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2017.05.07 UTC / とある穴蔵 視点:狼
夢を、見ていた。
霧が立ち込める山林。
冷えた朝の空気に混じる、湿った苔の匂い。
遠くから聞こえる、山鳩の鳴き声。枝の掠れる音。
落ち葉が柔らかく積もった地面。視界を覆うほどの、雄大な木々。
全て、見てきたかのように思い出せる。
――「オレ」にとっては、全く見たことのない景色だったが。
いつか、隣にいる「オレ」にそのことを話したことがある。
そいつも、全く同じ景色を「見た」と言っていた。
それだけじゃない。群れの「オレ」たち全員が、同じ風景を記憶していた。
それだけが、オレたちにとっての慰めだった。
「生まれて」このかた、本物の空すら見たことのないオレたちの。
◇
それが、オレたちの「部隊」の名前だった。
かつて日本という土地に生息し、絶滅した「ニホンオオカミ」。
その剥製から採取されたDNAを基に、錬金術と降霊術の合わせ技で製造されたクローン。
オレを含めて百体のクローン個体が製造され、ある魔術師の使い魔として管理された。
当然、生身ではない。
オレたちの身体は、製造時に余計なものを取り出され、代わりに様々な機能が詰め込まれた。
大地を風のように駆ける肉体強化。
細胞を異常活性させ、損傷した肉体を即座に復元する「再生魔術」。
そして、魔術回路をオーバーロードさせて起こす――地形を抉るほどの呪詛を伴った「自爆」。
悪路を物ともせず踏破し、目標を執拗に追跡する。
足を折られようと、頭を抉られようと再生して走り続ける生物兵器。
それが、オレたちに与えられた役割だった。
オレは、その「部隊」……いや、「群れ」を率いるリーダーだった。
指揮官として、知能を引き上げられ、思考速度を強化された。
――群れを「最も効率よく死なせる」ために。
正確に指示を出し、的確なタイミングで「爆破」させるために。
それが、オレに与えられた「知性」の使い道だった。
◇
薄暗い訓練施設。
コンクリートの壁に反響する、無機質な脚音と心拍の鼓動。
複数の「オレ」に命令を出し、走るよう命じる。
そして、そのうち三体を「爆発」させる。
昨日、夢の話をした「オレ」も、その中にいた。
訓練を監督していた魔術師は、目を細めて笑っていた。
「上々だ」と。これで■■■■の連中に一泡吹かせてやれる、と。
減った分は、補充される。
何も知らず、本能に従い「群れのリーダー」たるオレに敬意を示す――オレと同じ顔の「新人」。
ここに、正気という言葉はきっと存在していなかった。
◇
2017.09.15 UTC / 南極
空は、見えなかった。
隙間から見上げても、ただ白いだけだった。
吹き荒ぶ雪が、空も地上も白く塗り潰していた。
氷原を走る鋼鉄の運搬車。その荷台に、オレたちは詰められていた。
……聖杯戦争、とやらに介入する■■■■という組織。
それに、オレたちの「主人」――ユグなんとか、という組織は敵対していたらしい。
そいつらのせいで、聖杯戦争を起こすのが妨害され続けたとか。
そのために、海を渡ってこのような極地にまで連れてこられたのだ。
身を護るのは、自らの脂肪と体毛、そして「再生魔術」だけ。
荷台を覆う布はあまりにも頼りなく、隙間から吹雪が突き刺さっていた。
寒さに吠えることも許されず、冷えきった車体に沈黙する。
耳鳴りのような風の音。
遠ざかっていくエンジン音。
命令は単純――進軍。攻撃。爆破。
オレはただ、歯を食いしばっていた。
全身が軋む。心臓が鳴る。
「再生魔術」の熱に包まれた肉体が、この地の冷気に焼かれていく。
雪に沈んだ前脚を踏み出すたび、足元が裂け、骨が鳴る。
そのたびに、後ろの「オレ」が同じ足音で追いついてくる。
九十九の「オレ」が、何百もの足音を響かせ、同じ雪を踏みしめていく。
前へ。
前へ。
前へ前へ前へ前へ前へ前へ前へ前へ前へ。
前しかない。
この世界には、後ろも上もなかった。
目指すべきものも、救いも存在しない。
オレは吠えた。
血が滲むような咆哮。
それは命令であり、号令であり――
きっと、悲鳴だった。
そして。
頭目たるオレの声を合図に、群れは雪原に解き放たれた。
◇
雪原を轟音が揺らす。
爆風を裂いて乱れ飛ぶ、実弾と
ただ、前を向いて突っ走る。
「オレ」が一匹、爆破の直前で風の魔術に吹き飛ばされた。
海岸が、そこにいた黒い鳥類の群れごと抉れる。
更に一匹の「オレ」が誘爆し、もはや鳥の群れは地表から消滅した。
百や千どころか、万に届くほどの大量の命が無為に散ったと、脳の片隅で理解していても――それは、止まる理由にはならなかった。
ただ、前に進みながら指令を出し続ける。
……しばらくして、敵の攻撃の向きが定まり始めたことに気づく。
オレが司令塔であると、向こうに勘づかれたのだ。
走りながらも他の「オレ」に指示を出し、攻撃を庇わせる。
特殊な銃弾が使われているのか、何体かの「オレ」は倒れたまま立ち上がらなかった。
――本来なら、それが当然のはずなのだが。
執拗に迫りくる攻撃に、遂にオレの脚は機能を停止する。
そして、爆風を貫いて放たれた弾丸が、過たず脳を撃ち抜いた。
……だが、その魔術を帯びた弾丸と、「それでも再生しようとする脳」は、何らかの誤作動を引き起こした。
――カチリ、という
次の瞬間。
オレを除く「群れ」のすべてが、一斉に自爆した。
一匹でも地面を大きく抉るほどの爆発が、数十体同時に引き起こされる。
戦場は、一気に凄まじい混沌に満ちた。
◇
気がつくと、オレは海の中にいた。
全身を刺す、死の冷水。
――その冷たさが、記憶と意識を呼び覚ます。
オレは爆風に吹き飛ばされ、その果てに海へと落ちたのだ。
頭部は――再生されている。もはや傷はない。
そして何より、あの魔術師との「繋がり」が切れていると直感した。
脳を抉った銃弾と、それに込められた魔術の影響だろうか。
だが、そんな細かいことはどうでもいい。
重要なのは、今オレは「自由」への分水嶺にいるということだった。
遠くに見える、混沌の戦場。
誰もオレなんかを見る者はいない。
群れが全滅した以上、司令塔を探したところで意味がないからだ。
周囲には、あの爆発で散った海鳥の肉片が浮かんでいた。
急いでいくつかを噛み砕き、わずかな栄養を補給する。
そして、遠泳を開始した。
目指すのは、「海の向こうにある、別の陸」。
どれだけ遠いかなど、想像もつかない。
ただ、それだけ泳げば、きっと追いつかれはしない……そうに違いない。
そんな願望めいた思いだけが、胸にあった。
失われていく体温と体力を、「再生魔術」によって補い続ける。
時に魚を喰らい、飛来した海鳥を噛み千切り。
強化された肉体だけを頼りに――ただ、必死に泳ぎ続けた。
◇
灰色の波が騒めきをあげ、打ち寄せるたびに泡立つ。
冷たい風が容赦なく吹きつけ、遠くからは、低く唸るような海の咆哮が聞こえた。
――塩と血と泥に塗れながら、藻に滑る黒い岩を這い上がる。
吐く息は未だ白く、肺の奥からは腐臭が滲む。
何度、太陽が沈むのを見届けたのだろう。
何度、大型魚類の襲撃を受けたことだろう。
――何度、諦めかけたことだろう。
それでも。
「――生き、残った……ッ!」
遠く見える、霧と山林。
薄暗くとも、確かに見える――本物の陸と空。
青くもなく、温かくもない。
けれど、あの収容施設にも戦場にもなかった景色。
我ながら、何という執念か。
時間にして、およそ三週間。
距離にして、約一千キロ。
極寒の南極から、南アメリカ最南端までの距離を――独り泳ぎ切ったのである。
◇
2017.10.06 UTC / 南アメリカ・フエゴ島
最初に見つけた獲物は、群れからはぐれた若いアシカだった。
岩場の陰で身を休めていたそれは、近付くオレに気づいて身じろぎする。
だが、逃げ出すには遅すぎた。
もつれる脚で地を蹴り、オレはほとんど倒れ込むように飛びかかった。
牙が喉元に届く。
暴れる力は決して弱くなかったが、長くは続かなかった。
「フゥーッ……ハァーッ……!」
瑞々しい、狩ったばかりの獲物の肉に齧り付く。
体液を、脂を、貪るように啜る。
毛皮に包まれた腹の底から、乾いた飢えが満たされていく。
再生魔術で限界まで酷使され、骨すら痩せこけた肉体に、熱が戻る。
血が巡り、筋肉が鳴る。
死にかけていた体が、その重さを取り戻していくのが自分でも分かった。
魔力回路さえ動かせれば、この肉体は稼働してくれる。
調子が戻ってきたことを確認したオレが始めたのは――旅だった。
この地で最後まで朽ちるという選択も、悪くはなかったはずだ。
理想には遠くとも、安寧に近いものはあった。
だがオレは、ただ歩いた。
具体的な理由もなく、目的もなく。
……それでも、どこかで「呼ばれている」と感じていた。
なにかが、オレを導こうとしている。
そんな確信に似た感覚が、心のどこかに根を張っていた。
◇
2018.01.25 UTC / ボリビア・ウユニ塩湖
再び海を渡り、高原を走り、山を越えていく。
空気は薄くなり、呼吸は苦しさを増す。
それでも、息すら凍り付くようなあの白い大地よりは何倍もマシだった。
死がこびり付いたように重苦しい灰色の穴蔵よりは、何十倍もマシだった。
ただ、何かずっと違和感があった。
過ぎゆく景色――雄大な山、深い海、果てしない空。
遺伝子に刻まれた「夢で見た世界」と、それは似ているようで何かが違っていた。
世界とは、もっと煩雑で騒めいていたような気がしたのだが。
その疑問に答えを出せぬまま、オレが辿り着いたのは――
「なンだ、こりゃあ……」
まるで、巨大な鏡のような世界だった。
空と地面が、まったく同じ色で繋がっている。
塩に覆われた大地に薄く水が張り、空を映していた。
湖に似ているが、何もかもが違う。
上下の境界が消失したその光景は、まるでこの世が一枚の巨大な鏡になったかのよう。
あまりの光景に圧倒され、呆然としたまま歩み出す。
足元の水面が波紋を描き、空の中に沈んでいくような錯覚を起こした。
そして――
その「鏡」の中心で、オレは見た。
乾いた塩の上に刻まれた、儀式の残り香。
中央にぽつりと残された、魔力の籠もった金色の杯。
魔術の、痕跡。
その特大の「異常」が、呆然としていたオレの意識を現実に引き戻した。
ようやく、「違和感」の正体に気がつく。
そうだ。この世界において、そんなことがあり得るはずがなかったのだ。
「オレはこの旅路で、一度も『人間』と遭遇していない……ッ!?」
◇
「――ぎ、ああああっ!?」
突如として、オレは背に走った熱と痛みにおののく。
咄嗟に体を捻り、オレは水面に映る己の像を見下ろす。
鏡に映るオレの背には、血のように赤い「刻印」があった。
脳裏に浮かんだのは、あの魔術師どもの会話の断片。
「聖杯戦争」。
この刻印こそは、その「参加資格」なのだと、理解してしまったのだ。
「――然り。此方の背に浮かびしは、残照にして兆しなり」
どこからか、何者かの声が響く。
まるで感情の波が無いような、どこまでも無機質な声だった。
驚いて顔を上げ、周囲を見渡す。……誰もいない。
「此の身は――此方と同じ地平に並ばず。空ならぬ空に、我が姿は在る」
空ならぬ、空?
……まさか、いや、そんな……
オレは視線を下げ、水面を見た。
「うォあぁアあぁッ!?」
思わず、驚愕に跳び上がる。
金色の杯を挟み、鏡面に――巨大な「緑色の竜」が映っていたのだ。
◇
竜は語った。
かつてこの地――南アメリカで行われた、「亜種聖杯戦争」のことを。
優勝した者の願いを叶える、魔術師たちの壮絶な殺し合い。
――その「願い」が成就した結果、人類はすべて消滅してしまったのだという。
「地球環境を良くしたい」という願いを叶えるために、人類は全て「環境を再生させるための塵」となって消滅したらしい。
「は、はは……バカじゃねえの! 散々自然を使い潰しておいて、いざ自分が困る番となって――それを元に戻そうとしたら、自分たちが一番の邪魔者だってなったのかよ!」
思わず、乾いた笑いが出る。ざまあみろ、だ。
「……だが、この世界の寿命は長くない。“行き詰まり”にして“過ち”と見做されしこの“枝”は、剪定される運命にある」
「――は?」
頭が、真っ白になる。
更に竜は語った。
「並行世界」。オレたちが今いる世界と似た世界が、「隣」には無数に存在している。
いわば、宇宙とは一本の巨木のようなものだという。
そして、そこから無数に派生する枝葉――それがオレたちのいる、この世界。
巨木を維持するために「少なくとも百年は伸び続ける可能性」を保つ「編纂事象」は残され、行き止まりと判断された不要な
彼は、「世界の裏側」からその「無数の並行世界」を観察し、記録し続けてきたらしい。
「人類消滅で溢れた魔力は、荒れ地に新たな芽を齎すに足る。……されど、彼らが遺した機構は依然として走り続けている。百年も経たぬうちに、制御なき歯車は自壊しよう。――その崩壊は、世界に不可逆の傷跡を刻むに足る」
つまり、人間は「彼らが管理していたシステム」を止めてから居なくなってくれたわけじゃない。
遠くない未来で、それは破綻を迎える。
魔術師たちの、理解を超えた技術を思い出す。
それを止める知性を持つ者は、たった百年で現れはしない。
数千年かけて、彼らは進化してその領域に至ったのだから。
この世界は、存続しない。
他の多くの世界と同じように、「剪定」されてしまう。
この世界はなくなり、「隣にある世界」が――人間が頂点に立つ世界が続いていく。
「ふ、ふざけんなッ! そんなの……そんなのって、無いだろォ……!!」
喉の奥からこぼれた吠え声は、風よりもか細かった。
「隣の世界」でも、きっと「オレたち」は使い潰される。
尊厳も、命も、踏みにじられたまま。
死んで、また造られて、死に続ける――終わりなき連鎖。
心のどこかに、「魔術師がオレを追わないのは、別のオレを作ればいいからだ」という負い目があった。
オレが自由になっても、別の「オレ」が死に続けることに変わりはないと。
だが、「人類が消滅した」と聞いたときその連鎖もなくなるのだと――無邪気に思い込んだ。
しかし、それは違った。
連鎖はきっと、終わらない。
人類が続く限り。
「……此方の悲哀を――その憤怒を、肯定しよう」
緑の竜は、静かにそう言った。
「此の身の底に震える焔も、起源を同じくするものである故に」
◇
竜は、彼自身について語った。
「幻想種」。
伝説、神話に登場する――文字通り、ありえざるものたち。神秘の極致たる生命。
人類が言語を持たなかった頃。
彼らは「自然」を畏れ敬い、そこに「想像を超えた生物の姿」を見た。
雷に竜を、うねる大河に蛇神を見出した。
文明の数だけ紡がれた、「竜」の物語。
彼こそは、その幻想の原典。
人類が思い描いた、
名も持たぬ、「竜」という概念の雛型。
「されど、此の身は“ただ最も旧きもの”であるに過ぎず。かのアルビオンなどには、遠く及ばない……」
彼は世界の裏側へ退き、観測者として在り続けた。
中立を保ち、ただ記録し、干渉を戒めて。
「――“神秘”の価値が、道具のように貶められ始めるまでは」
サーヴァントの召喚。
それは本来、「世界」や「神」といった超自然存在の権能。
一つのあまりにも巨大な敵に対して、最高クラスの神秘である「人類最強の七騎の英霊」を呼び出し、世界を救うための決戦術式。
それを人間の都合で使えるように「格落ち」させ、利己的にアレンジしたものこそが「聖杯戦争」の召喚システム。
多くの魔術師たちにとって、英霊たちは「願いを叶えるための使い魔」という認識でしかない。
挙句の果てに「亜種聖杯戦争」なる小規模の儀式が乱立し始め――
いつからか、「英霊の召喚」という極大の神秘は軽んじられるようになっていった。
それは彼にとって、決して許容できないことであったのだ。
◇
竜は言った。
二年後、「大聖杯」を用いて再び聖杯戦争を起こすと。
「人類」が一切介入できぬ「竜種のみ」の戦いを。
「力無き此の身も、サーヴァントの霊基を前提とすれば星の海にすら届きうる。運命に異を唱え、刃を向ける者として」
「で、でもよ……いや、言いたいことは山ほどあるが!」
オレは叫んだ。
「“名前のない竜”なんて、そもそも呼びようがねぇだろ!?」
竜は、わずかに瞼を伏せた。
「答えよう。もっともな疑念だ。……この鏡面に映る我が姿も、借り物の“殻”に過ぎない。原初の竜たる我が本質は、定義されざる神秘。故に――不特定多数の“竜”の名を、意志によって借りることができる」
竜は言った。その名を呼べと。
令呪を持ち、マスターに選ばれたオレが
この世界に、彼を引き出せと。
オレが、それを望むのならば。
(……問われるまでも、ねえ)
竜との対話は、オレの心の底にあったものを少しずつ掘り起こす作業だった。
諦めて、蓋をして、見ないふりをしていたもの。
それは、怒り。
それは、復讐。
「オレたち」から郷愁と望郷すら奪い去ろうとした、人類への怒りだった。
強く意志を込め、鏡面の大地に吠える。
水面が震え――亀裂を刻む。
静寂に響く、鏡の砕ける音。
そして。
オレの目の前には、「答え」が立っていた。
「リンドヴルム」。
巨大な翼を携え、流星のごとく空を裂く蛇竜の姿。
その瞳は、背後の空のように――どこまでも青く澄んでいた。
竜は口を開き、詩のような言葉を紡ぐ。
「此処に、示すべき名がもう一つある。……“W-1”。それは名に非ず。単なる印に過ぎない。刻まれしその数列は、此方に与えられた檻そのものだ」
それは、オレが「使い魔」だった時の識別名。
キャスターは言った。「マスター」となるべき者には、それは相応しくないと。
「名は力。名は意思。名は、世界に楔を打つもの。――よって、此の身がこれを打ち直す。その名に血を与え、影に骨を与え、我が言霊で刻まん」
竜は宣告した。オレの名前を。
「ダルグレイン」。
「此方が歩むのは、復讐という名の影の谷。それを超えた向こうには、必ず光がある。我らが歩むのは、尋常ならざる修羅の道。故に――名そのものが、此方の試練を表す。
この名こそが、此方に降りかかる艱難辛苦を背負う最初の楔であり……乗り越えるための、確かな灯火となるだろう」
◇
それからの約二年の間、オレたちは準備を重ねていった。
向かったのは、かつてオレたちを製造していた魔術師たちの巨大な拠点。
その奥にあった蔵から「大聖杯」なるものを探し出し、キャスターはそれに「竜の因子」を埋め込み、加工した。
これにより、この戦いに呼ばれるのは竜種のみとなった。
加えて、「聖杯戦争には監督役が必要である」という命令を聖杯に刻み、八番目のクラスとしてルーラーのサーヴァントを呼び出させることに成功。
そして、そのルーラーを――「原初の母」、ティアマトに定めた。
触媒となったのは、キャスター自身。
他の六騎は、マスターたちの縁に従って招かれる。
加えて、この条件なら高確率で「悪竜現象」は発生し得る。
そのファヴニールにティアマトの情報を教えれば、ほぼ確実に食いついてくる。
そしてサーヴァントは、その逸話から昇華された宝具を持つことがある。
ファヴニールの逸話は『父フレイズマルから、黄金だけでなく「エーギルの兜」をはじめとした複数の武具を奪い取った』というもの。
ならば、ファヴニールも「宝具を奪う宝具」を持って召喚されるとキャスターは推測した。
ルーラーへの攻撃はリスクが高すぎる。
ならば、誰かがルーラーを狙うのを待てばいい。
ましてや、ファヴニールがその宝具を奪ってくれたならば……
キャスターはオレの「魂の殻」を被り――
オレはキャスターの魔術により姿と宝具を借り受け、逆に令呪を受け渡した。
強欲の竜たるファヴニールを敢えて呼び寄せ、そこで一度「死ぬ」ために。
死を偽装し、姿を隠す。
奴が、ティアマトに牙を剥くその瞬間まで。
たとえ私が死の陰の谷を歩もうとも、私は災いを恐れない。
あなたが私と共におられるから。
あなたの棍棒と杖が、私を慰めてくれる。
――旧約聖書 『詩編』23編4節