重力に逆らう魂 ―不屈のハネ毛と、お嬢様の執着― 作:みそそ
その夜、ロシュフォール邸のメインダイニングは、静謐(せいひつ)な緊張感に包まれていた。
飛鳥は漆黒のドレスを纏い、燭台の灯りに照らされながら、一分の隙もない動作でカトラリーを動かしていた。
スープを啜る音も、皿と銀器が触れ合う音もしない。
リリが叩き込んだ「完璧な淑女」の姿がそこにあった。
「あら……。やればできるではありませんか。その姿、まるでお人形さんのように見栄えがしますわよ」
リリは満足げにワイングラスを傾ける。
だが、飛鳥の内心は、静かに燃える青い炎のような違和感に満ちていた。
(……なんや、この感じ。飯は美味い。服も綺麗や。行儀良くしとれば、あんたはニコニコしとる。……でも、これ、ウチやない)
ふと、飛鳥は給仕用の大きな銀のトレイに映った自分の姿を見た。
顔も、服も、仕草も、すべてリリに塗りつぶされている。
しかし――その頭。
何十回ヘアスプレーを浴びせられ、アイロンで焼き付けられても、依然として空を指差してピンと跳ねている「毛」が、そこにあった。
(……あ。せや。そうやった)
飛鳥の口角が、マナーを無視して不敵に吊り上がった。
(あんたがどれだけ金かけてウチを飾っても、どれだけ怖ろしいジジイに足払わせても、これだけは屈服させられんかった。こいつは、重力に逆らっとるんや)
科学も、金も、権力も。
このハネ毛を「下」に向かせることはできなかった。
それは飛鳥にとって、宇宙の真理を悟ったような衝撃だった。
(外見が変わろうと、食い方が変わろうと、ウチの芯にある『魂』だけは、ずっと自由やったんや。重力すら無視するウチを、あんたの籠(かご)に閉じ込められるわけないやんけ!)
そう思った瞬間、飛鳥の心からすべての窮屈さが消え去った。
自己肯定感という名の爆弾が、彼女の胸の中で爆発する。
「……ふっ、ふふふっ。あはははは!!」
「なんですの、急に笑い出して。行儀が悪いですわよ!」
飛鳥は手にしていたナイフとフォークを、銀色のトレイにガシャンと投げ出した。
椅子を蹴るようにして立ち上がると、リリの目を見据え、自分のハネ毛を誇らしげに指差す。
「リリ! あんたの負けや! ウチを人形にするんは諦めな!」
「何……なんですって!?」
「ウチの魂はこれや。このハネ毛と一緒に、天に向かって伸びとんねん。あんたに縛られるようなヤワなタマやないぞ!」
飛鳥はドレスの裾をガシッと掴むと、力任せに膝のあたりまで引き裂いた。
「さあ、晩飯(デザート)の時間や。あんたをボコボコにして、ウチの自由を証明したる。……喧嘩や、リリ! 今度はウチから売ったるわ。逃げんなよ!!」
飛鳥の瞳に、この二日間で最も鋭く、そして晴れやかな「格闘家」の光が宿った。