ベルムガンドの断章 箱庭のロゼッタ   作:金木一郎

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最後の砦

「どういうことだ、アンタに依頼したのは俺だぜ? なんだってここで外されなきゃなんねぇんだよ」

 詰め寄る岸辺に、キキは怯むことなく畳み掛ける。

「岸辺さんは、確かに白郎さんを紹介してくださいました。だからといって、連れて行く訳にはいかないんです。これから先の問題は、白郎さん自身で決着をつけなければならないことなので」

 キキの毅然とした対応が、白郎を揺さぶる。

 彼女の言葉一つでさえ、聞き逃すことは許されないと本能が告げている。

「部外者みてぇに言ってんじゃねぇ。こいつは、俺のダチだぞ? 指咥えて黙って見てられると思ってんのかよ」

 岸辺が反発を強めていく。彼の従来の義理堅さが、牙を向いた。

「岸、落ち着こう。まず未鷺さんの話を聞いてからだ」

「………………」

 白郎が咄嗟に割って入ると、岸辺は茹る頭を鎮める。

 漸く友人の力になれると舞い上がった矢先であった。不要だと切り捨てられれば、平常を装うことは難儀だ。

 冷静に言葉を紡ぐことも困難なまま、岸辺は歯噛みする。

 キキは、己が矢面に立たされていながら、目を逸らすことなどしなかった。

「岸辺さんが、白郎さんの為に力を尽くしていることは分かります。貴方は確かに白郎さんの精神的支柱であり、理解者です。共に歩んできたからこそ、貴方はきっと白郎さんの抱える呪いの重さも、その危険性をも認識しているのでしょう」

「煽てるのはいい。アンタの言いたいことはなんなんだ?」

「分かりませんか」

 キキは、全ての言葉に意思を宿す。心なしか、彼女の体は熱を帯びたように赤く染まっている。

「貴方が霊障で命を落とした時、誰が白郎さんの傍に居てあげられるんですか?」

 彼女の言葉に、岸辺は燃え滾る怒気が四散した。

 意識に空白が訪れた岸辺に、キキは彼の心奥に己の全てを叩きつける。

「霊媒体質は、我々の想像以上にコントロールの効かない障害です。災害なんですよ。いくら自分の身を守れると自負していたところで、その過信が命取りになります」

 災害、そう告げられた白郎は、7年前脱線事故で父を喪った衝撃を思い返していた。

 あれは確かに、障害という言葉で一括りできるようなものではない。

「霊障は、余程他者の強い思いや長年かけて蓄積された未練に魂を引き摺られないか、己で対応できるかでなければ、リスクを下げることはできません。知識と経験だけでは足を掬われるんです」

 災害とは、人の手に負えない巨大な渦だ。

 どれだけ場数を踏み、対策を練り、備えようと、実際に事が起きてしまえば幾許かの人間は被害を被る。

 十人から数百人、数千人といった規模にまで膨れ上がることもあるだろう。

 仮に生存できる確率があったとして、無傷で済む保障はない。

 キキは、厳然たる事実を二人に突き付けた。

「岸辺さんは、白郎さんにとっての最後の砦です。貴方が消えてしまったら、例え問題を解決したとしても禍根が残ります。貴方はそれでも、地獄へ骨を埋める覚悟はありますか?」

 キキと岸辺、両者の間に不穏な空気が流れる。

 誰もが思い悩み、現実に押し潰されながら口を閉ざす中、白郎は遂に、二人の沈黙を破った。

「岸、俺はもう大丈夫だ」

「…………白郎」

「俺は今まで、この呪いがある限りずっと誰かを苦しめるだけの存在なんじゃないかと思ってた。他人から助けてもらえるなんて期待したこともなかったし、そんな資格もない」

 白郎は、産まれてから父が亡くなるまでの半生を思い返す。

 人の無念、数えきれないほどの未練や執着に蝕まれ、あらゆる生命を背負い、彼は歩んだ。

 己の未熟さで、父を死に追い遣った自身を憎まなかった日はない。

 白郎が自責の念に追い詰められようとも、度重なる霊現象と怨霊は、白郎の背後から爪を立て襲いかかる。

 少しでも気を緩めれば、取り返しのつかないことが起こる。

 そんな逃れられない日常を、白郎は静かに記憶から掘り起こしていく。

「だけど、そんな時でもお前は俺を見捨てることなく向き合ってくれた。お前にとっちゃ、なんでもないことだし、当たり前なことかもしれないけど、俺は、本当に救われたんだ」

 救われたという言葉が、白郎の肩の荷を降ろす。

 岸辺は、先行きの見えない彼の絶望に一雫の希望を落とし、波紋を広げたのだ。

「お前のお陰で、俺はやっと先に進めるようになった。生きていこうと思えたんだ。……正直、こっから先お前がいないのは死ぬほど不安だけど、なんとかやってみるよ」

 未鷺さんもいるしさ、と笑う白郎に、岸辺は暫く硬直していたが、やがて深く、長い溜息を吐き出し、呆れたような笑みで返した。

「全く、お前って奴は本当に、呑気だよなぁ……」

「そうでもねぇって、これでも俺は色々考えてんの」

 呑気だと指摘され、ムキになる白郎。やがて二人は先程までの重苦しい雰囲気が嘘だったかのように笑い合う。

 それは彼らにとっては変わらない、かけがえのない日常の欠片であった。

「……なぁ、おい、キキさんよ」

「…………なんですか」

 彼らの様子を見守っていたキキに、岸辺は僅かに頬を強張らせながらも、真摯に向き直る。

「アンタの言う、最後の砦ってやつに、俺はなるよ。なってみせる……だから、こいつのことはアンタに任せるぜ」

 キキは恥ずかしげに他所を向く岸辺に、大きく目を見開くと、やがて穏やかで真っ直ぐな笑みで応えた。

「はい。白郎さんのことは、私達に任せて下さい。全力を尽くします」

 キキの誠実さに、安堵の表情で「おう」と岸辺は目を閉じる。

「それでは、行きましょうか」

 彼女は再び、真剣な眼差しで白郎を呼び寄せる。

「うん」

 硬く首肯を返しながら、白郎は岸辺に背を向け、真正面を見据えた。

 ここからは、彼一人でこの呪いと向き合わなければならない。

 しかし、もう引き返せないと理解していながら、彼は心から身軽になれた気がした。

「白郎」

 最後に、親友が彼を呼び止める。

 白郎は名残惜しく背後を振り返ると、そこにはいつものように飄々とした岸辺が乱暴に手を振っていた。

「気ぃ付けて行ってこいよ」

 白郎はその姿に目の奥に熱が宿るのを感じながら、普段の剽軽さで左手を返した。

「じゃーな、また明日」

 このやり取りを最後にしないと誓う白郎は、キキと共に校門を後にした。

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