ウマ娘 地上の輝く星   作:ステイタキオン

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裏日本ダービー1

 東京レース場の興奮も冷めやらぬまま、夜の帳が下りた府中の街。大通りの喧騒から少し外れた居酒屋の広々とした個室では、数時間前まで互いに火花を散らしていた者たちがテーブルを囲んでいた。

 

「ということで! 今回はトレーナーの方々にお集まりいただきまして、公式インタビュー前、矢萩トレーナーのフライングダービー祝賀会を始めまーす!」

 

 記者である遊佐よし子の音頭に合わせ、並んだ大ジョッキが一斉に激しくぶつかり合う。ガシャン、と小気味いい音が個室に響き、黄金色の泡が勢いよく弾けた。

 

「……あの、遊佐さん。インタビュー前の祝賀会って何ですか。順番がめちゃくちゃでしょう」

 

 矢萩が苦笑しながらジョッキを置くと、よし子は「良いじゃないですか、おめでたいんだから! 飲みましょう!」と、すでに上機嫌でビールを煽っている。

 

 今回の集会は、遊佐が個人的に声をかけた異例のメンツだった。

 キタサンブラックを擁して激走を見せたチーム・スピカの沖野トレーナー。

 そしてサトノクラウンを3着へと導いたチーム・カペラのメイドトレーナー。

 ダービーの歴史的死闘を特等席で繰り広げた当事者たちだ。

 

「そういえば、出室さんは? あの人ならこういう酒の席、真っ先に中央に陣取りそうですけど」

 

 矢萩の問いに、沖野が枝豆を口に放り込みながら応じる。

 

「出室のところはチーム内で別の祝賀会やってんだとよ。身内だけで大盛り上がりらしいぜ。……それよりもよ、矢萩。そろそろ教えろよ」

 

 沖野のその言葉に、個室の空気が確かに、そして静かに変わった。

 カペラのメイドトレーナーも、お茶をすする手を止めて、眼鏡の奥の鋭い視線を矢萩へと向ける。

 

「お前と出室さんが、水面下で色々と策謀を仕組んでたのは何となく分かっていたけどよ。あのローテーション、一体どこからが狙い通りだったんだ?」

 

「策謀なんて人聞きの悪い……。ただ俺は、スターズシャインを勝たせるために、ドゥラメンテという壁を近くで観察したかった。だからリアルスティールを臨時の担当トレーナーとして指導させてもらって手の内を覗かせてもらった。その後、皐月賞をパスして東京マイルに直行させるために、あえて出室さんにスターズシャインを指導してもらって……」

 

「それで世間に、スターズシャインはダート上がりのマイラーだと思わせたわけですか。弥生賞の敗北すらブラフに使うとは、恐ろしい人ですね」

 

 カペラのトレーナーが淡々と指摘するが、矢萩は首を横に振った。

 

「いえ、出室さんに全権を任せたのは、まだ弥生賞を走る前ですからね。あの時点でスターズシャインをマイラーだと決めつけて、皐月賞をハナから捨てるなんてギャンブルはしていませんよ」

 

「……それもそうか。あいつの資質を見抜いたのは、走った後の出室の眼力ってわけだな」

 

 沖野は納得したように腕を組んだ。

 

「適正距離ですよ」

 

 矢萩がさらりと告げたその言葉に、沖野とカペラのトレーナーは思わず顔を見合わせた。

 

「適性距離……? いや、お前さっきスターズシャインをマイラーって決めつけてないって言ったばかりだろ」

 

 沖野が怪訝そうに眉をひそめ、手にした焼き鳥の串を止めた。カペラのメイドトレーナーも、値踏みするような視線を矢萩に投げかける。

 

「ええ、決めつけてはいませんでした。だからこそ、あの二つのレース――中山の芝二千である弥生賞と、東京の芝千六のNHKマイルカップの結果が必要だったんです」

 

 矢萩は人差し指を立て、冷えたジョッキの表面に浮かぶ結露をなぞりながら、静かに、しかし確信に満ちたトーンで言葉を続けた。

 

「俺の仮説ですが、長距離を走れるウマ娘の中には、本質的に『2400m型』と『2000m&3000m型』に分かれるタイプが存在するんです」

 

 その奇妙な区切り方に、沖野が呆れたように鼻で笑った。

 

「そんなこと言ってる奴、中央の育成理論のどこかにいたか?」

 

「誰も言ってませんよ。俺が勝手に考えたものです」

 

「んだよそれ。相変わらずお前の理論はオカルトじみてんな」

 

「オカルトじゃありませんよ。過去の偉大な走跡(レースレコード)を紐解けば、そこには明確な『歪み』が存在するんです」

 

 矢萩は人差し指の結露をテーブルに押し付け、一本の直線を引いた。

 

「象徴的なのが皇帝、シンボリルドルフです。あの絶対的な怪物が生涯で初めて敗北を喫したのは、2400mのジャパンカップでした。そしてその後、世界へ挑んだアメリカの地でも、同じ2400mのサンルイレイステークスで6着に沈んでいる。3200mの天皇賞や2500mの有馬記念をあれだけ圧倒的に勝っておきながら、なぜか2400mという距離でだけ、本来の絶対性が揺らいでいる」

 

 その指摘に、それまで黙って聞いていたカペラのトレーナーが、ふむ、と顎に手を当てた。

 

「……確かに、ルドルフさんは2000mの皐月賞や秋の天皇賞、3000mの菊花賞を圧勝している『2000m&3000m型』の極致と言えるかもしれませんね。対して、その系譜はどうです?」

 

「テイオーさんはダービーを勝ち、ジャパンカップを勝ち、2500mの有馬記念まで勝っている。彼女こそが純然たる『2400m型』の天才。そして、そのテイオーさんを春の天皇賞で破ったメジロマックイーンさんは、3200mの絶対王者であり、降着処分にはなりましたが、2000mの秋の天皇賞も圧倒的な1着入線だった。つまりマックイーンさんは『2000m&3000m型』の王道です」

 

「待て待て」

 

 沖野が自分の頭を整理するように手掌をこちらに向けた。

 

「言われてみれば、菊花賞と皐月賞を勝ってダービーを落としたセイウンスカイや、同じく二冠牝馬のゴールドシップも、2400mのダービーやジャパンカップより、2000mや3000m級で爆発的な強さを見せていたな。逆に『2400m型』と言えば、ダービーとジャパンカップを東京の2400mの舞台で極限まで引き出したジャングルポケットなんかもその典型か……」

 

 遊佐よし子が、ビールを飲むのも忘れて猛烈な勢いでノートにペンを走らせる。

 

「ということは、矢萩トレーナー。適性距離というのは、1600mから2000mへ、2000mから2400mへと、数字の順に滑らかに伸びていくものではなくて、タイプによって『飛び飛び』になることがある、ということですか?」

 

「もちろん、他にも直線の長さやコーナーの回数、当時の体調や天候などにも左右されるが、本質的にはそれらのタイプの距離適性があると考えています」

 

「ちょっと待てよ」

 

 それまで黙って顎をさすりながら話を聞いていた沖野が、ドン、と少し強めにビールジョッキをテーブルに置き、矢萩を真っ直ぐに見据えた。

 

「今の理論は分かった。だが、時系列がおかしいだろ。スターズシャインが2400mを走ったのは、今日のダービーが人生で初めてだったはずだ。お前、まさか『2000mの弥生賞がダメだったから、数字がさらに伸びる2400mのダービーなら逆に走れるかもしれない』なんて、そんな一か八かのギャンブルで、あのウマ娘の命運を賭けたわけじゃないだろうな?」

 

 沖野の目は笑っていなかった。トレーナーとして、ウマ娘の身体を預かる者として、もし目の前の男がただの「神頼みの博打」で変則二冠ローテを選んでいたのなら、決して許すわけにはいかない――そんな強い意志が、その問いかけには籠もっていた。

 

 だが、矢萩は表情一つ変えず、琥珀色のカクテルを静かに回した。

 

「まさか。そんな無責任なことはしませんよ、沖野さん。俺が確信を持てたのは、スターズシャインがまだジュニア級だった頃……あの全日本ジュニア優駿の1600mで、異次元のレコードを出して圧勝したからですよ」

 

「え……?」

 

 沖野が虚を突かれたように目を見開く。

 カペラのメイドトレーナーも、遊佐よし子も、一瞬だけ言葉の意味が理解できずに動きを止めた。川崎の、それも砂(ダート)の1600mのレースが、なぜ芝の最高峰である日本ダービー2400mの根拠になるのか。

 

「沖野さん。あなたが本当に教えてもらいたい『俺が仕掛けた算盤のすべて』には、まさにその全日本ジュニア優駿が深く関係してくるんです」

 

 

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