◆
2020.04.06 11:17 UTC / 南極・エレバス山中腹→再現:秩父山地 視点:ダルグレイン
念話が途切れたところで、大きく息を吐く。
なんとか一勝。
アルヴェイルを最短で追うには理想的な滑り出しだが、どっと疲労が押し寄せてきた。
このレベルの勝負を最低もう一回、と思うだけで頭が痛くなる。
パラニールも同じだったようで、知恵熱を下げようと耳を大きく動かしていた。
そんなオレたちの様子を見て、バーサーカーはぼそりと呟く。
「うーむ、見ていて面白かったが“重い”なこりゃ。第二回戦はもう少しローコストで行こう」
「テ、テメェが言い出した勝負内容だろうがァッ!?」
思わず叫ぶが、当然狂人相手に効果はない。
蛇が目を光らせると、またしても問答無用で「念話」を流し込まれる。
(第二回戦は、「
ソクラテス……何だって?
オレの困惑など無視して、バーサーカーの解説は続く。
(「ソクラテス式問答法」は、古代ギリシアの哲学者ソクラテスにちなんだ対話技法だ。
一方が主張や定義を示し、もう一方がそこに質問を連ねることで、前提の甘さや矛盾を炙り出し、論理を検証する。
質問側は自分の意見を述べず、問いだけで揺さぶる。答える側は、最初に示した定義と矛盾しないよう答え続けなきゃならない。定義が矛盾に至った時点で、その主張は破綻と見なされる。
さて、肝心の【一問一答】は、それを競技用に再構成したルールだ)
先攻=回答側はテーマに対する定義を一つだけ提示し、後攻=質問側はそれを崩すために質問を重ねていく。
質問側は主張を述べるのではなく、「問い」だけで相手を追い込んでいく。
回答側は、最初に出した定義と矛盾しない範囲で答え続ける義務がある。
無回答のまま三十秒が経過したり、明らかな矛盾や論理破綻が生じた場合、回答側の負け。最大七回の質問を行うまでに破綻させられなければ、回答側の勝ち。
終わったら、先攻後攻を入れ替え、テーマを変更してもう一度。
どちらも明確な破綻がないか、両方が破綻した場合は、審判が内容を精査して優劣をつけるか引き分けとする。
(例えば……テーマが「勇気とは何か?」で、回答側は「勇気とは恐れないことだ」と定義したとしよう。質問側は、この定義を崩すため質問をする)
『では、無知ゆえに恐れを知らない動物――ノミやダニは勇気があると言えるのか?』
(彼らは恐怖も知らず、自らより遥かに巨大な相手にも本能で噛みつく。これを「勇気」と呼んでいいのか、と。答えがNoなら、「勇気=ただ恐れがないこと」では足りない。
『勇気とは恐れを知り、それでも立ち向かうことではないだろうか』って話。――この通り、回答側の定義・論理は破綻し、敗北と相成る)
……なるほど。
さっきのディベートよりルールは単純だが、その分ごまかしが利かない。
ディベートが「言葉の総力戦」だとすれば、これは純粋な「瞬発力と定義の勝負」。
審判を口数で押し切る余地はなく、「自分で立てた定義」で自分の首を絞められる競技だ。
(その通りだ、ダルグレイン。ソクラテス式問答の目的は「普遍的な定義の検証」。ゆえに、必ずこの問いを追求することになる)
――「お前が言うその定義は、誰に当てはめても成立するのか?」
(……ン? どういう意味か分からない? いやいや、簡単なことだぜ。「理想はある。自分にはできない」は許されないってことさ)
その言葉を聞いた瞬間、理由のわからない身震いが走った。
自分ではまだ整理できていない何かが、胸の奥で軋むように。
それについて考える余裕もなく、念話は構わず先へ進む。
(さて、さっそくやっていこう! まずは回答側がパラニール、質問側にダルグレイン。お題は、【“正しい”宗教とは何か】だ!)
◆
2020.04.06 11:20 UTC / 南極・エレバス山中腹→再現:秩父山地 視点:パラニール
思わず絶句していたのは、私だけでなくダルグレインも同様だったらしい。
趣旨として「明確な答えのない問題」を出すのは理解できる。
だが――【“正しい”宗教とは何か】は、いきなり踏み込みが深すぎる。
宗教は、私にとっても決して軽くない問題だ。
寺院を観察し、人間たちの祈りや儀礼の意味を考え続けてきた身としてはなおさらだった。
故に、私にも関係のある問題を出してきたのだろうが……
バーサーカーが「神を冒涜し、無神論を肯定する悪魔」だとはいえ、ここまで真正面から来るとは思わなかった。
(……だからといって、抗議が通るはずもない。もしそうなら、先ほどのダルグレインはもう少し楽ができたろう)
それは一旦脇に置き、テーマについて考えなければ。
――「正しい」宗教とは、何だろうか。
そのためには、まず「宗教」の定義から見つめ直そう。
一般的に「宗教」とは「神」などの超越的存在を信じる思想体系、および儀礼だ。
ただ、「宗教の定義は宗教学者の数だけある」と言われるほど、その捉え方は様々だ。
科学のように実験と検証で一本の「正解」に収束していくものではなく、多くが「精神の領域に属する事柄」だからだろう。
それでも、私なりに「宗教」を定義するとしたら――
「宗教」とは、「不安を解消する」ためのものだと思う。
人間をはじめとした「知能の高い動物」は、生きていく中でとにかく「不安」を覚える。
とりわけ、自分の知識では説明できない事柄――「理解の及ばない出来事」に対して。
その中で最たるものが、生物における究極的な事象。
即ち「生」と「死」だ。
「死ぬこと」は多くの場合、肉体的な苦痛とセットになっている。
他者の死を目にして、「それがどれほどの苦痛か」「自分もそうなるのか」と想像して怯える。
更に、「死んだ後に何があるか」は、生きている者には絶対に知ることができない。
もしかしたら、「自分という存在はそこで、永久に消滅する」のかもしれない。
だから、人は死を恐れ、死について考えることそのものを恐れる。
「死」を認識できる数少ない動物であるがゆえに、その「分からない」という不安を何とか処理しようとして、「説明」を求めた。
「死後の世界」「霊や魂」「生まれ変わり」「死後の裁き」といった概念。
それらを司る「神」のような超越者の存在を「想像」し、「祈る」。
「死んでも大丈夫なのだ」と考えることで、「不安を解消する」。
死んでもまた生まれ変われる、死んだ人と出会える、平穏に暮らせる、いつか報われる――そう「信じる」ことで。
私が学んだナーガの教師曰く、「極論すれば、死後について説明のない宗教は宗教じゃない。そして死後について考えることは全て宗教的行為だ」というほどだ。
加えて、「宗教の意味」は「共同体を作ること」にもある。
死や世界の成り立ちについての「物語」を共有し、「多人数で根源的な不安をなだめ合う」ことは、強い連帯を生む。
当然ながら、一人よりも多数で作業を行う方が効率的だし、相互に助け合うことで、より大きなことができるようになる。
「神様が見ているのだから悪いことはできない」といった精神的規範を作り、治安を良くすることもできる。
無法者を弾き出す仕組みとして働けば、そのコミュニティは一層「まとまり」を増していくだろう。
ここまでが宗教の「良い面」だ。
それでは、宗教の「悪い面」――もしくは「悪い宗教」とは何だろうか。
端的に言えば、それは「思考停止」だ。
宗教は「説明」し、理解しがたいことや納得しがたいことにも理屈をつけてみせる。
良いことは「神の奇跡、恩寵」「聖なる力」。
悪いことは「神罰」「祟り」「悪魔の仕業」。
思考を止めてしまえば、原因を探ることも、被害を減らす工夫も、そこで止まってしまう。
もちろん、科学が未発達で「説明しようがなかった」ならば「不安を解消する」には仕方ない。
しかし、宗教が人命や生活を犠牲にし続けるなら、それはもはや「不安を和らげる」どころか、結果的に不安と被害を増やすことになる。
物語を大事にしたいから、「教えに反しているから」と世に出ることを妨げられた知識は、きっと少なくないはずだ。
既にある物語が、原因を探る方向そのものを狭め、神罰や呪いという説明のもと、原因の究明よりも悔悛や迫害が優先された――中世ヨーロッパにおけるペストの大流行のように。
もちろん、常に宗教が健康に害をもたらしたわけではない。
中世ヨーロッパの一部の修道士や宗教者たちは、ハンセン病患者を忌み者として遠ざけるのではなく、「同胞の苦しみを敬意と共感をもって見つめ、病人への嫌悪感を乗り越えて慈愛・慈悲を示す」教えを示した。
そうした態度は、少なくとも聖書が説く隣人愛や慈悲の精神を抜きには語れないだろう。
もう一つは、宗教が「暴力や支配の免罪符」に化けるときだ。
「神が命じたから」「教義に従うから」と言えば、どんな排除も迫害も正当化できてしまう。
信仰そのものよりも、「信仰を口実にした加害」が前面に出た瞬間、その宗教は明らかに「危ない側」に傾く。
そして、この「聖杯戦争」で知った通り――「魔術」の世界には、「神」と呼ばれる者たちをはじめとした神秘が「実在」する。
その成り立ちを考えると、「祈りが先か神秘が先か」というのは曖昧だが。
だが重要なことは……「神の存在そのもの」は、その神が携わる宗教の「正しさ」を担保しないということだ。私は、そう考える。
極端な例を言えば、その神のために「他者を殺し続ける」教義を「正しい宗教」などと言えるだろうか。
少なくとも自分の感覚では、それはただの「神憑きの暴力装置」であって、「正しい」とは呼びたくない。
以上を踏まえて、今回の「ソクラテス式問答」に臨むとしたら。
「――まとまりました。私の考える“正しい”宗教とは、
『死や世界の成り立ちについての物語を通じて根源的な不安に応え、その物語を分かち合う共同体を形づくりながらも、教えを絶対視して他者を傷つけることを避けるために、自らの解釈や慣行を見直し続ける宗教』のことです」
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2020.04.06 11:21 UTC / 南極・エレバス山中腹→再現:秩父山地
「……ククク、なかなか面白い論理だ。では、ダルグレインは七回の質問でこの定義を打ち崩せるか!」
バーサーカーの宣言と同時に、狼は短く息を吐き、口を開いた。
不気味なほど静かな山中に、低い声が淡々と響く。
「一つ目の質問だ。テメェの定義では、“正しい”宗教はその“物語”――要は神話や教義のことか。それらを分かち合う共同体は、今日生まれて明日消えるような一瞬の集団じゃなく、ある程度長く続くことが前提か?」
「そうですね」
パラニールは一拍置いてから頷いた。
「主に人間が抱える根源的な不安――特に死や生き方に関わる不安に応えるには、それなりの時間をかけて寄り添い続ける共同体でなければいけません。永遠ではなくとも、継続性は必要だと考えます」
「二つ目だ」
ダルグレインは間髪入れず、次の矢を番える。
「オレの知識では、“宗教”というのは大きな武力・財力を生むものだ。さらに、この世界には神々や幻想種、魔術のような“神秘”が実在し、奇跡も起こる。
そういった“後ろ盾”をもとに軍隊のようになり、“異教徒を滅ぼせ”、“正しくない宗派を粛清しろ”と教えるような――“有害で、なおかつ強い宗教”は存在しているよな?」
問われた瞬間、パラニールの眉間がわずかに寄る。
「ええ。具体名は控えますが、排他的・支配的な宗教団体はいくつもあります」
「三つ目」
狼は、少しずつ包囲を狭めるように言葉を連ねる。
「そういう“有害で強い宗教”が『異端者を殺せ』と、テメェの言う“正しい宗教”に牙を剥いたとしよう。その時、“正しい”宗教は、攻めてくる相手を根こそぎ殺し尽くすような防衛――相手の共同体を壊滅させるほどの暴力を、自らに許せるのか?」
「……いえ、原則として許すべきではありません。教えを絶対視し、支配や迫害、搾取のために暴力を利用することこそ、私が『他者を傷つけること』と呼称するものです。
防衛のためだとしても、同レベルの殲滅戦を仕掛けるのであれば、“正しくない”宗教と変わりない」
パラニールは、少しだけ視線を落としてから答えた。
一方、ダルグレインの眼光は鋭さを増す。
「四つ目の質問だ。“有害で強い宗教”の側は『神の名のもとに』と、異端と見なした相手を徹底的に排除しようとする。そうした勢力に対し、パラニールの言う共同体は“力不足で、滅ぼされる危険性が高い”ように思うが、どうだよ?」
「……否定はできません。過剰な暴力に暴力で応じない以上、防げない攻撃も出てくるでしょう」
(だろうな。そう言わざるを得ないだろうよ)
少し目を細め、ダルグレインは思う。
彼はキャスターのもとで人類史を学んだ際、「人が人を殺す理由は、『金』『権力』『宗教』の三つで大体説明がつく」と悟った。
それらを理由としたとき、ヒトの理性の枷は容易に外れる。
「人を殺すのはいけないこと」だと自ら定義しておきながら、彼らは常に
人間にとって、「人殺し」は「正しくない」ことなのだから。
「五つ目。テメェは最初の質問で、共同体の継続性は“正しい”宗教が不安に応え続けるために必要だと言った。その共同体が“有害で強い宗教”の攻撃を受けて滅びた場合――その時点で、その宗教は以後一切信者の不安に応えられなくなるのではないか?」
「――はい。共同体が完全に消えれば、そうなるでしょうね……」
そこでパラニールは、ダルグレインの「作戦」を察した。
彼の質問は最初から「単発の攻撃」ではなく、意図的に積み重ねたチェイン・コンボだったのだ。
ダルグレインの声にも、僅かな熱が混じり始める。
「六つ目。テメェの定義では、“有害で強い宗教”の暴力性・加害性を前に、致命的な反撃をしなければ信者ごと滅ぼされると分かっている状況でも『それを受け入れる』ことになる。それは結局、『信者を見殺しにする選択』とどう違う?」
パラニールは一瞬、言葉を探すように目を閉じ――それからゆっくりと答えた。
あくまでも自分は、冷静沈着であるように。
「……結果だけを見れば、『見殺し』と言われても反論しにくいのは事実です。ただ私は、『守るためであれば誰を殺してもいい』と教えることも、『命を見殺しにする』ことだと思います。
誰かの命と尊厳を守るために、別の誰かの命と尊厳を切り捨ててよい、と教える宗教は――長い時間で見れば、自分の信者さえ暴力の論理に巻き込んでしまうからです」
彼の声には、明確な苦しさが滲む。
ダルグレインはほとんど勝利を確信しつつ、最後の一押しを畳みかけた。
「さあ、七つ目だ。結局、テメェの言う“正しい”宗教は、暴力に応じれば『他者を傷つける宗教』になり、暴力を拒めば『信者を見殺しにする宗教』になる……そんな板挟みから抜け出せてねえ。
他者を害さない、傷つけないことが正しい宗教の条件だったとして――そんな長期的に生き残れない“弱い宗教”は、“正しい”とは言えないんじゃあないか?」
その口調は、もはや問いというより宣告に近い。
「“正しい”宗教なんてものは、現実には成立しない。少なくとも“人間が作った宗教”には」――そんな、人間そのものへの深い不信を滲ませる響きだった。
一方、パラニールは――言葉こそ詰まらせていたものの、胸の最奥にあったのは、「やはりか」という思いだった。
ダルグレインの指摘は、彼自身も薄々気が付いていた。
「正しい宗教」なる存在を、自分でも心のどこかで信じきれていなかった故に。
(私がかつて見た光景――「密猟をしてまで手に入れた象牙を、宗教的物品の材料として売り捌く」「命を奪い、法を破ってまで祈る」という人間の在り方。……あの瞬間、私は「精神的成長」にこそ真の「生物の平穏」はある、という仮定をどう扱えば良いか分からなくなってしまった)
――バーサーカーの笑みが、深みを増す。
蛇は何も言わず、ただ尾先でタイマーの針を示した。
猶予は三十秒。
この問答において、それ以上の沈黙は即座の敗北を意味する。
(そうだ、それでいい!そのまま何も言わずギブアップしろッ、パラニール……!)
カチカチという音に合わせてダルグレインの焦燥と期待が膨らんでいく。
そして終幕が近づく――その直前。
「……まず一つ、訂正させてください」
巨象は、口を開いた。
「貴方は『他者を傷つけないことを掲げる宗教』を、まるで『いかなる状況でも一滴の血も流してはならない宗教』だとでも言いたげだ。しかしそれは論点のすり替えであり、私はそこまで定義した覚えはありません。
私の言う『他者を傷つけること』とは、『教えを絶対視して、信仰の名のもとに支配や迫害、搾取の暴力を振るう』ことです。
――“神がこう言ったから、お前を殴っていい”し、“殺していい”し、“奪っていい”。
そうやって、信仰を理由に加害を正当化することを指している。生き延びるための、最小限の防衛まで禁じたら、それは倫理じゃない――ただの集団自殺です」
一度息を整え、パラニールは続ける。
「加えて――私は、人間とは“意思”の生き物だと考えている。彼らが伝達する“言語”と“意思”は、時に血筋よりも広く、長く世界に残り続ける。生物であれば、一族を皆殺しにすれば血や遺伝子はそこで途絶えるでしょう。
ですが、彼らが語った物語や祈りは――石に刻まれ、紙に書かれ、誰かの記憶に残る限り、簡単には死なない。
それどころか、時を越えて別の誰かを救う形で甦ることだってある。人類が滅びようと、世界に刻まれた竜の神話は消えず、竜が英霊として召喚を果たしたように」
パラニールは、必死に言葉を紡ぎ続けた。
「正しい宗教」など、この世には無いのかもしれない。
しかし、「正しい宗教を目指し続ける」ことを諦めてしまったなら――その時にこそ、本当に「正しさ」というものは消えてしまう。
彼を突き動かすのは、その思いだった。
今自分が諦めれば、「生き残ることに必須とは言えないことを考える」時間すらも、世界から失われてしまうかもしれないのだから。
「貴方の言う通り、“有害で強い宗教”に対して、“正しいことを目指す”宗教が構造的に不利なのは認めざるを得ません。暴力を振るわないぶん、滅びやすい場面もあるでしょう。
だからといって――“生き残るために暴力を信仰で飾り立てる宗教”を『こちらの方が強いから正しい』とは、私はどうしても言えない。
何より私は、私の生まれた国に『非暴力・不服従』を掲げて戦い続けた男がいたことを知っている。モーハンダース・カラムチャンド・ガンディー……インド独立の父、『マハトマ・ガンディー』と呼ばれた男を――!」
「非暴力・不服従」――ガンディーの用語で言うところの
その思想の源は古代インド宗教にあり、ヒンドゥー教の『バガヴァッド・ギーター』に見られる
ガンディーは、こうした諸宗教に共通する非暴力の精神を、特定の教義に閉じない普遍的な倫理原理として「アヒンサー」に結晶させたのだ。
「彼は銃も砲も持たずに、『従わない』『協力しない』『罰を受けても退かない』という形で人々を動かし、帝国の支配に抗いました。暴力を使わないからといって、まったく無力だったわけではありません。
もちろん、最後まで完全に“非暴力”とはできませんでした。どうしても無数の人間の意志が関わる以上、それらすべてを統一することはできない。流血は起きたし、分断も生まれたし、彼自身も撃たれて死にました。
それでもなお、暴力を信仰で正当化するやり方に対して、宗教者の彼が“別の力のあり方”を示したこと自体は否定できないはずです!」
落ち着いた声は、次第に熱を帯び始める。
自身の「定義」が破綻しかけているとしても、黙って負けを受け入れることはできない。
その様を、蛇は笑みを湛えたまま見つめていた。
「“正しい宗教”が目指すのは、信者や教えを守るために武器を取ることではない。そうせずとも済むように、世界との関わり方を変えようとすることだと私は考えます。それが不完全で、滅びやすくて、理想論だと笑われるとしても――だからといって、『守るために有害になる宗教』を標準にして、“正しさ”の方を切り捨てる気にはなれない。
貴方の指摘通り、私の定義は自分で自分の首を絞めているのかもしれない。だとしても。私はそれを、“根源的な不安に応えようとする宗教の条件”だと言い張ります。
――“理想を掲げ、平和を目指す”ことの何が悪いのかと……!」
◆
2020.04.06 11:25 UTC / 南極・エレバス山中腹→再現:秩父山地 視点:ダルグレイン
――パラニールの野郎、あそこから立て直しやがった。
うまく論理の板挟みには持ち込めたが、これでは「定義の確実な破綻」とは言えない。
オレが使ったのは、「生物個体/集団として生き残れるか」を基準にした――いわば
それに対してパラニールは、「精神世界と物語の持続」、つまり
どちらが優れているか、という話ではない。
「どこまでが死にやすく、どこからが残りやすいか」という「耐久力の向き」が違う――そう言い換えてもいいだろう。
評価軸そのものをズラすことで、オレの攻撃をかろうじてカウンターしてみせたわけだ。
「ククク……これで七つの質問と回答が終わったな。見事なリカバリーと言えるだろう。ダルグレインもなかなかの追い込みだったぜ」
バーサーカーは「拍手」をしつつ、オレたちを称賛する。……中立性アピールか?
「まあ、そんなところさ。では攻守交替。質問側はパラニール、回答側はダルグレイン。その後、俺が第二回戦の審判を下す。今回のテーマは――」
その瞬間、確かにオレは見た。
蛇の紅い双眸に、凶悪な愉悦が灯るのを。
「――
◇
……復讐。なるほど、復讐か。
確かに、オレは「人類」に対しての復讐者だ。
「復讐」とは、無差別な暴力でも、快楽のための殺戮でも、命令されて機械的にこなす虐殺でもない。
復讐とは――受けた行為に対する、意図された応答だ。
「有害だから」という勝手な理屈で絶滅させられ、かと思えばクローン兵器として百体以上もの「自分」を創られ、使い潰され――生命の尊厳を踏みにじられ続けた。
だからこそ、キャスターと共に「人間が消滅したこの世界を剪定させず、編纂事象として確定させる」ことで、人類への復讐を果たそうとしていた。
これはオレだけの恨みじゃない。
ニホンオオカミという種を踏みにじられた、すべての影の声だ。
では、「正当性」についてはどうだろうか。
……確認するまでもない。
オレたち狼が、自然の理を逸脱し、踏みにじったことがあったか。
肉食動物として、生存に必要な「食べるための殺し」や「防衛のための攻撃」をしたことはある。
だが人間がやったように「食うためでもなく」、「邪魔だから」という理由だけで他種を根こそぎ絶滅させたことがあっただろうか。
少なくともオレたちの記憶では、先に牙を剥いたのはいつだって人間の方だ。
さらに言えば、その被害に遭ったのはオレたちだけじゃない。
人間の度を越えた「開発」によって住む場所を奪われ、抵抗もできず、そのまま絶滅していった無数の命。
オレたちから奪われたのは、山でも谷でもない。
「生きていていい」という当たり前だ。
……ただ、バーサーカーはかつて「アヴェンジャー・ルシファー」としての側面を見せていた。
奴はある意味、キリスト教的世界観での「最初期の復讐者」と言える。
とはいえ奴が「傲慢」がゆえに堕天し、その復讐を果たそうというのなら「正当性」があるとは考えにくい。
そんな奴が「後輩の復讐者を試しに来ている」とでもいうのだろうか?
――まあ、いい。
余計なことを考えている暇はない。「定義」は固まった。
「『正当な復讐』とは――『理不尽な侵害に対して、その歪みを正し、奪われた生存権を取り戻そうとする行為』だ。さあ、かかってこいよパラニール……!」
【追記】ペストについて一部筆者の勘違いがあったので文章を訂正しました