Fate/Draco―蛇竜王戦線―   作:ぴーらー

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第17話:The Dream-Quest of the Forgotten Serpent

2020.04.02 02:00 UTC/アイスランド・シンクヴェトリル国立公園

 

 火の粉がパチパチと跳ねている。

 談話の中、ユキネはアサシンの膝上で強い眠気に襲われ――

 

 

 再び、彼女は微睡みの中にいた。

 ある怪奇小説家曰く、猫がよく眠るのは「彼らが夢を渡り、夢の世界を旅することができるから」なのだという。

 彼らは重力に縛られず月へと飛躍し、誰よりも自由に宇宙を駆け抜けていく。

 その作家は、猫についてこう語っていた。

『美しさ、冷静さ、超然性、哲学的な平静、尊大さ、飼い慣らされざる風格、その無謬性と完全性の半分でも備えた生き物は他にあるだろうか?』

 

 ――それは、「この宇宙」とは異なる「外側」における法則に基づいた世界の話である。

 だが猫たちだけは例外的に、この世界においても「夢を歩く」ことができるのだ。

 とはいえ、その技能が有効活用できる機会は少ない。

 夢魔たる「花の魔術師」や、時空の神と繋がった「降臨者」のような秘術を扱えるわけでもない。

 彼女にできるのは、せいぜい――

 「自らの夢と繋がった、サーヴァントの記憶の中を歩む」くらいである。

 

「……いや、十分とんでもないことをしてるのだけど。凄いわね、プライバシーなんてあったものじゃないわ。あと世界観はどうなっているのかしら」

 

 川に沿った道を進んでいくユキネの隣に、アサシンが姿を現す。

 ランサーが自らの領域内に「分霊を召喚した」のと同じように、己の化身体を夢の中に召喚したのだ。

 

「あれ、駄目だった?」

「本来なら見せるべき記憶は私の方で選定するわ。恥ずかしいからとかじゃなく、単純に危険なのよ」

「大丈夫だよ。あっちならともかく、夢の中なら私だって十分戦える。ウルタールのみんなと、土星のやつらをボッコボコにしたこともあるんだから」

 

 その声は妙に誇らしげで、やけに楽しそうだった。

 アサシンは、小さく笑ったような、ため息を吐いたような――曖昧な表情を浮かべた。

 ……アサシンは知らない。それが誇張でも冗談でもないことを。

 ウルタールにおいて、彼女は「土星の猫」との戦争において勲章を得る程の活躍を果たしたことを。

 夢とは奇妙なものだ。

 時にそれは、現実よりも確かに「真実」を刻むことがある。

 たとえ、それを誰も観測できなかったとしても。

 もし、令呪の使用によってアサシンを「向こう側」に連れていくことができたとしたら――

 互いの世界の法則は、恐ろしいほどに変わってしまっていたかもしれない。

 

 閑話休題。

 草生した谷に入り、藪の中を進むユキネは、ふと人の声に足を止めた。

 

「どうか、どうかお願いです。あの大蛇を倒し、娘を救ってくだされ……!」

「――いいだろう。この俺に万事任せておけ」

 

 そこにいたのは、土下座のように地に伏す老人二人。

 後ろに、うつむいたまま座る若い娘。

 そして彼らの前に立つ、髪を風になびかせた剣士の男。

 服装は薄汚れていたが、それが目に入らないほどに凄まじい活力と気迫に満ちていた。

 次の瞬間、彼は若い女性――クシナダと呼ばれた娘を不思議な力で小さな櫛へと変え、自らの髪に挿した。

 櫛はまるで男の魔力と一体となり、更に力を増したようであった。

(……ぬーん、凄い既視感。アサシンのアレには先駆者がいたとは)

 背に結びつけられた「櫛」を思い、ユキネは複雑な気持ちになる。

 

「さて、大蛇とやらは何処にいる?」

「そ、それが……奴はその巨体故、普段はこことは違う異界に姿を隠しております。時が来ねば現れませぬ」

「……参考までに聞くが、どれくらい大きいんだ?」

「あまりの巨体ですので詳しくは分かりませぬが、山を八つは跨ぐかというほどでございます」

「……成程。いや待てよ、奴が現れるまでは未だ時期があるのだったな?」

「は、はぁ。そうでございますが」

「俺に策がある。手伝え」

 

 ユキネは藪に潜みながら、傍らで霊体化しているアサシンに問いかける。

(あれは誰? あいつがアサシンを倒したの?)

(……ええ。彼の名はスサノオ。一挙一動が災厄を撒き散らすような乱暴者。私からすれば、あっちの方が余程怪物ね)

「何それ怖っ」

 

 ――思わず声を上げたユキネのすぐ隣を、斬撃が走り抜けた。

 

(ひっ!?)

 藪が切り払われ、白猫の姿が露わになる。

 

「ニャーン」

「なんだ猫か。一瞬邪な気配がしたようだったが……」

「それより早く“酒造り”に取り掛かりましょうぞ。時間がありませぬ」

「おう。作戦についてだが――」

 彼らが歩き去っていくのを見届けてから、アサシンが呟く。

 

「……おかしいわね。これは記憶の再生に過ぎない筈。閲覧者が“認識される”なんてあり得ない。何をしたのマスター」

「私だって分からないよ……“夢歩き”は誰かに習ったわけじゃないし」

「それに、そもそも本来“私の記憶”を覗く以上、見えるのは“私が見た場面”だけのはずでしょ」

「だよね。ここをアサシンが見てたらスサノオの策が台無しだもんね」

「……ところでこの時代に猫っていたかしら……?」

 

 スサノオは老人――アシナヅチ・テナヅチの夫婦に、七度絞った強い酒を醸させた。

 それこそは後のアサシンの死因となる、「八塩折之酒」。

 彼らは八つの門を作り、それぞれに酒で満たした桶を設置し、オロチが来るのを待った。

 

 

 突如、風が変わった。

 強烈な血の臭いを含んだ、重く淀んだ空気が辺りを包む。

 鳥たちが驚いて逃げていくが、空を割いて顕れた巨大な顎は、木々ごとそれを一呑みしてしまった。

 地を這うような圧力。

 空を覆うような気配。

 背に繁茂する苔と木々。

 それは、もはや山脈が動き出すが如し。

 森が裂け、河が逆流する。

 異界より八つの首が風に踊り、空に向かい咆哮を上げる。

 赤く爛れた腹からは、常に鮮血が流れ出す。

 鬼灯のように燃える瞳が、闇の中でも激しく光る。

 

 その姿はもはや、怪物という言葉すら生ぬるかった。

 怒れる大自然の顕現――八岐大蛇。

「■■■■■■■■■ゥゥゥゥー……?」

 やがて、その行進が止まる。

 大河の流れる斜面に、八つの門が並び立っていた。

 漂うのは、蛇神ですら抗えぬほどの芳醇な香り。

 ひとつ、またひとつ。

 蛇の首が桶に吸い寄せられ、酒に顔を沈める。

 飲み干し、身をよじり、酔いを深めていく。

 やがてその巨躯は膂力を失い、八つの首が泥酔しきって、地に伏した。

 そして男は、剣を抜いた。

 

 八つの首が、次々と断ち切られていく。

 雷が鳴り、山が割れ、滝のような血流が大地を染める。

 

 しかし、残り一つというところで――

 大蛇は、目を醒ました。

 

 

 確かにアサシンの言った通りだと、ユキネは実感する。

 八岐大蛇の巨体は、動くたびに地形を砕き、谷を崩す。

 だが、大蛇より遥かに小さいはずのスサノオが引き起こす破壊は、それ以上に苛烈だった。

 かつて彼は、高天原に登るだけで大地震を起こした男だ。

 日本最高クラスの神威を以て、高天原に破壊と混乱を巻き起こした男だ。

 そんな神が、本気で剣を振るう戦い。

 もはやそれは、正気の光景ではなかった。

 まさに、「神話の戦い」としか言いようがない。

 

 大蛇が吐き出す炎は山々を焼き、見渡す限りの大地を焦土に変えていく。

 だがスサノオは海神としての力で巨浪を呼び寄せ、それを打ち消す。

 スサノオが剣を振るえば、大蛇の雷と閃光がそれに食らいつく。

 一進一退の攻防――だが、少しずつスサノオが優勢を取り戻していく。

 大蛇の七つの首は既に落ち、大量の血が大地を染めている。

 残る一首の命は、もはや風前の灯火。

 ユキネはアサシンの力で上空の雲の上に退避し、戦いの行く末を見守っていた。

 大蛇が負けることは理解できている。

 勿論、自分にできることは何もない。

 

 それでも心の底で、大蛇の側を応援したい気持ちを隠しきれなかった。

 それは、自分のサーヴァントだからという贔屓に過ぎないかもしれない。

 しかし、それだけではない――と思っていても、自らの感情を言語化することはできなかった。

 大蛇が吼える。

 その身を這わせ、血に染まった大地に呪詛を撒き散らす。

 高天原の神々をも殺し尽くさんとする、怨霊めいた呪いの波動。

 だが、スサノオはそれさえも剣の一振りで弾き飛ばした。

 

 その瞬間、ユキネは見た。

 大蛇の瞳が、僅かに尾の方へと向いたのを。

 ほんの刹那。

 そこにある「禁忌の剣」を抜くべきか否か――

 決意が、揺らいだのだ。

 

 ……その一瞬の隙を。

 日本最強の英雄神が、見逃すはずはなかった。

 

 

 静寂の中、男は血の海に佇んでいた。

 その右手には、刃の欠けた十拳剣。

 左手には、血に濡れながらも途方もない美しさと神秘を放つ大剣があった。

 それは大蛇の尾に隠されていた、謎の宝剣。

 

 スサノオがしばし逡巡の後、その剣を携えて去ろうとした瞬間。

 ――ユキネの身体は、自然と動いていた。

 異様な気配に気づき、スサノオは上空を仰ぐ。

 視界に飛び込んできたのは、雲の彼方から高速で落下してくる白い小動物。

 

 そしてそれを必死に追ってくる、「先ほど倒したはずの大蛇と同じ気配」をまとう女。

「貴様、まさかあの藪の……ッ!?」

 あまりの異常事態に、激戦の疲労もあって男の反応は遅れてしまう。

 猫は着地に長けているとはいえ、雲の上からの落下など耐えられるはずもない。

 ユキネの狙いは、自分の身も顧みぬ、落下の加速を乗せた攻撃による仇討ちであろうか?

 否! 白猫の向かう先は、スサノオの左手――輝きを放つ大剣であった!

 

 なぜそうしようと思ったのかは説明がつかない。

 「だが、ここで動かなければならない」と――本能が、そう叫んでいた。

 何かを変えたければ、行動するしかないのだと。

 

 そして、狙い澄ましたように白猫は剣の輝きへと着弾する。

 瞬間、世界は剣が発した光に塗り潰された。

 

 

「……ほんっとうに、無茶が過ぎるわ。二度としないで頂戴、頼むから」

 アサシンの色んな感情が混ざった声で、彼女は目を覚ました。

 続けて、自分の肉体を確認する。

 五体満足。欠損は一切ない。

「説明して、マスター。どうして――そうだと分かったの?」

「……分からない。でも、あの剣が鍵だと思ったの。更に“奥”に、進むための」

 

 ユキネの目の前に広がっていたのは、簡素ながらもよく手入れされた祭殿だった。

 酒と穀物が捧げられたその最奥には――厳かに、一つの剣が安置されていた。

 

「これは……私の、もう一つの記憶。深く封じられ、否定された世界の断片。踏みにじられ、忘れられた……太古の景色」

 

 サーヴァントとは、人々が信じた/語り継いだ物語の集合体である。

 たった一つの正解や正しい姿というものは存在せず、異なる側面、異なる解釈が時に別のクラスとして顕現する。

 それは、大蛇である彼女にもまた当てはまる。

 この景色こそは、怪物ならざる「神」としての彼女が見た世界であった。

 日本において「蛇」への信仰はあまりにも古く、体系的な神話が形をなす遥か以前から存在していたという。

 人々は蛇を、ただの獣とは見なさなかった。

 

 その背後にある自然の意思、霊的な力を見出し、祈りを捧げてきた。

 神霊としての大蛇は山に宿り、五穀豊穣を願う者、川の氾濫を恐れる者、大地から金属を求める者――

 多くの命のそばに共に在り、共に生きていた。

 彼ら「まつろわぬ者」たちが、「正しさ」を名乗る支配の波に呑まれるその時までは。

 

 

 その白蛇に、八つの首は生えていなかった。

 確かに、彼女の支配域には八つの大河が流れていた。だが、それだけの話だ。

 彼女の腹は、血に爛れてなどいなかった。

 炎を操り、人々に製鉄と鍛冶の知識を齎しただけだ。

 時に戒めとして、川を氾濫させることもあった。

 それでも、彼女は「雨を呼ぶ神」として祀られていた。

 恵みの水をもたらす、豊穣の守り手として。

 言の葉を届けるために、時折化身を遣わすこともあった。

 

 それでも彼女自身は、不動の山脈として在り続けた。

 地に寄り添い、人と共に生きる神として。

 だからこそ、アサシンはこの記憶を見せるつもりはなかった。

 この平穏の均衡を壊したのは、紛れもなく人間の支配欲だったからだ。

 遠くより来たる彼らは、どうしてもこの地を――

 この地に暮らす民と、その「技術」を掌握する必要があった。

 より強く、より速く、より広く。

 武器を、領土を、秩序を。全てを、支配するために。

 軍は村を焼き、逆らう者はことごとく討たれた。

 「彼らは“土蜘蛛”。邪教を信じ怪物の血を引く、人外の民である」として。

 そう定めることで、殺すことに疑問を抱かなくなった。

 木々が燃え、祭壇が砕け、民の声が空に消えていった時。

 

 ――人々は聞いた。山の動く声を。

 川は赤く染まり、風が唸りを上げる。

 人々は見た。

 怒りに震え、数万の怨念と一つになった荒ぶる神を。

 動き出した大蛇の憤怒は、波濤のごとくあらゆるものを呑み込んだ。

 武装した軍勢は、一瞬の抵抗すら許されず鏖殺された。

 彼らに投降し、命乞いをした村人たちすらも容赦なく。

 荒ぶる神の怒りは収まることを知らず、彼らの「都」ごと全てを滅ぼし尽くすべく動き出した。

 

 その前に立ちはだかったのは、一人の英雄。

 黒髪を乱し、巨大な剣を構えた――

 「何か」の後押しを受けた、「神ならざる」男だった。

 戦いの果てに、大蛇の首は断たれた。

 男は尾の中から剣を取り出し、都へと送った。

 それが「勝利」と「支配」の証とされた。

 だが――その剣こそが、大蛇の最後の抵抗だった。

 どれだけ自分が怪物として貶められようと、自らの記憶と意志は剣に宿り続ける。

 どれだけ歪められようと、剣を通して大地が覚えている。

 「彼ら」の祈りは、残り続けるのだと。

 

 

 アサシンは思い出す。

 現世にて座す場所――シンクヴェトリル国立公園。

 大地が裂け、プレートが接する場所。

 地殻の狭間、目に見える「境界」。

 ユキネが見た夢の景色は、自分の記憶と、大地そのものの記憶が重なり合ったものだった。

 何が「正しい」記憶だったのかは、もはや当事者にさえ分からない。

 けれど、ユキネは最後まで見届けた。

 アサシンがその記憶を隠そうとした理由も、今ではよく分かっている。

 知識は、時に劇薬と化す。

 無知という名の病が、命を守ることもあるのだから。

 

 それでも、同じ道を歩みたいと思った。

 生殖能力を持たない、主を喪った一匹の猫。

 信仰を奪われ、祈りの声も忘れられた神。

 共に心の淵にあったのは――どうしようもなく、癒しがたい孤独。

 現実においては、たった数時間の眠りに過ぎなかった。

 けれどこの精神世界で、彼女たちはまるで数ヶ月にも及ぶ旅路を共に歩いた。

 そしてその果てに、ひとつの想いが、白き小さな命の中に刻まれた。

 果たしてそれが芽吹くかは、今はまだ誰にも分からない。











※日本に猫がやってきたのは弥生時代とされています
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