9月の京都はまだ暑い。荷物が運び出された部屋を眺めて、僕はぼんやりしていた。
年明けからあまりにも急転直下だった。昨年冬に父が亡くなり、その数ヶ月後に兄も亡くなった。兄の死がキラを追っての殉職ではなく、キラだったからこその死だと知っている家族は僕だけだ。昨年誘拐されたショックも消えない妹や父と兄を失って悲しむ母にこんな真相を突きつけるわけにはいかない。僕が兄の死の物語を演じ切るしかなかった。
卒業が半年遅れ院進を取りやめ、僕は今日4年半過ごした京都を発つ。
「水分補給しておけ」
キッチンの方からメロがペットボトルのお茶を投げてよこした。
「……案外人のこと見てるよね」
「おまえがわかりやすいだけだ」
本当に変な気分だ。
キラ事件の経過は承知の上だ。死神のノートを巡る争奪戦の過程で妹を誘拐し父を殺したのは目の前の青年、メロなのだ。それが今、京都のアパートを引き払う僕に付き添ってここにいる。
何がどうしてこうなったんだっけ。
暑さか疲れか、思考が飛ぶ。
僕と歩くとき、メロは車道側を歩く。歩きながら考え事を始めてしまうせいか、僕の様子は見ていられないのだとか。
ニアに依頼された解析の最中に疲労がたたって倒れて以来、Lを継ぐ2人からの連絡は監視の様相を呈していた。依頼した以上完遂されなければ困るのはわかるが、それにしては少し変だ。
京都のアパートを引き払い、東京で母と妹に会う。父と兄の墓参りをして、僕はしばらくニアとメロと行動をともにする予定になっている。別に京都から付き添う必要はないのに、メロは同行している。信用されていないのはわかるが、その割に気遣われるのはよくわからない。父と妹の件で罪悪感があるのは察している。
倒れた僕の様子を見に来たのがメロとの初対面だった。呼吸が落ち着いた頃、メロは父と妹の件を切り出そうとした。
「夜神総一郎の……」
「聞かない。僕は父さんでも粧裕でもない。家族は好きだけど僕はその人生に責任は取れない。だから謝罪を代わりに受けることもしないし、兄さんがキラだったことを僕が詫びる気もしない。だからこの話はこれで終わり」
ただ、と僕は続ける。
「父さんが、兄さんはキラじゃないと思って逝けたことは、数少ない救いなのかもしれない」
生きていてほしかったけれど、父の世界が壊れないまま逝けたことに安心するのもまた事実だった。
変なものでも見るような目を向けられて、僕は反応に困る。メロから向けられる気遣いの温度をどう扱っていいかわからない。罪悪感、警戒、そしてよくわからない何かが混ざっている。
「大事な人には傷ついてほしくないから。真実が人を救うとは限らないじゃない?」
Fateシリーズの好きな一節を思い浮かべる。そこに込められた願いは、走り抜けた旅路は、素敵なものだと肯定する物語が好きだ。
我らは星の行く末を定め、星に碑文を刻むもの。
残念ながら僕にはカルデアスタッフもドクターロマンもダ・ヴィンチちゃんもかわいい後輩マシュもいない。僕は一人で立つしかない。病弱なままでも生きていけるようにと兄に教わった情報処理技術のみを拠り所にしてやっていく。それ以外どう立てばいいかわからない。
母と妹と一日過ごし、僕はメロと飛行機に乗ってNYへ飛んだ。1年ほど前までSPKが本拠地を置いていたアメリカの都市だ。
空港に着くと、メロは僕のスーツケースを当然のように持って歩き出す。
「自分で持てるんだけど」
「そんなふらふらの状態でNYなんか歩いてみろ。すぐにひったくりに遭う。ここは日本じゃない」
正論だった。僕はフィジカルに自信なんてない。だけど、そこまでするものだろうか。
疑問は形になる前に消えた。正直それどころじゃない。
NYの拠点ではニアが待っていた。
「ひどい顔色です」
「ここ数日の君の食事も終わってると思う。キッチン、携帯食料とコーヒーくらいしか食べた痕跡ないんだけど」
「夜神、こいつはそれで奇跡みたいなもんだ。少しでも何か食べてる」
「そんな実験漬けの学生みたいな……。とりあえず京都で買ってきたバウムクーヘンでも食べる?」
住んでいるときにはいつでも買えると思って素通りして最後に買ってきた抹茶のバウムクーヘンを取り出した。
「……手前の小さい方をお願いします」
調子を狂わされた、と言いたげなニアを見ていて、ふっと笑みがこぼれる。
「ニアに食事をさせるやつ、そういないぞ」
キッチンでお湯を沸かしながらメロが笑う。そんな大げさなと疑いの目を向けるが、冗談ではなさそうだった。
「ワイミーズハウスにいた頃、少食どころか食事にも出てこなくて何度か叱られていたのは覚えてる。何度言っても改善しなくて、職員の方が根負けした」
「そこは大人が折れたらダメなところでは……」
「Lになることに比べたら大したことじゃないんだよ、そんなのは」
僕が言えたことじゃないかもしれないけど、絶句してしまう。
「食べられる方法を探すとかじゃないんだ……」
「結果に影響しないなら大した問題じゃないからな」
「夜神さんが気にする必要はありません。別にこれで困っていませんので」
ニアは平然としている。僕の受けた衝撃の意味がわかっているのか、敢えて無視しているのか。
「……そっか。あ、でもキッチン使う前にアレルギー聞いておきたい。僕は特にない」
「私もありません」
「俺も特にない。……おまえ、気にする方向がおかしい」
「キッチン共有するならまず聞くじゃん? ラボの新入生にも最初に聞く。本当に大事だから」
至極当然の確認だが、変な空気が流れた。変だと思われるのには慣れている。
ニアが玩具やパズルを手にしたまま椅子に座り、事件の概要を見ている。画面を覗きこんで僕は気づく。
「これ、収支がおかしくない? 魔術だって科学だってエネルギーの収支は大事なんだよ。そこが崩れてるなら何かありそう」
「……表現が独特すぎませんか」
目の前にあるのは裏帳簿でもリストでもなく、被害者の司法解剖の結果だ。
「血液。出血量と死因。出血した分の一部がどっかに消えてる。300mlくらい」
僕が言い換えると後ろでメロが声を上げて笑った。
「血液のオタクってそんなことまでわかるのか」
「血液はすべてに通じるからね。……本当に」
人は嘘をつく。だけど人体は、血液は、如実に語る。僕はそのことを身に染みて知っている。父や兄の遺体もそうだった。
「着眼点は悪くない……どころか、本質を引き当てています」
「え?」
「え?って何ですか」
「いやそこから先は全然よくわからないし」
何だこいつ、とニアの表情が語っていた。
「知識や発想に偏りが見られます」
「好きなことしかやってないから……?」
そんな風に奇妙なもの扱いされることはあったが、僕は任された解析を進めていた。温かい紅茶を片手に画面を眺めては不自然な箇所に飛ぶ。アクセスログ、資金の流れ、何であれログが残れば、解析のしようがある。
僕は集中していた。あまりにも深く入りこみすぎていた。脳内で遠くアラートが鳴る。けれどそれを無視した。
手を止めたくなかった。今いいところだから。いや、僕は手を動かしていたかった。絶望に入りこまれないために。
「夜神さん」
ニアの声が割って入る。だけどどこか遠い。
気づけばベッドの上だった。