重力に逆らう魂 ―不屈のハネ毛と、お嬢様の執着― 作:みそそ
「窓から失礼させてもらうで、お嬢様!」
飛鳥は勢いよくテーブルを蹴ると、そのまま弾丸のように窓枠へと跳んだ。
ガシャーーーン! という豪快な破砕音。
最高級の強化ガラスを粉々に散らし、黒いドレスを夜風にたなびかせながら、飛鳥は数階下の広場へと着地した。
「逃がしませんわ! セバスチャン、追いますわよ!!」
リリもまた、躊躇なく夜の闇へと身を躍らせる。
舞台は静寂に包まれた屋敷から、ネオンが眩しく輝く「夜のストリート」へと移った。
そこは、観光客や遊び人たちが集まる賑やかな広場だった。
突如として現れた「ボロボロのドレス姿の美女二人」に、街の空気が一変する。
「おい、見ろよ!」
「撮影か? いや、本物だぞ!」
野次馬たちが瞬く間に円を作り、スマートフォンのライトが二人を照らす。
飛鳥にとって、この埃っぽくて騒がしい空気こそが、最高のリングだった。
「これや……これこそがウチの庭や! 遠慮はいらんで、リリ!」
飛鳥が吠える。
リリが鋭い蹴りを見舞おうとした瞬間、再び影からセバスチャンが「お怪我をなさらぬよう」と、歩道のゴミ箱を飛鳥の足元へ蹴り飛ばした。
だが、今の飛鳥は、昨日までの飛鳥ではない。
ハネ毛がアンテナのようにセバスチャンの気配を察知していた。
「同じ手は三度も食わんわ!!」
飛鳥は視線をリリに向けたまま、飛来したゴミ箱をノールックで踏み台にし、さらに高く跳躍した。
空中で身を翻し、妨害しようと動いたセバスチャンの懐へ潜り込む。
「……なにっ!?」
「ジジイ、まずはあんたから退場や!」
風間流・当身の一撃。急所を的確に突かれたセバスチャンは、完璧な所作で「……お見事」と呟き、崩れ落ちた。
「セバスチャン!? ……もう、こうなったら私一人であなたを黙らせて差し上げますわ!」
リリが猛然と突っ込んでくる。
二人の拳と蹴りが交差するたび、周囲の観客からは割れんばかりの歓声と拍手が巻き起こる。
街灯の光を反射するドレスの破片。
砕け散るベンチ。
飛鳥は攻防の中で、リリの顔に「悦び」が溢れているのを見た。
「リリ! あんたも、こうして全部壊して暴れたかったんやろ!」
「……ええ、そうですわ! 最高に気分がいいですわ、アスカ!」
二人の動きは、もはや格闘を超えたダンスのようだった。
そして、最後の一撃。
飛鳥の「重力に逆らう魂」を乗せた渾身の正拳突きが、リリのガードの隙間を突き抜けた。
「これで、決まりやぁぁぁ!!」
ドォォォン! という衝撃音と共に、リリの体がアスファルトの上を転がった。
静まり返る広場。
飛鳥は肩で息をしながら、夜空に向かって、ボロボロになった拳を突き上げた。
「……見たか! ウチの、完全勝利や!!」
次の瞬間、広場は地鳴りのような大歓声に包まれた。
リリは仰向けに倒れたまま、しばらくの間、星空を眺めていた。
やがて、彼女の喉から、お嬢様らしからぬ豪快な笑い声が溢れ出す。
「あ、はははは! あーはははは! ……最高、最高ですわアスカ! 私の完璧な二日間を、こんなに無茶苦茶にしてくださるなんて!」
笑い転げるリリを見て、飛鳥もまた、力なくその場に座り込んだ。
ドレスはゴミのようで、顔も泥だらけ。
けれど、飛鳥のハネ毛だけは、勝利を祝う旗のように、誇らしく夜風に揺れていた。
「……なんや、負けたのに嬉しそうやな」
飛鳥は呆れ半分に言いながら、リリの隣にドサリと座り込んだ。
二人の間には、もはや「お嬢様」も「野良犬」もない。
ただ、拳を交わした者同士にしか分からない、熱い共鳴だけがあった。
「ええ、大満足ですわ。マナーも、服も、家柄も……。そんな退屈なものをすべて置き去りにして、あなたと全力でぶつかり合う。これ以上の贅沢(ラグジュアリー)が、この世にあるかしら?」
リリは起き上がり、飛鳥の頭で相変わらずピンと立っているハネ毛を、愛おしそうに見つめた。
「……あなたのその魂、今回は見逃して差し上げますわ。でも、次はもっと、もっと壊し甲斐のあるステージを用意しますから。覚悟しておきなさいな、マイ・ライバル」
「ふん、受けて立つわ。……でもな、次は大阪の串カツ屋で勝負や。あんたに二度漬け禁止のマナーを教えたるわ」
「あら、面白そうですわね。その挑戦、受けて立ちますわ」
二人は泥だらけの顔で、互いに不敵な笑みを交わした。
夜の街に、パトカーのサイレンが近づいてくる。
「アスカ、逃げますわよ! これ以上のスキャンダルは、私のスケジュールにありませんわ!」
「あ、待てやリリ! この服のまま走れへんって!」
手を繋いで、あるいは互いの肩を突き飛ばしながら、二人の影は夜の闇へと消えていく。
喧嘩して、笑って、また喧嘩する。
重力に逆らうハネ毛が夜風に揺れる限り、二人の終わらないワルツは、これからもずっと続いていくのだ。