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2020.04.06 11:4■ UTC / 宙の炉
鉄を打つ甲高い音で、彼女は目を醒ます。
そこは、果てしなく白い世界。視線の先には、赤髪の男がいた。男は振り向かず、
「はん、なるほど。確かに、どこかあの大蛇と似てやがらァ」
とだけ、口にした。
「Aa――a――……?」
か細い歌に似た返答を聞き、男は大儀そうに顔を向ける。その全身はいかにしてか焼け焦げており、炭のように黒い手に槌を握っていた。
「あ?喋れねえのか?……面倒だが、“会話機能”くらい造ってやるか。せっかくの現界だってのに、ひとりで話してもつまらねえ」
男が槌を振るうと、かつてルーラーだった泥塊に、僅かながら理性が戻る。
困惑しつつも、ルーラーは疑問を口にした。
「ここ、どこ……あなた、だれ……?」
「まァ、そこからよな。――此処こそは世界の裏側、“星の内海”。知恵持つ獣には決して辿り着けぬ理想郷。汝を焼き尽くした、あの“光”の出所だ」
「……え」
「厳密には、あの蛇竜が被せた“異聞帯”とやらだが。どうやら汝は、魂だけでこの“根本”まで流れ着いたらしい」
男は泥塊を数秒見つめた後、再び口を開く。
「そして俺は、アルターエゴクラスの疑似サーヴァント――真名をスサノオ。マスターは、汝だ。ティアマト」
「……っ!?」
ルーラーの驚愕を意に介さず、スサノオは再び背を向け、槌を振るい、鉄を打ち始める。
「と言っても、戦闘能力はないに等しいがな。マスターたる汝は既に退去寸前。元より俺の躰――依代となった人間は、かつてこの異聞帯で灰と消えた鍛冶師の成れの果てだ。その村正という男が、俺を含めた二柱の神を宿して現界した縁なのだろうが……全く、“縁”っつうモンは本当にろくでもねェ」
スサノオは、心底うんざりしたような顔を向ける。ルーラーではなく、ここにはいない誰かへと。
「これも一つの呪術だ。大蛇が仕込んだのは――“ティアマトが死ねば、その後に何かが生まれる”という因果」
金属音は、少しずつ速さを増していく。打ち手の感情、その揺らぎを示すように。
「……心底気に入らんが、“あの大蛇”の真似事をしてくれよう。比較神話学の時間だ」
カンカンという槌の音。それはどこか、「始まりの鐘」にも似た合図だった。
「かつてマルドゥクはティアマトを殺し、その骸から天地を創った。俺は大蛇を殺し、その尾から草薙を見出した。天地だろうが神剣だろうが、要は『混沌たる竜神が死に、その後に新しい秩序が生まれる』――そういう型で繋がっている。
無論、両者は同一起源でも同一系譜でもあるまい。だが、偶然にしては出来すぎた照応だ。呪術の達人が利用するには、十分すぎるほどに」
ルーラーは、ただ唖然とすることしかできない。それに構わず、神殺しの男は言を紡ぐ。
「そして大蛇は死の間際――
かくして、因果は結実する。
ティアマトの死をトリガーとする、スサノオの「連鎖召喚」という形で。
「……どうして。どうして、そんな」
ルーラーは、疑問を抱かずにはいられない。
アサシンが生存していたあの時点で、戦力外のルーラーが前線に出る理由などなかったからだ。裁定者としての立場を捨ててまで中立地帯を出て、弱った身を晒すなど考えられない。
ルーラーが戦って死ぬことを前提とした「呪い」など、本来成り立つはずがない。
まして、ルーラーにあれほど怨みの視線を向けていた彼女が。
「ハッ、そこまで不思議な話でもあるまい!」
ルーラーの疑問を読み取り、スサノオは顔を向けずに嗤う。
「憎悪たァ、好意に匹敵する強烈な感情よ。自己嫌悪、同族嫌悪――そして“嫉妬”。似通うゆえにこそ、己が持ち得ぬものを持った貴様を、
スサノオは、先の熱田神宮地下での戦いを想起する。「水の試練」でアサシンの深層心理を映した河が、「刃の焼き入れ」のために「火の試練」へ流れ込んだことを。
彼は想起する。試練の後、己が天敵に残した言葉を。
『後は勝手にしろ。――汝が望んだことを、望んだようにな』
彼は苦笑する。まさに、その通りになった事実に。
「俺が知るあの大蛇に、汝への贖罪・謝罪を行うような殊勝さは絶対にあり得ない。だが、己の願望と他人の願望が“偶然”一致したならば……それに全力を尽くすというのもおかしくない。白猫の記憶を垣間見た限り、本当に好き勝手やって消えていきやがったらしいな」
「……しろ、ねこ?」
ルーラーのひび割れた記憶に、アサシンのマスターの姿がよぎる。
そして気づく。「彼女」が、スサノオの目の前に「在る」ことに。
「これまた“偶然”だがな。神剣を宿した獣の心象風景の在り方が、どこか『全て遠き理想郷』に近かったゆえだろう」
『
それは、理想の過去として描かれる「日本の原風景」の具象化。懐古と羨望の中でしか見つめられぬ、理想化されたセピア色の記憶。
記紀以前の、遥か過去に過ぎ去った幻想の大地。
アヴァロンという「届かぬ楽園」に対する――「戻れぬ原郷」の情景。
「固有結界が解除された瞬間、死に瀕した時刻が“光”の発動直後だったことも重なった。かくして、亡骸は神剣の欠片ごと、ここまで流れ着いたのだ」
「……っ。そん、な……」
宙の炉には、「鉄」を打つ音だけが響く。
神剣の欠片に秘められた、無数の祈りを糧として。
「……どうやらあの猫は、この鍛冶師の外殻ではなく、俺という“中身”が見えたらしい。そうして、大蛇の企みを瞬時に理解し――死の刹那、こう宣った」
『――全部。全部、使って』
『……私を』
◇
一面の「白」。外界から切り離され、時間が止まったような「裏側」には、再び金属音だけが響く。
槌の担い手は、少しだけ視線を後方に向けて口を開いた。
「さて……随分と遠回りしたが、ようやっと本題だ。大蛇とティアマト、更に言えばユキネ。この三者に共通する願いとは何だったのか。――そう難しい話じゃない。汝の“あの行い”こそが、その本質だ」
「わたしの……おこない?」
「そうさ。汝が、己が身を供してセイバー・タラスクを守ろうとしたこと。母として、子供を護ったこと。……その本質とは、何だ?」
刃めいた鋭い視線が、ルーラーに向けられる。思わず居竦むが、
「――わたしは」
その感情が逆に、彼女の壊れかけた思考を呼び覚ました。
「……じぶんのいしで。なにかを、のこしたかった」
命は、永遠を生きられない。いずれは死んで、朽ちていく。
だからこそ生き物は、自らの何かを次代へ託そうとする。子を成し、記憶を遺し、祈りを刻み、技を渡す。己が消えた後にも、なお残るものを。
それは生者にとって、あまりにも根源的な欲求だ。
「しかし本来、汝はその必然を持たなかった。そうだろう?」
生命の母体にして、すべての始まり。死の概念を有しない、完全無欠の女神。
ならば、子供が自立する必要もない。母が永遠に在り続けるなら、次代へ託す意味すらないのだから。
「ゆえに、かつての汝は『幼子の自立を拒み、母として永遠に愛し続けたい』という獣性を有した。裁定者として召喚されようと、その性質が完全に消えることはない」
しかし、その「永遠」という獣性は剥ぎ取られた。
ライダー及びキャスターによる、『
悪く言えば、それは「死を自覚し、追い詰められたがゆえの心変わり」に過ぎないのかもしれない。
「……だが、俺はそうは思わん。生命が『死に近づくこと』と、『成長すること』は不可分だろう。ならば、その時にこそ――永遠の停滞は、打ち破られた。だからこそ汝は、『母として』子供の未来を守り……散ることを選べたのさ」
それこそが、ルーラー・ティアマトにとっての「幼年期の終わり」。
獣であることをやめ、無垢という理想郷を去る決意。
「……誰が言った言葉だったか。『少年はいつだって、荒野を目指すもの』らしい。きっと汝は、その背を押すことができる――そんな『母』に、なれたのだろうよ。母を知らぬ俺が、母を語るのは滑稽かもしれないが」
その言葉を聞き、ようやくルーラーは悟る。
アサシンが条件を整えたとはいえ、彼女と敵対するスサノオが、なぜ召喚に応じたのかを。
……旧き神話において。幼き男神は、海を統べよという父の命に背き、ただ母に会うことを求めた。
母の座す黄泉は、とうに閉ざされており――腐り果てたその顔を、もはや見ることは叶わないと知りながら。
そんな彼だからこそ、「母」の呼びかけに応じた。そして、かつて「母」を求めた竜の在り方に、共感を覚えたのかもしれないと。
「……はン、どうだかね。俺がそんな殊勝な神に思えるのならば、そう思うがいいさ」
その返答と共に、槌の音が止む。剣の「作成」が、たった今終わったのだ。
同時に、ルーラーの体も限界を迎えたのか……光の粒となって、少しずつ消え始める。当然、そのサーヴァントもまた同じように。
「これが最後の問いだ。……あの大蛇と白猫は、思うがまま、己が望みをすべて果たした。では、ティアマト。汝は、どうだった?」
……ルーラーの会話機能は、既に残っていない。それでも、最期に聞いた言葉だけは記憶に焼き付いていた。
もどかしくも、薄れゆく意識。それでも最後の力を振り絞って、
「……そうかい。そンなら、良かったよ」
大粒の涙と、溢れんばかりの笑顔を――ただ、そこに遺した。