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2020.04.02 10:45 UTC / 東アフリカ・タンザニア
標高1,500メートルの山岳地帯に広がる森は、得体の知れない恐怖に包まれていた。
姿の見えない何かがいる。
それは音もなく近付き、気がつけば目の前にいた同胞が消え去っている。
前兆すら見えない「何か」に、動物たちは震え上がった。
人間という例外を除けば、天敵のいないはずの頂点捕食者たち――
大型猛禽類や肉食獣たちまでもが、その恐怖に晒されていた。
大空を悠々と飛ぶ大鷲が、何かに絡め取られ地に堕ちて逝く光景。
肉食獣たちが怯え、必死に逃げ回るも打ち倒される光景。
普段それらから逃げ回る「生態系の底辺」にいる者たちは、茂みの奥で身を潜め、恐る恐るその異常を見ていた。
人間の目で見れば、ある種それは胸のすくような光景だったのかもしれない。
無論、上位の捕食者の大幅な減少が環境にどう影響を及ぼすかなど、彼らは知りようがない。
頂点捕食者が草食動物の個体数が増えすぎないよう制御し、結果として植生の荒廃を防いでいるなど知りようがない。
だが、その恐怖を齎していた張本人――ネゼミアは、樹上からつまらなそうにその「結果」を見下ろしていた。
この虐殺とも言える行為は彼女にとって、ある種の儀式のようなものだった。
かつて自分に恐怖を齎した捕食者たちを逆に狩ることで、「自分が力を手にしたのだ」ということを自覚するための。
……彼女にミスがあるとすれば、それをやるのが遅すぎたことだ。
確かに、そもそも「休戦期間」でもなければこのようなことをする余裕はない。
最初の「契約」の後は、体を動かす基本を学ぶことで精一杯だった。
しかし既にサーヴァントに匹敵する力を得て、幻想種と渡り合い、竜種と死闘を交えてきたネゼミアである。
今さらこの程度では、自分の力を確かめるには足りない。
「魔力喰い」のため狩った獲物は残さず頂くとはいえ、そんなものは自らの力の証明にはなりはしない。
「――なんて考えてそうだな、相棒。不機嫌、不満足、不完全燃焼。随分俺好みの顔をしているじゃないか」
黒い蛇が、そんな様子を見ながら声をかけた。
「世の中には憎い相手を惨たらしく殺してスッキリしたい、そのためなら自分の全てを捧げたって構わない……なんて奴も少なくないというのになぁ。贅沢なことだぜ」
「……良いだろ、別に。それより傷はいいのか? バーサーカー」
「あの程度で俺が死ぬかよ、とっくに全快だ。――クク、甘く見るなよ。有史以来、俺ほど負けに負けを重ねてきた奴はいねえ」
蛇は驚くほど堂々と、誇らしげに格好悪いことを言ってのけた。
「……まあ、負け続けることができたってことは死ななかったってことだしな」
「大正解。神との死闘から始まり、何千何万もの悪魔祓いを経てなお、俺はまだこうやって生きている。何億何兆回“悪魔の誘惑”を跳ね除けられようと、俺は未だ挑み続けている」
それは、自分たちの生きていた「過酷な自然」ではあり得ないことだ。
ネゼミアは、そう思考する。
生存競争における「敗北」とは、おおよその場合死に直結する。
捕食されるか、種によっては群れを追い出されるか、繁殖ができなくなる……などだ。
リベンジの前に、自分の命があるか怪しい。
負けて、なお生き延びた者。
それこそが彼の「強さ」の証なのだろう。
ネゼミアには、それが少し羨ましく思えた。
「さて、相棒。強さを証明したいならその舞台は俺が用意してやる。対価はいつも通り、お前の“欲望”だ――いや、決心が早いな!」
バーサーカーが言い出すのとほぼ同時に、契約魔術は成立していた。
そして、そんなネゼミアの体躯は数時間前の二倍になっていた。
宝具
「宜しい。それでは魔王サタンの名の下に、めくるめく暴力の世界に招待しよう」
バーサーカーが恭しく一礼すると、周囲の景色が切り替わる。
現れたのは幻想的な雪と氷に覆われた銀世界。
だが、その空はまるで割れた鏡のように、黒い虚無にひび割れていた。
「……それなのに明るいのが、少し不気味だな」
そう呟くネゼミアの視線は、前方だけに向けられていた。
視線の先にいたのは――地響きと共に迫り来る、山のように巨大な二つ足の怪物たち。
「これは剪定事象、もしくは異聞帯と呼ばれる“既に失われた世界”の欠片。ちょうどその土地に関係のある英霊が召喚されていることだし、三つほど縁を繋いでコピー・再現したものがこちらになります。
ま、簡単に言えば“色々あって生存競争に負けた世界”の残りカスってところだ。……だったら、お前が負けるわけにはいかないだろう? 相棒」
悪魔は笑い、姿を消した。どうやら手伝うつもりはないらしい。
小さな竜は、大きく雪を蹴って走り始めた。
◇
砕かれた槍。裂けた甲殻。巨体を覆っていた仮面の破片。
霜の巨人、山の巨人、火の巨人――かつて異聞帯を闊歩した怪物たちは、その骸を無残にも雪上に晒していた。
巨人たちを打ち倒し、残心した直後。ネゼミアの前に現れたのは、ひときわ濃密な「影」だった。
それは、かつてこの地に在った英霊の残滓。
「シャドウサーヴァント」と呼ばれる、文字通り英雄の影に過ぎぬもの。
だが、その気迫は本物に迫るほどだった。
ヴォルスンガ・サガの大英雄。
英霊・シグルド。
「怒り」の魔剣の所持者。
あのライダー・ファヴニールを討ち果たしたという、北欧最強の「竜殺し」の一人。
圧倒的な魔力と速度を前に、ネゼミアは劣勢を強いられる。
だが、直前の「第三契約」によって得たスキルが彼女を救った。
その名を
物理攻撃によって吸い取った魔力の「色」に擬態し、相手のスキルを一つコピーするスキル。
ファヴニールの「相手の宝具を奪う」姿から着想を得たそれを用い、ネゼミアはシグルドの【竜種改造】スキルをコピーしたのだ。
竜殺しの能力が厳密には宝具
シャドウサーヴァントは宝具の真名解放を行えない、という弱点を突いたのだ。
そうでなくとも、本能で戦う「影」でしかない以上――シグルドの強みと言える【叡智の結晶】は、その意味をなさない。
綿密に立ち回り、魔力を吸収し奪うネゼミアは少しずつ差を広げていく。
そしてついに、その影を穿ったのだった。
「……クク、見事だ。相手がスキルとして【竜殺し】を持つジークフリートだったら、結果は違っていたかもな?」
拍手と共に姿を現したバーサーカーが、再び世界を切り替える。
続いて映ったのは、山々と畑が一面に広がる平穏な景色。
それでいて、やはり空は虚無に包まれているのがアンバランスだった。
……その空気を裂くように、鉄の駆動音が響いた。
一つ深呼吸をし、小さな竜は再び戦場に向かっていく。
◇
数十回目の爆発が畑を抉り、作物と土を吹き飛ばす。
虎の頭を備えた戦車やオートマタたちは、あえなくその部品を散らしていた。
ネゼミアの
魔力吸収もできず、ひたすら破壊し続けるだけ。これはこれで面倒だった。
――そして、その後に現れた「影」は想像以上の強敵だった。
英霊・李書文。
武を極め、
老人の姿でありながら、拳には一片の衰えもない。
シャドウサーヴァントは宝具を使用できない。
だがスキル【圏境】によって姿を消した拳士の気配を、ネゼミアは感じ取ることすらできなかった。
彼女は自分が得意とする戦術による恐怖を、その身で味わうことになったのだ。
死を目前にして、ネゼミアは拳を重ねる中で、スキル【中国武術(八極拳)】のコピーに成功。
【竜種改造】により致命の一撃を耐えきり、全方位に届く視界で相手の位置を特定。
続けて、即座に伸ばした舌で腕を拘束。
そのまま至近距離から拳に全魔力を込め、影を粉砕。
カメレオンならではの、紙一重の勝利であった。
「ほう……二色まで能力のコピーをストックできるのか。良い傾向だ。では、最後の舞台といこうか」
バーサーカーの声が響くと同時に、世界が塗り替えられる。
そこは濃厚な滅びの気配に満ちた、荒廃の世界だった。
地面はひび割れ、枯れ果てた植物が音もなく崩れる。
虚無に裂けた空の下、砂嵐がすべてを呑み込んでいた。
そして――炎が、彼女を見下ろしていた。
それは怒りそのものだった。
シャドウサーヴァントでありながら、その姿は「影」ではなく、もはや「炎」に等しかった。
英霊・アシュヴァッターマン。
マハーバーラタにおける、バラモン最強の戦士。
全ての理不尽に、悲しみに、傲慢に対して怒る者。
ネゼミアは、彼がまさしく憤怒の化身だと即座に理解した。
その感情は、かつて自分のうちに芽生えた「炎」そのものだと。
◇
戦いは熾烈を極めた。
アシュヴァッターマン。シヴァ神とヤマ神の半化身たる大英雄。
その額には、生まれついて摩尼の宝珠が埋め込まれており、その加護によって彼はあらゆる魔性、獣、病魔を拒絶する。
即ち、カメレオンのネゼミアにとって――目の前の炎は、間違いなく相性最悪の相手だったのである。
後方で笑いながらも手を貸さないバーサーカーのスキルをコピーすることも考えたが、残念ながら彼は宝珠が弾く「魔性」そのもの。有効打となるスキルはない。
ネゼミアから見て、この状況は「手詰まり」だった。
……迷いは隙を生み、怒りの化身はその一瞬を見逃さない。
チャクラムの一撃に吹き飛ばされ、獣は地を転がる。
追撃は、確実なとどめとなるはずだった。
――その時。
先の戦いで擬態し、模倣した「拳士」の声が、なぜかネゼミアの脳裏をよぎった。
(未熟者め。拳法とは単なる技術に非ず。心技体、全てを伴ってこその武。ならば、未熟な貴様にできることは何か。――精神を限界まで研ぎ澄ませ、獣ならざる実直な“一本の槍”となれ)
咄嗟に身を翻し、ネゼミアは間一髪でチャクラムを回避。
その瞬間、彼女は
「怒り」という感情の奔流を、無秩序に暴れさせず、意志によって制御する。
かつてガラスの檻の中で、心まで透明になるほど耐え抜いたあの時のように。
……死闘の末、いつの間にか砂嵐は止んでいた。
荒れ果てた大地に立つ影は、ネゼミアの一つだけ。
「炎」はどこか満足そうに、静かに虚空へと溶けて消えた。
◇
「――Brava。最後まで、俺を頼らずにやり遂げたな」
景色が元に戻る。
頭上を仰げば、虚無の代わりに夜の帳が広がっていた。
星がぽつり、またぽつりと瞬き始める。
「経験は十分に積めた。ならば、次が本番だ。……相棒、覚えているか? あの“裁定者”の声を」
ネゼミアはバーサーカーの言葉に、インドでの戦いを想起する。
「……ティアマト、って言ってたな。何者なんだ、そいつ」
その言葉こそは、最後の分水嶺に他ならなかった。
「問うたな。では答えよう。答えてしまうとしよう」
悪魔は語り出す。まるで劇の幕が上がるように。
「――ルーラー・ティアマト。メソポタミアの神話における“創生の母”。かつてクラス・ビーストⅡとして顕現し、『回帰』の理を以て世界を呑まんとした原初の災厄。そしてこの異端の聖杯戦争において、間違いなく最強の存在。いや、“蜘蛛”があの状態な以上、現在この星における“最強の生命”と断言して差し支えあるまい」
黒き蛇の瞳が、ネゼミアを射抜く。
「――即ち、お前が乗り越えねばならぬ壁だ。お前の、“誰よりも強くなる”という願いのために」
悪魔は、とても愉しそうに笑う。
結末へと歩み始めた、物語の頁を手繰るように。
まさかの修業パート