頭部外傷による、エピソード記憶の欠落。桃色の髪をした救護騎士団の先輩から真剣な顔で、そう言われて初めて私は。
⋯⋯それを聞いてもまだ。ナツの、タチの悪いイタズラである、という線を捨てきれずにいる。
色んなことを説明してもらっている。一時的な物であるか否か、とか。パターンごとの対処の方針とか。記憶が戻った前例も、とか。
それら全部が、ナツの倍ある私の耳にはまたも、一文字も届かない。
私の隣で。私とは違って、真っ直ぐに看護婦さんを見つめて説明を聞くナツは。結構な頻度で「ほぉ」とか「ふむ」とか「おぉ」とか「ぅぃっ」とか、中身のない相槌を返している。
いつも通りに緊張感がないように見えて。少しだけ眉をひそめ、肩を竦めて。こわばりが、抜けずにいるその姿は。
「⋯⋯」
これが演技ならとんだ名女優だ。潔く騙されてやろう、と。思い出せるものを聞かれて、私を指差しながら「これがカズサ」とのたまったナツに睨みを効かせながら。
私はまだ。安心していた。
なんにせよ、目覚めてくれたのなら、と。
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部室内に。ヨシミが借りて来た安っぽいスピーカーから、バースデーソングが相も変わらず響いている。三曲しかないプレイリストを順繰り回して。今流れている二曲目を聞くのはもう20回目くらい。
机の上で湯気を出し切ったティーセットが、「HAPPY BIRTHDAY AIRI」の文字にお手製の、お世辞にも綺麗とは言えない100均製の装飾が施された風船を眺めている。
クリームとかジャムとかがべっとりついた紙皿を纏めた袋は、今しがたヨシミとアイリが持って行った。主役だって言うのに、「だからってじっとしているのはもどかしい」とか言って、ヨシミを手伝って。
もうちょっと片付け楽な奴、選べばよかったかな。そんなことを思いながら、私は。さっきみんなで食べたクッキーの食べかすを雑巾で拭って、机の縁に沿わせたちりとりで受け止める。
歯の隙間に残ったココアの風味。中身の少ししっとりとした食感が、紅茶によく合う。
これを買ったのは昨日。選んだのはナツ。
その事を、私の後ろで「よぉーっ」とか声を上げて飾りを剝がしてく、当の本人は覚えていない。
「どれ」が「何」かはわかる。けど、それについての「自分の思い出」が欠けている。今のナツは、ざっくり言うとそんな状態らしい。ここまで全部、救護騎士団の──セリナさんの受け売り。を、ナツから聞いたもの。受け売りの受け売り。
私を見て、初めに「カズサ」と言ったのは。私という外見の生徒が「カズサ」である、という所は覚えているから。学区内の風景を見ればここが「トリニティ総合学園」である事は思い出せる。
けれど。トリニティで過ごした日々は記憶にない。私と昨日何を話して買い物していたかは忘れてる。病室で目を覚ましたあの時。目の前に居ない「アイリ」の事は、思い出せなかった。
────事情は、先んじてモモトークで説明した。『放課後スイーツ部』のグループトークで。
────『???』アイリの返答。
……お前。
私の横で首を傾げてスマホを叩くナツに、私はそっと目線を向けた。
「放課後、スイーツ部……?」
そこかよ。確かに、本当に忘れてるんならそうだろうけどさ。
「……いや待って。“それも“?」
「なんじゃそりゃー、って感じ。面白そうとは思うけど、ねー」
きゅっ。と、胸が締まるような、そんな思いがした。
『────ごめん。“あいり”って、誰、だっけ……?』
……アイリの、事も?
私は黙って、再びスマホに目を落とした。指を滑らせて、言葉を紡いだ。
「セリナさん、何て言ってたっけ」
そうやってナツに問いかけながら、私はスマホの画面を勢いよくスクロール。
たぶん、この判断は正しかったと思う。“コレ“は、心の準備が無いと結構ショッキングだから。
「……この子、分かる?」
ナツに見せたのは、写真。放課後スイーツ部4人で、遊園地に遊びに行った時のやつ。ナツとヨシミに押しに押されて、アイリの一声で買う事になった、死ぬほど似合ってないカラフルなカチューシャを着けた私と。押すだけ押して自分たちは王道のシンプルなのを着けた、ヨシミとナツと。
私と同じ、奇抜なのを着けて。ポップコーンバケットを片手に、楽しげに笑った姿が映っている、アイリを指さしながら。
恐る恐る、聞いてみた
「あー、この子がアイリかぁ」
「……っ、」
良かった。確認しておいて。
「誰?」とか言われなくて良かった、という意味じゃない。
だって、「コレ」でも。面と向かって言われたら、しんどいなんてもんじゃないだろうから。
ここで初めて私は、事の重大さを認識した様な気がする。
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「……ねぇ、ナツ」
ちりとりのゴミをゴミ箱へ放り込みながら。
「んー?」
折り紙とかモールに包まれて、色鮮やかになってるナツの方は、見もしないで。
「楽しかった?」
問いかける。何気ない、ふりをして。
アイリは受け入れていた。様に見えた。ヨシミは怒っていた。そう感じた。
私は。
「ん。楽しかったよ。すっごい」
……私は。
「皆、仲良いんだなーって思った」
「……っ」
私は、“認めたくない“んだと思う。
「ナツも、だよ」
「……そうだった、みたいだねぇ」
私の横に並び立って、どさーっと。ゴミを纏めて私が捨てた食べかすの上に投げ込んだナツは、ふと上を見上げて、そう言った。
目線を追う。棚の上には、段ボール箱。「今回の」飾り付けに使わなかった、「前の奴」の残りが、はみ出ていて。
厚紙に、カラフルな色紙で作られた「NATSU」の文字。使い回したハッピーバースデーの、残り。
そんな、12月4日の痕跡を見つめるナツの。どこか寂しそうな顔を、見ていられなくて。
「……“だった”」
背けた視界の端でナツが、「あっ」という顔をした。それが見えて私も、しまった。零れた。と顔を顰める。
私達から見たナツは、何も。私達の事を、顔と名前しか覚えていない。それだけが変わってしまった、“ナツ”だけど。
ナツからしてみれば、私達は。顔と名前と、知らない時間を一緒に過ごした「らしい」という事しか知らない、誰かでしかなくて。
「……ごめん」
あぁ。言わせてしまった。
「やめてよ、なんで謝んの。悪いのはこっち。……早く、治ると良いね」
出来る限り、からっと。気にしていないみたいな声で。
ナツが頷くと同時に時計の針が傾く。
二人分の足音が、廊下から聞こえてきた。