◆
/ 視点:ダルグレイン
「……ッ、くお……?」
眩しい光を浴びて、目を開ける。
だが、目の前には「光」しかなかった。後ろには「闇」があった。
大地も、空も、海もない。形を持つものが、まだ何一つ定まっていない世界。
そうとしか、言いようがなかった。
「何だここァ……いや、オレは確か……」
脳裏にある、最後の記憶を呼び起こす。
確かオレは、聖剣の光に呑まれて死んだはずだ。再生ができないほどに、燃え尽きて消えたはず――
「あ、起きたか」
――不愉快なほどに無邪気で、呑気な声。
オレを殺した張本人が、光の中心にいた。地面も何もない場所に、当然のように立っている。
「……そういうことかよ。これがお前の願いだってか、アルヴェイル」
恐らくここは、新たな世界を創世する「途中」の空間。あらゆるものが未分化のまま漂う、混沌の中。
その中心に、オレたち二匹だけがいた。
きっとアルヴェイルの野郎が、そう望んだのだろうさ。
「お、おい! どこ行くんだよ、ダルグレイン!?」
光に背を向け、「反対」へと去ろうとして……一度だけ、足を止める。
「決まってるだろう。……テメェと話すことなんぞ何もない。人間の世界で、テメェの願いの中で――生きるつもりもない」
オレは負けた。完膚なきまでに、抑止力にすら拒まれて。
キャスターも、儀式も、大聖杯も、竜の世界も……何もかもが消えた。
「これ以上、できることは何もない……だったら、初めから生まれない方がまだマシだ」
「……っ」
アルヴェイルの手には、聖剣も礼装もない。
どうやら、オレを引き留める手段は何一つ持ち合わせていないようだ。
オレは一歩、「闇」へと足を踏み出し――
「……悔しく、ないのかよ」
背後からの声に、足が止まった。縫い留められたかのように。
「悔しくないのかよ。負けたままで、何もなせずに終わって……悔しくないのかって、聞いているんだよッ!!」
……やめろ。やめてくれ。
どんな慰めも、哀れみも、オレにはきっと届かなかった。聞く耳も持たなかった。
だが、それだけは。
「俺は、嫌だ。俺には、できない。……お前もそうじゃないのか、ダルグレイン!?」
ああ。畜生。畜生――
「ああそうだよ、アルヴェイルッ!! 悔しくて仕方ねえさ……仇を討てなかった。何の爪痕も残せやしなかった! 憎くて仕方ねえ人間どもに! 何の復讐も果たせやしなかったッ!!」
だが、もうどうすればいいか分からない。
いくら改造された頭脳の良さを証明したところで、何の意味もありはしない。
「オレにはもう何も残ってねぇんだよ……テメェと違って、何も――」
「本当に、そうか?」
――両耳が跳ね、背筋が総毛立った。
その声は、空間そのものを貫いたかのように思えた。
「……俺は、ずっとお前に聞きたいことがあったんだ。ランサーの学校でのことを」
目の前にいるのは、本当にあの……あの、馬鹿のアルヴェイルなのかと疑うほどに。
「お前の目的を考えたら、あの学校での出来事も、停戦中のことも、全部“疑われないための嘘”だったのかもしれない。でも、俺には……お前が、あの“殺し合いじゃない時間”を、楽しんでいるように見えたんだ」
更に声は、身を刺すように――いや、オレの「内側」を抉り出すかのように響く。
「お前は、どうだったんだ。あの時間は、お前の中に……何も残らなかったっていうのか」
「……そんな、馬鹿げた話が」
そう言いかけて、口が止まる。
認めるな、と吠えようとした。
だが、脳裏には浮かんでしまう。……くだらないと切り捨てたはずの、無数の場面。
そして、こう思ってしまった。
(――「くだらない」と言えることをするだけの「余裕」は、きっとあの時間にしか……なかったんじゃねえか?)
◇
「……認めてやる。認めてやるよ、アルヴェイル」
長い沈黙の後、オレは口を開く。
アルヴェイルの外見は、何も変わっちゃいないが……それこそバーサーカーのように、「嘘を見抜く」ような超常的な力を、聖杯によって手に入れていないとは「言い切れない」。
ゆえに、オレは――嘘の鎧を脱ぎ捨て、剥き出しの牙を晒すしかなかった。
「ああ、そうさ。……あの時間には、僅かだが安らぎがあった。常に気を張っちゃいたが、それでも……あの時だけは理性的に、“安全”だと判断できた。緊張を、少しでも下ろせていた」
アルヴェイルは、何も言わない。
嘴を固く結んで、オレがすべて言い終わるのを待っている。
「だが、それを認めたくなかった。テメェらは、いずれ殺す相手だったからだ。情が湧いて、牙が鈍ったなんぞ……キャスターのためにも、絶対にあっちゃならねえ。それに……」
「……それに?」
言いたくはない。だが、隠すことに何の意味がある。この場で「嘘をつく」ことが、オレにとって何の「得」になる?
そう思ってしまった途端、言葉が溢れて止まらなかった。
「学ぶことを、ただ役に立つからじゃなく、“楽しい”なんて感じられるのは……それだけの知能があるからだ。だがそれは、オレを製造し改造した、人間どもによって与えられたものだ。……オレが“楽しい”と感じることが、オレを改造した人間たちの成果を認めることのようで――耐えられなかった」
アルヴェイルは、黙っている。
オレが受けた非道に、オレの感情に、言いたいことが山のようにあるのに……
オレが最後まで言い切るのを、堪えていた。
オレの邪魔をしないために。オレが最後まで、溜め込んだものを吐き出し切れるように。
「だからこそオレは、人間たちが兵器として与えた知能を、人間を滅ぼすために使うことにした。それこそが、人間への復讐になるはずだった」
キャスター以外の誰かにこれを言えば、何かが変わっただろうか。
オレの中で、何かが変わったのだろうか。
「オレ達は、生き物として生まれなかった。兵器として作られ、『殺すこと』『任務を果たすこと』『使い潰されること』――それだけを価値として、与えられた」
本当は、それを突き返したかった。
人間が作った兵器が、人間を滅ぼす。
それで、自分たちの「価値」を証明してやろうと思った。
スッキリと復讐を果たし、ざまあみろと嗤ってやりたかった。
「だが、その憎い人間共はもう消えてしまっていた。だから……人間がいた世界そのものを消すことでしか、復讐を果たせなくなって……このザマだ」
人間は嫌いだ。
「すべての人間がオレ達に害をなしたわけじゃない」と、何度言われたとしても……許すことなど、絶対にできはしなかった。きっとそれは、すべてが終わった今でも変わらない。
無為に喪われた、合計百十の同胞たち。オレたちの完成前に散った、それ以上の命――そのすべてに、報いねばならなかったから。
「それでも、走り続けるしかなかった。……あの女の声に、すべてを止められるまではな」
――【ここ」「では」「走れない】。
それは入念に潰したはずだった、大逆転の一手。
最後にオレの心を折ったのは、アルヴェイルと聖剣ではない。
「人間を愛したヨウム」の、アンデッドじみた執念だった。
「……ああ、畜生。悔しい。悔しいさ。だが、もうどうすることもできねえ。復讐を成し遂げることができないオレに、これ以上生きる価値なんぞ――」
「――無いわけが、ないだろ」
声が、もう一度オレを貫いた。
「あるに、決まってるだろ……ッ!! ダルグレインッッッ!!!」
◇
「さっきの話で、ようやく分かったんだ。シェリトが求めたものだとか、皆が言っていた“お金”の話だとか……つまり、“価値”のことが」
荒げた声を少し整えて、アルヴェイルは話し始める。
「なくなったら悲しいもの。奪われたら、怒ってしまうもの。そこにあるだけで嬉しくて、何度でも欲しいと思ってしまうもの……きっと、それが“価値”なんだ……!」
素朴で、初歩的で、幼稚な理解。
パラニールの「頭脳戦」とは比べ物にならないほどの、稚拙な語彙。
なのにオレは、何も言い返せなかった。
「シェリトが欲しがっていた“輝き”も、ユキネが貰った“愛”も、レゼフィルの“声”も、ネゼミアが求めた“強さ”も、パラニールが探していた“平穏”も……多分、そういうものだったんだと思う」
一歩、アルヴェイルは前に踏み出す。
「だったら、お前にもあったはずだ!」
「……何が、だよ」
「価値、だよ。お前がこれまで得た、知識と力も! 怒って、憎んで、悲しんだ想いも!
復讐しなければと思ったほどに大切な、群れとの絆も! お前が聖杯戦争の中で得たことのすべてと、過ごした時間も、僅かだとしても……“楽しかった”という記憶も!!」
ついに、アルヴェイルはオレの目の前まで踏み込んで。
「それらすべてが、きっと『他に代えられない』ほどの――お前だけが持っている、“価値”なんじゃないのかよッ!?」
――自分の価値を、誰かが狭めた価値観で定めるな。
オレを貫く眼差しは、その言葉以上に雄弁に叫んでいた。
「復讐を捨てろ、とは言わない。それこそ、お前の“価値”を捨ててしまう。でも……“人間を直接傷つける”ことだけが、復讐じゃないはずだろ……!」
「……ッ」
「――生きてやること。人間が、お前を羨ましがって“死んでしまいそうになる”くらい……『よく生きてやる』んだよ。人間が『間違えた』と後悔してやるくらい、生きて……お前だけの、価値のあるものを作るんだ。それもまた、一つの復讐になるんじゃないのか!?」
……信じられない言葉に、耳を疑う。
きっとこいつは、「復讐なんてやめろ」などと言うのだろうと思っていた。だが……
(――『Living Well Is the Best Revenge』)
よく生きることこそ、最高の復讐。
かつて人類について調べていたときに偶然知った、古いことわざが脳裏に浮かぶ。
くだらないと一笑に付し、記憶の片隅に追いやったはずの言葉が。
「……俺は、ランサーの学校が楽しかった。みんなと一緒に、知らないことを知るのが、楽しかった。レゼフィルの声も、ユキネが話してくれたことも、パラニールやシェリト、ネゼミア、そしてお前が教えてくれたことも……セイバー達との思い出も、全部なくしたくなかった」
「……まさか、テメェは」
てっきり、「すべてを元に戻した」のだと思っていた。そうすれば、悲しみの記憶も何もかも、なくなるのだから。
「……ああ。いいことも悪いことも、全部かきまぜたものが――今の俺の中身なんだ。俺は、前に進むために……何もかも、全部を求めた」
かつて、キャスターが言っていた。
心の傷は、体の傷よりも治りにくい。どころか、より体を蝕むものだと。
形を持たぬ言葉の槍は、神霊相手でも致命の一撃になり得る。
ゆえに、その傷を抉る策を考え続けるべきだと。
なのに、コイツは。
「お前ならば……俺よりずっと頭のいいお前ならば。きっと、俺が想像できない“価値”を作れるはずなんだ。そんな復讐が、きっとできるはずなんだよ!!」
なぜだ。どうしてなんだ。
オレだって知っている。アルヴェイルが、どれだけ辛い過去を生き抜いてきたのかを。
人間の争いのせいで……オレたちのせいで、どれほどの孤独を味わったのかを。
なのにどうしてそんな、
「……綺麗ごと、を……」
「――綺麗で、いいだろ。綺麗なことの、何が悪いんだよ!!」
「……!!」
「嘘をついて、誰かを騙して、心に闇を抱えて生き続けるより……よく生きることの方が、ずっと大変で……!!
……ようやく理解できた気がする。
なぜ、アルヴェイルが聖剣を手にできたのかを。
(どこまでも青く、馬鹿みてえに真っ直ぐで、清廉な理想主義者……「そういうこと」じゃねぇかよ)
奴に、「私欲を捨てた」つもりなど毛頭ないのだろう。
むしろ、自分の欲で動いているのだと――きっと、言い張るのだろう。
(……そんなわけが、ねえだろう。テメェは、人間の価値観を、そっくりそのまま学んだつもりなんだろうが……)
――人間が皆、テメェみたいな奴だったら。
オレはきっと、ここにはいなかったよ。
◆
創世の場を包んだ、長い沈黙。それを破ったものは――
「……ダルグレイン? お前……」
一つは、困惑したアルヴェイルの声。
そしてその隣を過ぎ去って、「光」へと歩いていく狼の足音だった。
「オレは、完全に納得したわけじゃねえ。人間を許すことも、テメェらに詫びるつもりもねえ。負けたのは事実だが、オレたちが“間違っていたから”だとは、絶対に認めねぇ」
少し遠くから、ダルグレインは振り返る。わずかに、かつてのように口角を上げて。
「だがあえて、テメェの口車に乗ってやる。テメェの青い綺麗ごとに、乗せられてやる。ただし、オレなりのやり方でな」
「……どうするつもりなんだ? どこに行くつもりなんだ?」
思わず口をついて出たアルヴェイルの疑問に、狼は鼻を鳴らして答える。
「――パラニールたちのもとに。あれだけの群れを率いるには、一頭のリーダーじゃ足りねえだろ」
「……! あの、ランサーの……」
壁は崩れ、学びの途中で動物たちは「楽園」を追われた。
それでも、かろうじて竜の加護が残る森の中で、象は彼らを教え導く覚悟を決めていたが――
「テメェと同じで、あの野郎もところどころで甘いからな。奴が理想と教育を担うなら、オレが現実と危機管理を担う。その二枚看板で、烏合の衆を強大な群れに育て上げてやる。――人間どもが、己の愚かさを思い知り……歯噛みして羨むほどに……!!」
その宣言と歩みに、以前の無気力はもはや残っていない。
溢れんばかりの野望と、欲と――「生」に満ちていた。
「それと、アルヴェイル。……ランサーの散り際の言葉を、覚えているか?」
振り返らず、ダルグレインは問う。少しの沈黙の後、アルヴェイルは、
「……覚えている。教え導かれた獣は、もう野生には還れない。導き、寄り添い、悩み続けろ。それが祈り、願った者の義務で……生きるということだって」
まるで違わず、暗唱する。
それこそが、彼らの願いを阻んだ者の責務だと言わんばかりに。
「……だったら。オレが“どうしようもなく間違えた”ならば、テメェが止めに来い。それこそが、抑止力に導かれ、聖剣を手にして――オレを生かしたテメェの、新たな責務だ」
数度の瞬きと、深呼吸。……そして。
「分かった。……正直に言うなら、お前は強いから、必ず止められる自信はないけどさ。でも、絶対に行く。――お前を生かすって、決めたから」
「……ヘヘッ。そこァ、絶対に止めるって言ってほしかったですがねえ……なんてな」
最後に、もう一度だけ「アルヴェイルがよく知っていた」笑いを浮かべて。
狼は、光の中に消えていく。
アルヴェイルは、その遠くなる背を――ずっと、見つめていた。
◆
彼は、海を見ていた。
魂すら凍える極寒の地。
純白の地獄に立ち――彼はただひたすらに、海を見ていた。
その傍らには、黄金の聖剣。
後ろには、彼を真似て海を見つめる小さな背中。
「……」
多くの出会いがあった。
別れがあった。
哀しみがあった。
流血があった。
それでも――自分たちは「一歩先」に進んだのだと、そう信じた。
幾多の「声」を思い出す。
彼らと再び会うことは、ないのかもしれない。
だが、肉体が滅びても……記憶の中に命は宿る。
あのやかましい彼女が、証明してみせたように。
(……あ、)
吹雪は、いつの間にか止んでいた。
長い長い、夜が明ける。
彼は目を閉じ、静寂に耳を澄ませる。
――遠くから、汽笛の音が高らかに響いていた。
Fate/Draco―蛇竜王戦線(完)