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2020.04.03 07:23 UTC / 固有結界内
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あくまで平静を保ち、キャスターは目の前の状況を解析する。
固有結界の発動者は、アサシンではなくそのマスター、ユキネだった。
(確かに、猫という種は他の動物と比べれば……わずかだが超常的能力を持つことはある。しかし、これは……!)
彼女の「夢歩き」という異能自体は、並行世界の観測データから知っていた。サーヴァントの魔力と一体になり、補うことで大魔術を発動したと考えれば納得はできる。
この具現化された心象風景は、きっとユキネと大蛇が共に心に刻んだ景色なのだろう……と。
キャスターは、知る由もないことだが。
アサシンは召喚直後、栄養失調のマスターに食事を与えていた。たっぷり水分を含んだ、己が「首」の一つを。
本人にその意図はなかったとしても、それは日本における魔術体系――即ち、神のカケラたる「神體」と同化する行いに他ならない。
数か月の精神世界における旅路を経て、遂に蕾は大輪となった。
◇
風と共に、花弁が舞う。
薄明と常闇が混じり合う、曖昧な空。八つの尾根と八つの谷が、果てしなく連なる原風景。
原始的で巨大な花々。遠くに見える簡素な村々と、あまりにも素朴な祈りの社殿。
人と神が「自然」の中で一体となって生きる、遥か過去に過ぎ去った幻想の地。
「人と自然」という、まるで「人と自然は別物である」とでも言うような区別そのものが、存在していなかった頃の世界。
だとしても――この「世界」はキャスターにとって、大いに感情を揺さぶられるものだった。
「この行いは……「故意」に依るものか?」
「……何のこと?」
アサシンは訝しみ、質問に質問で返す。それは煽りではなく、純粋な疑問として投げかけられた声だった。
キャスターの双眸がかすかに揺らぎ、すぐさま激しい光を宿す。
「……故意かと、訊いているのだ!」
咆哮と共に、激しい魔力が躍る。
だが次の瞬間、彼はその激情を無理やり押し殺し、表情を無機質へと戻した。
咆哮と共に飛び来た衝撃波を切り払ったアサシンの頭部で、ユキネはその様子をじっと見ていた。
彼女は思う。キャスターの様子は、まるで無機質な仮面で、激情を無理やり押し殺しているようだと。
「中立であるための仮面を、自らに課している」かのように。
「ああ……そういうこと。そういえばある程度は聞いていたわ、貴方の本性」
アサシンの目が、まさに蛇のごとく冷たく細まる。
「――もしかして、「懐古」でも覚えたかしら?」
今度こそ、言葉は確実な棘を持って放たれた。
キャスターはその攻撃に、無言の魔弾という反撃をもって雄弁に返す。
ひらりと回避するアサシンの頭上から、ユキネは思わず問いかけた。
「……どういうこと? 敵にこうやって聞くのはおかしいかもだけど……何故、この光景に「怒り」を向ける必要があるの!?」
キャスターの視線が、ゆっくりとユキネに向く。
その表情は無機質なままであったが――視線は、彼女に対する嫌悪感を隠していなかった。
「此の身に問うか、小さきもの。無垢にして、人の手に歪められし獣よ。……此方自身に罪は無し。されど、その身に施されし愚行は、確かに我が憤怒に通ずる」
その言葉を聞き、アサシンの瞳から「遊び」が完全に消える。
「生憎だけど、その辺りセンシティブな問題なのよ。わざわざ言及するとか、デリカシー無いの?」
「……我ら竜蛇と、豊穣は切り離せぬ概念だ。ましてや生殖という神秘は、生命の存在そのものを証す礎。それを断ち切る行為は、我らの否定と同義。嫌悪を抱くに、過度な理由は要るまい。
此の身にとって、それは一匹の獣の問題ではなく――人の在り方、傲慢さそのものを象徴している」
魔弾と回避の応酬を繰り返しながら、キャスターは続けた。
あの「宣戦布告」で語ったように。
「かつて、神秘は正しく「神秘」であった。人は畏れ、敬い、祈り、そこから我ら幻想は形を得た。……だが時は流れ、その均衡は大いに崩れた。人間の大半はただ自然を破壊し、神秘を解体し貶め続け、省みることはなかった」
「……理屈は、分からなくはないわね。「人の都合で英霊を使い魔として呼ぶ」聖杯戦争なんて、まさにその筆頭でしょう」
「然り。故に此の身は、大儀式をもって人の世を完全に終わらせる。祈りに依らぬ、幻想が自立する自己完結の世界を――必ずや築かんと誓った」
一度足を止め、アサシンはキャスターを睥睨する。
「祈りも信仰も必要ない、神秘が神秘として自立した世界ね。だったら、この景色に貴方が怒りを覚えるのも当然。ここは――貴方が諦めて、捨て去った理想郷ってことになるのだから」
ヒトという生物は、雄大にして獰猛たる自然に対しあまりにも脆い。文明という武器を持たないならば、なおさらだ。
故に、生き残るために「祈り」が生まれた。信仰が生まれた。
固有結界
「もっとも、固有結界は結局「魔術の延長」に過ぎない。……なら、貴方の宝具で無効化すればいい。気に入らないなら、やってごらんなさい?」
「……此方に、言われるまでも無し」
彼の手元に浮かぶのは、一冊の書。
(大蛇の言葉は挑発――「できるものならやってみろ」。理想の光景を自らの手で壊せるものなら、と)
躊躇など、許されぬ。そう断じ、キャスターは即座に宝具の名を紡ごうとした――だが。
「『始原虚識』――何!?」
キャスターは、
その言葉を口にしようとした途端、全身に激痛が走ったのだ。霊核にまで響き、ひびを入れかねないほどの痛みが。
それで死ぬことはないとしても、動きは鈍らざるを得ない。
そして、その隙を待ち望んでいたかのように――アサシンが、「加速」した。
「一つだけ、教えておくわ。――この世界において、『固有名詞』は封印される」
「なっ……!?」
言葉を置き去りにして、音よりも速く猛攻が迫る。
(保って、あと三秒か……!)
防御が崩れる前に、キャスターは全霊で思考を駆け巡らせた。
第一に――『渦巣顕界・幽蛇叢雲』が当時の日本を再現した固有結界だとするのならば、この地の「土地神」たるアサシンの知名度補正は計り知れないものとなる。
この聖杯戦争においては、大前提として「そもそも人類が消滅している」ため、自らの国を作っていたランサーを除き、そもそも知名度補正が適用されていないも同然だった。
(だが、この地において……大蛇はまさに「最高神」に等しい存在だ。彼女を信仰し、崇め奉る者たちが「いる」からだ。他の有力な信仰対象が「そもそも確立されていない」からだ! 彼女はそれによって得た強さを、自身の「敏捷性」に大幅に振り分けたのだろう……!)
第二に――固有結界の特性。
アサシンはそれを、「固有名詞の封印」と言った。
(「言語すら体系化されていない、記紀以前の世界」において名は存在せず、力を持たない……それが真実だとするならば!?)
サーヴァントは宝具の真名を解放できず、更に自分はバジリスクやヴリトラなど「固有の名を持つ、強大な竜の力を模した竜種魔術」を使用できないことを意味する――!!
「……
攻撃が開始されてからきっかり三秒後、キャスターは中級の竜種魔術を完成させた。
「……ッ、面倒な術を!」
アサシンの猛攻が一度止み、距離を取った後、木々の中へ影のように消える。【気配遮断】だ。
枝上に身を潜めたアサシンは、再生中の腕の代わりに使った脚や八本の尾をちらりと見る。
それらは、粗くやすりがけをしたかのように傷ついていた。
(……キャスターの全身の鱗が、今度は逆立っている。硬度は
(それだけじゃないよアサシン、キャスターの「筋力」ステータスが急上昇してる……!)
ユキネの指摘を受け、アサシンは眼下の敵を見下ろす。
伝承では――竜は喉元の逆さ鱗、「逆鱗」に触れられることを激しく嫌い、触れた者を即座に殺すとされる。
(キャスターの術は、その伝承を拡張したものということね。自動的に反撃するだけじゃなく、そのたびに「逆鱗に触れた」と見なして自身の力を増す攻防一体の魔術……!)
だが、それならばやりようはある。
アサシンは体内に「毒」と「水」の力を巡らせ、鉄すら容易に溶かす腐食毒を生成する。
ルーラーの【真名看破】を経由して、キャスターが【対魔力】のような、状態異常への強固な耐性スキルを持たないことを、彼女は既に知っていた。
そして全身の鱗を変質させる術なら、逆に鱗で覆われていない部位――鼻孔、口内、感覚器の膜へ直接毒を流し込めばいい……!
(え、目は駄目なの?)
(駄目ね。蛇の目には瞼がない代わりに、透明な鱗が角膜を覆っているの)
(嘘ぉ!?)
ユキネの疑問に念話で答えると同時に、毒を生成し終えたアサシンが凄まじい速度でキャスターへと飛び掛かる。
もはやその動きは、キャスターですら辛うじて目で追うのが間に合うほどだった。
アサシンは木々を左右に高速で蹴り渡り、魔弾を巧みに回避し距離を詰める。
「賢明な判断だな……だがその距離、易々と埋めさせはしない。
キャスターの詠唱と共に、アサシンとの間に突如出現したのは――急峻な滝だった。
静かな戦場に、空気を震わせる水の轟きが広がる。
その高さは三十メートルほど。
アサシンから見ると、その滝の上にキャスターがいる……そのような位置関係だ。
(足止めのつもり? だとしても……どういう意味よ)
訝しみながら迂回しようとするアサシンの体に、異変が起き始める。
その魔力が急激に減衰し――体内の、「自身の毒への耐性」が低下したのだ。
自ら生み出した腐食毒が、内側からその力を発揮し始める。
「……ッ!」
急ぎ、「水」で更に体内の毒を包み込むアサシン。
その様子を見たユキネは、彼女の「異変」の正体に気付く。
聖杯戦争のマスターは、自身のサーヴァントのスキルを確認できるのだが――
(アサシン、貴女の【竜種】【山河の膂力】【蛇神の神核】スキル三つが封印されてる! 毒耐性が下がったのはそのせいだ!)
(当然、原因はあの滝よね……
「――
アサシンの加速が緩んだところに、キャスターが空中に出現させた複数の中型魔法陣から追撃を叩き込む。
ガトリング砲めいて、尖った弾丸が大量にばら撒かれた。
更にそれらは回避され地面に突き刺さった後、槍や剣、弓矢を持った骸骨の兵団となってアサシンを追い始める。
(
(しかもあの牙一本で兵士一体!? ものすごいコスパ……)
(この肥沃な土地だからこそね。南極だったらそう上手くはいかないでしょう)
無論、本来のアサシンなら竜牙兵ごときがどれだけいようと一掃できる。
腕が使えないため今は背負っている「草薙」を振るえば、それは簡単に成し遂げられる。
しかし今の「なぜかスキルが封印された状態」で、キャスターと同時に対応できるほど「数」という戦法は甘くない。
塵も積もれば、山に届く。
加えて、今のキャスターの魔力は無尽蔵。
それを阻止するためには、まずキャスターの術の謎を解かなければならない。
(……あの竜牙兵たちが、何かしらスキルの制限を受けている様子は?)
(無さそう。やっぱり、何か法則性が……)
――その時、ユキネの脳内に電流が走る。
(確か……登竜門、って言葉無かったっけ!?)
彼女が思い出したのは、あのマンションの居間。
飼い主の人間と一緒に見ていたテレビから流れていた、学習塾のCM。
「未来への登竜門!」というキャッチコピーと共に映し出された、大きな滝の映像。
(……それよ、マスター。ああもう、どうして思い出せなかったのかしら……!)
それは、中国の故事に由来する言葉。
黄河の急流「竜門」を登りきった鯉が竜になるという伝説。
険しい滝を登った鯉は、竜になる。
――逆説的に、滝を登っていないならば竜ではない。
(あれを登らない限り、竜種に関係した力を封じる……そういう術なんでしょうね)
(む、無茶苦茶な……)
その通り。ロジックは理解できても、キャスターがやっていることは現代における真面目な魔術師が憤死しかねないものだ。
「神話において、人間の常識なんてものは通用しない……か」
アサシンは、数時間前に戦った宿敵の言葉を思い出す。
理不尽が、道理を殺す。
果たして、自分はどちらの側になるか。
――迫り来る、終焉の鐘を鳴らすがごとく。
背負った宝剣が、低く厳かに鳴いた気がした。