「――さて、画面に映し出されたのが、今回復元されたアルスターサイクルの失われし原典、その一節だ」
エミヤの言葉と共に、暗転した講義室のスクリーンへ、血を煮詰めたような赤黒い文字が浮かび上がる。現代の言語に翻訳されたその『クー・フーリンやメイヴが戦いを起こした理由』を読み上げ、藤丸は思わずマイクを持ったまま硬直した。
「ええと……『隣の領主の飼っている牛が、自分の牛より立派で癪に障ったから』。……あと、こっちの記述は……『宴の席で、相手が自分より肉を一枚多く食った。それは俺を間抜けだと舐めている証拠だ。だから殺す』……って、ええ?」
藤丸の困惑した声がスピーカーから響く。
すると、張り詰めていた講義室のあちこちから、ぽつぽつと緊張の切れたような笑い声が漏れ始めた。
「なんだよ、肉の枚数って。ギャグ漫画かよ」
「牛の数が気に食わないから国を滅ぼすって、どんだけ我が儘なんだよ」
観客席のサーヴァントたちが、口々に肩の力を抜いて笑い合う。マシュもほっとしたように胸を撫で下ろしていた。現代の感覚からすれば、それはあまりにも矮小で、あまりにも下らない「ギャグのような私怨」に過ぎなかったからだ。
だが。
「――おいおい、笑うなよ現代人サマ」
マイクを引き寄せたクー・フーリンの声は、驚くほど低く、冷ややかだった。
パイプ椅子から長い足を下ろし、ゆっくりと上体を起こす。その紅い瞳には、先ほどまでのふざけた色など一欠片も残っていなかった。
「何も昔の人間が、ただの馬鹿だったわけじゃねえんだわ。……お前たちの生きてる現代には、国境もあれば裁判所も警察もある。だが、俺たちの時代にはそんな高尚なシステムは一つもねえ。法がないから、秩序も規律もあんまねえんだよ」
クーフーリンは、教壇から観客席を鋭く見据えた。
「そんな無法の世界で、自分の命や家族、財産を守るために何が一番大事だったと思う? 『個人のメンツ(名誉)』だよ」
「名誉……ですか?」
藤丸が問い返すと、クー・フーリンは小さく頷いた。
「そうだ。例えば、隣の家の奴にクッキーを一枚盗まれたとする。お前たちの世界なら『ケチケチすんなよ』で済むか、警察に言えば終わりだろ? だが、俺たちの時代は違う。クッキーを一枚盗まれたまま黙ってる奴は『間抜け』であり、相手に『こいつからなら、どれだけ盗んでも反撃してこない』という気持ちを起こさせた時点で、コミュニティ全体から『舐められてる』ってことになるんだ」
その言葉に、最前列の席で腕を組んでいたヘクトールが、静かに目を細めた。
「法がない世界で舐められるってことはな、次は命を奪われるってことだ。だから、相手に二度とそんな舐めた真似をさせないために、周囲の人間が引くほどの『想像以上の狂気』を持って、徹底的な報復に向かう。それが、あの時代を生きる人間の『当たり前』だったんだよ。だからギャグ漫画に思うかもしれないが、事実だった可能性も否めねえんだ」
「……あに図らんや、その通りだ」
エミヤが、苦々しく、しかし肯定せざるを得ない表情で眼鏡を直した。
「法なき世界における『過剰な報復』こそが、最大の抑止力であり、唯一の秩序だった。そして、その『舐められないための見せしめ』として彼が何をしたか……それは同時に、カルデアにおける君たちの霊基の格――いわゆる『レアリティ』の残酷な真実をも証明している」
「レアリティの、真実……?」
藤丸が眉をひそめる。エミヤは手元の操作盤を叩き、カルデアのサーヴァント一覧をスクリーンに展開した。そこには、星3のマンドリカルド、星3のヘクトール、そして星1のアーラシュのデータが並んでいる。
「マスター、君は不思議に思ったことはないかね。トロイア戦争の総大将であり、本来ならアキレウスとも互角に渡り合えるはずのヘクトールが、なぜ星3という中位に甘んじているのか」
「それは……ゲーム的なバランスとかじゃ……」
「いいや、システム側の都合(リアリズム)だ。ヘクトールは『勝つためなら逃げるし、だまし討ちもする』という泥臭い現実主義者だ。現代の騎士道精神や、人理の掲げる『綺麗な大義名分』に縛られず、己の生存戦略で動く。だからシステム側から見れば、彼は『扱いやすい優等生』ではなく、『何をしでかすか分からない、出力を抑えて監視すべき古代の老兵』として星3に据え置かれているのさ」
エミヤの冷徹な分析に、講義室の空気が急速に重くなっていく。
「マンドリカルドとて同じだ。彼はデュランダルを手に入れながらも破滅した生前の反動で、過剰なほど卑屈になり、自ら霊基の出力をセーブしている。マスターに従順ではあるが、精神の脆さ故にポテンシャルを維持できないからこその星3だ。……そして、最も恐ろしいのはアーラシュだよ」
スクリーンに、星1の弓兵、アーラシュの姿が大きく映し出される。
「彼の宝具『ステラ』は、一撃で世界を救う神霊級の出力を持つ。それでありながら星1なのはなぜか。彼の本質が、マスターの魔力供給や人理の枠組みといった『システム側の制御を完全に無視した自爆技』だからだ。兵器として高レアに設定すれば、システムそのものを内側から破壊しかねない。だからこそ、システムは安全弁として、彼の霊基をあえて最底辺の『星1という檻』に閉じ込めて縛り付けているんだ」
「じゃあ……星の数って、英霊の強さじゃなくて……」
藤丸の顔から血の気が引いていく。エミヤは、自嘲気味に笑った。
「そう。英霊召喚システム(人理)にとって、レアリティとは強さの指標ではない。『システムや現代のルールに、どれだけ従順に、出力をコントロールされてくれるか』の家畜度マニュアルに過ぎない。高レアの英霊ほど、現代の倫理やマスターの命令という枠組みに、己の強みを削ってでも綺麗に収まってくれる『都合の良い家畜』なのだよ。……この、星4の私のようにね」
その告白は、講義室にいる全ての高レアサーヴァントの胸に突き刺さるナイフだった。自分たちは誇り高き英雄ではなく、ただシステムに飼い慣らされた優等生に過ぎないのだ、と。
「――御託はそこまでだ、弓兵。家畜だの何だの、現代のシステムに飼われてる自覚があるなら……大人しく、そのシステムが弾き出した『檻から溢れた俺の本当の姿』を目に焼き付けな」
クー・フーリンが指を鳴らす。
次の瞬間、スクリーンが激しく明滅し、データベースから復元された『原典のifルート』――美化される前の、本物の狂戦士のホログラムが空間いっぱいに展開された。
それは、言葉を失うほどの凄惨な大虐殺の光景だった。
ただ「肉の枚数が気に食わない」という、先ほど誰もがギャグだと笑ったくだらない理由のためだけに、狂戦士と化した光の御子が荒れ狂っている。敵の妊婦の腹を裂き、赤ん坊を呪い、大地を血で染め上げ、敵陣が文字通り生命の存在しない「無」に帰すまで、容赦なく、延々と虐殺し尽くす描写が、恐ろしいほどのリアリティを持って淡々と流れていく。
「……あ、が……」
藤丸は、喉の奥で短い悲鳴を上げたまま、スクリーンから目を逸らすことすらできずに立ち尽くしていた。
大義名分も、救うべき未来もない。そこにあるのは、ただ「舐められたら殺す」という生存戦略のためだけに執行される、剥き出しの純粋な暴力。
重厚で、グロテスクで、一切の救いのない地獄の映像が、講義室の白い壁を赤く染め上げていた――。