Fate/Draco―蛇竜王戦線―   作:ぴーらー

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第27話:影の谷を往く

 

◆

2017.05.07 UTC / とある穴蔵 視点:狼

 

 夢を、見ていた。

 霧が立ち込める山林。

 冷えた朝の空気に混じる、湿った苔の匂い。

 遠くから聞こえる、山鳩の鳴き声。枝の掠れる音。

 落ち葉が柔らかく積もった地面。視界を覆うほどの、雄大な木々。

 全て、見てきたかのように思い出せる。

 

 ――「オレ」にとっては、全く見たことのない景色だったが。

 いつか、隣にいる「オレ」にそのことを話したことがある。

 そいつも、全く同じ景色を「見た」と言っていた。

 それだけじゃない。群れの「オレ」たち全員が、同じ風景を記憶していた。

 それだけが、オレたちにとっての慰めだった。

 「生まれて」このかた、本物の空すら見たことのないオレたちの。

 

◇

 

 「赫咆」(レッドハウル)。

 それが、オレたちの「部隊」の名前だった。

 かつて日本という土地に生息し、絶滅した「ニホンオオカミ」。

 その剥製から採取されたDNAを基に、錬金術と降霊術の合わせ技で製造されたクローン。

 オレを含めて百体のクローン個体が製造され、ある魔術師の使い魔として管理された。

 当然、生身ではない。

 オレたちの身体は、製造時に余計なものを取り出され、代わりに様々な機能が詰め込まれた。

 

 大地を風のように駆ける肉体強化。

 細胞を異常活性させ、損傷した肉体を即座に復元する「再生魔術」。

 そして、魔術回路をオーバーロードさせて起こす――地形を抉るほどの呪詛を伴った「自爆」。

 悪路を物ともせず踏破し、目標を執拗に追跡する。

 

 足を折られようと、頭を抉られようと再生して走り続ける生物兵器。

 それが、オレたちに与えられた役割だった。

 オレは、その「部隊」……いや、「群れ」を率いるリーダーだった。

 

 指揮官として、知能を引き上げられ、思考速度を強化された。

 ――群れを「最も効率よく死なせる」ために。

 正確に指示を出し、的確なタイミングで「爆破」させるために。

 それが、オレに与えられた「知性」の使い道だった。

 

◇

 

 薄暗い訓練施設。

 コンクリートの壁に反響する、無機質な脚音と心拍の鼓動。

 複数の「オレ」に命令を出し、走るよう命じる。

 そして、そのうち三体を「爆発」させる。

 昨日、夢の話をした「オレ」も、その中にいた。

 

 訓練を監督していた魔術師は、目を細めて笑っていた。

 「上々だ」と。これで■■■■の連中に一泡吹かせてやれる、と。

 減った分は、補充される。

 何も知らず、本能に従い「群れのリーダー」たるオレに敬意を示す――オレと同じ顔の「新人」。

 

 ここに、正気という言葉はきっと存在していなかった。

 

◇

 

2017.09.15 UTC / 南極

 

 空は、見えなかった。

 隙間から見上げても、ただ白いだけだった。

 吹き荒ぶ雪が、空も地上も白く塗り潰していた。

 氷原を走る鋼鉄の運搬車。その荷台に、オレたちは詰められていた。

 

 ……聖杯戦争、とやらに介入する■■■■という組織。

 それに、オレたちの「主人」――ユグなんとか、という組織は敵対していたらしい。

 そいつらのせいで、聖杯戦争を起こすのが妨害され続けたとか。

 そのために、海を渡ってこのような極地にまで連れてこられたのだ。

 身を護るのは、自らの脂肪と体毛、そして「再生魔術」だけ。

 荷台を覆う布はあまりにも頼りなく、隙間から吹雪が突き刺さっていた。

 寒さに吠えることも許されず、冷えきった車体に沈黙する。

 

 耳鳴りのような風の音。

 遠ざかっていくエンジン音。

 命令は単純――進軍。攻撃。爆破。

 オレはただ、歯を食いしばっていた。

 全身が軋む。心臓が鳴る。

 「再生魔術」の熱に包まれた肉体が、この地の冷気に焼かれていく。

 雪に沈んだ前脚を踏み出すたび、足元が裂け、骨が鳴る。

 そのたびに、後ろの「オレ」が同じ足音で追いついてくる。

 九十九の「オレ」が、何百もの足音を響かせ、同じ雪を踏みしめていく。

 

 前へ。

 前へ。

 前へ前へ前へ前へ前へ前へ前へ前へ前へ。

 前しかない。

 

 この世界には、後ろも上もなかった。

 目指すべきものも、救いも存在しない。

 オレは吠えた。

 血が滲むような咆哮。

 それは命令であり、号令であり――

 きっと、悲鳴だった。

 そして。

 頭目たるオレの声を合図に、群れは雪原に解き放たれた。

 

◇

 

 雪原を轟音が揺らす。

 爆風を裂いて乱れ飛ぶ、実弾と魔弾(ガンド)。

 ただ、前を向いて突っ走る。

 

 「オレ」が一匹、爆破の直前で風の魔術に吹き飛ばされた。

 海岸が、そこにいた黒い鳥類の群れごと抉れる。

 更に一匹の「オレ」が誘爆し、もはや鳥の群れは地表から消滅した。

 百や千どころか、万に届くほどの大量の命が無為に散ったと、脳の片隅で理解していても――それは、止まる理由にはならなかった。

 

 ただ、前に進みながら指令を出し続ける。

 ……しばらくして、敵の攻撃の向きが定まり始めたことに気づく。

 オレが司令塔であると、向こうに勘づかれたのだ。

 走りながらも他の「オレ」に指示を出し、攻撃を庇わせる。

 特殊な銃弾が使われているのか、何体かの「オレ」は倒れたまま立ち上がらなかった。

 ――本来なら、それが当然のはずなのだが。

 

 執拗に迫りくる攻撃に、遂にオレの脚は機能を停止する。

 そして、爆風を貫いて放たれた弾丸が、過たず脳を撃ち抜いた。

 ……だが、その魔術を帯びた弾丸と、「それでも再生しようとする脳」は、何らかの誤作動を引き起こした。

 

 ――カチリ、という幻聴(おと)が耳の奥で響く。

 次の瞬間。

 オレを除く「群れ」のすべてが、一斉に自爆した。

 一匹でも地面を大きく抉るほどの爆発が、数十体同時に引き起こされる。

 戦場は、一気に凄まじい混沌に満ちた。

 

◇

 

 気がつくと、オレは海の中にいた。

 全身を刺す、死の冷水。

 

 ――その冷たさが、記憶と意識を呼び覚ます。

 オレは爆風に吹き飛ばされ、その果てに海へと落ちたのだ。

 頭部は――再生されている。もはや傷はない。

 そして何より、あの魔術師との「繋がり」が切れていると直感した。

 脳を抉った銃弾と、それに込められた魔術の影響だろうか。

 

 だが、そんな細かいことはどうでもいい。

 重要なのは、今オレは「自由」への分水嶺にいるということだった。

 遠くに見える、混沌の戦場。

 誰もオレなんかを見る者はいない。

 群れが全滅した以上、司令塔を探したところで意味がないからだ。

 周囲には、あの爆発で散った海鳥の肉片が浮かんでいた。

 急いでいくつかを噛み砕き、わずかな栄養を補給する。

 

 そして、遠泳を開始した。

 目指すのは、「海の向こうにある、別の陸」。

 どれだけ遠いかなど、想像もつかない。

 ただ、それだけ泳げば、きっと追いつかれはしない……そうに違いない。

 そんな願望めいた思いだけが、胸にあった。

 失われていく体温と体力を、「再生魔術」によって補い続ける。

 時に魚を喰らい、飛来した海鳥を噛み千切り。

 

 強化された肉体だけを頼りに――ただ、必死に泳ぎ続けた。

 

◇

 

 灰色の波が騒めきをあげ、打ち寄せるたびに泡立つ。

 冷たい風が容赦なく吹きつけ、遠くからは、低く唸るような海の咆哮が聞こえた。

 ――塩と血と泥に塗れながら、藻に滑る黒い岩を這い上がる。

 吐く息は未だ白く、肺の奥からは腐臭が滲む。

 何度、太陽が沈むのを見届けたのだろう。

 何度、大型魚類の襲撃を受けたことだろう。

 ――何度、諦めかけたことだろう。

 

 それでも。

 

「――生き、残った……ッ!」

 

 遠く見える、霧と山林。

 薄暗くとも、確かに見える――本物の陸と空。

 青くもなく、温かくもない。

 けれど、あの収容施設にも戦場にもなかった景色。

 我ながら、何という執念か。

 時間にして、およそ三週間。

 距離にして、約一千キロ。

 極寒の南極から、南アメリカ最南端までの距離を――独り泳ぎ切ったのである。

 

◇

 

2017.10.06 UTC / 南アメリカ・フエゴ島

 

 最初に見つけた獲物は、群れからはぐれた若いアシカだった。

 岩場の陰で身を休めていたそれは、近付くオレに気づいて身じろぎする。

 だが、逃げ出すには遅すぎた。

 もつれる脚で地を蹴り、オレはほとんど倒れ込むように飛びかかった。

 牙が喉元に届く。

 暴れる力は決して弱くなかったが、長くは続かなかった。

 

「フゥーッ……ハァーッ……!」

 

 瑞々しい、狩ったばかりの獲物の肉に齧り付く。

 体液を、脂を、貪るように啜る。

 毛皮に包まれた腹の底から、乾いた飢えが満たされていく。

 再生魔術で限界まで酷使され、骨すら痩せこけた肉体に、熱が戻る。

 血が巡り、筋肉が鳴る。

 死にかけていた体が、その重さを取り戻していくのが自分でも分かった。

 魔力回路さえ動かせれば、この肉体は稼働してくれる。

 

 調子が戻ってきたことを確認したオレが始めたのは――旅だった。

 この地で最後まで朽ちるという選択も、悪くはなかったはずだ。

 理想には遠くとも、安寧に近いものはあった。

 だがオレは、ただ歩いた。

 具体的な理由もなく、目的もなく。

 

 ……それでも、どこかで「呼ばれている」と感じていた。

 なにかが、オレを導こうとしている。

 そんな確信に似た感覚が、心のどこかに根を張っていた。

 

◇

 

2018.01.25 UTC / ボリビア・ウユニ塩湖

 

 再び海を渡り、高原を走り、山を越えていく。

 空気は薄くなり、呼吸は苦しさを増す。

 それでも、息すら凍り付くようなあの白い大地よりは何倍もマシだった。

 死がこびり付いたように重苦しい灰色の穴蔵よりは、何十倍もマシだった。

 

 ただ、何かずっと違和感があった。

 過ぎゆく景色――雄大な山、深い海、果てしない空。

 遺伝子に刻まれた「夢で見た世界」と、それは似ているようで何かが違っていた。

 世界とは、もっと煩雑で騒めいていたような気がしたのだが。

 

 その疑問に答えを出せぬまま、オレが辿り着いたのは――

 

「なンだ、こりゃあ……」

 

 まるで、巨大な鏡のような世界だった。

 空と地面が、まったく同じ色で繋がっている。

 塩に覆われた大地に薄く水が張り、空を映していた。

 湖に似ているが、何もかもが違う。

 上下の境界が消失したその光景は、まるでこの世が一枚の巨大な鏡になったかのよう。

 あまりの光景に圧倒され、呆然としたまま歩み出す。

 足元の水面が波紋を描き、空の中に沈んでいくような錯覚を起こした。

 

 そして――

 その「鏡」の中心で、オレは見た。

 乾いた塩の上に刻まれた、儀式の残り香。

 中央にぽつりと残された、魔力の籠もった金色の杯。

 魔術の、痕跡。

 

 その特大の「異常」が、呆然としていたオレの意識を現実に引き戻した。

 ようやく、「違和感」の正体に気がつく。

 そうだ。この世界において、そんなことがあり得るはずがなかったのだ。

 

「オレはこの旅路で、一度も『人間』と遭遇していない……ッ!?」

 

◇

 

「――ぎ、ああああっ!?」

 

 突如として、オレは背に走った熱と痛みにおののく。

 咄嗟に体を捻り、オレは水面に映る己の像を見下ろす。

 鏡に映るオレの背には、血のように赤い「刻印」があった。

 脳裏に浮かんだのは、あの魔術師どもの会話の断片。

 「聖杯戦争」。

 この刻印こそは、その「参加資格」なのだと、理解してしまったのだ。

 

「――然り。此方の背に浮かびしは、残照にして兆しなり」

 

 どこからか、何者かの声が響く。

 まるで感情の波が無いような、どこまでも無機質な声だった。

 驚いて顔を上げ、周囲を見渡す。……誰もいない。

 

「此の身は――此方と同じ地平に並ばず。空ならぬ空に、我が姿は在る」

 

 空ならぬ、空?

 ……まさか、いや、そんな……

 オレは視線を下げ、水面を見た。

 

「うォあぁアあぁッ!?」

 

 思わず、驚愕に跳び上がる。

 金色の杯を挟み、鏡面に――巨大な「緑色の竜」が映っていたのだ。

 

◇

 

 竜は語った。

 かつてこの地――南アメリカで行われた、「亜種聖杯戦争」のことを。

 優勝した者の願いを叶える、魔術師たちの壮絶な殺し合い。

 ――その「願い」が成就した結果、人類はすべて消滅してしまったのだという。

「地球環境を良くしたい」という願いを叶えるために、人類は全て「環境を再生させるための塵」となって消滅したらしい。

 

「は、はは……バカじゃねえの! 散々自然を使い潰しておいて、いざ自分が困る番となって――それを元に戻そうとしたら、自分たちが一番の邪魔者だってなったのかよ!」

 

 思わず、乾いた笑いが出る。ざまあみろ、だ。

 

「……だが、この世界の寿命は長くない。“行き詰まり”にして“過ち”と見做されしこの“枝”は、剪定される運命にある」

 

「――は?」

 

 頭が、真っ白になる。

 

 更に竜は語った。

 「並行世界」。オレたちが今いる世界と似た世界が、「隣」には無数に存在している。

 いわば、宇宙とは一本の巨木のようなものだという。

 そして、そこから無数に派生する枝葉――それがオレたちのいる、この世界。

 巨木を維持するために「少なくとも百年は伸び続ける可能性」を保つ「編纂事象」は残され、行き止まりと判断された不要な世界(えだ)は「剪定」されて消え去る。

 彼は、「世界の裏側」からその「無数の並行世界」を観察し、記録し続けてきたらしい。

 

「人類消滅で溢れた魔力は、荒れ地に新たな芽を齎すに足る。……されど、彼らが遺した機構は依然として走り続けている。百年も経たぬうちに、制御なき歯車は自壊しよう。――その崩壊は、世界に不可逆の傷跡を刻むに足る」

 

 つまり、人間は「彼らが管理していたシステム」を止めてから居なくなってくれたわけじゃない。

 遠くない未来で、それは破綻を迎える。

 魔術師たちの、理解を超えた技術を思い出す。

 それを止める知性を持つ者は、たった百年で現れはしない。

 数千年かけて、彼らは進化してその領域に至ったのだから。

 

 この世界は、存続しない。

 他の多くの世界と同じように、「剪定」されてしまう。

 この世界はなくなり、「隣にある世界」が――人間が頂点に立つ世界が続いていく。

 

「ふ、ふざけんなッ! そんなの……そんなのって、無いだろォ……!!」

 

 喉の奥からこぼれた吠え声は、風よりもか細かった。

 「隣の世界」でも、きっと「オレたち」は使い潰される。

 尊厳も、命も、踏みにじられたまま。

 死んで、また造られて、死に続ける――終わりなき連鎖。

 心のどこかに、「魔術師がオレを追わないのは、別のオレを作ればいいからだ」という負い目があった。

 オレが自由になっても、別の「オレ」が死に続けることに変わりはないと。

 

 だが、「人類が消滅した」と聞いたときその連鎖もなくなるのだと――無邪気に思い込んだ。

 しかし、それは違った。

 連鎖はきっと、終わらない。

 人類が続く限り。

 

「……此方の悲哀を――その憤怒を、肯定しよう」

 

 緑の竜は、静かにそう言った。

 

「此の身の底に震える焔も、起源を同じくするものである故に」

 

◇

 

 竜は、彼自身について語った。

 「幻想種」。

 伝説、神話に登場する――文字通り、ありえざるものたち。神秘の極致たる生命。

 

 人類が言語を持たなかった頃。

 彼らは「自然」を畏れ敬い、そこに「想像を超えた生物の姿」を見た。

 雷に竜を、うねる大河に蛇神を見出した。

 文明の数だけ紡がれた、「竜」の物語。

 

 彼こそは、その幻想の原典。

 人類が思い描いた、「原型存在」(プロト・ファンタズム)。

 名も持たぬ、「竜」という概念の雛型。

 

「されど、此の身は“ただ最も旧きもの”であるに過ぎず。かのアルビオンなどには、遠く及ばない……」

 

 彼は世界の裏側へ退き、観測者として在り続けた。

 中立を保ち、ただ記録し、干渉を戒めて。

 

「――“神秘”の価値が、道具のように貶められ始めるまでは」

 

 サーヴァントの召喚。

 それは本来、「世界」や「神」といった超自然存在の権能。

 一つのあまりにも巨大な敵に対して、最高クラスの神秘である「人類最強の七騎の英霊」を呼び出し、世界を救うための決戦術式。

 それを人間の都合で使えるように「格落ち」させ、利己的にアレンジしたものこそが「聖杯戦争」の召喚システム。

 多くの魔術師たちにとって、英霊たちは「願いを叶えるための使い魔」という認識でしかない。

 

 挙句の果てに「亜種聖杯戦争」なる小規模の儀式が乱立し始め――

 いつからか、「英霊の召喚」という極大の神秘は軽んじられるようになっていった。

 それは彼にとって、決して許容できないことであったのだ。

 

◇

 

 竜は言った。

 二年後、「大聖杯」を用いて再び聖杯戦争を起こすと。

 「人類」が一切介入できぬ「竜種のみ」の戦いを。

 

「力無き此の身も、サーヴァントの霊基を前提とすれば星の海にすら届きうる。運命に異を唱え、刃を向ける者として」

「で、でもよ……いや、言いたいことは山ほどあるが!」

 

 オレは叫んだ。

 

「“名前のない竜”なんて、そもそも呼びようがねぇだろ!?」

 

 竜は、わずかに瞼を伏せた。

 

「答えよう。もっともな疑念だ。……この鏡面に映る我が姿も、借り物の“殻”に過ぎない。原初の竜たる我が本質は、定義されざる神秘。故に――不特定多数の“竜”の名を、意志によって借りることができる」

 

 竜は言った。その名を呼べと。

 令呪を持ち、マスターに選ばれたオレが「錨」(アンカー)となり――

 この世界に、彼を引き出せと。

 オレが、それを望むのならば。

 

(……問われるまでも、ねえ)

 

 竜との対話は、オレの心の底にあったものを少しずつ掘り起こす作業だった。

 諦めて、蓋をして、見ないふりをしていたもの。

 それは、怒り。

 それは、復讐。

 「オレたち」から郷愁と望郷すら奪い去ろうとした、人類への怒りだった。

 

 強く意志を込め、鏡面の大地に吠える。

 水面が震え――亀裂を刻む。

 静寂に響く、鏡の砕ける音。

 

 そして。

 オレの目の前には、「答え」が立っていた。

 「リンドヴルム」。

 巨大な翼を携え、流星のごとく空を裂く蛇竜の姿。

 その瞳は、背後の空のように――どこまでも青く澄んでいた。

 竜は口を開き、詩のような言葉を紡ぐ。

 

「此処に、示すべき名がもう一つある。……“W-1”。それは名に非ず。単なる印に過ぎない。刻まれしその数列は、此方に与えられた檻そのものだ」

 

 それは、オレが「使い魔」だった時の識別名。

 キャスターは言った。「マスター」となるべき者には、それは相応しくないと。

 

「名は力。名は意思。名は、世界に楔を打つもの。――よって、此の身がこれを打ち直す。その名に血を与え、影に骨を与え、我が言霊で刻まん」

 

 竜は宣告した。オレの名前を。

「ダルグレイン」。

 影(dark)と、谷(glen)を意味する言葉の組み合わせ。

 

「此方が歩むのは、復讐という名の影の谷。それを超えた向こうには、必ず光がある。我らが歩むのは、尋常ならざる修羅の道。故に――名そのものが、此方の試練を表す。

この名こそが、此方に降りかかる艱難辛苦を背負う最初の楔であり……乗り越えるための、確かな灯火となるだろう」

 

◇

 

 それからの約二年の間、オレたちは準備を重ねていった。

 

 向かったのは、かつてオレたちを製造していた魔術師たちの巨大な拠点。

 その奥にあった蔵から「大聖杯」なるものを探し出し、キャスターはそれに「竜の因子」を埋め込み、加工した。

 これにより、この戦いに呼ばれるのは竜種のみとなった。

 加えて、「聖杯戦争には監督役が必要である」という命令を聖杯に刻み、八番目のクラスとしてルーラーのサーヴァントを呼び出させることに成功。

 

 そして、そのルーラーを――「原初の母」、ティアマトに定めた。

 触媒となったのは、キャスター自身。

 他の六騎は、マスターたちの縁に従って招かれる。

 加えて、この条件なら高確率で「悪竜現象」は発生し得る。

 

 そのファヴニールにティアマトの情報を教えれば、ほぼ確実に食いついてくる。

 そしてサーヴァントは、その逸話から昇華された宝具を持つことがある。

 ファヴニールの逸話は『父フレイズマルから、黄金だけでなく「エーギルの兜」をはじめとした複数の武具を奪い取った』というもの。

 ならば、ファヴニールも「宝具を奪う宝具」を持って召喚されるとキャスターは推測した。

 ルーラーへの攻撃はリスクが高すぎる。

 ならば、誰かがルーラーを狙うのを待てばいい。

 ましてや、ファヴニールがその宝具を奪ってくれたならば……

 キャスターはオレの「魂の殻」を被り――

 オレはキャスターの魔術により姿と宝具を借り受け、逆に令呪を受け渡した。

 強欲の竜たるファヴニールを敢えて呼び寄せ、そこで一度「死ぬ」ために。

 

 死を偽装し、姿を隠す。

 奴が、ティアマトに牙を剥くその瞬間まで。

 








たとえ私が死の陰の谷を歩もうとも、私は災いを恐れない。
あなたが私と共におられるから。
あなたの棍棒と杖が、私を慰めてくれる。

――旧約聖書 『詩編』23編4節
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