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1999.01.06 日本・東京都
物心ついたときから、あたしは籠の中にいた。
その小さな世界だけが、あたしのすべてだった。
――などと語れば、それは一般的には「不幸である」ことを示す枕詞になる。
ならば、一般的に見てレゼフィルというヨウムは、不幸な存在だったのだろう。
だがあたしに言わせてもらえば、それは「籠の外にいる者」しか抱かない感情である。
自分は「外の側」にいるから、「内にいる者」を憐れむ。
「普通なら」「本来なら」「自然な生き方なら」大空を自由に飛ぶことができるのに、と。
……しかし、なぜ「普通」などと言い切れるのだろうか?
「普通の、本来の正しい生き方」を完璧に知っている者など、この世にいるだろうか?
誰が何を基準に、そんなことを決めたのだろうか?
では、あたしは「外にいる者」を恨んだり妬んだりしてこんなことを思っているのか。
それは、明確にNoだ。
少なくとも、この学校で――この名前をつけてくれた「彼」と一緒に過ごしていた間は、ずっと。
◇
「彼」がどんな人間だったか、それを語るのは難しい。
他の人間と比べれば、彼の顔には常に「笑顔」が浮かんでいたように見えた。
でも、それは「笑いたくて笑っている」わけではない。
ただ「そういう顔」をしているだけだった。
あたしは「彼」の部屋で、いろんな人間が出入りするのを見ていた。
誰も彼も、違った声で、違った感情を抱えていた。
だけど、「彼」は違った。
ある意味で、彼こそが究極の「普通」だった。
もし、個性というものが「丸い玉に凹凸がどれだけ、どのような形であるか」で表されるものだとすれば――
彼は「完全な円」であるように思えた。
「彼」には不思議な力があった。
訪れた者の望みを、言葉ひとつで叶えてみせた。
……それだけでも十分、個性的じゃないかって?
確かに、そうかもしれない。
でも、彼は「相手の望みを叶える」だけだった。
自分のために何かを望むことは、決してなかった。
それはもしかしたら、「絶対に叶うことがない」と知ってしまったからなのかもしれない。
あたしは、今でも彼の顔を忘れられない。
その瞳の奥にあった、深くて、澄んだ――底知れない哀しみを。
そして、思ってしまった。
彼がいつかこの世を去ったとき――
彼のことを覚えている者が、どれほどいるのだろうと。
「願いを叶えてくれる存在」としてではなく、
「ただの彼」として、覚えてくれる誰かがいるのかと。
あたしだけが、それを覚えていても意味はない。
あたしはそれを再演するすべを持たない。
だから、せめて声だけは。
あたしという種ができることとして、覚えておいた。
世界が、彼を忘れないように。
この声が、彼のことを思い出すことができるように。
◆
ひとりの魔術師がいた。
だが、彼に魔術の才はなかった。
彼にできるのは、言葉を口にすることだけ。
――その言葉こそが究極の異能であり、故にどの魔術師よりも神秘の最奥に近かったとしても……魔術の才のない彼に、それは叶わなかった。
彼は「望郷」を胸に秘め、ひたすらに忘却の録音を繰り返していた。
そして、魔術師は死んだ。
ありふれた、「普通の」ナイフに刺されて。
「普通の魔術師」であれば、それを防ぐ手段などいくらでも持ち合わせていただろう。
彼は、その下手人さえも赦した。
彼は部屋に鍵をかけ、静かに息を引き取った。
「自分さえ生まれなければ、
最期に、そう言い残して。
こうして、「絶対の言語」はこの世から完全に消滅した……はずだった。
彼は「封印指定」と呼ばれる、稀有な魔術師だった。
彼の死後にやってきた一人の「時計塔」の魔術師は、注意深く彼の遺品を回収し――
籠の中にいた鳥の、異常に気付いた。
その鳥は、「彼の言葉」を模倣していた。
マスター・オブ・バベル、ゴドーワード・メイデイ――
「根源」に。
「魔法使い」に、最も近いと言われた男の言葉を。
魔術師は即座にその事実を隠蔽し、鳥を持ち帰った。
中国に存在するアジトに鳥を隠し、魔術を教え、その肉体と知能を強化した。
その鳥が話せる「言葉」をコントロールできれば、「根源」に繋がる道が開かれるかもしれないと。
だが数年後、彼もまた志半ばで死んだ。
情報隠蔽と背任の罪により、粛清されたのだ。
あるいは、「抑止力」によって排除されたのかもしれない。
◇
籠の扉は、開かれていた。
鳥はそこから飛び立ち――再び、人間たちの暮らしの中へと紛れ込んだ。
言葉を学び、模倣しながら、生き続けた。
人類が滅びる、その日まで。
◆
2018.07.06 UTC / 中国 四川省・青城山
約半年前の、2017年12月31日。
彼女は「その瞬間」を見ていた。
何の前触れもなく、目の前にいた人間たちが砂のようになって消滅していく様を。
一切の悲鳴も、一切の猶予も、一切の跡形もなく。
ただ、塵と灰だけが地面に散らばった。
初めから、それが自然だったかのように。
半狂乱になった彼女は、急ぎ町の上空を飛び回ったが――「人間」の姿は、どこを探しても見つからなかった。
人間の成人女性並みの知能を持つヨウムは、目の前で起こったことと「これから起こること」を理解してしまったのだ。
なぜかはわからないが、恐らく人類は滅亡した。
そしてそれは、「彼」の声を、「彼」の記憶を持つ者が自分以外誰もいなくなってしまったということ。
(そんなことは、絶対に許せない)
(でも、じゃあ……どうすればいいのッ!?)
思いつく手がかりは、一つしかなかった。
かつて彼女を研究していた、魔術師のアジト。
もしかしたら、そこに「超常的事象」への知識が遺されているかもしれないと思い――数か月かけて、十数年ぶりに戻ったのだ。
◇
アジトの内部は風化していたが、荒らされてはいなかった。
未だに残っている結界のおかげで、ここを知らない動物たちは入ってこられない。
その隠蔽力は大したもので、粛清に来た魔術師たちも外出時を狙うしかなかったらしい。
結果、レゼフィルは大事な手がかりを失わずに済んだ。
(ええと何々、これは……『統一言語』についての研究資料……?)
嘴と爪で、器用に紙面をめくる。
この二十年で研鑽を積み、彼女は複数の言葉を読み、話せるまでになっていた。
「魔術師、
資料を読み――二十年ぶりに、彼女はあの男が「何をしていたのか」をようやく理解した。
妖精に呪われ、記憶を「再認」――思い出し、認識することができなくなった彼は、他人の記憶を採集することでしか他人を知ることができなくなった。
それでも、「人間でありたかった」から――
人を人たらしめるもの、即ち自己の意志を示すため。
唯一の人間性、即ち記憶の収集を「趣味という娯楽」として続けていたのだ。
しばし哀しみに沈んだ後、彼女は一つの可能性に辿り着く。
「彼の声を模倣すれば、自分も同じことができるのではないか」と。
思い返せば、かつて彼や自分を研究した魔術師は、その力の行使を禁じていた。
しかし、もはやその軛は解かれたのだ。
「でも、まずは何からどうしたものかしら……そうだ、確かここには地下室があるのよ!」
レゼフィルが記憶の隅から思い出したのは、このアジトの主が定期的に鍵のかけられた地下室に向かっていたこと。
より強固な結界で守られたその部屋には、重要な情報や魔術の道具が置かれているに違いない。
そしてそれは普通の鍵ではなく、何か特定の行動を取ることで開く扉だったはず――と。
【……この」「扉の」「開け方を」「知りたい】
意を決し「あの言語」を口に出すと、すぐさま世界はレゼフィルに応えた。
かつて魔術師がこの扉を開けた記録が、脳内に流れ込んできたのだ。
それは、特定のリズムで扉に魔力を七度流すというもの。
「――なるほど、この方法ならあたしにも何とかできそうだわ。……いや、最初から扉に“開け!”って言えばよかったのかしら!? やってしまったものは仕方ないけど!」
思わず馬鹿馬鹿しさに独り笑いながらも、レゼフィルは扉を開き、地下を目指す。
――結果的には、「より反動が少ない」手段を選べたということに。
床に滴る自らの出血に、まだ気が付かぬまま。
◇
(……失敗、したわねー……)
貧血で倒れた彼女は、ふらつきながらも身を起こす。
その灰色の羽は、深紅に染まっていた。
気絶してから、数時間は経過していただろう。
(結界のおかげで、野ネズミすら入れないから良かったけど……下手すりゃ死んでたわ)
地下室を訪れた彼女は、積極的に「記録の再生」を行ってしまった。
なまじ「強化」された肉体のせいで、耐えることができてしまった結果がこれである。
そして同時に、彼女は「あの男」が生きている間、自分に「この言語」の使用を禁じた理由を心から理解することができた。
(あの人ならともかく、あたしは真似に過ぎないものねえ……無茶してる自覚はあったけど、これ以降は使いどころを本当に考えないと)
とにかく、まずは空腹を満たさなければならない。
そう考えたレゼフィルは、床を跳ねながら地上を目指し――
一度、振り返る。
視線の先にあったのは、複雑な魔法陣の刻まれた儀式場。
触媒となる物品を置くための儀礼台。
台の上に安置された、青銅製の古びた鏡。
そして、それらの下にある雄大な霊脈。
「――聖杯戦争、か」
かつて亜種聖杯戦争に臨もうとしていた、魔術師の置き土産だった。
◆
2019.04.06 / 中国 四川省・青城山 地下室の儀式場
【――素に銀と鉄。礎に石と契約の大公】
【降り立つ風には壁を。四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ】
静謐の空間に、世界を震わせる声が響く。
かつて魔術師は、亜種聖杯戦争に参加するにあたって一つの反則技を試みようとしていた。
それは、レゼフィルの『統一言語』を用いた神霊サーヴァントの召喚。
魔術師とレゼフィルが共同マスターとなり、最終的に『統一言語』の補助で小聖杯を媒介に第三魔法を成就させ、根源に至る――そんな計画だった。
|【閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ】《みたせ。みたせ。みたせ。みたせ。みたせ》
レゼフィルはその記録を読み取り、計画を自ら引き継ぐ決意をした。
何者かが、再び大規模な聖杯戦争を起こそうとしていると「知った」からだ。
【繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する】
小さな肉体が、再び悲鳴を上げ始める。
いくら魔術を使えると言っても、その効力は限定的。
半年以上をかけて回復し、多少無理をできる準備を整えるのが限界だった。
『統一言語』の効果は、基本的に自分自身には及ばない。
術者が自らの「声」で自滅しないための措置とはいえ、そのせいで自己回復もできない。
それでも、やるしかなかった。
戦いに勝ち、たった一つの願いを叶えるために。
【――告げる。汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に】
【聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよッ!】
紀元前に彫られた青銅鏡の模様が、儀式の詠唱と共鳴を始める。
そこにあったのは、雄大なる蒼き神獣の姿。
本来ならば、純然たる神の一柱をサーヴァントとして呼び出すことなど不可能。
しかし、「絶対の言語」という究極の裏技は――
【誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者!】
制約と限界を打ち破り、無限の力を呼び覚ました。
【――汝、三大の言霊を纏う七天】
【抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ――!!】
詠唱を終えると共に、レゼフィルの翼に赤い光――令呪が刻まれる。
「聖杯に選ばれたマスターだから、サーヴァントを召喚できる」のではない。
「サーヴァントを召喚できたのだからマスターである」――そんな、通常あり得ない因果の逆転。
「召喚に応じ、東の宙より降臨した。サーヴァント・アーチャー、
部屋を埋め尽くす蒼天めいた輝きの中心に、その竜はいた。
「問おう。お前が――余のマスターか」
「……そう、よ……あたし……が……マス、ター……」
その言葉を最後に、再びレゼフィルの意識は途切れた。
辛うじて、肯定の意思を残して。
「――愚か者め。ここで死ねば、願いも何もないであろうに」
冷徹にそう言いながらも、アーチャーは即座に次の行動に出ていた。
仙術を駆使し、裂けた血管を繋ぎ、血液を循環させ、乱れた神経を修復する。
単純な生物相手ならば、回復など造作もないことだ。
――普通の、単純な生物相手ならば。
「やはり、通常の魔術の反動や代償による傷ではない。本当に、“あの言語”を用いて召喚を行ったのだな」
この地下室において、長大な竜の姿は窮屈に過ぎる。
そう判断したアーチャーは、術により人の姿へと変じた。
短い青髪に中華風の衣を纏った美丈夫の姿となり、丹念に治療を進めていく。
「模倣ではなく、完璧に言語を修めればこうはならなかった――というわけではないな。むしろ、中途半端に“可能性がある”故に、であるか」
全てに共通する意思疎通ができる言語とは即ち、
ゴドーワード・メイデイはその門を知りながら、魔術師としての能力がないために、門をくぐることができなかった。
だが、レゼフィルは低級ながらも、魔術師としての能力を持ってしまっている。
即ち――本人にその意識がなくとも、「極低確率で根源に至る資格がある」者。
「抑止力」が、それを許すはずもない。
故に「統一言語」を使用するたび――発動された固有結界が長く保たないのと同じような、「世界の修正力」の影響を一身に受けることになった。
それは根本的な部分での治療が叶わない、本質への罅だ。
アーチャーは考える。……この事実を、レゼフィルは既に知っているはずだ。
世界に記録された「事実」を読み取れる彼女ならば。
「そうであっても、叶えたい願いとは何なのだ。――レゼフィルよ」
思わず口に出した問いに、か細い声が応えた。
「――“玄霧皐月の声を、生きた証を消させない”。それだけよ、アーチャー」
ヨウムという鳥は、飼育下において飼い主に「番い」と同等の愛情を向けてしまうことがある。
知識を得て、その執着が「種としての生態、本能に基づく勘違い」だったと理解しても――
それが、報われることのない恋だと悟っていても。
それが、ただの模倣に過ぎないとしても。
「それでもあたしは、その恋の全てを護りたい。だって“恋をする”って、そういうことでしょう」
震える黒い瞳が、空のごとき青の瞳とぶつかり合う。
しばしの沈黙の末、弓兵は数歩進み――膝をついた。
「良かろう。願われた以上、それを叶えるのが我らが務め。お前が折れぬ限り、余がお前の手足となり戦い抜くことを誓おう」
蒼天の主は厳かに、澄み渡るような声で宣言した。
その様子を見て、レゼフィルは小さく口を動かし始める。
「……アーチャー、もう一つだけお願いしてもいいかしら」
「是である。何か」
「……眼鏡ってかけてもらうことって、できる? 伊達でいいから」
「……了承した」
アーチャーは自らの変化の術を調整し、注文に応える。
思わず、レゼフィルは息を呑んだ。
その姿は、まるで――
「マスターよ。所詮、それは代償行為に過ぎぬ。そこに、お前の求める本質はない」
「う……わ、分かってるわよッ! いいじゃないの、その方があたしもテンションが上がるのよ! うじうじ後ろを向くより、どうせなら前を向いて戦った方がいいに決まってるでしょ!?」
「理解した。では、これ以上は言わぬ」
◆
こうして、あたしは聖杯戦争の開幕に先んじて、サーヴァントの召喚に成功した。
「もう一度聖杯戦争を仕掛ける黒幕がいるとすれば――人間の魔術師はすでに滅んでいる以上、それはサーヴァントに違いない」
そんなアーチャーの推測に従い、このアジトに姿を潜め、機を待ち続けた。
聖杯戦争が始まってからも、あたしが魔術師だということや『統一言語』のことは一度を除き伏せ続けた。
体の負担もあるし、こんな裏技を持っているのがバレたら袋叩きにされるのが目に見えている。
恐らく、使えるのはあと一回だろうけど……
ま、死ぬでしょうね。そうしたら。
だったら、あたしはどうするべきなのか。
……なんて、悩むまでもない。
「何でインコとかじゃなくてヨウムなの?」という疑問に今こそ答えましょう
声を真似る鳥の中でも「長い寿命があって、1999年から2020年まで余裕で生きられる」必要があったからですよ!!