ウマ娘 地上の輝く星   作:ステイタキオン

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裏日本ダービー2

「全日本ジュニア優駿の圧勝が真実か?」

 

 沖野が探るように目を細め、手元のジョッキをコツンとテーブルに置いた。

 

「ええ。あのレースの後、俺の中にとある疑問が浮かびました。だからこそ、その後の二つのレースで、どうしてもそれを検証したかったんです」

 

「検証したいこととは?」

 

 カペラのメイドトレーナーが、身を乗り出すようにして問いかける。矢萩は静かに二本の指を立てた。

 

「2000mの適性と、坂の適性です。それも、芝も含めて」

 

「距離と、坂か」

 

「全日本ジュニア優駿では、レコードを出すほどの圧倒的な活躍を見せました。ですが、あまりにも強くて速かったからこそ……俺は、スターズシャインが勝てる芝のGⅠが、中央には存在しないのではと思ったんです」

 

「強くて速かった『からこそ』? んだよそれ、矛盾してねぇか」

 

 沖野が怪訝な顔で首を傾げる。矢萩は首を横に振った。

 

「あれが『川崎のレース場』だったからですよ。地方のレース場は、中央のレース場と違ってほとんど平坦で、坂が緩いんです。あそこでの圧倒的な強さは、裏を返せば『平坦1600m専門のダートウマ娘』と断言してしまえるほどに、その一点において研ぎ澄まされすぎていた」

 

 その言葉に、遊佐よし子とカペラのトレーナーがハッとしたように息を呑んだ。

 

「……なるほど。確かに、中央の芝のマイルGⅠを考えれば、マイルチャンピオンシップには『淀の坂』と呼ばれる京都特有の起伏があるし、安田記念やNHKマイルカップが行われる東京にも、直線の途中に高低差2mのタフな上り坂が待ち構えている」

 

 カペラのトレーナーが、矢萩の思考をトレースするように呟く。

 

「その通りです。平坦な砂しか知らない彼女が、中央の芝の『坂』でどれだけ脚を使えるのか、全くの未知数だった」

 

 矢萩はテーブルの上のグラスを指先でそっと押し、二つのコースをなぞるように動かした。

 

「だからこそ、出室さんに預けた中山の弥生賞では『急坂を越えて2000m以上を走れるか』を試し、東京のNHKマイルカップでは『長い直線で芝のスピードを維持しつつ、坂を登り切れるか』を試したんです」

 

 結果として、弥生賞ではタイトなコーナーと急坂に脚を削られて敗北したが、NHKマイルカップでは見事に東京の坂を駆け上がり、芝のトップスピードを証明してみせた。

 

「もし、どちらかのレースで『坂』そのものに全く対応できずに適性が崩れていれば、潔く芝を諦めてダート戦線に戻るなど、選択肢も増えますからね。……ですが、あいつは東京の坂なら力でねじ伏せられることを、自らの脚で証明してくれたんです」

 

 慎重すぎるほどの石橋の叩き方と、そこから導き出された大胆極まりないダービーへの挑戦。

 矢萩の底知れない計算の全貌を前に、個室には再び、熱を帯びた感嘆の溜息が漏れ出た。

 

「あれ? でも、全日本ジュニア優駿で勝った時から日本ダービー狙ってましたよね。そう言ったから私も記事組んだんですけれど」

 

 遊佐が、ノートに挟んでいた取材メモをペラペラとめくりながら、不満そうに頬を膨らませた。

 

「正直、あの時はテンションで言ってたのもあります。けど、いざとなったら、坂を何度も走らせて力づくで坂を克服させるっていう手もありましたから」

 

 矢萩が頭を掻きながら白状すると、沖野が「お前なぁ……」と呆れたように笑う。だが、すぐに何かに気づいたように、腕を組んで矢萩を睨んだ。

 

「そういえばよ。なんでNHKマイルカップが大丈夫なら日本ダービーも大丈夫ってことになるんだ? 坂の適性が分かったところで、距離は別問題だろ。もしダービーを本気で狙うなら、同じ東京2400mの舞台である青葉賞を走らせて、事前に距離を試すっていう手もあったじゃねえか」

 

 その言葉に、カペラのトレーナーがぽつりと言った。

 

「あれ、話が振り出しに戻っていませんか……?」

 

「さっき俺が言った距離適性を思い出してください。あの理論の中には、もう一つの法則があるんです。――本質的な『2400m型』の中には、同時に1600mも滅法得意なウマ娘が多い、と言ってもいいのかもしれません」

 

「はぁ!? また距離が飛んでるじゃねえか! 1600mから2400mって、マイルと中距離じゃねえか!」

 

 沖野が頭を抱えて叫ぶ。数字の順に伸びない矢萩の適性論に、脳の処理が追いつかないらしい。

 

「ほら、身近にいるじゃないですか。スピカにだって、まさにその体現者が」

 

「スピカに……」ウオッカか!?確かにあいつはダービーを勝ち、ジャパンカップも勝っている。その上で、マイルの安田記念を2連覇、ヴィクトリアマイルも勝っている。1600mの成績に関しては、GⅠで4勝、2着2回だ……!」

 

「2歳マイル王を決める朝日杯フューチュリティステークス(1600m)を勝ったウマ娘の中で、後に日本ダービーを勝ったウマ娘を挙げてみてください。三冠ウマ娘のナリタブライアン、二冠のミホノブルボン、アイネスフウジン、サクラチヨノオー、メリーナイスと六人います」

 

「多い……?」

 

 遊佐が恐る恐る尋ねる。

 

「GⅠを一つ獲るのすら奇跡と言われる中央で、そこにその二つの勝利が六人も並んでいるなら、確率的にめちゃくちゃ多い方ですよ。つまり、地方ダートにおける朝日杯FSとも呼ばれる全日本ジュニア優駿(1600m)をあのパフォーマンスで勝っているウマ娘なら、もし芝に対応できれば、本質的に2400mも絶対に走れる。俺はそう踏んだんですよ」

 

 沈黙。

 今度は、沖野が目を見開いて矢萩を凝視した。

 

「……そうか。その距離理論を提唱しているのはお前一人だけだ。そして、その前提の知識がない限り、世間はもちろん、あの出室さんでさえ、NHKマイルCを勝ったスターズシャインを見て『やはりこの子はただのマイラーだ』としか判断できない。そこを突いたのか、お前は……! 出室さんにわざと先入観を与えたってことか!?」

 

「はい。あの二つのレース――弥生賞とNHKマイルCのローテーションをあえて出室さんに任せたのは、世間にも、そして出室さん自身にも『スターズシャイン=マイラー』という完璧なブラフを植え付けるため。あそこでスターズシャインの評価がマイルに固定されたからこそ、ダービーのマークは薄くなり、ドゥラメンテ一強の油断が生まれた」

 

 矢萩は手元のグラスを持ち上げ、ライバルたちに向けて静かに掲げた。

 

 「以上が、今回の日本ダービーにおける、俺の算盤のすべて。……これが、真実となります」

 

 矢萩がそう締めくくると、個室の中にはしばし、言葉にならない濃密な沈黙が流れた。

 

「……深いな、矢萩。そこまで緻密に策を練ったお前もだが、その通りに完璧なレースを演じてみせたスターズシャインも凄い。お前らの間の信頼関係ってのは、言葉がなくてもそこまで通じ合えるもんなのかよ」

 

 沖野が深く感心したようにため息を吐き、ジョッキを傾ける。

 だが、矢萩はカクテルグラスを弄びながら、平然とした顔で首を横に振った。

 

「いえ、言ってませんよ。一言も」

 

「……は?」

 

「だから、その作戦のことなんて、あいつには一言も伝えてません」

 

「マジか!? お前、あの暴君に何も言わずにあの変態ローテ走らせてたのかよ! 少しでもあいつが違うことされたら、お前の作戦なんて全部パーじゃねえか!」

 

 今度こそ沖野が目玉が飛び出そうなほど驚いて叫んだ。よし子も呆然と口を開けている。

 何しろ、一歩間違えればダービーの栄冠どころか、ウマ娘のキャリアに泥を塗りかねないギリギリの綱渡りだったのだ。

 

 しかし、矢萩はただ、悪戯が成功した子供のようにフッと笑っただけだった。

 

「それでも良かったと思いますよ。もしあいつが、俺の計算を超えて突拍子もない動きをしていたなら……きっとスターズシャインは、俺の思いもよらない別の方法で、あのダービーを力づくで勝ってましたから」

 

「……お前……」

 

「俺が算盤を叩いたのは、あいつの勝利の確率を1%でも上げるためです。でも、あいつの本質は、そんな計算の枠に収まるような器じゃない。だから、むしろ今回『同着(引き分け)』という結果に終わったのは、あいつのせいじゃない。俺の策が、ドゥラメンテの底力に対して少し甘かったからですよ。あいつは100%以上の走りをしてくれました」

 

 誇らしげに、しかし少しだけ悔しそうにそう語る矢萩の言葉に、沖野は言葉を失った。

 

 信頼しているから作戦を伝えるのではない。

 どんな作戦を立てようが、立てまいが、あいつは絶対に勝つ。そう心の底から信じ切っているからこそ、トレーナーは孤独に自分の仕事(算盤)だけに没頭できるのだ。

 

「そうか……」

 

 沖野は静かに呟き、自分のジョッキを矢萩のグラスに軽くぶつけた。チリン、と澄んだ音が響く。

 

「主役はウマ娘、か。出室が言ってた言葉の意味が、今になって本当によく分かったぜ」

 

「全く、とんでもない相棒を持っちまいましたよ」

 

 矢萩は苦笑しながら、今度こそカクテルを飲み干した。

 

 誰も知らない、日本ダービーの裏の真実。

 常識を覆した若きトレーナーの暗躍と、それを知ってか知らずか、ただ己の輝きのためだけに東京の直線を駆け抜けた一等星。

 二人の怪物によるトゥインクルシリーズの革命は、この夜の宴を経て、まだ見ぬ秋の爆発へと、静かに、しかし確実に牙を研ぎ始めていた。

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