主人公だと思ってたら本当の主人公がいた   作:Merukur

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1.思ってたのと違う

 

 幼い頃、母に読み聞かせてもらった物語の主人公に憧れた。

 どんな困難にも諦めず立ち向かい、仲間を守り、誰よりも優しく、そして誰よりも強く在り続けた男。その姿は幼くまだ世界の狭かった僕にとって酷く鮮烈だった。

 

 正しさとは何かも分からず、強さの意味すら曖昧だった幼い頃。それでもあれが正しい生き方なのだと、疑いもなく信じていた。

 

 そう信じられたのは一度別の人生を生きた記憶が僕の中にあったからかもしれない。

 断片的に思い出すだけのもうひとつの人生。そこでも僕は物語が好きだった。

 

 現実にはいないような英雄に胸を躍らせ、その生き方に憧れていた。

 

 だから決めた。

 あの人のように、物語の主人公のように生きたいと。

 

 泣いている誰かがいれば手を差し伸べる。間違っていることがあれば見過ごさない。自分が傷つくとしても他人を守ることを選ぶ。たとえその姿が一見醜く見えても、正しいと信じて進みつづける。

 

 物語の中の主人公がそうしていたように僕もまた、そう在ろうとした。

 

 それはただの真似事に過ぎなかったのだと思う。幼い子どもが現実味のない将来の夢を語るようなもの。意味も理由も深くは理解しないまま、ただ形だけを追いかける。滑稽だと嘲笑われ、理解されなかったこともあった。

 

 それでも僕は理想像を追いかけることをやめなかった。

 いつしか、人は繰り返すことでそれを自分のものにしていく。主人公のような正しい行動を選び続けるうちに、それが当たり前になった。

 

 誰かのために動くことに迷いはない。気づけば僕は他人から『優しい』と言われるようになり、『正しい人間』だと評価されるようになっていた。

 

 それが誇らしくもあり、とても嬉しかった。

 

 あの物語の主人公に少しでも近づけている気がして。その高揚感もあってか、そこから弛まず努力を続けた。

 

 剣と魔法が存在する、記憶の中にある人生とはほど遠い異世界。

 

 そこで剣を振り、魔法を磨き、己を鍛え続けた。力がなければ守れるものも守れないと思ったから。

 生まれた環境が良かったこともあってか、知見と技術のある師に教わり、自分に才があるのではないかと勘違いするほどにはメキメキと実力がついていった。

 

 そして、その結果として――僕は王立学園で頂点に立った。

 

 Sランク。生徒会長。《最光》の称号。誰もが僕を見て言う。

 

 まるで、物語の主人公みたいだと―――。

 

 

 

 

 

 

 

「……ぜぇんぜん違うっ!!!」

 

 一際大きな声が生徒会室に響き渡った。

 

 抑えきれずに放たれたその叫びは生徒会室の静けさを容赦なく切り裂き、整然と並べられていた書類の山や磨き上げられた机の表面にまで震えを伝えるかのように、しばらくの間余韻を残して空気の中に滞り続けた。

 

 その直後、室内に満ちたのはひどく不自然な静寂だった。

 

 開け放たれた高窓からは柔らかな昼下がりの光が差し込み、長机の上に置かれたインク壺やペンの影をゆるやかに伸ばしているが、その穏やかな光景とは裏腹に、部屋の中心に立つヴァレリア・ティオルの内側だけが明らかに均衡を失っていた。

 

 自分が今、どれほど大きな声を出したのかを理解したのはほんの一拍遅れてからだった。

 

「あー………僕が思い描いていたのはこういうのじゃないのに………」

 

 額に手を当てながら小さく息を吐き、どう取り繕うべきかを考えようとするが、その前に廊下側の扉越しに気配が近づいてくるのをはっきりと感じ取っていた。

 

 規則正しい足音。無駄のない歩幅。そして扉が静かに開かれる。

 

「何事ですか、会長」

 

 落ち着き払った声音とともに姿を現したのは、生徒会副会長ミカイル・ダリアだった。

 

 腰のあたりまで流れる銀色の長髪は差し込む光を受けて淡く白金にも見え、その一本一本が滑らかに整えられていることが遠目にも分かるほどに美しく、整った制服の着こなしと相まって彼女の持つ隙のなさをより際立たせている。

 

 手に抱えられた書類は一切乱れず、胸元の副会長章は静かに光を反射してこの場の秩序そのものを体現しているかのようだった。

 

 ただし、その瞳だけはわずかに呆れの色を含んでいた。

 

「あ、えっとー…………」

 

「急にどうなさったんですか。気でも狂いましたか?」

 

 ほんの一拍の間を置いてから淡々とした口調で続ける。あまりにも容赦のない言葉だったが、声音に棘はなかった。

 ティオルは一瞬だけ視線を逸らしたあと、観念したように小さく肩を竦める。

 

「聞こえてた?」

 

「ええ、はっきりと」

 

「あはは……ごめん、ちょっと独り言がね」

 

 軽く手を振りながらそう言うが、ダリアの視線は一切逸れないまま真っすぐにティオルへと向けられている。

 その瞳は冷静で状況を正確に見極めようとする光を帯び、先ほどの叫びを単なる気まぐれとして処理する気はないのだとはっきりと伝えていた。

 

「ちょっとで済ませるにはやや声量が過剰かと存じますが」

 

「……ですね」

 

 苦笑混じりに答えてティオルはゆっくりと椅子に腰を下ろし、そのまま背もたれに体を預けて天井を仰いだ。

 白く均一に塗られた天井はどこまでも整っていて、ひび一つない。そしてそれは今の自分の状況とは全く違って感じられた。

 

 しばらくの間何も言わずにその天井を見上げ続けていたティオルだったが、やがて背後から向けられている視線の存在を無視し続けることにも限界を感じ、ゆっくりと息を吐き出してから首だけを僅かに傾けてダリアの方へと顔を向ける。

 

 その視線の先でダリアは書類の端を整えながら、小さく、しかしはっきりと分かる程度には呆れたようなため息を一つ零した。

 

「……またあれのことですか」

 

 淡々とした口調でありながら、その言葉には既に何度か繰り返されてきた話題であることを示す微かな倦怠が滲んでいる。

 

 ティオルは一瞬だけ目を瞬かせ、それから苦笑を浮かべた。

 

「やっぱり分かっちゃう?」

 

「分かるも何も、会長自身物語の主人公になりたいと常日頃から仰ってるじゃないですか。もう聞き飽きたぐらいですよ」

 

 ダリアは視線を外さず、少し苦笑してそう告げた。

 

「それに先ほどの叫びを聞けば、大方現在のご自身が自分の思っていた主人公像とは違う。そう思っているのでしょう?」

 

 逃げ場のない指摘だった。

 ティオルはほんの僅かに視線を逸らしたあと、観念したように肩の力を抜く。

 

「うん、まあ……そうだね。そこまで僕の考えが筒抜けなのは恥ずかしいくらいだけど」

 

 バツの悪そうに表情を崩すティオルに対し、ダリアは距離を詰めて机の端に手を置き、静かに言葉を続けた。

 

「しかしながら、現状の会長は既に物語の主人公のように十分すぎるほどの条件を満たしているのでは?」

 

 整然とした声音でさらに言葉を重ねる。

 

「この王立学園の頂点に立ち、生徒会長として全体を統率し、実力・家柄・人格のいずれにおいても非の打ち所がない――それらを総合すれば、主人公のようだと評されるのはむしろ当然でしょう」

 

 事実の列挙は感情がない分だけ強く響いた。

 ティオルはそんなダリアの言葉に思わず笑みをこぼす。

 

「なんかダリアがこうして褒めてくれるとやっぱり嬉しいね。他の人から褒められるのとはちょっと違う気がする」

 

 何気ない調子で口にされたその言葉は当の本人が思っている以上に無防備で、無遠慮で、そして距離の近いものだった。

 

 ダリアは一瞬何を言われたのか理解が追いつかなかったかのように、わずかに目を見開く。

 

「えっ………そ、それはつまり………」

 

 普段の冷静さからは想像もつかないほどに言葉が途切れ、その声音には明らかに動揺が滲んでいた。

 

 手にしていた書類を持つ指先がほんの僅かに強張る。だが、その直後にはっとしたように視線を逸らし、小さく息を整えると何事もなかったかのように表情を引き締め直した。

 

「……いえ、その、光栄に思うべき評価ではありますが……会長はもう少し、ご自身の発言が与える影響を考慮された方がよろしいかと」

 

 どこか早口気味にそう言いながらも、頬に差したごく薄い熱を完全には隠しきれていない。ティオルはというと、その反応の意味を深く考える様子もなくただ不思議そうに首を傾げる。

 

「え? 何か変なこと言った?」

 

 純粋に疑問といった顔だった。

 その無自覚さにダリアは一瞬だけ言葉を失い、それから諦めたように小さく息を吐く。

 

「……いえ、別に。こちらの問題ですのでお気になさらず」

 

 そう言って視線を逸らすその仕草にはわずかに距離を取ろうとする意図が見えるが、それでも完全に離れることはしないあたりに彼女の本心が滲んでいた。

 

 対してティオルは特にそれ以上追及するでもなく「あ、そう? ならいいんだけど」とあっさりと引き下がり、再び背もたれに体を預ける。

 

 その無頓着さはある意味では彼らしいものであり、同時にダリアにとっては厄介なものでもあった。

 

 ティオルはそんなダリアを気にも留めず小さく息を吐き、ゆっくりと首を横に振った。

 

「うーん……まあ、話を戻すと僕の思う主人公とはやっぱり違うんだよね」

 

 穏やかな声音のまま、確かな否定が繰り出された。

 

「確かに今の僕がそれっぽい位置にいるのは分かるし、できることも多いと思う」

 

 一度言葉を区切り、わずかに目を細める。

 

「でもさ……僕がなりたかったのは、もっと泥臭いものなはずだったんだ」

 

 その一言に空気がわずかに揺れる。ダリアは何も挟まず、ただ続きを待った。

 

「何度も負けて、そのたびに立ち上がって、傷だらけになりながらそれでも諦めずに前に進んで、やっとの思いで強敵に勝つ、みたいなさ」

 

 ゆっくりと記憶をなぞるように言葉を紡ぐ。

 

「仲間ともぶつかって、すれ違って、それでも最後にはちゃんと繋がっていくような……そういう過程があってこそのものっていうか」

 

 そこまで言ってティオルは小さく笑った。

 

「でも、今の僕はそういった道を進んできてはない」

 

 静かだが、はっきりとした断言だった。

 

「大体のことは最初からできてしまうし、壁になるような相手もほとんどいないし、戦えばそのまま勝つことの方が多い。何も全部が最初から出来たわけでもないし、努力は勿論してる。でも、そこに物語の主人公のような熱量があるかと言われればないというか………積み上げる前に終わってる感じなんだよね」

 

 その一言が重く残る。ダリアはしばらく黙ってそれを受け止めたあと、ほんの僅かに目を伏せて再び視線を上げる。

 

「それは非常に贅沢で……そして傲慢な悩みかと」

 

「うん、それは分かってる」

 

 ダリアの言い切る声音にティオルは小さく頷く。ふっと息を吐くようにあっさりと認める姿は、謙虚なのか傲慢なのかわからない。

 

「凄く環境に恵まれてるってことも、一定の才能があることも自覚はしてる……それでも、違うって思っちゃうんだよ」

 

 ダリアはティオルを見つめた後、わずかに息を吐く。

 

「全く、貴方という人は………」

 

 呆れを含んだ言葉だったが、その声音にはわずかな柔らかさが混じっていた。

 

 ティオルはその響きを特に深く受け止めることもなくただ苦笑を浮かべたまま肩の力を抜き、視線をわずかに上へと流す。

 整然とした天井の白は相変わらず均一でどこまでも揺らぎがなく、その安定しきった景色がかえって自分の内側にある満たされなさを際立たせるようで、わずかに目を細めた。

 

「ごめんね、僕はこういう人間だからさ」

 

 そんなティオルの横顔をダリアはほんの一瞬だけ見つめていたが、視線をわずかに伏せたあとで静かに口を開いた。

 

「私が、その“壁”になれればよかったのですけれど」

 

 それはあまりにもさりげなく、しかし確かに踏み込んだ言葉だった。

 

 ティオルは一瞬だけきょとんとしたように目を瞬かせ、それから少しだけ考えるような間を挟んだ後、困ったように笑う。

 

「うーん……それはちょっともう無理かな」

 

 ダリアはピクリと体を震わせる。否定の言葉ではあったが、声音は柔らかいままだった。

 

「もうダリアはさ、そういう壁って感じじゃないんだよね」

 

 無遠慮なほどに率直な言い方でありながら、そこに悪意は一切ない。

 

「どっちかっていうと信頼できる仲間、っていうか………生徒会メンバーとしても友人としても大事な人だよ」

 

「っ…………」

 

 その一言はあまりにも自然で、そして無自覚だった。

 

 ダリアはその言葉を受け取ったまま、すぐには何も返さず、ほんの僅かに伏せられた睫毛の影だけが揺れる。言葉にするほどのものではない感情が胸の奥で静かに沈んでいき、それを表に出すことなく処理するように息を整えた。

 

「……そう、ですか」

 

 やがて整え直された声音が返る。その響きにはほとんど揺らぎはないが完全に無感情というわけでもなく、ほんのかすかな余韻だけが残っていた。

 

 短い沈黙が落ちるがそれは重苦しいものではなく、ただ互いの立ち位置を再確認するような静かな間だった。

 やがてダリアはまた小さく息を吐くことでその空気を切り替え、いつもの理知的な表情へと完全に戻ると改めて言葉を紡ぐ。

 

「ですが、会長が望むような壁となる存在がこの先現れないと決まったわけではありません」

 

 淡々とした声音のまま続ける。

 

「これまでがそうであったというだけで、これから先も同様である保証はどこにもありませんし……むしろ、今までが例外だったと考えるべきでしょう。特に今は新入生の入学時期でもありますし、まだ評価の定まっていない者、あるいは潜在的な力を持ちながらも表に出ていない者が存在していても不思議ではありません」

 

 視線をわずかに窓の外へと向けた。

 

「もしかすると、会長の求める壁となり得る存在がその中に紛れている可能性もあるかと」

 

 その言葉に、ティオルはほんのわずかに目を見開く。驚きというよりは胸の奥で何かが引っかかったような、そんな反応だった。

 

「……新入生、か」

 

 ぽつりと呟く声は小さいが、確かに変化を帯びていた。これまで言葉にできなかった違和感がほんの少しだけ輪郭を持ち始める。

 

「確かにね。ダリアの言う通りかも。………そういうの、いるといいな」

 

 そう零したその声には先ほどまでにはなかった期待が混じっていた。

 

 ダリアはそれを横目に見ながら何も言わず、小さく息を吐く。その視線の奥にはわずかな複雑さとほんの少しの安堵が同時に宿っていた。

 

 ――そして、そのもしもは思っているよりもずっと早く形となって現れることになる。

 

 

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