレジーナへ辿り着く。初めてジオンのザクの存在を知ったとき、父さんがその身の丈に(なぞら)えた教会堂のある町だ。

 

 ボクは思い出の駅に立ち寄った。

 サメーダンでザンクトモリッツへ向かうそれと分岐した線路の一方がここで終わっている。

 

 今思うと、そんなわけはないことは承知の上で、これはすべて仕組まれた運命だったのかも知れない、とすら思われるのだが、ボクは10歳のときに父さんとこの駅を訪れている。

 父さんの目的は、旧世紀以来長くポントレジーナ駅の留置線に放置されていた古い電車を見るためだった。車齢200年に近いそれ、ABe(アーベーエー)4/4(フィーアフィーア)は浸食を受けてボロボロで、ついに解体撤去が決まったので最後にその雄姿を目に焼き付けておきたい、という、過分に趣味的なものだ。

 ボクは父さんと共に、本来鮮やかな赤に塗られていたはずの赤茶けた車体を検分したのだが、それを見ているうちに妙なことに気づいた。ポントレジーナ駅は1面2線に機回し線、留置線が並ぶ構造になっているのだが、そんな必要があるとも思えないのに、終端となる南側の線路が一点にむけて収束する造りになっていたのだ。

 

「おまえはなかなか目敏いな。」

 

 疑問を呈したボクに、父さんは嬉しそうに微笑みながら種明かしをしてくれた。

 もうこれを知る人もほとんどいないが、旧世紀にはこの線路はさらに南へ続いていてベルニナ峠を越えており、その終端はこことは別の国だった、と。

 非合理極まりない話に聞こえるが、まだ南へと線路が続いていた時代、ここポントレジーナを境にRhBは異なる電化方式を採用していたと伝わっており、実際、直流1,000(ボルト)用である錆びついたレールの上のABe4/4の残骸の頭上には、既に撤去されて架線がなかった。父さんによれば、これがここで線路が途切れた一因なのだろうということだ。

 

 ボクは駅前のブッフェで、しばしお預けとなる最後のまともな食事を摂りながら、そんな思い出を振り返っている。

 

 グラウビュンデン文化保護州に暮らす人々は事実上ここに閉じ込められてはいるものの、州境が厳重に封鎖されているわけではない。ボクたちがここを離れることがないのは、そんなことをしても何の意味もないからだった。

 少なくとも半径500Km圏内にはボクらの他には人はいないとされている。もちろん鉄道は州内で終わっているし、唯一の個人向け機動力となるエレカーは航続距離がせいぜい二つか三つの町を往復できる程度しかなく、州から出てしまえば充電手段がない。

 徒歩で州外を目指すにしても、ボクらがアクセス可能な地図は、資料的な世界略図を除けば道標にするに足る詳細なものはやはり州内に限定される。アルプスの険阻な山々にそれで挑むのは単なる自殺行為でしかなかった。

 

 が、父さんが図らずも幼かったボクにもたらした知識は、そこに一筋の光明を与えてくれた。

 

 ボクたちがグラウビュンデン州だ、と観念している領域は、南端の町ポントレジーナから今少し南へ広がっていて、ベルニナ峠の最高所に向かって緩やかに登っていく谷間の緑野があり、やがて大きな湖にぶつかる。そこから南はほぼ1000m下る断崖絶壁になっていてこれが事実上の州の南限ということになるが、そこには知られざる鉄道遺構が今も眠っていることになる。

 

 これを辿ることができれば、外の世界への迷わぬ道標になるじゃないか!

 

 食事を終えたボクは、再び南へ進路を取った。

 少なくない山登り、あるいはハイキング風の装いの人の姿はあったが、その多くは北へ取って返してムオッタスムラーユという標高2,500mほどの山頂を目指す人が大半だ。まさに10歳のあの日、ボクも父と共にこれを登ったが、そこからはサメーダン、そして彼方にザンクトモリッツの街を鳥瞰することができる。

 軽く会釈を交わしてその人たちと別れ、ボクはその先に地所を有する牧畜業の人々を除いて立ち入ることの少ない谷底の平原を進んでいった。はっきりとわかる痕跡は何も残ってはいないが、地形を見ていると、おそらくはここを南へ向けた線路が通っていたのだろう、と思われる築堤、あるいは切り通しの跡がある。

 

 じりじりとゆるやかに登りながら二時間ほど、ポントレジーナの喧騒も遥か後方、人気(ひとけ)のなくなった谷を歩いていると向かう前方左手の山影から、めぇめぇ、と声が聴こえてきて、見れば百頭ほどの羊の群れだった。その中に、牧童と思しきおじさんが一人。

 

 ……マズいかな?

 

 さりとてここで駆け去るような真似をすれば返って悪目立ちしてしまうので、ボクは、羊たちを刺激してしまわないよう気遣っている(てい)で距離を取りながら何食わぬ顔でそのまま歩き続けた。

 果たせるかな。

 

「おーい、おーい、そこの若いの。」

 

と声がかかり、無視するわけにもいかず、ボクは歩みを()めて背負った荷を一旦降ろし、一休みする(ふう)でおじさんが声の届くところまで近づいて来るのを待った。

 

「トレッキングかね?」

 

 こういう事態をまったく想定していなかったわけでもないボクは、強いてさらりと応じた。

 

「ラーゴ・ビアンコまで歩こうと思っています。」

 

 ラーゴ・ビアンコ、というのは、今では使う人がめっきり少なくなった古い言葉(イタリア語)で、白い湖、ほどの意味になる。目下目指すところの州最南端の湖だ。

 

「なるほど。世界の果てを見に行こう、というわけだね。」

 

 羊の群れを挟んでいるので、おじさんの表情は伺えない。疑われていたりするものだろうか。

 

「今からだと、そこで野宿をするつもりなのかい?」

「そのつもりです。独り、世界の果てで自分のこれからを考えてみるのも悪くないかな、と。」

 

 これまたボクは事前に用意していた台詞を、何でもないよ、ボクは少し変わり者なだけだよ、という口調で告げた。

 

「念のために言っておくが。」

 

と、おじさん。

 思わずボクは身を固くした。

 

 が。

 

「……あそこの水は飲まないようにね。間違いなく腹を壊すから。

 飲料水は十分持って来たかい?」

 

 ラーゴ・ビアンコは、その名の通り、まるでミルクのような白濁色の湖なのだが、これは湖の西側に太古以来の氷河があって、そこから直接水が流れ込んでいるためだ。こういう水は、一見きれいなものであるように思いがちだが、氷河が大地から削った細かい屑に由来する過剰なミネラル分や、時代を越えて伝わる野生動物由来の細菌が潜んでいたりで飲用には向かない。

 おじさんは、ボクが若く見えることもあって、そういった知識を欠いていれば危険だ、と気遣ってくれたものらしい。

 

「あれが見えるかい?」

 

 おじさんが指差す先、ボクの行く手の少し高くなった丘に、石造りの何かが見える。

 

「羊に与える水場なんだが、井戸水で、沸かしさえすれば大丈夫だ。

 もし要りようなら汲んでいって構わないからね。」

 

「ありがとうございます、お言葉に甘えさせていただきます!」

 

 ボクはおじさんに深々(ふかぶか)とお辞儀して別れを告げた。

 

 そこからさらに歩くこと小一時間、ずっと緩やかな登りで遠望が利かなかった緑野が途切れ、眼下に異星を思わせる奇景が広がった。

 

 白い湖、ラーゴ・ビアンコである。

 

 その水の性質ゆえか周辺は悉く植生を欠いていて、やや緑がかった乳白色の湖面の印象もあり、まったくの異世界だ。

 ここにも線路の跡は見えないが、地形から東岸側に沿っていたものと見て進めば、南北に長い湖の中程に、やはり建物や往時を偲ばせる設備こそ撤去されているものの、石造りのプラットフォームらしきものを見つけた。古い焚火の跡らしきものもあって、稀にここまで歩いてくる人は他にもいるようだ。

 ボクは、自分が正しい道筋を辿っている確信を得て、湖の南端、羊飼いのおじさんがいう、世界の果て、へ歩みを進めた。

 

 湖の南端は氷河からの堆積物が溜まりに溜まって泥濘地になっていたが、そこに至って足元にコンクリートの壁が埋まっていることがわかった。どうやらこれは人口湖、ダムであるらしい。これを境に南へ向かって再び緩やかな丘が登っていて植生が回復するが、地面はすぐに途切れて空が見えているので、この先は崖になっているようだ。

 この時点で時刻は17時を過ぎたところ。まだ周囲は明るくこの時期の日の入りは21時過ぎに達するが、ボクは無理をせずに、羊飼いのおじさんに告げたようにここで一泊することを決めた。

 足を揉みほぐしながら一休みした後、携帯燃料で湯を沸かして粉末スープとグラノーラバーのディナー。明日は払暁から探索を再開しようと、薄闇が広がり星が瞬き始めた頃にはボクは寝袋に潜り込んだ。7月であっても標高2,000mを越えるこの辺りは日没後は寒い。

 

 星を眺めながら、何故かボクは母さんのことを考えていた。

 

 今以てボクは、母さんがどのような経緯で命を落としたのかを知らない。

 父さんが(かたく)なにこれを語らなかったことを思えば、ひょっとすると母さんは、しばしば傍若無人な運転をするサンモリッツ詣での連邦高官の乗るエレカーに轢き殺されたのかも知れない。ボクがこれを知れば、それこそギエリではないが、不毛な復讐心に取り憑かれて投石どころではない要人テロを試みるかもしれない、と父さんは案じたのだろうか。

 それはそれで一理あるな、と思いつつも、ボクは別の可能性を思い描いていた。

 

 そもそも。

 母さんは、本当に事故で死んだのだろうか?

 

 もちろんこれは疾うに割り切ったつもりでいながら、その実、母の死を受け入れることが叶っていないボクの女々しい妄想であるのかもしれない。

 が、父さんが「おまえは本当に母さんに似ている」と言うその言葉を信じるのであれば、母さんもまた、ボクが今やっているように、何かをきっかけに自分の暮らす世界が本当に考えている通りの世界なのか、という疑念を(いだ)いた……(いだ)いて()()()()可能性はある。

 我が子……つまりボクだが、子を残してその疑念に突き進む母親などいるか、と言ってしまえばそれまでだが、何故だかボクは、仮に母さんがそう思い、何かを見届けたいと願ったのであれば、ボクなんか気にせずに突き進んでもらいたい、そうであって欲しい、と思えてならなかった。

 つまり、ボクは父の背を追って鉄道技師への道を歩もうとしているが、今この瞬間は、母の背を追って世界の外に何があるか、その片鱗を覗こうとささやかな冒険をしている、ということになる。

 

 そう考えるとボクは何だかおかしくなってきて、世界の果ての湖の畔で寝袋にくるまったまま、声をあげて独り笑った。笑いながら何故だか涙がこぼれてきて、それでも笑いが()まらずに、眠りに落ちるまで泣き笑い続けたのだった。

 

 

                    *

 

 

 翌朝、東の空が白みだした5時台に朝食を済ませたボクは、速やかに探索を開始した。

 

 ここから先、たちまちには失われた線路がどう通っていたのかはよくわからない。

 が、ひとまずボクは湖岸から西に氷河へとつながる岩山に沿って、なだらかに登る丘を進んだ。ボクの背の丈を少し上回る低木が繁茂しているものの、かつて線路があったとしてもおかしくない程度の勾配だったからだ。たとえ間違っていたとしても、標高を維持していた(ほう)が視界が(ひら)けて有利ではないか、との読みもあった。

 

 より正しく行くためには(急がば)よりゆっくり行くことだ(回れ)

 

 結果的にこれは半分当たり、半分外れだった。

 30分も進まないうちに丘は頂点に達し、その先はとても()りられない急な崖の行き止まりだった。そこから周囲を見渡すと、途中で沢で分かれた少し低い峰が見えて、その先端がまるで船の舳先のように断崖に突き出している。ボクは何か直感を覚えて、ずっとラグランジュ点を眺めるのに使っていた父さん譲りの10×32の双眼鏡でそこを観察してみた。

 

「見つけた!」

 

 思わずボクは快哉を叫んだ。

 そこには、ラーゴ・ビアンコ湖畔でも見た石組みのプラットフォームがあったのだ。

 

 無理に沢を下って直線的に進みたくなるところだが、焦りは禁物だ。慌てず騒がず、やって来た道なき道を引き返し、向こう側の峰に無理なく渡れる場所を探した。

 結果的に問題の場所を船の舳先と考えると、艦橋から降りていくような感じでさきほど双眼鏡で見えた石組みのプラットフォームにたどり着いたのだが、ちょうど降り立つと、さきほどまで近すぎる西側の岩山に隠れて見えなかった氷河が真正面に見えるようになり、その壮大な景色に思わず息を呑んだ。

 かつては存在したであろう駅舎などは解体撤去されて何もなかったが、プラットフォームははっきりとほぼ南北に伸びている。北を振り返れば大きく右に曲がりながら登っていく沢があって、これをロックシェードが覆っていた。さらにその先にはトンネルらしき開口部がある。なるほど、湖の南端からは丘ではなくいずれかの谷に潜ってこのトンネルへと通じていたようだ。ボクはこのトンネルの上を通ってここへ至ったことになる。湖側からではこの構造がわからなかった。

 逆に南側、つまり船の舳先の方を見るとそこは断崖絶壁で、まっすぐ線路がそちらへ向かっていたとすると列車は空を飛んだことになるが、もちろんそんなはずはない。ボクは恐る恐る舳先の方へと歩み寄った。

 

「!」

 

 地面がそこで終わっているのはその通りだが、向かって右、氷河の方向へ大きく180度向きを変えながら緩やかに下る斜面が続いていて、覗き込んでみれば再び向きを変えてつづら折りに下っている。往時この急カーブを下った列車は、さぞ盛大なレールを軋ませる音を発したものだろう。

 

 間違いない。

 これこそが線路の跡だ!

 

 ボクは、ところどころ崩落したその道に沿って下っていった。ここを除けば周囲はとてもではないが歩こうとは思えない急斜面ばかり。そしてこの経路は、ここまで自ら下って来ないことには、そこにあることすらわからなくなっているのだ。

 標高が下がるに従って、それまで低木しかなかった植生がたちまちに林立する針葉樹の林に変わり、それでもかつて線路があったであろう部分は木がまばらで、注意さえ怠らなければ歩くには十分な道として残されていた。

 まさに図に当たったぞ、と歓喜するのも束の間、周囲の地面がせり上がってきて雲行きが怪しくなってくる。正しい経路を進んでいるはずなのに、これではどう考えても行き止まりになるじゃないか、と不安になったが、焦れずに今少し進めばその理由が明らかになった。

 

 覚悟はしていたが……トンネルだ。

 ざっくり100年は使われていないトンネル。

 

 ボクは一旦荷物を降ろして息を整えた。グラノーラバーを頬張って、十分なカロリーを得て明晰な判断力を回復させようと努める。

 これを回避するには周囲の斜面を登らねばならず、しかも反対側の出口がどこにあるかはたちまちにはわからない。これを探しているうちに方角を見失えば遭難だ。本能的に危険に感じる暗闇こそが……今このときに限っては、唯一の安全な道筋だ。

 

 そう意を決して、用意していたハンドルを回して充電することも可能な照明を灯し、ボクは恐る恐るトンネルの中へと足を進めた。

 たちまちに足元にぬかるむ嫌な感じを覚える。と同時に、すえた鼻をつく匂い。風に運ばれて溜まった落葉が、雪解け水に湿らされて腐ったものだろうか、いよいよ増して不安が高まったが、それは続く発見に一瞬で吹き飛ばされた。

 

 頼りない丸い光が照らす暗闇に……。

 遂にそこに、遺されたレールを見つけたからだ。

 

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