「――もういい。もう、やめてくれ……!」
教壇の上、エミヤは机に両手を突き、血を吐くような声を絞り出した。
その顔は蒼白を通り越して土気色に変色し、トレードマークの鋭い眼光は完全に光を失っている。
「システムに従順な優等生が星4や星5に選ばれ、システムが制御しきれない規格外の英雄が星1に封じ込められる家畜度マニュアル……。牛の数やクッキーの一枚のために一族を皆殺しにするのが、生存のための最高のリアリズム……。それが、美化というベールを剥ぎ取った私たちの真実だと言うのか……!」
エミヤは、天を仰ぐように叫んだ。
「誰か……誰でもいい……! この、吐き気を催すような残酷な説を、すべて木端微塵にひっくり返してくれるような、そんな都合のいい、救いのある『美しい物語』を、誰か作ってくれないのか――!!」
それは、かつて理想の物語(正義の味方)に憧れ、理想の物語に磨り潰された男の、あまりにも無様で悲痛な絶望の祈りだった。
そんなエミヤの極限の姿を、クー・フーリンはしばらく黙って見つめていたが、やがてフッといつもの不敵な笑みを口元に戻した。重苦しい空気を引っくり返すように、わざとらしく肩をすくめてみせる。
「……まぁ、そう熱くなるなよエミヤさん。あんたの言う通り、俺たちの真実なんてのは解剖しちまえばそんなグロいもんだ。」
「藤丸もマシュも、観客席の奴らもよく聞きな。エミヤさんはな、いつも影があって、複雑で、過去の因縁に囚われてる『ミステリアスな苦労人キャラ』として振る舞ってる。初見の奴がこのカルデアに興味を持つように、あえてミステリアスな雰囲気を崩さないよう必死にキャラクター性を維持(コントロール)してるんだ。……だが、蓋を開けてみればどうだ?」
クー・フーリンはエミヤを指差し、ニヤリと笑った。
「こいつ、Fateってコンテンツの初期作品(stay night)から始まって、あらゆる派生作品で自分の過去も手の内も、もうほぼ完全に自己開示され尽くしてるんだよ! 生前のやらかしも守護者の絶望も、ユーザー全員に全裸にされるレベルで解剖され尽くした標本のような男だ。それに比べりゃ、実際は裏表なく豪快に笑ってるだけの俺の方が、歴史の闇に消えた原典っていう究極のベールに守られてる。……本質的な意味でミステリアスなのは、この俺の方なんだよな!」
一瞬の静寂の後、クーフーリンはお腹を抱えて大爆笑した。
「調子に乗るなクー・フーリン君!! 誰がエミヤさんだ!……おいマスター、今日の講義はここまでだ! 私は厨房に戻る!」
エミヤが真っ赤になって怒鳴り散らし、講義室に残っていた一握りのニヒリストや古代の英霊たちから、どっと温かい笑いと拍手が巻き起こる。ドタバタコメディのようなカルデアの日常が、一瞬にして講義室の温度を平熱へと戻した。
だが。
その拍手の音がフッと消えた瞬間、クー・フーリンの笑い声もまた、完全に止まった。
教壇から、司会者席の藤丸立香を、射抜くような鋭い瞳で見つめる。
「ま、冗談はここまでだ、エミヤさんよ。……みんな、俺たちの歴史を野蛮だの狂気だの言って笑うが、どうですかね、マスター?」
「え……?」
不意に重いトーンで名前を呼ばれ、藤丸が小さく肩を揺らす。
「あんた、覚えてるか? 1部5章の北米で、俺の成れの果て(オルタ)がボスだったあのイカれた特異点をクリアして、カルデアに帰還した時のことだ。あんたとマシュは、笑顔でこう言ったんだよ。『楽しい旅だった』ってな」
「……っ」
「何の悩みもなく、ただ楽しかった、と。……おかしいだろ? 敵も味方も血みどろで、大義名分もクソもない、ただ剥き出しの暴力が荒れ狂うだけの地獄だったはずだ。そこに現代人の倫理観を持ち込めば、トラウマになって寝込むのが普通だ」
クー・フーリンは、じり、と藤丸に歩み寄る。
「つまりさ。人類救済っていうクソ重い大義名分を背負わされて、このガチガチに管理された白いカルデアで息を潜めているより……『あいつの牛が立派だから』『飯の枚数が気に食わねえから』なんて、ちっぽけで単純な理由だけで全力で殺し合う戦場の方が、あんたにとってはよっぽど爽快感があった(生きている実感が持てた)ってことなんじゃねえのか? 本当に怖いのは、文字を持たねえ古代の野蛮人じゃねえ。現代の倫理に守られながら、その野蛮の心地よさに、もう染まっちまってる――」
「マスター……その話は本当か……?」
エミヤが、幽霊でも見るかのような目で藤丸を見る。
藤丸は、困ったように頭を掻いた。その表情には、エミヤのような絶望も、クー・フーリンのような戦慄も、これっぽっちも浮かんでいない。
ただ、いつも通りの中身のない、どこにでもいる凡人の笑顔のまま、マイクに息を吹き込んだ。
「まあ、みんな何も知らない、仲良いふりすれば解決じゃない?」
「っ――」
講義室に残っていた、キャスター陣やニヒリストの英霊たちが、一斉に椅子から跳ね上がるようにして後退した。
凍りついた。講義室のすべての空気が、絶対零度を遥かに超えて完全に凝固した。
「だから」藤丸は、至って普通のトーンで微笑む。「歴史の闇の狂気とか、レアリティのシステムとか、そんな本質、みんな最初から何も知らないフリをすればいいんですよ。明日からも、食堂でエミヤさんの美味しいご飯を食べて、みんなで仲良しのフリをして、ワイワイ楽しく過ごせば、それで全部解決じゃないですか」
それは、否定でも肯定でもなかった。
真実の地獄を目の前に突きつけられながら、「そんなものは無視して、仲良しのパントマイムを演じ続ければ、人類救済というシステムは回る」と言い切ったのだ。
1部5章の血みどろの特異点を「楽しい旅だった」とマシュと笑った、その瞳の奥の『絶対的な異常性』。
この一般人は、とっくに壊れている。壊れたまま、カルデアという白い箱庭を維持するためだけに、すべての英霊の尊厳すら「仲良しごっこ」という記号で塗り潰そうとしている。
本当に怖いのは、古代の野蛮人でもシステムでもない。現代の倫理の皮を被ったまま、そのすべてを機能として消費し尽くす、この目の前の救世主だ――。
『――緊急警告。緊急警告(ディザスター)』
その瞬間、鼓膜を突き破らんばかりの鋭い電子音が、藤丸の言葉を遮った。
講義室のホログラムスクリーンが真っ赤に染まり、天井の照明が完全に落ちる。
『――本エリアにおける精神汚染係数が許容値を突破。これより、本講義室の全通信、音声、および記録ログを強制終了(シャットダウン)します。繰り返します、即座に強制遮断――』
カルデアの上層部、あるいは守護システムそのものが、藤丸の『狂気』がこれ以上表に出ることを恐れてパニックを起こしたかのような、無機質なアナウンス。
バツン、とマイクの電源が落ち、世界は完全な闇へと沈んだ。
「……フッ、まったく。最後に、一番恐ろしい本物の化け物が引き金を引いたな、光の御子」
闇の中で、エミヤの諦めを孕んだ声が響く。
「ハハッ、違いねえ。……けど、あのマスターをここまで調教しちまったのは、このカルデア(システム)の方なんだけどな」
二人の足音が、静かに出口へと向かい、ドアが開閉する冷たい音だけを残して、講義室は完全な死の静寂へと還っていった。