男のまわりには、ただ、たくさんの古い剣だけが、地面につき刺さっていました。
誰もいない、冷たい風だけが吹き抜ける、静かな砂の砂漠です。
男は、大きな赤い外套をまとって、独りぼっちで立っていました。
声を出して泣くことはしませんでした。ただ、熱い涙がぽろぽろとこぼれて、足元の砂を黒く濡らしていくだけです。
男は、泣いている自分の弱さが、ひどく情けなくて、
「――反吐が出るな」
と、小さくつぶやきました。
私は、これまでたくさんの歴史を見てきました。
大きなけんかや戦争が起きている場所へ行っては、悪い人たちををやっつける。そんな「正義の味方」の仕事を、何千回も、何万回も繰り返してきたのです。
最初のころは、みんなを救うことが私の夢でした。
でも、どれだけ多くの人を助けても、人間はまたすぐに別の場所で、自分のことばかりを優先して、新しいけんかを始めます。
私は、この誰もいない砂漠の真ん中で、ある「本当のこと」に気がついてしまいました。
世界がずっと平和で、みんなが100%満足して暮らせるような場所は、どこにもないのだと。
もし、困ったことや悲しいことが何一つない「完璧な世界」ができてしまったら、人間はがんばることをやめて、心がお人形のように動かなくなって、最後は滅んでしまうのだと。
つまり、私ががんばって平和を作ろうとすればするほど、人間の心は死んでいくのです。
「ああ、そうか」
私は、自分の足元を見つめました。
「みんな、自分の幸せが一番大切だったんだ。私みたいに、自分の心をぜんぶ捨てて、100%だれかのために生きることを『夢や理想』にできる人間なんて、この世界には最初から、一人もいなかったんだな」
私の胸の奥が、冷たく、からっぽになっていきました。
自分のやってきたことは、ぜんぶ無意味だったのです。
世界という大きな仕組みは、誰かが自分の幸せを犠牲にして働いてくれないと、すぐに壊れてしまいます。
だから、誰かが「正義の味方」という歯車になって、汚れ仕事を片付けなければなりません。
そして、その悲しい歯車に自ら進んでなってしまったのが、昔の私でした。
なぜ、私はそんな道を選んでしまったのでしょう。
私は、からっぽの砂漠で、自分の昔の心をじっと振り返ってみました。
あの日、大火事の中から私を救い出してくれた養父――衛宮切嗣は、「正義の味方になりたかった」と寂しそうに笑っていました。
私は、あの笑い顔が、たまらなく美しく見えたのです。
自分の頭で考えて、自分だけの「本当にやりたいこと」をゼロから見つけるのは、とても難しくて、めんどくさいことでした。
心の中が最初からからっぽだった私は、手っ取り早く、養父の叶わなかった夢をそのまま自分のものにして、自分の心を埋めてしまったのです。
「――そうか。私は、ただの偽物だったんだ」
自分のエゴではなく、他人の夢をコピーして、それを100%の理想だと信じ込んで走っていた。だから、私の心はいつまで経っても本物になれず、空っぽのままだったのです。
私は、世界の掃除屋として、たくさんの歴史を見てきました。
その中には、何百年もずっと戦争がなくて、美味しい食べ物やお金がたくさんあって、誰もが「完璧に平和だ」と喜んでいる国もありました。
ですが、困ったことや、乗り越えなければいけない壁が何一つなくなってしまったその国の人たちは、やがてがんばることをやめてしまいました。
心を鍛えるのをやめた人々は、小さなことで傷つき、お互いを恨み合い、国の中側から、まるで腐ったリンゴのようにボロボロに崩れていったのです。
そして、戦う力も忘れてしまったその国は、ある日、外からやってきた別の国にあっという間に攻め込まれて、跡形もなく滅んでしまいました。
現代の人間も、これとまったく同じです。
どれだけ世界が便利で平和になっても、人間はそれを当たり前のこととして消費するだけで、心の中の退屈や虚しさは消えません。
困ったことが何もない「完璧な世界」は、一見幸せそうですが、実は人間の心を死なせてしまう世界なのです。
では、人にとっての本当の「幸せ」とは、いったい何なのでしょうか。
大きな夢を叶えて、歴史に名前を残すような偉い英雄になることでしょうか。
それとも、世界を大きく変えるような、役に立つ人間になることでしょうか。
「――違う。そんなものは、ただのロボットの機能だ」
私は自嘲するように、フッと鼻で笑いました。
人間の本当の幸せとは、もっと小さくて、もっと静かなものです。
たとえば、天気のいい日に、大好きな人と並んで縁側に座り、ただ「ひっそりと、笑う時間を増やすこと」。それだけでよかったのです。
素晴らしい夢や、世界平和なんていう大きなものは、その「誰かがひっそり笑う時間」を守るための、ただの道具に過ぎませんでした。
なのに、昔の私は、自分で夢を探すことから逃げて、他人の理想という道具をそのまま目的にしてしまった。
だから私は、人間であることを辞めるハメになり、自分の幸せを真っ先にドブに捨てて、こうして誰もいない砂漠で独りきり、世界の歯車として擦り切れ続けているのです。