Fate/Draco―蛇竜王戦線―   作:ぴーらー

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第27話:影の谷を往く

2017.05.07 UTC / とある穴蔵 視点:狼

 

 夢を、見ていた。

 霧が立ち込める山林。

 冷えた朝の空気に混じる、湿った苔の匂い。

 遠くから聞こえる、山鳩の鳴き声。枝の掠れる音。

 落ち葉が柔らかく積もった地面。視界を覆うほどの、雄大な木々。

 全て、見てきたかのように思い出せる。

 

 ――「オレ」にとっては、全く見たことのない景色だったが。

 いつか、隣にいる「オレ」にそのことを話したことがある。

 そいつも、全く同じ景色を「見た」と言っていた。

 それだけじゃない。群れの「オレ」たち全員が、同じ風景を記憶していた。

 それだけが、オレたちにとっての慰めだった。

 「生まれて」このかた、本物の空すら見たことのないオレたちの。

 

 

 「赫咆」(レッドハウル)

 それが、オレたちの「部隊」の名前だった。

 かつて日本という土地に生息し、絶滅した「ニホンオオカミ」。

 その剥製から採取されたDNAを基に、錬金術と降霊術の合わせ技で製造されたクローン。

 オレを含めて百体のクローン個体が製造され、ある魔術師の使い魔として管理された。

 当然、生身ではない。

 オレたちの身体は、製造時に余計なものを取り出され、代わりに様々な機能が詰め込まれた。

 

 大地を風のように駆ける肉体強化。

 細胞を異常活性させ、損傷した肉体を即座に復元する「再生魔術」。

 そして、魔術回路をオーバーロードさせて起こす――地形を抉るほどの呪詛を伴った「自爆」。

 悪路を物ともせず踏破し、目標を執拗に追跡する。

 

 足を折られようと、頭を抉られようと再生して走り続ける生物兵器。

 それが、オレたちに与えられた役割だった。

 オレは、その「部隊」……いや、「群れ」を率いるリーダーだった。

 

 指揮官として、知能を引き上げられ、思考速度を強化された。

 ――群れを「最も効率よく死なせる」ために。

 正確に指示を出し、的確なタイミングで「爆破」させるために。

 それが、オレに与えられた「知性」の使い道だった。

 

 

 薄暗い訓練施設。

 コンクリートの壁に反響する、無機質な脚音と心拍の鼓動。

 複数の「オレ」に命令を出し、走るよう命じる。

 そして、そのうち三体を「爆発」させる。

 昨日、夢の話をした「オレ」も、その中にいた。

 

 訓練を監督していた魔術師は、目を細めて笑っていた。

 「上々だ」と。これで■■■■の連中に一泡吹かせてやれる、と。

 減った分は、補充される。

 何も知らず、本能に従い「群れのリーダー」たるオレに敬意を示す――オレと同じ顔の「新人」。

 

 ここに、正気という言葉はきっと存在していなかった。

 

 

2017.09.15 UTC / 南極

 

 空は、見えなかった。

 隙間から見上げても、ただ白いだけだった。

 吹き荒ぶ雪が、空も地上も白く塗り潰していた。

 氷原を走る鋼鉄の運搬車。その荷台に、オレたちは詰められていた。

 

 ……聖杯戦争、とやらに介入する■■■■という組織。

 それに、オレたちの「主人」――ユグなんとか、という組織は敵対していたらしい。

 そいつらのせいで、聖杯戦争を起こすのが妨害され続けたとか。

 そのために、海を渡ってこのような極地にまで連れてこられたのだ。

 身を護るのは、自らの脂肪と体毛、そして「再生魔術」だけ。

 荷台を覆う布はあまりにも頼りなく、隙間から吹雪が突き刺さっていた。

 寒さに吠えることも許されず、冷えきった車体に沈黙する。

 

 耳鳴りのような風の音。

 遠ざかっていくエンジン音。

 命令は単純――進軍。攻撃。爆破。

 オレはただ、歯を食いしばっていた。

 全身が軋む。心臓が鳴る。

 「再生魔術」の熱に包まれた肉体が、この地の冷気に焼かれていく。

 雪に沈んだ前脚を踏み出すたび、足元が裂け、骨が鳴る。

 そのたびに、後ろの「オレ」が同じ足音で追いついてくる。

 九十九の「オレ」が、何百もの足音を響かせ、同じ雪を踏みしめていく。

 

 前へ。

 前へ。

 前へ前へ前へ前へ前へ前へ前へ前へ前へ。

 前しかない。

 

 この世界には、後ろも上もなかった。

 目指すべきものも、救いも存在しない。

 オレは吠えた。

 血が滲むような咆哮。

 それは命令であり、号令であり――

 きっと、悲鳴だった。

 そして。

 頭目たるオレの声を合図に、群れは雪原に解き放たれた。

 

 

 雪原を轟音が揺らす。

 爆風を裂いて乱れ飛ぶ、実弾と魔弾(ガンド)

 ただ、前を向いて突っ走る。

 

 「オレ」が一匹、爆破の直前で風の魔術に吹き飛ばされた。

 海岸が、そこにいた黒い鳥類の群れごと抉れる。

 更に一匹の「オレ」が誘爆し、もはや鳥の群れは地表から消滅した。

 百や千どころか、万に届くほどの大量の命が無為に散ったと、脳の片隅で理解していても――それは、止まる理由にはならなかった。

 

 ただ、前に進みながら指令を出し続ける。

 ……しばらくして、敵の攻撃の向きが定まり始めたことに気づく。

 オレが司令塔であると、向こうに勘づかれたのだ。

 走りながらも他の「オレ」に指示を出し、攻撃を庇わせる。

 特殊な銃弾が使われているのか、何体かの「オレ」は倒れたまま立ち上がらなかった。

 ――本来なら、それが当然のはずなのだが。

 

 執拗に迫りくる攻撃に、遂にオレの脚は機能を停止する。

 そして、爆風を貫いて放たれた弾丸が、過たず脳を撃ち抜いた。

 ……だが、その魔術を帯びた弾丸と、「それでも再生しようとする脳」は、何らかの誤作動を引き起こした。

 

 ――カチリ、という幻聴(おと)が耳の奥で響く。

 次の瞬間。

 オレを除く「群れ」のすべてが、一斉に自爆した。

 一匹でも地面を大きく抉るほどの爆発が、数十体同時に引き起こされる。

 戦場は、一気に凄まじい混沌に満ちた。

 

 

 気がつくと、オレは海の中にいた。

 全身を刺す、死の冷水。

 

 ――その冷たさが、記憶と意識を呼び覚ます。

 オレは爆風に吹き飛ばされ、その果てに海へと落ちたのだ。

 頭部は――再生されている。もはや傷はない。

 そして何より、あの魔術師との「繋がり」が切れていると直感した。

 脳を抉った銃弾と、それに込められた魔術の影響だろうか。

 

 だが、そんな細かいことはどうでもいい。

 重要なのは、今オレは「自由」への分水嶺にいるということだった。

 遠くに見える、混沌の戦場。

 誰もオレなんかを見る者はいない。

 群れが全滅した以上、司令塔を探したところで意味がないからだ。

 周囲には、あの爆発で散った海鳥の肉片が浮かんでいた。

 急いでいくつかを噛み砕き、わずかな栄養を補給する。

 

 そして、遠泳を開始した。

 目指すのは、「海の向こうにある、別の陸」。

 どれだけ遠いかなど、想像もつかない。

 ただ、それだけ泳げば、きっと追いつかれはしない……そうに違いない。

 そんな願望めいた思いだけが、胸にあった。

 失われていく体温と体力を、「再生魔術」によって補い続ける。

 時に魚を喰らい、飛来した海鳥を噛み千切り。

 

 強化された肉体だけを頼りに――ただ、必死に泳ぎ続けた。

 

 

 灰色の波が騒めきをあげ、打ち寄せるたびに泡立つ。

 冷たい風が容赦なく吹きつけ、遠くからは、低く唸るような海の咆哮が聞こえた。

 ――塩と血と泥に塗れながら、藻に滑る黒い岩を這い上がる。

 吐く息は未だ白く、肺の奥からは腐臭が滲む。

 何度、太陽が沈むのを見届けたのだろう。

 何度、大型魚類の襲撃を受けたことだろう。

 ――何度、諦めかけたことだろう。

 

 それでも。

「――生き、残った……ッ!」

 

 遠く見える、霧と山林。

 薄暗くとも、確かに見える――本物の陸と空。

 青くもなく、温かくもない。

 けれど、あの収容施設にも戦場にもなかった景色。

 我ながら、何という執念か。

 時間にして、およそ三週間。

 距離にして、約一千キロ。

 極寒の南極から、南アメリカ最南端までの距離を――独り泳ぎ切ったのである。

 

 

2017.10.06 UTC / 南アメリカ・フエゴ島

 

 最初に見つけた獲物は、群れからはぐれた若いアシカだった。

 岩場の陰で身を休めていたそれは、近付くオレに気づいて身じろぎする。

 だが、逃げ出すには遅すぎた。

 もつれる脚で地を蹴り、オレはほとんど倒れ込むように飛びかかった。

 牙が喉元に届く。

 暴れる力は決して弱くなかったが、長くは続かなかった。

 

「フゥーッ……ハァーッ……!」

 瑞々しい、狩ったばかりの獲物の肉に齧り付く。

 体液を、脂を、貪るように啜る。

 毛皮に包まれた腹の底から、乾いた飢えが満たされていく。

 再生魔術で限界まで酷使され、骨すら痩せこけた肉体に、熱が戻る。

 血が巡り、筋肉が鳴る。

 死にかけていた体が、その重さを取り戻していくのが自分でも分かった。

 魔力回路さえ動かせれば、この肉体は稼働してくれる。

 

 調子が戻ってきたことを確認したオレが始めたのは――旅だった。

 この地で最後まで朽ちるという選択も、悪くはなかったはずだ。

 理想には遠くとも、安寧に近いものはあった。

 だがオレは、ただ歩いた。

 具体的な理由もなく、目的もなく。

 

 ……それでも、どこかで「呼ばれている」と感じていた。

 なにかが、オレを導こうとしている。

 そんな確信に似た感覚が、心のどこかに根を張っていた。

 

 

2018.01.25 UTC / ボリビア・ウユニ塩湖

 

 再び海を渡り、高原を走り、山を越えていく。

 空気は薄くなり、呼吸は苦しさを増す。

 それでも、息すら凍り付くようなあの白い大地よりは何倍もマシだった。

 死がこびり付いたように重苦しい灰色の穴蔵よりは、何十倍もマシだった。

 

 ただ、何かずっと違和感があった。

 過ぎゆく景色――雄大な山、深い海、果てしない空。

 遺伝子に刻まれた「夢で見た世界」と、それは似ているようで何かが違っていた。

 世界とは、もっと煩雑で騒めいていたような気がしたのだが。

 

 その疑問に答えを出せぬまま、オレが辿り着いたのは――

「なンだ、こりゃあ……」

 まるで、巨大な鏡のような世界だった。

 空と地面が、まったく同じ色で繋がっている。

 塩に覆われた大地に薄く水が張り、空を映していた。

 湖に似ているが、何もかもが違う。

 上下の境界が消失したその光景は、まるでこの世が一枚の巨大な鏡になったかのよう。

 あまりの光景に圧倒され、呆然としたまま歩み出す。

 足元の水面が波紋を描き、空の中に沈んでいくような錯覚を起こした。

 

 そして――

 その「鏡」の中心で、オレは見た。

 乾いた塩の上に刻まれた、儀式の残り香。

 中央にぽつりと残された、魔力の籠もった金色の杯。

 魔術の、痕跡。

 

 その特大の「異常」が、呆然としていたオレの意識を現実に引き戻した。

 ようやく、「違和感」の正体に気がつく。

 そうだ。この世界において、そんなことがあり得るはずがなかったのだ。

 

「オレはこの旅路で、一度も『人間』と遭遇していない……ッ!?」

 

 

「――ぎ、ああああっ!?」

 突如として、オレは背に走った熱と痛みにおののく。

 咄嗟に体を捻り、オレは水面に映る己の像を見下ろす。

 鏡に映るオレの背には、血のように赤い「刻印」があった。

 脳裏に浮かんだのは、あの魔術師どもの会話の断片。

 「聖杯戦争」。

 この刻印こそは、その「参加資格」なのだと、理解してしまったのだ。

 

「――然り。此方の背に浮かびしは、残照にして兆しなり」

 

 どこからか、何者かの声が響く。

 まるで感情の波が無いような、どこまでも無機質な声だった。

 驚いて顔を上げ、周囲を見渡す。……誰もいない。

 

「此の身は――此方と同じ地平に並ばず。空ならぬ空に、我が姿は在る」

 

 空ならぬ、空?

 ……まさか、いや、そんな……

 オレは視線を下げ、水面を見た。

 

「うォあぁアあぁッ!?」

 思わず、驚愕に跳び上がる。

 金色の杯を挟み、鏡面に――巨大な「緑色の竜」が映っていたのだ。

 

 

 竜は語った。

 かつてこの地――南アメリカで行われた、「亜種聖杯戦争」のことを。

 優勝した者の願いを叶える、魔術師たちの壮絶な殺し合い。

 ――その「願い」が成就した結果、人類はすべて消滅してしまったのだという。

「地球環境を良くしたい」という願いを叶えるために、人類は全て「環境を再生させるための塵」となって消滅したらしい。

 

「は、はは……バカじゃねえの! 散々自然を使い潰しておいて、いざ自分が困る番となって――それを元に戻そうとしたら、自分たちが一番の邪魔者だってなったのかよ!」

 思わず、乾いた笑いが出る。ざまあみろ、だ。

 

「……だが、この世界の寿命は長くない。“行き詰まり”にして“過ち”と見做されしこの“枝”は、剪定される運命にある」

 

「――は?」

 頭が、真っ白になる。

 

 更に竜は語った。

 「並行世界」。オレたちが今いる世界と似た世界が、「隣」には無数に存在している。

 いわば、宇宙とは一本の巨木のようなものだという。

 そして、そこから無数に派生する枝葉――それがオレたちのいる、この世界。

 巨木を維持するために「少なくとも百年は伸び続ける可能性」を保つ「編纂事象」は残され、行き止まりと判断された不要な世界(えだ)は「剪定」されて消え去る。

 彼は、「世界の裏側」からその「無数の並行世界」を観察し、記録し続けてきたらしい。

 

「人類消滅で溢れた魔力は、荒れ地に新たな芽を齎すに足る。……されど、彼らが遺した機構は依然として走り続けている。百年も経たぬうちに、制御なき歯車は自壊しよう。――その崩壊は、世界に不可逆の傷跡を刻むに足る」

 

 つまり、人間は「彼らが管理していたシステム」を止めてから居なくなってくれたわけじゃない。

 遠くない未来で、それは破綻を迎える。

 魔術師たちの、理解を超えた技術を思い出す。

 それを止める知性を持つ者は、たった百年で現れはしない。

 数千年かけて、彼らは進化してその領域に至ったのだから。

 

 この世界は、存続しない。

 他の多くの世界と同じように、「剪定」されてしまう。

 この世界はなくなり、「隣にある世界」が――人間が頂点に立つ世界が続いていく。

 

「ふ、ふざけんなッ! そんなの……そんなのって、無いだろォ……!!」

 

 喉の奥からこぼれた吠え声は、風よりもか細かった。

 「隣の世界」でも、きっと「オレたち」は使い潰される。

 尊厳も、命も、踏みにじられたまま。

 死んで、また造られて、死に続ける――終わりなき連鎖。

 心のどこかに、「魔術師がオレを追わないのは、別のオレを作ればいいからだ」という負い目があった。

 オレが自由になっても、別の「オレ」が死に続けることに変わりはないと。

 

 だが、「人類が消滅した」と聞いたときその連鎖もなくなるのだと――無邪気に思い込んだ。

 しかし、それは違った。

 連鎖はきっと、終わらない。

 人類が続く限り。

 

「……此方の悲哀を――その憤怒を、肯定しよう」

 緑の竜は、静かにそう言った。

 

「此の身の底に震える焔も、起源を同じくするものである故に」

 

 

 竜は、彼自身について語った。

 「幻想種」。

 伝説、神話に登場する――文字通り、ありえざるものたち。神秘の極致たる生命。

 

 人類が言語を持たなかった頃。

 彼らは「自然」を畏れ敬い、そこに「想像を超えた生物の姿」を見た。

 雷に竜を、うねる大河に蛇神を見出した。

 文明の数だけ紡がれた、「竜」の物語。

 

 彼こそは、その幻想の原典。

 人類が思い描いた、「原型存在」(プロト・ファンタズム)

 名も持たぬ、「竜」という概念の雛型。

 

「されど、此の身は“ただ最も旧きもの”であるに過ぎず。かのアルビオンなどには、遠く及ばない……」

 

 彼は世界の裏側へ退き、観測者として在り続けた。

 中立を保ち、ただ記録し、干渉を戒めて。

 

「――“神秘”の価値が、道具のように貶められ始めるまでは」

 

 サーヴァントの召喚。

 それは本来、「世界」や「神」といった超自然存在の権能。

 一つのあまりにも巨大な敵に対して、最高クラスの神秘である「人類最強の七騎の英霊」を呼び出し、世界を救うための決戦術式。

 それを人間の都合で使えるように「格落ち」させ、利己的にアレンジしたものこそが「聖杯戦争」の召喚システム。

 多くの魔術師たちにとって、英霊たちは「願いを叶えるための使い魔」という認識でしかない。

 

 挙句の果てに「亜種聖杯戦争」なる小規模の儀式が乱立し始め――

 いつからか、「英霊の召喚」という極大の神秘は軽んじられるようになっていった。

 それは彼にとって、決して許容できないことであったのだ。

 

 

 竜は言った。

 二年後、「大聖杯」を用いて再び聖杯戦争を起こすと。

 「人類」が一切介入できぬ「竜種のみ」の戦いを。

 

「力無き此の身も、サーヴァントの霊基を前提とすれば星の海にすら届きうる。運命に異を唱え、刃を向ける者として」

「で、でもよ……いや、言いたいことは山ほどあるが!」

 オレは叫んだ。

「“名前のない竜”なんて、そもそも呼びようがねぇだろ!?」

 竜は、わずかに瞼を伏せた。

「答えよう。もっともな疑念だ。……この鏡面に映る我が姿も、借り物の“殻”に過ぎない。原初の竜たる我が本質は、定義されざる神秘。故に――不特定多数の“竜”の名を、意志によって借りることができる」

 

 竜は言った。その名を呼べと。

 令呪を持ち、マスターに選ばれたオレが「錨」(アンカー)となり――

 この世界に、彼を引き出せと。

 オレが、それを望むのならば。

 

(……問われるまでも、ねえ)

 

 竜との対話は、オレの心の底にあったものを少しずつ掘り起こす作業だった。

 諦めて、蓋をして、見ないふりをしていたもの。

 それは、怒り。

 それは、復讐。

 「オレたち」から郷愁と望郷すら奪い去ろうとした、人類への怒りだった。

 

 強く意志を込め、鏡面の大地に吠える。

 水面が震え――亀裂を刻む。

 静寂に響く、鏡の砕ける音。

 

 そして。

 オレの目の前には、「答え」が立っていた。

 「リンドヴルム」。

 巨大な翼を携え、流星のごとく空を裂く蛇竜の姿。

 その瞳は、背後の空のように――どこまでも青く澄んでいた。

 竜は口を開き、詩のような言葉を紡ぐ。

 

「此処に、示すべき名がもう一つある。……“W-1”。それは名に非ず。単なる印に過ぎない。刻まれしその数列は、此方に与えられた檻そのものだ」

 

 それは、オレが「使い魔」だった時の識別名。

 キャスターは言った。「マスター」となるべき者には、それは相応しくないと。

 

「名は力。名は意思。名は、世界に楔を打つもの。――よって、此の身がこれを打ち直す。その名に血を与え、影に骨を与え、我が言霊で刻まん」

 

 竜は宣告した。オレの名前を。

「ダルグレイン」。

 (dark)と、(glen)を意味する言葉の組み合わせ。

 

「此方が歩むのは、復讐という名の影の谷。それを超えた向こうには、必ず光がある。我らが歩むのは、尋常ならざる修羅の道。故に――名そのものが、此方の試練を表す。

この名こそが、此方に降りかかる艱難辛苦を背負う最初の楔であり……乗り越えるための、確かな灯火となるだろう」

 

 

 それからの約二年の間、オレたちは準備を重ねていった。

 

 向かったのは、かつてオレたちを製造していた魔術師たちの巨大な拠点。

 その奥にあった蔵から「大聖杯」なるものを探し出し、キャスターはそれに「竜の因子」を埋め込み、加工した。

 これにより、この戦いに呼ばれるのは竜種のみとなった。

 加えて、「聖杯戦争には監督役が必要である」という命令を聖杯に刻み、八番目のクラスとしてルーラーのサーヴァントを呼び出させることに成功。

 

 そして、そのルーラーを――「原初の母」、ティアマトに定めた。

 触媒となったのは、キャスター自身。

 他の六騎は、マスターたちの縁に従って招かれる。

 加えて、この条件なら高確率で「悪竜現象」は発生し得る。

 

 そのファヴニールにティアマトの情報を教えれば、ほぼ確実に食いついてくる。

 そしてサーヴァントは、その逸話から昇華された宝具を持つことがある。

 ファヴニールの逸話は『父フレイズマルから、黄金だけでなく「エーギルの兜」をはじめとした複数の武具を奪い取った』というもの。

 ならば、ファヴニールも「宝具を奪う宝具」を持って召喚されるとキャスターは推測した。

 ルーラーへの攻撃はリスクが高すぎる。

 ならば、誰かがルーラーを狙うのを待てばいい。

 ましてや、ファヴニールがその宝具を奪ってくれたならば……

 キャスターはオレの「魂の殻」を被り――

 オレはキャスターの魔術により姿と宝具を借り受け、逆に令呪を受け渡した。

 強欲の竜たるファヴニールを敢えて呼び寄せ、そこで一度「死ぬ」ために。

 

 死を偽装し、姿を隠す。

 奴が、ティアマトに牙を剥くその瞬間まで。









たとえ私が死の陰の谷を歩もうとも、私は災いを恐れない。
あなたが私と共におられるから。
あなたの棍棒と杖が、私を慰めてくれる。

――旧約聖書 『詩編』23編4節
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