庭園に咲き誇る花々を掻き分け、二人は魔法使いの根城へと辿り着く。
「では、入りますよ」
キキは、白郎と視線を合わせ、彼が静かに頷くのを確認した後、慎重にノックを数回行った。
扉から、ギィという古びた音が鳴る。
恐る恐る扉を開け放すと、そこは、先程の御伽話に出てくるような幻想的な庭園からは想像もできないほど荒れ狂った内装となっていた。
内壁からは猛獣の如く食虫植物が牙を剥き、床からは得体の知れない植物が植っている。
天井にも蔦やシダ植物が絡みついているせいか、豪華なシャンデリアから昆虫が顔を覗かせている。
草原と化した机に、乱雑に置かれた書類やデスクトップパソコンが目に入ったことで、ここが事務所なのだということがかろうじて分かった。
荒れ狂う屋敷から家主の性格を図っていると、やがて視線は中央の上座の方を追っていく。
そこには、一人の男が、白郎たちへと背を向け、ヒナゲシの咲いた椅子に腰掛けていた。
漆を塗ったような黒い髪は、ボブカットに切り揃えられているも、手入れがなされておらず、所々が跳ねている。
外見は長身で細身、華奢にも見えるが、どちらかといえば、筋肉が引き締まっているが故の細さであるようだ。
服装はカッターシャツに至るまで、全て漆黒のスリーピースで、オレンジの装飾が散りばめられている。
映画の世界から送り込まれたような、浮世離れした印象を与える男は、先程から客人に見向きもせず、優雅に読書をする始末。内容をよく見れば、それはどうやら漫画のようだ。
自らの世界に入り浸る男は、上機嫌に鼻歌まで披露していた。
白郎とキキは、暫しの間、無言で互いの顔を見合わせる。
見渡す限りの草原を、欲望の赴くまま駆けていく男に、心が挫けそうになった。
「ハーメル、依頼人の方がいらっしゃいましたよ。…………全く、貴方は仕事をするフリも出来ないんですか?」
鬱屈したキキは、瞼を痙攣させながら、苛立たしげに吐き捨てる。
「就業時間です。その素行の悪さを改善させないなら、女王様にチクりますよ」
キキの、規律を重んじる学級委員長のような脅迫に、ハーメルと呼ばれた男は鼻歌を止めた。
「あと5分待て。俺は忙しい」
自由奔放などという言葉に、悍ましさを覚える。
再び振り出しに戻されたキキは、舌打ちを堪えることに精一杯であった。
「いや、何で私達が貴方に合わせなきゃならないんですか? こっちは報酬分働いてるんですよ? それに報いるのが雇い主の義務じゃないんですか? 」
「まぁ、待てよ。ここから俺の情動が掻き乱されるような名シーンの幕開けなんだぜ? コイツを読むか読まないかで世の中の見方が360度変わるってもんだ。一周回って返ってくんだよ。分かったらその小せぇ脳髄に、ラブロマンスの真髄を叩き込め」
毛を逆立てた猫のように食って掛かるキキに、俺の人生に必要なのは後悔ではなく、航海なのだと、ハーメルは、薄寒い洒落を繰り出す。
容赦無い彼らの攻防に挟まれる白郎は、数千年も進化を遂げない生物に、言語能力が発達していたならば相当厄介なことになっていただろうと、変化していくことの重要性を噛み締めていた。
白郎が遠巻きに、天上天下唯我独尊を体現した男を眺めていると、隣にいるキキは負けじと事務所の草原を踏み締める。
「貴方の都合なんざ知ったこっちゃねーですよ! 脳味噌沸騰してんですか、ポッピングシャワーなんじゃないですか? パチパチパチパチ鬱陶しいんですよ! ……白郎さんが、危険を承知でうちに相談に来てくださったんです。自分の我儘を優先する前に、まずは目の前の人を助けるのが人情でしょうが! 」
気持ちの良い正論に、白郎の胸に彼女に対する絶大な信頼が込み上げた。
自らを逢魔堂に送り出してくれた岸辺に伝えたい、お前は最高の魔法使いを紹介してくれたと。
荒み切った社会に翻弄された日々は無駄では無かったのだ。
白郎は、懸命にハーメルの良心に訴えかけるキキに、ももにくを乗せた手に力を込めながら、彼女に期待を寄せる。
振り上げられたキキの拳は、切なる思いを乗せてハーメルに突き出される。
「分かったら、私の給料上げろ! いつまでもお年玉に一喜一憂する小学生だと思ってんじゃねー! 」
白郎の期待が、木っ端微塵に砕かれた瞬間だった。
正義の裏には、私怨が混ざっていたらしい。清廉潔白とはいかない、欲に塗れたその生き様が、何故だか眩いもののように見えてしまう。
「しゃあねぇな。ったく、俺って奴は優しいぜ。テメェを投げ打って悩める子羊に手を差し伸べてやるんだからな」
不遇を訴えるツインテールの魔物に観念したのか、彼は名残惜しそうに少女漫画雑誌(ちゃおと書かれている)を脇に置くと、琥珀色の瞳を歪めながら、中性な顔立ちに、戯れるような笑みを浮かべた。
「俺の名は、ハーメル」
女神のような嫋やかな笑みにはそぐわない、聞いたものが身震いするような声が響き渡る。
「お前が
夥しい数の紋様が彫られた手で、顎をさすりながら、ハーメルは興味深く白郎を見つめる。
上辺から末端にかけて値踏みをされている心地がしながらも、白郎は、天使と悪魔が入り混じった男の視線を受け止めた。
「白郎、です。……俺のことは、もう分かってるみたいですね」
手の中のももにくが退屈そうに寝そべるのを肌で感じながら、白郎は、ハーメルが頷くのを見届ける。
「元々キー坊から話は聞いてたんでな、そこから興味本位に調べさせてもらったところだ。中々の有名人だったぜ、お前」
「…………それほどでも」
「なに謙遜してやがる、もっと堂々としろよ。このままいけば、小民的スターも目じゃないぜ? 」
国民的と言える程大々的ではないのかと、僅かに落胆した白郎だったが、外見に反し、気さくな態度を取るハーメルへ、彼は徐々に張り詰めた糸を緩めていった。
「でも、スターって言ったらキキさんの方が凄いですよ。明るいし、華やかだし」
緊張が解れた白郎が、称賛の矛先をキキの方へと向けると、キキは過剰なまでに頬を紅潮させる。
「え!? い、い、いや、わた、私が、あ、アイドルに!? 無理無理無理です! というか、何を言ってるんですか、白郎さん! 」
アイドルなどと口にした者は、誰一人として存在してはいないのだが、時には浮かれるのも人生の醍醐味だ。
羞恥に震えながらも、有頂天に舞い上がるという矛盾に満ちた奇行を繰り出すキキに、ハーメルは今し方浮かべていたニヒルな笑みが崩れ、無邪気に腹を捩らせる。
「だっははははは! こいつがアイドルか、この暴発系女子が! なんだよそれどういうトリックだ! 面白れぇ、どうせやるならこいつのファン諸共鉱山地帯で大爆発だ! 溶鉱炉で親指立ててみろよ! 」
「誰が、暴発系だ! 水素爆弾から生まれたような貴方に言われる筋合いなんざない! ……全く、そんな話をするために連れてきたわけではないんですよ」
キキは、男達の井戸端会議を軌道修正する。
「雑談も仕事を円滑に進めていく上での必須事項だぞ? お前は本当に、前か後ろの両極端だな。回り道ぐらい用意しておけよ」
ハーメルが目尻の涙を拭う瞬間、辺りは再び静寂に包まれた。
「さて、ここからは仕事ビジネスだ。______お兄ちゃん、お前は、俺に何を望み、何を乞う? 」
幼稚さを消した彼は、再び人間の本質を刺し貫くような鋭い光を琥珀色の瞳に忍ばせる。
自身の望みは、本当に救われる事なのか。
膨大な数の選択肢から答えを得ようと、白郎は、歯を食い縛った。