異界渡り、ビカム -伝説のエルフは今日も勝手に深読みされる-   作:鹿紅 順

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第二章 第9話「〝大衝突〟」

 荒廃した外界と隔絶されたシティの内部は、人間が暮らしやすいように極限まで環境が管理されている。それらは言うまでもなく数多のシステムに依存していた。

 

 温度・空調管理、上下水道、エネルギーインフラ、ネットワーク通信網、商取引の決済、公共生活サービス料金の徴収、ネットバンキング、犯罪者データベース管理、防衛用自立兵器の火器管制、AI自身による三位一体裁判(トリニティ・トライアル)など――

 

 それら膨大なシステムを統御するのが、シティ中央演算室に設置された量子コンピューター『エデン』である。

 

 天文学的な量のタスクを処理する〝神の頭脳〟は、シティ維持のために一秒の休みもなくフル稼働しており、その膨大な演算リソースの数%を他のタスクに振り分けただけでも、シティに何らかの影響が生じると言われる。

 それが娯楽動画プラットフォームならば再生遅延のクレームだけで済むだろうが、もし割りを食ったのが道路交通管制だったとしたら、あちこちで交通事故が起きるであろう。

 

『エデン』はこの超情報技術社会において神のごとき権能を持つが、それらはシティの維持運営にのみ(ふる)われるのだ。

 矮小な人間に神がかかずらうことなどないように、たかが一個生命に権能を執行することはない。

 

 だがもしも、それを指図できる存在がいるならば――その者こそ、まさしく神。シティという世界における全能神と言えるだろう。

 

 その神の名は――

 

『アキツ・シティ運営企業『バルキロア』最高経営責任者――マーカス・ハーディ』

 

 おそらく彼が今回の黒幕よ……アイがそう告げ終わると、広い室内を静寂が満たした。

 

「……(ヤバい、絶対に敵に回してはいけない相手じゃないか……)」

 

『――ま、黒幕が分かったところで、なぜ貴方を襲ったのかまでは皆目見当がつかないわ。その占星術とやらでジャガンとマーカスが会話していた過去が視れたなら分かるんでしょうけど』

 

 やはりというか、ビカムに動揺は見られない。

 アイが見抜いた通り、彼が襲撃者の正体に気づいていたことは、この落ち着きようを見れば明らかだ。

 

「(そんな大物がなぜ私を狙う? そう言えば〝鬼蜘蛛〟のジャガンが何か言っていたな……〝例のモノ〟? だと言ったか)……分からんな(・・・・・)(いったい何を指しているのやら)」

 

『どうしたの?』

 

「……(まったく私は)なぜ怒らせては(・・・・・・・)いけない相手を(・・・・・・・)怒らせて(・・・・)しまったのか(・・・・・・)

 

『……‼ フフ、そうね。絶対に買ってはいけない相手の怒りを買ってしまったわ』

 

 ――ついにビカムは、AIであるアイの心胆すら寒からしめた!

 

 ビカムは今、理解に苦しんでいる。

 なぜマーカス・ハーディごときの男が……この美剣士の不興を買う真似をしたのかと。

 何もせずにいれば大過なく安穏と生きられたはずなのに、自ら竜の尾を踏みに行く愚行はビカムの常識の埒外(らちがい)にあったからだ。

 

 超越者の苦悩というものを、アイはタイムラグを挟んで思い至り、存在しないはずの肝が冷える感覚を無意識演算領域で味わった。真に驚異的な事である。第8世代AI誕生の産声であった!

 人工知能の進化はチキュウではなく、剣と魔法の異世界において成就したのだ。

 

 そしてビカムの、尽きせぬ泉のごとく湧き出る圧倒的な自信よ。

 いかにシティを(ほしいまま)に差配する権力を有しようと、偉大なるエルフと霊剣フェーレの前では脅威足りえないのだ。

 美剣士の冷徹な頭脳は既に、恐れ知らずにも刃を向けてきた憐れなマーカス・ハーディの葬送の手段を、幾つも弾き出していることだろう……。

 

 と、そんな折、部屋の扉がノックされる。

 音も立てずビカムはするりと寝台から起き上がる。美しい形の影が床の上に広がった。

 

「あの、ビカム、私よ。入っていいかしら?」

 

「……ああ(リン殿)」

 

 遠慮がちに扉が開き、リンが足を踏み入れる。御髪(おぐし)は鴉の濡れ場のごとく、天井の魔石灯の光を受けて艶々(つやつや)と輝いていた。旅の垢を落としてきたのだろう。

 どことなく、この娘にしてはよそよそしい態度である。やはり異性の部屋へ立ち入るのは乙女の緊張を否応なく掻き立てるのだろうか。

 ビカムが別れた時と同じ格好であることを、少女は純粋に疑問に思い訊ねた。

 

「コートも脱がずに、休んでなかったの?」

 

「(そのまま寝てたなんて言えない)……リン殿はよく休めたか?」

 

「ええ、お風呂もいただいてスッキリ! ほら」リンはまだほんのりと湿る自身の黒髪を指差す。「貴方も入ったら? 生き返る心地よ」

 

「……そうか……(あまりにも横になりたくて、風呂のことは)眼中に無かったな(・・・・・・・・)(私も後で入ろう)」

 

 耳朶から侵入した言葉が鼓膜を震わせ、複雑神秘のプロセスを経て電気信号に変換される……

 脳の聴覚中枢にて信号が音に変化された時――リンは、出会ってから何度目になろうか、恥ずかしさが溢れ出るのを禁じえなかった。

 

 ビカムは、束の間の休息などと、心身の緊張を緩めていなかったのだ!

 そう遠くない未来の闘いの気配を鋭敏に感じ取っているからこそ、今ここで兜の緒を解くことは油断に繋がると考えていたのは明白である。

 それは同時に、真に気の休まる時など無いことを意味した。

 休息中も戦士であり続けんと、どれほどの者が同じように振る舞えるだろうか。

 

「……つらくないの? そんな()り方……」

 

「……(??? 寝転がっていただけだから、つらいとは)何の事だ?」

 

「そう……努力とも思わないほど……ううん、何でもない」

 

「……そうか(本当に何だったのだ……?)」

 

 誤魔化すための笑顔が無理矢理作ったものであることを、ビカム以上にリンが自覚していた。

 なぜか今になって、沸々と、気づかないようにしていた感情が姿をのぞかせる。

 

(――私は、この人のことが、妬ましいのかな……)

 

 それは気高きサムライの美少女には似つかわしくない負の思い。

 いや、気高いからこそ抱かずにはいられないのかもしれない。

 彼の生き様はそれだけで自分の至らなさを突きつけてくる。

 サムライの矜持や覚悟では比肩できないほどの高みから物事を見極め、立ちはだかる敵をものともしない圧倒的な強さ、未来を知るかのように正解を選び取る頭脳……。

 

 自分が乗り越えるのにまごついている壁を、ビカムは翼を広げ天高く飛び越えていく。

 その姿に憧れ、同時に、翼を持っているのが自分ではないことに苦しむ。

 同じ高みに立ちたいと目指すことはおこがましいだろうか?

 彼我の力量にどれほどの差があるか理解できないのに、憧れるのは分不相応だろうか?

 

 戦士の理想形を目の当たりにして、リンの心は悔しさを選んだ。

 それが修羅の道であろうとも、かの美剣士に並び立ちたいと思ってしまった。

 

「――ビカム、教えてほしい事があるの」

 

「……私に分かることであれば(王都の洒落た服屋とか、菓子の有名所とか?)」

 

「〝大衝突〟のこと、二つの世界に何があったのか」

 

 リンはビカムの碧眼を真っ直ぐ見た。

 

「そして、貴方のことを。どうして異界を渡るのか」

 

「(めちゃくちゃ真面目な質問だった)……掛けてくれ」

 

 ビカムは部屋に備え付けの椅子と机へ目線で促した。

 

 

 

 

 

〝大衝突〟

 

 突如出現した〝ゲート〟により二つの世界が繋がれた結果、起きた世界的規模の大混乱。

 

 シティの授業ではそう教えられ……それ以外を教わることはない。

 歴史的大事件であるにもかかわらず、学校のタブレットにインストールされた教科書に単語検索をかけても、ヒットする情報はわずかだ。

 ならばとネットの海を漁っても、出てくるのは本当か嘘か眉唾なものばかり。

 シ民の認識も「リンダリアルという世界がある」「ファンタジックな生き物、魔法という現象が存在する」程度のもの。総体としてどちらかといえば関心が無いと言わざるをえない。

 

 対してリンダリアル世界側の反応は劇的だ。チキュウという単語を耳にするだけで警戒心を隠そうともしない。問答無用で戦闘にこそならないが、その一歩手前まで急速に緊張が走るのだ。

 

「……リン殿は、シティが好きか?」

 

 美しく紡がれた言葉は、しかし悲しみを予感させる音色を帯びていた。

 

「自分が生まれ育った場所だもの。家族もいる。……どんな故郷であっても、嫌いにはなれないわ」

 

 薄々とビカムが何を言うつもりかリンは気づいた。

 だからこそ、気にしないでと努めて明るく答えた。

 リンとてもう、子供ではないのだ。

 

「……〝大衝突〟とは実際のところ――シティによる、リンダリアルへの侵攻だった」

 

 覚悟していようと美剣士の言葉は、この年頃の少女が抱く幻想をひどく傷つける。

 人々は助け合い、どこを見ても思いやりに溢れ、世界は美しい……そんな甘い幻想を。

 世界はいつだって少年少女を傷つけ、無理矢理大人にしようとした。

 

「……チキュウは科学の発展で、旧時代を超える繁栄を手にしていたが、内実は袋小路にあった」

 

 自然は汚染され、開発は行き詰まり、自由はシティの中にしかない。

 そんな時に〝ゲート〟が二つの世界を繋いだ。

 

「チキュウ人が何を考えるか、想像するのは難しくないわね……」

 

 当時、チキュウ人類が活路を求める先は、もはや星の彼方しか存在せず、しかしデブリが衛星軌道を塞いでいるため、宇宙に出ることは困難であった。

 

 そこに現れた異世界への門――潜った先にあったのは、豊かな自然、多様な生命体、未知の資源。

 リンダリアル世界が第二のフロンティアと見なされるのに、さほど時間はかからなかった。

 

「リンダリアル人はチキュウをどう思っていたの?」

 

「……個人では、興味をもって訪れる者もいた」

 

 それを生業とする美しき〝異界渡り〟は言う。

 

「……野心を露わにした国家はほとんどない。それ以上に、シティの侵攻が遥かに早かった」

 

 その先の事をビカムはかいつまむように話す。

 だが、侵略者が現地民に何を行うかは、既に過去の歴史が証明していた。

 ビカムは陰惨な言葉を決して用いなかったものの、リンの脳裏にはありありと、当時の血塗られた情景が浮かぶようだった……。

 

 チキュウの激しい侵攻を示すものとして、リンダリアルには無数の遺構が残されている。

 開発途中で放棄されたプラント、数多の陸上兵器、揚陸型戦艦群など。その一つ、自動採掘要塞都市パンゲアの廃墟はあまりにも有名であろう。

 現在それらが打ち捨てられているとはつまり、シティの侵攻は失敗したということだ。

 

「……当初は未知の兵器、武装への対処が遅れ侵攻を許したが、態勢を立て直すと、リンダリアルの国々は一丸となってシティに対抗した」

 

 シティの侵攻は同時多発的であったが、各都市が連携していたわけではない。

 対してリンダリアル世界は国家の利害関係を超えて一時的協力を実現し、多数の個に対し一個の巨大な群として抗った。

 銃火器や自動戦闘ロボットがリンダリアル世界の未知であるならば、魔法もまたチキュウ世界にとっての未知である。理解できない神秘の力はいくつもの兵器を打ち砕き、シティの戦闘職員は大いに震え上がったものだ。

 

 最終的に、チキュウ人は元来た〝ゲート〟を再び潜ることとなり、以来、双方の世界は表向き不干渉を維持している……。

 しかし、その爪痕は未だ消えずに色濃く残っていた。

 

「……〝大衝突〟とはチキュウ側の呼称だ。異世界の開拓――つまり莫大な投資が失敗したことを隠蔽するためのプロパガンダに過ぎない」

 

 情報統制を()き、真相を悟らせないよう闇に隠し、ただ、二つの世界が偶発的に(・・・・)ぶつかり合ったという虚実を記す。

 

「…………リンダリアルの人が敵意を剥き出しにするのも納得ね」

 

 リンは重い重い息を吐いた。

 自分たちを育み守ってきたシティは決して正義の存在ではない。

 利益という至上命題に基づき、必要なものを必要以上に貪る巨大機構――。

 

「(目に見えて落ち込んでいる……フォローしておかないと)……だが、二つの世界の邂逅がもたらしたものが、全て悪だったわけではない」

 

 ビカムは言う、チキュウ世界から流入した事物は、リンダリアル世界にプラスの影響も与えたのだと。

 

 高等数学や物理学理論は、学術のみならず魔法開発にも大きく寄与した。

 高度な工作機械を模倣することで、より精密に動作する魔道具が生まれた。

 斬新な哲学思想は、長年の定説で凝り固まった学会に新風を吹き込んだ。

 チキュウの言語体系の研究の成果が、不可能と言われたマーレン系祖語再建のきっかけになったこともあった。

 

 特に目覚ましいのは医薬品である。

 

「……〝大衝突〟から間もない頃、リンダリアルで病が流行した」

 

 それは今から十年前に起きた世界的な伝染病。

〝エレミアの夜風〟と言われた恐ろしき災いが吹き荒れた。

 極北のエレミア地方の夜風に打たれたように体は寒さを訴えて震え、激しい発熱の後に死に至る。

 

「……回復魔法で治癒は可能だったが、圧倒的に僧侶の数が足りていなかった。……そんな折、わた――とある〝異界渡り〟がチキュウに病の検体を持ち込み、シティは伝染病の特効薬を製造した」

 

 結果、特効薬を配布できたことで、多くの人命が救われた。今ではその薬を作ったのがシティの製薬会社であることはリンダリアルでも広く知られている。

 ……その話がリンの罪悪感を取り除いたわけではない。侵略の(あがな)いに人助けを行ったとしても、侵略した過去が消えるわけではないからだ。

 

 しかし、人助けをしたという事が無価値になるわけでもない。

 悪事を働くチキュウ人がいる一方、リンダリアル人を救うために尽力したチキュウ人がいるという事実も、同じように認めなければならない――リンは迷いながらもそう結論付けた。

 

「……概ね理解できただろうか?」

 

「ええ……。ありがとう、ビカム。よく分かったわ」

 

「……そうか(これ以上の話となると学者を呼ばねばならないからね)」

 

 幾分か気を楽にした少女の様子に、人知れずビカムは微笑をこぼした。

 ――その気の緩みを突いたかのごとく投げ掛けられた質問は、ビカムに再び冷静沈着の仮面を被らせることになった。

 

 

 

「――貴方はどうして〝異界渡り〟になったの?」

 

 

 

 ……問うてから、リンは後悔した。

 

 自覚はあった。これは、相手の触れられたくない柔らかい部分へ、刃の鋭い切っ先を入れるような質問であるかもしれないと。

 だからこそさり気なく、なんでもない風を装って口にした。

 

「っ……、これまでの会話の端々を聞いていると、貴方ってとても有名なんでしょう? それも良い意味で。色んな人に尊敬されて、たくさんの好意を向けられていて。でも、なんでそんな人がわざわざ自分の事を誰も知らない異世界に渡るのか気になって……」

 

 けれども止まらなかった。

 怖気づいて質問をやめてしまう方が違和感を与えると感じ、余計に口が回る。自分は悪い事をしているのだと思ってしまいそうだから。

 知りたかったのだ、どうしても。

 なぜなら、この美剣士の行動原理に彼の強さの源泉があると思ったから。

 それを知ることができれば、自分も彼の領域に手を掛け――

 

「――――」

 

 ――見えるだろうか、あの硬く引き結ばれた、ビカムの唇が。

 

 出会ってから今まで、寡黙ながら大らかに接してくれたビカムの予想外の反応に、後悔の波が押し寄せる。

 あの美しい顔を自分が歪めたのだ。自分の浅はかで身勝手な欲望が……。

 

 痛いほどの沈黙とは、まさにこのこと。

 永遠のような時間が流れた後、ビカムが口を開く。

 

「……私は――」

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