「憂〜おはよ〜」
「あっ、おはようお兄ちゃん!」
俺──平沢ケイの朝は微妙に早いのか遅いのか分からない時間帯に始まる。双子の姉がすんごく遅いから相対的に俺は早いと思うことはあるが、憂が早起きだから余計に微妙な感じになる。
ふと食卓に目を向ければそこには完璧とも言えるメニュー構成の朝食が用意されている。
毎度毎度思うが憂の家事スキルは尋常じゃない。俺と言えば夕食や掃除洗濯……ごく一般的なスキルだが、憂は俺と一歳差だというのにここまで差が開くものなのかとちょっとショックだよお兄ちゃんは。
「でもそれ以上にいい妹すぎて……」
「お、お兄ちゃん?」
「いつもありがとね、憂」
そう言って憂の頭を撫でるといつもよりもお淑やかな雰囲気になる……憂と姉ちゃんは中々に癒し成分が強い人間なのだ。
世の中の色々と滾っている女性達とは雲泥の差である。本能的な欲望なのだから仕方がないとは思うけどね……ほんと、俺の価値観が違えば二人との距離感もまた違っていたのかとよく思うよ。
「え、えへへ……」
幼い頃を思い返せば憂と姉ちゃんとはよく一緒に寝たことがある。その際はサンドイッチ状態にされて中々に困ったものだが、温かいのなんのって。
手が冷たい人が心が温かいと言うが、それは単純に冷え性なんじゃないかとも思う。手がかじかんで逆に色々と不便なこともありそうだから余計に心が荒むような気もする。
まぁ、どうでもいい話だけど……つい昔を振り返ると色々と思うこともあるんだよ。
「あ、あの……お兄ちゃん……」
「んっ、ああごめんね。撫ですぎた」
「あっううん……! むしろ嬉しいし……」
「……」
聞こえてるぞ憂さんや。俺に小声はあんまり通用しないよ。
いやはや、やはり憂はとんでもなく可愛い。家事スキルも最高な上にこうやって意外と甘え下手っぽさもあるのだから萌える。
ただね……色々と頑張りすぎちゃう癖もあるから、ちゃんと頼れるところは頼って欲しいんだよね。憂だって無尽蔵の体力をしている訳じゃないんだし。
少しでも楽にしてあげたい気持ちもあるからね。もっかい撫でとこ。
「あっ、えへへ……」
「あ、そう言えば……俺と姉ちゃん軽音部に入ったんだ」
「うん、知ってるよ。お姉ちゃんから聞いた」
「まぁ俺はマネージャーだけどね」
「マネージャーも大事だよ! でも、気をつけてね? 男の人が入ったってなったらすぐに広まっちゃうと思うし……」
「それはそうだね……」
軽音部の三人が言いふらすとも思えないが、噂の出所なんて掴めないからね……どこからか情報が漏れ出すことを危惧しておかないとね。
俺だけだからね、部活に入った男子なんて……他の男子はまだバイトも見つからないから苦労してるみたいだし。
何人かには既に部活加入の旨をメールで飛ばしておいたが、秒で全員から『大丈夫か? 脅されてないか?』とか言われて軽音部を何だと思ってるんだと感じたよ。
こんな価値観だから仕方がないことだとは思うけどね。同時に全員が本気で心配してくれてることを察した時は憂や姉ちゃんに抱くものとは別のベクトルの温かみを感じた。
これが男子の友情……家族と同列に扱われる程強固で同じ労苦を分かち合える最高の関係性なのだよ。
「じゃ、俺は姉ちゃん起こしてくるね」
「うん! じゃあご飯並べとくね!」
「ありがと〜」
思わず憂を撫で撫でしたい欲望に駆られるが、ここは我慢我慢……側から見たら滅茶苦茶変態じみているがそんなの関係ないんだよ。
家族愛に外部からとやかく言われる筋合いなんてないのさ。それに加えてこんな価値観だから割と堂々と言えてしまえるのがこの世界の面白いところでもある。
まぁ、あくまでこれは憂に限ってことだけどね。姉ちゃんとは同い年だからまた抱く感情も変わってくるのだ。
マイナスな感情を抱いたことは一度たりともないよ。おかげで今まで喧嘩したしとこともないからおしどり家族としてやらせてもらっている。
憂と姉ちゃんにそんな感情を抱く余地なんて存在しないからね。抱く人がいたら本気で心配するよ。
さて、そんな姉ちゃんだけど──
「姉ちゃん朝だよ〜」
「おお〜……あ、あと15分〜……」
「欲深いこと言ってないで早く起きなよ」
「う〜ん……」
「先行くよ」
「起きるっ!!」
まぁ、いつもこの調子でやらせてもらってますよ。毎度毎度切り札として先に行くと言えばすぐに起きるからその前までの掛け合いも楽しめるってものだね。
とは言いつつも姉ちゃんと登校できないのは微妙に楽しくないから俺も嫌なんだけどね。いつの日か姉ちゃんが起きないと言う可能性も無きにしも非ずだから少し不安。
「おはよ」
「おはよ〜……まだ眠いや」
「もうご飯できてるから、早く降りてきなよ」
「ね〜。最近ケイ一緒に寝てくれなくなったよね〜……?」
「何歳だと思ってるのさ。それに最後に寝たのいつだって話だし」
「去年だよ!」
「何で覚えて……って、アレはカウントしていいものなの?」
「お姉ちゃんは寂しいよケイ〜。ケイの温かみが恋しい季節……」
「変なこと言ってないで早く降りるよ」
「ケイのいじわる〜……」
まぁ、去年憂が突然一緒に寝たいと言い出したことがあってね、その翌朝目覚めたら何故か姉ちゃんも共に寝ていた状況になってたんだよね。
自覚あるってことは自分から来たんだろうけど、一体全体どこで情報を嗅ぎつけたのやら……滅茶苦茶寝付きは良かったけどね。
この姉妹の温もりには色んな効果が混じってそうで一種の睡眠剤のようにも感じる。まぁこの歳だし流石に自分からはやらないよ。
そう言えば、さっき気付いたんだけど……昨日の夕方辺りに軽音部メンバーの人達によろしくお願いしますって旨のメールを送ったんだけど、澪さんだけさっき帰ってきてたんだよね。
これはどう捉えるべきなのか。単に未読だったのか、それとも……返信内容を考えていたのか。
うーんまぁ、考えすぎるのも澪さんに失礼だし無粋だよね。とりあえず返信が来たという結果に落ち着かせておくことにしよう。
それ以上にちゃんと二人でも話せるようになれるか不安でいっぱいいっぱいだけどね……早速今日軽音部に行くけど、律さんとむぎさんはいいんだ。あんなに隠れられちゃったら中々対話が困難になるからさ。
これも慣れで片付けるような問題なのかどうか……明らかに元来の性格が影響してると思うんだけどな〜。
「──お兄ちゃん?」
「ん、ああごめんごめん。ちょっと考え事……」
「おいひ〜っ……」
「あ、姉ちゃんいたんだ」
「はやくしないとケイの分も食べちゃうよ〜?」
「あ、食べる?」
「えっいいの!? じゃあ、あ〜ん……」
「ほいっ」
「ふごっ……おいひぃ」
***
「──っていうことがあってさ」
「なんじゃいその胸焼けするような甘ったるい話は……」
「律さん弟いるんでしょ? こんな感じじゃないの?」
「そ、そんな感じが普通なのか!? あたしはたまに甘えてくるくらいだけど……」
「なら俺のとこと同じ感じじゃない? 信頼されてる証拠だよ」
「そういうものなのかなー……」
「うん。で、あのさ──あれ澪さんだよね??」
朝の支度を終えていざ学校……とは言ってもいつも通り授業を受けて今日は男子の友達と昼ご飯を食べて、んで軽音部室にやって来た、なんてことのない日だった。
んで、今は軽音部のメンバーで集まってる訳なんだけども……来た時は澪さんが見つからなかったんだよね。トイレにでも行ってるのかと思ったけど……なーんかベンチと窓の間の隅っこに誰かいるなって思ったら澪さんだったのよ。
律さんとむぎさんは完全スルーしてるけどいいのか??
澪さんとちゃんとコミュニケーションを取れるか不安だよ俺は。とても不安で仕方がないよ。
何かブツブツ言っていて綺麗な体育座りを決めているけども……果たして触れて良かったのだろうか。
「あー、うん……あのね……け、ケイが来る前までは大丈夫だったんだよ。でもやっぱり緊張しちゃうみたいでさ……」
「そっか……まぁ無理にとは言えないもんね」
「あたしだって名前呼ぶのとか割と緊張するし……むぎだって、ね?」
「ええ……殿方の名前を呼ぶなんてしたことなかったから。でも呼んでみると何だか安心します〜!」
「何故関わりがないのは同じなのにここまで違うのか……」
「これに関しては本当に仕方がないとしか言いようが……」
無理に喋ろうとしたら澪さんの気持ちを無碍にしてるようなものだし、今はとりあえずこの距離感で接するしかないのかもしれない。日を重ねるごとに何とか距離を縮められたらいいんだけど。
「そう言えばさ、俺はどんなことをしたらいいの? 一応マネージャーだし」
「まぁ、部費の管理とかその他諸々のセットアップとか……かな? あたしそういうのちょこ〜っと苦手だからさ……ね?」
「了解」
「それで、気になってたんだけど私はどのポジションやるの?」
「あー、唯にはギターやって欲しいんだよね。バンド組む予定だし……」
「ギター……かぁ……」
姉ちゃんがギターを弾いている姿か……あまり想像できんな。
ギターを抱きながら寝ている姿とか、ギターに話しかけている姿しか思い浮かばないのは弟として果たしていかがなものなのか……でもそういうキャラが定着してしまっている以上仕方がないことだとは思う。
まぁでも一つの物事にはとことんのめり込めるタイプだから気に入ったのなら大丈夫だという安心感はあるけども。
「まだ唯はギター持ってないんだよね?」
「うん! 音楽っていうのもあんまりよく分かってなくて……」
「でも、演奏を聴いて興味を持ってくれたんでしょう?」
「だな。それだけで全然お釣りは来るよ!」
……これ俺がいるせいで澪さんが姉ちゃんとかとのコミュニケーションが取れなくなる問題が発生しないか?
不安がっている暇はあるのだろうか……早めに克服できるようにならないとこの先結構色々とごたつく未来しか見えないな。
とは言っても無理やりに話そうとするのもなぁ……なんだかなぁ。
「んじゃあ今週末皆でギター買いに行こうぜ! 澪もギターのことなら詳しいし、なっ?」
「あっああ、うん……」
「ギターかぁ……」
……場合によっては俺が出資する必要もありそうだな。
俺が行っていいものなのか未だに疑問なんだけども……
***
──と、思っていたんだけど。
「……えっと」
「……」
──まさか早速二人っきりになってしまうとは。