異界渡り、ビカム -伝説のエルフは今日も勝手に深読みされる-   作:鹿紅 順

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第二章 第3話「絶望の水底から」

「――分かったかい。彼の種族だけは創世の女神様が生み出した、まさしく半神半人。悠久の時が過ぎて神威が薄れようと、尊き一族であることに変わりはない。アンタが感じる浮世離れした感覚は間違いじゃなくて、エルフの視座はもうちっと高い所にあるがゆえなのさ」

 

 燃える薪が二つに折れ、火の粉を巻き上げる。

 揺らぐ炎がリンの横顔を照らした。

 穢れなき疑問をたたえた顔を。

 

「ビカムはどうして〝異界渡り〟になったんだろう……」

 

 静寂が野営地を支配した。

 その問いに答えられる何者もいなかったゆえに。

 

「さあてね……」テスカが息を吐いた。「生きてりゃ色々あるんだろうさ。エルフほど長生きすりゃ思うところもあるんだろう」

 

「――そんな理由で片付けるには惜しい問答ですね。私も興味がありますよ」

 

 今まで黙々と焚火の面倒を見ていたモルデンが口を挟んできた。

 

「なんじゃ坊主。あの御仁に気に入らないことでもあるのかい。チキュウを庭にしとることがそんなに不愉快かい?」

 

「そういうテスカ殿も随分肩入れしているように見えますがね。田舎の地域ほどエルフへの畏敬が強いと言いますが、私から言わせれば、彼らも今や人類の一種族。善き人格の者もいれば悪しき人格の者もいる。目線を公平にせねば、見るべきものを見誤る」

 

「フン! まず坊主の仲間の男に聞かせるべき説教さね。……アンタ、起きとるんじゃろ!」

 

 規則正しく寝息を立てる背中に声が浴びせかけられる。

 ……と思いきや、すくっと身を起こしたビラートが挑戦的な目をテスカに向けた。

 

「なんでえ、気づいてたのかよ。油断ならねえ婆さんだな。なんで分かった?」

 

「寝たフリをするなら呼吸の間隔は多少不規則にするんだね。拍子に変化が無い方が不自然さね」

 

「覚えておくぜ」

 

 ビラートとモルデン、二人の視線が向けられる。リンはゴクリと唾を飲み下した。

 

「そう緊張しないでほしい」モルデンは努めて優しい声で言う。「私たちは君たちにお願いしたい――今すぐとは言わないが、朝になれば速やかに我々と別れてほしいということだ」

 

「――‼」

 

「さすがに夜が近かったゆえ無下に放り出すことはしないが、やはり〝異界渡り〟とチキュウ人、連れ合いとするには不安が残る。魔獣との戦いに加勢してくれたことは確かに感謝している。礼金を支払おう。だから、お互い出会わなかったことにしてやり過ごした方が良いのだ」

 

 モルデンの声音には一切の悪意や害意が含まれていなかった。好意的な何かもない。

 ただ冷徹に状況を鑑みて、最も安全と思われる選択肢を選んだにすぎない。ビカムやリンの人格ではなく、彼らのレッテルを重く見て、雇用人と仲間のためを思ったにすぎないのだ。

 

 サムライと冒険者。異なる世界の稼業も違う者同士。

 しかし、そこにはプロフェッショナルに通底する、依頼達成を至上とした冷静な判断があった。

 

「……分かりました。モルデンさんの言うとおりにします」

 

「何を勝手に決めとるんだい! 雇用主のこの婆を無視して、ええ? 何様のつもりじゃ! アタシが良いって言ったら良いのさ。護衛が増える方が荷の安全性は(いや)増すじゃろうて」

 

「いいんですテスカさん。私たちは……私は、この世界で部外者だから」

 

 老婆が悲しまないよう、リンは努めてさりげなく微笑んだ。

 テスカとって、それこそがむしろ悲しみを煽った。

 

「ま、そういうこって。俺ァ〝異界渡り〟よりチキュウ人の方こそ得体が知れなくて不気味だね」ビラートが嘲るようにリンを見る。「噂じゃ奴ら、俺たちリンダリアル人のことを蛮族みてえに思ってるらしいが、こっちからすりゃあ信じる神もいなけりゃ伝統と文化も忘れちまった連中のほうが野蛮だぜ」

 

「……全ては否定できないけど、その噂は真実ではないわ」

 

 確かに旧時代からの復興の過程で、繁栄に寄与しない伝統、文化といったものは一度忘れ去られた。チキュウの人間は生きるのに精一杯だった。

 それではよくないと文化復興運動が興り、リンたちチキュウ人はアイデンティティを取り戻す道半ばにいた。その点に関しては事実である。

 

「でも、私たちはリンダリアル人を馬鹿にしてるわけじゃない――知らないから怖い。貴方も、得体が知れなくて不気味って言った。私たちは同じ問題を抱えているだけだと思う」

 

〝――恐ろしい、かい?〟

 

 テスカの言葉が、リンの脳裏にこだまする。

 自分がビカムに抱いていたのも、理解できない事への恐怖なのだろうか。

 

「……へえ、怖がってるってか。俺が、お嬢ちゃんを?」

 

 ビラートはすらりと愛剣を鞘から抜き放つ。「ビラート⁉」とモルデンが叫んだ。

 

「だったらよォ、お互いを知り合おうじゃねえか。特に剣士同士なら手っ取り早い方法がある。それなりに遣う(・・)んだろう?」

 

 ビラートがリンの佩く高周波ブレードを一瞥した。

 

「剣士は言葉じゃなく刃で語る――俺の師の言葉だ」

「……いいでしょう」

 

 リンもまた、挑まれて背を向ける乙女ではない。気負うことなくブレードを抜刀する。

 ただし、高周波の機能は止めている。この剣は鉄であろうと振動の力で切り裂いてしまう。武器の性能で勝っていてはビラートに認められることはない。

 

「一度剣を抜いたらば、(こと)結するまで納めることなし――私の父の教えです」

 

「望むところだ」

 

 互いに剣を正眼に構える。

 テスカとモルデンが何事か騒いでいるが、既に二人の耳には入っていない。極限の集中が仕合に関係のない事象を切り捨てた。

 リンとビラートは相手の一挙手一投足に反応し、先に致命の一撃を叩き込むだけの機構と化した。

 

 チキュウのサムライ。

 リンダリアルの剣士。

 

 果たしてどちらの技量が上回るか……しかし、勝負の決着がそう遠くないことを二人は直感した。

 

「――シッ!」

 

 先に動いたのはビラートだ。

 奇を(てら)わない直線的だが素早い袈裟斬りを、リンは半身になって躱す。

 続く下から掬い上げるような横薙ぎは大きく後退し距離を取った。

 

「どうした? 逃げ足はご立派なようだが、攻め足も見たいもんだ」

 

「……」

 

 リンは沈黙を保ち、静かに構え続ける。

 

 これもまたビラートの策略であった。

 確かに速さは目を(みは)るものがあるが、(いささ)か攻撃が素直すぎる。攻撃の合間に反撃を叩き込む明確な隙があった。

 しかし、それこそが罠、わざと作り出した弱点であることをリンは看破した。得意満面に突けば、待っていましたと手痛いカウンターが待ち構えているのだ。ゆえに挑発の言葉に乗ることもない。

 

 ビラートの顔から感情の色が消える――罠を見抜かれたことを悟り、芝居を終わらせたのだ。

 ここからがまさに真剣勝負。互いの技量と経験を刹那に燃やし尽くし、最も早く一太刀を見舞った方が勝ち残る。

 

 やはり攻めたのはビラートだった。待ち構えることをリンも望んだ。

 森の暗闇に火花が散る。絶え間ない剣の猛攻をブレードが弾く。

 連撃の終わり際、ビラートが止めていた呼気を吐き出した瞬間、リンは初めて反撃に転じた。防御の手とは明らかに込められた力が違う、渾身の一手だ。返す剣は間に合わない。

 

 決定的一閃を、ビラートは左腕の皮鎧で受けた。

 鋭い金属音(・・・)が鳴った。

 ブレードに対して流すように受けることで刃が滑り、皮を向くように鎧表面が削がれる。

 なめし革の下には金属の板が仕込んであった。これぞビラートの秘策。攻撃が決まったと油断させ、今度こそ相手の虚を貫くのだ。

 

「――‼」

 

 驚愕は、しかしビラートから発せられた。

 リンが想定よりも早くブレードを引き戻した。全力で打ちかかっていたならば絶対に不可能な反応速度で。

 

(――左手が不自然でしたよ)

 

 リンの視線が物語る。彼女は相手のわずかな挙動から策を見抜いていた。

 

(――上等!)

 

 動揺どころか歓喜をもってビラートが迎える。受け流しの反撃を見切られただけだ。隙をさらしたわけではない。

 次の交錯で勝負が決まる――誰もが限界まで集中を極めていた。

 

 だからこそ、気づけた。闇の中に潜む影を。

 

 リンの総身を強烈な怖気が襲った。

 躍動するビラートの後方、闇を抱いた雑木林から放射されている。

 自分以外の誰も気づいた様子はない。

 猶予は幾ばくもなかった。

 

 ビラートの振り下ろした剣を、神憑(かみがか)った見切りで躱す。切っ先から肌まで三センチを切っていた。

 斬られる――ビラートの表情に初めて恐れが浮かぶ。

 

「危ないっ!」

 

 リンの手がビラートを突き飛ばした。

 

 ゆっくりと後ろに倒れ込んでいく視界の中、少女の体は横手から現れた濃い暗闇に飲み込まれた。

 

 

 

   ***

 

 

 

「なっ、何だいありゃあ⁉」

 

 テスカの震える指先の方向。

 

 ――そこには異形と呼ぶべき存在が揺蕩っていた(・・・・・・)

 

 闇色に染まった半透明の何か。

 長い胴体からは幾本もの触手が伸び、胴体先端では仄暗い光が二つ、内部に灯っている。

 重力を無視して空中を優雅に泳ぐそれの大きさは、人間の大人を優に超えていた。

 

絶望水母(ぜつぼうくらげ)……!」

 

 モルデンがその生物の名を告げる。

 

「あれは魔獣なのかい⁉」

 

「ええ、三等級の恐るべき魔獣です! ですが、なぜこんな場所に……コイツはもっと森の深く濃い所に生息しているはずですが――」

 

「御託は後にしろ!」ビラートが額に汗を滲ませながら言う。「嬢ちゃんが奴に取り込まれた! 早く助けねえと心を壊されちまう!」

 

 ビラートの焦りは(もっと)もだった。

 この絶望水母は名のとおり、体内に取り込んだ相手の心を覗き見て、最もトラウマとなっている記憶を喚起して絶望を見せる。

 より悪辣な点は、記憶を解析し、より絶望を感じるような新たな記憶を捏造するのだ。そうして獲物が悪夢にうなされている合間に消化吸収してしまう。

 いや、その前に最大の悪夢を延々と見せ続けられたらどうなるか……

 たとえ助け出すことができたとしても、心に治しえない傷を負うことになるかもしれない。ゆえに救出は時間との戦いであった。

 

 絶望水母へ駆けだそうとした一行。

 そこへ別の方角から咆哮が上がる。

 

「うっ……⁉」

 

 いったい誰の呻き声だったのか。

 雑木林、いや、木々を薙ぎ倒しながら現れたのは八つの頭を持つ巨大な蛇だった。一つ一つの頭部が人間を頭から丸呑みにできるほど大きい。縦に裂けた瞳孔に睨まれるだけで心臓が止まりそうなほどの恐れがあった。

 

「八頭蛇まで……」

 

 絶望水母に負けず劣らず、こちらも危険な三等級魔獣である。

 しかし、本来幽谷を縄張りにするはずのこの魔獣が、なぜか人里近い森の中に出現した。その問いの答えを返す者はいない。

 

 禍々しい毒牙から地面へ滴った毒液がジュウジュウと音を立てる。

 不意に絶望水母がくるりと踵を返し、森の奥へと泳ぎ始めた。八頭蛇から逃げているようにも、獲物を捕食し満足して帰巣するようにも見える。どちらにしろビラートたちにとって最悪の行動だ。

 

「マズい、逃がすなッ!」

 

 追いかけんとする進路に八頭蛇の頭がぬるりと立ちはだかる。

 今背中を見せようものなら喰われる――一瞬で悟ったビラートは立ち止まって歯噛みせざるをえない。そもそも八頭蛇自体、彼らの実力を超えた魔獣である。

 一人で首一本相手にして討ち取れというならやってのける自信はあった。ビラートも、モルデンも。しかし八頭蛇そのものを討伐するとなると話が変わる。

 まず間違いなく負ける……それほどに彼我の実力差は隔絶していた。

 

「どうすれば……」とモルデンが呻く。

 

「何をしとるんじゃ! このままじゃ嬢ちゃんが……」

 

「分かってるッ!」

 

 たまらず叫ぶビラート、

 その虚を突いて、八頭蛇の首が迫った。

 死を、覚悟した。

 

 

 

 ――黄金の軌跡が弧を描く。

 

 

 

 そこにいた誰もが宙を見上げた。

 目の当たりにした光景を、生涯忘れることはないだろう。

 

 ――五本の首が斬断され、血飛沫を添えながらまさに地に落ちんと空中を舞っていた。

 

 それを為したのは(ただ)一人。

 重く立ち込めた雲がその瞬間のみ切れ間を覗かせ、差し込んだ月光がシルエットを浮き彫りにする――外套をたなびかせ、黄金の河のように御髪(おぐし)を宙に広げた美しき剣士、ビカムを。

 八頭蛇の首がズシンと音を立てて地に転がったのとは対照的に、彼は軽やかに着地した。

 そして振り返ることなく告げる。

 

「(マズい、颯爽と出てきたくせに倒しきれず中途半端に残してしまった)……あとは任せる」

 

 そのままビカムは風のごとく駆けていった。いや、風こそが彼を追いかけていくのだろうか。

 痛みにのたうつ八頭蛇は残った頭でビラートたちを怒りと共に睨みつけた。しかし押し潰すかのような威圧感はもはや存在していなかった。

 

「皆……!」

 

「大丈夫⁉」

 

 そこへマルティナとニチカが駆け付けた。

 突如野営地へと駆けだしたビカムを追ってきた彼女たちは、美剣士にこそ追いつけなかったが仲間の窮地には間に合ったのだ。

 

「あの人は……?」

 

「リンさんを吞み込んだ絶望水母を追っていきました……我々へこの場を託してね」

 

 ニチカの問いかけにモルデンは意気を込めて答えた。

 彼は、ビカムが八頭蛇の首を全て切り落とさず、あえて倒し切らなかった真意を正確に悟っていた。

 

 勿論、ビカムの技量ならば一閃のもとに全て屠るのは容易かったはず。

 だが、そうはしなかった。ビカムは若い冒険者四人のために試練として魔獣を残したのだ。

 その証拠が切り落とさなかった三つ首という数に現れている。

 未だ成長途上の彼らに八頭蛇は格上が過ぎる相手である。

 だが、一人につき首一つなら?

 ビラートが逡巡したように、全力を尽くせば勝機は十分にあると、彼は冷静に実力差を分析した。

 つまり、ビラート、マルティナ、ニチカがそれぞれ残った首と戦い、指揮役のモルデンが三人の支援に回れば……。

 

(――またとない修行の機会ですね。私を一人自由にできるようにしたのはテスカ殿の護衛もあるからでしょう)

 

 頭の中で詠唱を組み立てながらモルデンは苦笑せざるをえなかった。上には上がいる、高みには果てが無い。こうも気持ちよく味わわされるとは。

 その昂りは彼だけでない。仲間三人もこの状況を受けて発奮は明らかだった。

 

「テスカ殿は私の後ろに」

 

「言われるまでもないわい」とテスカが背後へ。

 

「さあ皆、早く倒して彼を追いましょう。もたもたしていると、彼に失望されますよ」

 

 ビラートは好戦的に笑い、マルティナは顔に緊張を滲ませ、ニチカは渋々といった風に頷いた。

 

 

 

 

 

 絶望――

 リンにとって、それは十歳の時の記憶であった。

 

 今でも鮮明に思い出せる――あの白く、どこまでも清潔な空間が続く場所。

 ベッドの上に横たわる母の顔。胸の上下から確かに呼吸をしているはずなのに、顔にはまるで生気がなかった。苦しみの表情が無い事だけが唯一の救い。

 

「ユノー……」

 

 立ち尽くす幼いリンの隣で、誰よりも打ちひしがれていた父。

 普段寡黙だが優しい父は、落ちくぼんだ目で母を見つめている。その背後にいる祖父はあまりの痛ましい様子に瞑目していた。

 

 母を襲った奇病。

 いや、それは病ではなかった。

 

「――ユノー・ツカモトから病原体の類は発見されなかった」

 

 リン、父、祖父のゲンジューロー。三名は診察室で医師から母の検査結果を告げられた。ジャンク・タウンに怪しげなドラッグストアはあってもまともな病院はないため、シティ中心部から医師の派遣を依頼し、移動治療車に乗って来たのがこの男だ。

 

 眼鏡をかけた三十代ほどの医師は、神経質そうな顔をさらに尖らせ、にじり寄るリンたちから嫌そうに体を引いた。〝壁の外の卑賎な人間〟という偏見を隠しもしない。だが、こんな男でも今のツカモト家は頼らざるをえず、そして莫大な派遣料と治療費を支払わねばならなかった。

 

 さて、現代の医療技術は旧時代より目覚ましく進歩している。薬剤とナノマシンの投与によりウイルス・細菌を起因とする病気の多くは完治が可能となっていた。

 だが母の身を冒す元凶は、チキュウの技術では太刀打ちすらできないものだった。

 

「この現代において極めて認めがたい非科学的な診断……いや、観測結果(・・・・)と言うべきものになるが、ユノー氏は〝呪い〟のようなものに蝕まれていると思われる」

 

「のろ、い……」

 

「〝ゲート〟出現以降、あちらの世界から流入してきたものの一つだ。……過去、捕えた現地民から得られた情報の中に、数十年に一度のスパンで流行する呪いがあった。感染すると死んだように眠り続け、自力での治癒は不可能な病と。魔生物学(マギ・バイオロジー)的見地から言えば、ゲージ粒子的性質を持つ魔子(マギトロン)の濾過生成エネルギー体……いわゆる魔力で構成された細菌だ。いや、細菌というよりもプログラムに近い――」

 

「治療は! 妻を助けるにはどうすればいいんだ⁉」

 

 父が医師に詰め寄る。

 彼は顔を顰めながら、肩に置かれた父の手を振り払った。

 

「っ……治療法は無い。あえて細菌と称するが、この細菌は実体を持っていないのだ。投薬もナノマシンも、まったく意味を成さない。治せるとしたら非科学的、呪術的アプローチしかないだろう」

 

「それは……!」

 

「……魔法」憎々し気に医師はその単語を口にする。「かの異世界には実在するそうだ。呪文を唱えるだけで事象を起こせるなど、人類が積み重ねてきた技術や叡智を冒涜していると言っても過言ではないが、そんな眉唾なものにしか可能性はない。私ではもうお手上げだ」

 

 降参とばかりに医師は両手を上げてみせた。

 

「……魔法」

 

 リンが見上げた父の横顔には、暗い何かが宿っていた。

 それが何かは分からなかったが、空っぽになった父の中に良からぬ燃料が注ぎ込まれたことを直感的に理解した。

 

 目的のためならば危険や倫理を踏み越えさせる暗いエネルギーが。

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