ウマ娘 地上の輝く星   作:ステイタキオン

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全日本ジュニア優駿

 川崎レース場のナイター照明に照らされた重厚な砂舞台。現在、国内のジュニアクラス(2歳)限定のダートレースとして唯一のJpnⅠ競走であり、全国の地方競馬に所属する生え抜きのウマ娘と、中央から遠征してきた新星ウマ娘が一堂に会する「ジュニアダート王決定戦」である。

 師走の冷たい夜気を切り裂く地鳴りのような地響きは、未来の砂の絶対王者を決めるための咆哮に他ならない。

 

「アグネスワールド、アグネスデジタル、ユートピアらが、のちに海外重賞を制するなど国際舞台で活躍。ここから未来のスターが生まれるかもって編集長に言われてきたけど……」

 

 記者、遊佐よし子は、手に持った出走表とノートを見比べながら小さく溜息をついた。

 かつてオグリキャップが巻き起こした、日本中が狂狂としたあの社会現象を知っている身からすれば、平日の地方レース場で行われるダートのジュニア級レースは、どこかローカルな雰囲気が漂い、中央の華やかなクラシック路線に比べてイマイチ盛り上がりに欠けるように見えるのも無理はなかった。

 世間の耳目を集めるのは、いつだって綺麗に整えられた芝の上を走るエリートたちだ。

 

「ちゃんと見ておいた方がいい。ここで盛り上げてほしいですから」

 

 不意に隣からかけられた若く、しかし芯のある声に、よし子は弾かれたように視線を巡らせた。

 

「矢萩トレーナー」

 

「お疲れ様です、遊佐さん。奇遇ですね」

 

 特徴的な帽子を軽く指で押し上げながら、中央の若手トレーナー、矢萩流星が苦笑いを浮かべて立っていた。

 偶然にも観客席の同じブロックで隣り合わせることになった二人。だが、矢萩の視線はよし子に向けられることなく、すでに眼下に広がる漆黒のダートコース、そのアップを行う一人のウマ娘へと完全にロックオンされていた。

 

 よし子もまた、誘われるように視線を戻す。川崎の砂を踏みしめ、他を威圧するようにポニーテールを揺らす青鹿毛のウマ娘。

 ミリタリーを少女アレンジした様な戦う者をイメージした勝負服を身にまとい静かにアップをしている

 

 「一番人気スターズシャイン」

 

 よし子がその名を呟くと同時に、手元の資料の異様な数字が嫌でも目に飛び込んでくる。

 

 スターズシャイン 五戦五勝。

 六月 メイクデビュー(ダ)

 八月 中京ジュニアS(芝)

 十月 なでしこ賞(ダ)

 十一月 北海道ジュニア優駿(ダ)

     兵庫ジュニアグランプリ(ダ)

 

「五戦五勝で既に重賞勝利をあげている……普通、デビュー戦を勝ったらしばらく休養に入ったり、間隔を空けて大事に使ったりするものじゃないんですか? 中等部のウマ娘ですよ?」

 

 よし子は記者としての常識を揺さぶられ、困惑の声を上げた。中央のノーブル・ファーム(NF)をはじめとする最先端システムでは、ジュニア期は体力の消耗を避けるために数ヶ月の間隔を空け、狙い澄ましたGⅠへ最小限の手数で挑むのが「科学的な正解」とされている。ドゥラメンテやサトノクラウンといった同世代のエリートたちも、当然その過保護なまでの王道ルートを歩んでいた。

 

 それに対して、スターズシャインのローテーションはあまりにも苛烈、かつ無軌道だ。

 芝のオープン戦に突撃したかと思えば、十一月には門別(北海道)と園田(兵庫)を渡り歩く交流重賞のハシゴ。まるで昭和の怪物ウマ娘のようなタフネスさである。

 

「まあ、それは芝のエリートたちの方ですかね。ダートは地方含めればレースの数も選択肢も多いから、頑健な体を信じてたくさん走るのもありなんですよ」

 

 矢萩は双眼鏡を覗き込んだまま、悪びれずに言った。

 その口元には、かつて彼が師事し、いつも独特な帽子を被っていた『あの偉大な先達』と同じ、不敵な笑みが浮かんでいる。

 

「実戦こそが最大のトレーニング。芝だのダートだの、中央だの地方だのという狭い境界線で、この馬鹿げた怪物の器を測っちゃいけない。……あいつが目指しているのは『日高の星』、つまり泥泥の雑草たちの意地そのものですから」

 

 カツン、カツン、とゲートへ向かうスターズシャインの蹄鉄の音が、観客席の喧騒を突き抜けて矢萩の鼓膜に心地よく響く。

 世界を驚かせる一等星への階段。その最初の絶対的な証明の瞬間が、今まさに始まろうとしていた。

 

……

 

 川崎レース場のダート1600mは、4コーナーの奥深くにあるポケットからスタートを迎える。最初の1コーナーまでの直線は約500メートル。これだけ長ければ本来は隊列がすんなりと決まり、道中のペースは落ち着く傾向にある。だが、ひとたび向こう正面を過ぎれば、南関東の4競馬場の中でも屈指と言われる「タイトな急コーナー」がウマ娘たちの遠心力を奪いにくる、極めてトリッキーなコースだ。

 

『全日本ジュニア優駿、各員一斉にスタート! 激しい先行争いが始まります!』

 

 ゲートが開き、ナイター照明に照らされた漆黒の砂塵が夜空に舞う。

 

「ん?」

 

 遊佐よし子が双眼鏡の倍率を上げた。

 スターズシャインの脚質は、あの模擬レースでも見せた、後方から全てをねじ伏せる圧倒的な「追い込み」。当然、今回もスタート直後は集団の後方に位置を下げる。

 だが、今回はこれまでと違った。

 スターズシャインが動くのを見越して、地方・中央の有力ウマ娘たちがまるで大きな盾のように彼女の目の前に立ちはだかり、強固な「壁」を作り上げていたのだ。

 

「何あれ? あれじゃあスターズシャインが前に進めないんじゃ……!」

 

「示し合わせたわけじゃないでしょうね。なんと言っても無敗の五戦五勝、単勝一番人気です。複数人から徹底的にマークされて蓋をされるのは競馬(レース)の常。……だけど、あの壁は長くは続きませんよ」

 

 矢萩は双眼鏡を覗いたまま、微動だにせず冷静に戦況を分析していた。

 

「え?」

 

「スターズシャインを直後でマークして潰そうとするウマ娘もいれば、彼女の末脚が炸裂する前に、セーフティリードを奪って逃げ切ろうとするウマ娘もいる。その思惑のズレのせいで、前半のペースが想定以上に速くなっているんです」

 

 矢萩の言う通り、前方の集団の中では焦りと野心が交差していた。

 「スターズシャインを引き付けたいグループ」と「早く引き離したいグループ」が互いに牽制し合った結果、本来なら落ち着くはずの道中ペースが、ジュニア級としては異例のハイペースへと跳ね上がっていく。

 

(なるほどな。前は完全に壁か。だったら――今は無理に押さず、ペースを落とすまでだ)

 

 砂の遮蔽物に阻まれた視界の中で、スターズシャインの知性が冷静に光る。

 普通なら、前を塞がれた焦りからパニックを起こしてスタミナをロスするところだ。

 しかし、彼女はジタバタすることなく、自らスッと重心を下げて進路を外へと切り替え、嵐が過ぎるのを待つようにパワーを足元に溜めることを選択した。

 

「そうだ、それでいい」

 

 愛弟子の冷静な判断に、矢萩の口元が満足げに釣り上がる。

 南関一のタイトな急コーナーが目前に迫る中、極限のハイペースでスタミナを削り合う前方集団の背後で、青鹿毛の怪物がその牙を静かに研ぎ澄ましていた。

 

 『さぁ、3、4コーナーの急カーブを終えて、運命の最終直線に入った! 先頭争いは激戦、しかしスターズシャインはまだ来ないか!?』

 

 川崎レース場の残り400メートルを切る長い直線。前方のハイペースに耐えかねた先行集団の足が鈍り、スターズシャインの行く手を阻んでいた強固な壁が、ついに決壊するようにガラガラと崩れ落ちた。

 

「今だ!」

 

 矢萩の鋭い咆哮とシンクロするように、スターズシャインの瞳に鋭い光が宿る。

 崩れた壁のわずかな隙間――針の穴を通すようなその漆黒のヴィクトリーロードへ、彼女は一気に身体を滑り込ませ、爆発的な加速を叩き込んだ。

 彼女が並びかけ、置き去りにしていく瞬間、まるで周りの時間が止まったかのような錯覚さえ覚える圧倒的な次元の違い。

 

『インコースから一気に突き抜けた! スターズシャイン、異次元の末脚! 異次元の強さ! 影をも踏ませぬ独走で今、ゴールイン!!』

 

 圧倒的な大差。ざわめきから地鳴りのような大歓声へと変わる場内。

 しかし、真の衝撃は、その直後に電光掲示板に表示された「ある数字」によってもたらされた。

 

「1分39秒3……!? 嘘でしょ、重馬場でもないのに……あのラブミーチャンのレコードを超えたの!?」

 

 遊佐よし子は手帳を落としそうになりながら、電光掲示板の数字を凝視した。

 

 それまでの全日本ジュニア優駿のレースレコードは、地方・笠松の快速ウマ娘ラブミーチャンが、脚抜きの良い重馬場で叩き出した「1分40秒0」

 これは「ジュニア級のウマ娘には絶対に破れない絶対の壁」と言われ続けてきた不滅の記録だった。

 それをスターズシャインは、良馬場の過酷な砂を突き破り、驚異の「1分39秒3」で粉砕してみせたのだ。

 

「凄い……本当に、とんでもない怪物を引き当てたのね、矢萩トレーナー」

 

 よし子は興奮で震える声を抑えきれず、隣の青年に視線を向けた。これで無敗の6戦6勝、ジュニアダート王の座は完全に彼女のものだ。

 

「これほどの逸材、来年のクラシック級で、スターズシャインは一体どこへ向かうの? ……やっぱり、砂の世界の頂点ですか?」

 

「ダービーですよ」

 

 矢萩は静かに、しかし確信に満ちた声で答えた。よし子は納得したように深く頷く。

 

「なるほど。アメリカのケンタッキーダービーに殴り込みをかけるわけね」

 

「違いますよ、遊佐さん」

 

 矢萩は特徴的な帽子の庇をくいと上げ、――遥か東京レース場の、美しく整えられた緑の芝生を思い描くように不敵に笑った。

 

「東京優駿……日本ダービーです。あいつを最高の一等星にするために、俺たちはあの『芝の祭典』を獲りに行きます」

 




矢萩流星
20代後半
地方上がりの新人トレーナー
本番になると割と強気
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