異界渡り、ビカム -伝説のエルフは今日も勝手に深読みされる- 作:鹿紅 順
〝――リン……我慢できるな?〟
父の姿を見た、最後の記憶。
記憶の中の父は光り輝く〝ゲート〟の前に立ち、幼いリンと祖父に向けて振り返る。
〝――大丈夫、お父さん、すぐ戻るからな。だからそれまでお祖父ちゃんと二人で待っていてくれ。お父さんが必ず、お母さんを助ける方法を見つけてくるから〟
悲壮な決意を宿した父の瞳。
目的を果たすまで戻ってくるつもりがないことを幼心に悟って……涙を流しながら気丈に笑ってみせた。
「――うん、私待ってるっ! お父さんが帰ってくるの、お母さんが目を覚ますの、ずっと、ずっと待ってるよ!」
そうして〝ゲート〟の光の中に父の背中が消えていくのを見届けた。
いつか必ず帰ってくると信じて。
ずっと待ち続けているのだ。
そう、何があっても、ずっと――
「――ッッッ‼」
走馬灯というものがあるなら、きっとこれがそうなのだろう。
極わずかとはいえ気を失っていた己を恥じる。
なぜなら今は戦闘の真っ最中。一瞬の油断が命取りになる状況で隙を曝すことは死に直結する。
『警告! 損傷率17% 通信機能に障害発生 警告――』
鬱陶しいアラートを切りながら、これが断腸の思いで限定救援信号を発信した後でよかったと背筋が凍った。
鏡を見たわけではないが、フルフェイス型ヘルメットの上部が大きく損傷していることだろう。暴走アンドロイドの人外じみた挙動は時に予測を外れる。避け損ねた攻撃を頭部に食らい、過去の記憶を思い出す程度にリンは気をやっていた。
しかし、救援信号を出したとはいえ、安心するには程遠い状況だった。
背後から飛びかかってきた個体を振り向きざまの高周波ブレードで斬り捨てる。
満点の星空の下で繰り広げられていたのは、強化外骨格を纏った一人の少女と暴走アンドロイドの群による手に汗握る攻防だ。
シティ間を結ぶ無人大型輸送トレーラーの護衛を請け負ったシティ直属武装請負人――通称サムライ――の少女、リン。
目的地であり故郷のアキツ・シティまであと一時間で到着というところで、彼女は運悪く、近くを徘徊していた暴走アンドロイドに捕捉されてしまった。
シティ大戦の後そのまま放棄されたアンドロイドたちの一部は、未だに主なき命令を実行するため、遭遇する人間からミュータントまで無差別に攻撃する。
シティから請け負ったのは輸送トレーラーの護衛。
当然、トレーラーや貨物の損傷が著しければ報酬査定への影響は免れない。最悪全損などになれば、電子ドラッグを無希釈で使うより精神がブッ飛ぶレベルの違約金を請求されるだろう。
幸いなのは彼らの戦闘プログラムが、トレーラーではなく人間のリンを優先攻撃対象と判断したことか。
トレーラーの上で高周波ブレードを手に大立ち回りを演じながら、一向に勢いの衰えないアンドロイドどもに歯噛みする。
(目的地まであと三十分。殲滅しきれないまま到着するのはマズい。シティからの評価が下がっちゃう。そうなったら今後の仕事の報酬も――)
大金を欲するリンにとって、それは自分の命よりも優先させてしまうほどの重要事項であった。
その迷いが限定救援信号に現れている。遠くのシティにまでは届かせず、たまたま通りがかった近くの誰かに救援を依頼する……そんな中途半端な信号。
だが、そんな都合の良い助太刀など現れないと嘲笑うように、救いの手は一向に現れない。
やがて人間と機械の差が命運を分けた。
長時間の戦闘による疲労の蓄積が、少女の足をもつれさせる。
四方から迫りくるアンドロイドの腕。
リンは一秒後に己の体が貫かれる光景を予想し――
――上空から飛来したレーザーが、アンドロイドたちのコアを同時に撃ち抜いた。
「え……」
まだ数十体いたはずのアンドロイド。
車上で暴れる個体、車両に取り付いた個体、後方から追いすがる個体。
その全機がカメラアイから光を失い、機能を停止していた。
リンを殺害しようとしていた個体もトレーラーから転げ落ち、
「いったい何が……」
直感としか言えないものがリンを振り向かせた。
国家が崩壊した旧時代の戦争により、草木も生えないほど色褪せた大地。
――月を背景に、崖上に佇む人馬のシルエット。
そこだけ見えない輝きを放っているかのように、目が離せなかった。
右手に手綱を握り、左手には武骨な機械銃。
コートは荒れ風にたなびき、鍔広帽子に挿した飾り羽が揺れる。
黄金を波打たせる長髪。それを従える絶世の美貌。
きっと、あの人物が助けてくれたのだろう。疑いようもなく、そう確信させてくれる安心感。
だが、リンの頭の中を占めていたのは感謝を上回る感情だ。
今まで見たこともないほど、あの人は、何よりも、誰よりも……
「
――少女の恍惚の時間を邪魔するように、激しく地面が揺れる。
後方、瓦礫と土煙を巻き上げながら出現したのは、巨大な機械の腕だった。
***
〝ゲート〟から出た美剣士ビカムを迎えたのはチキュウ世界の星空であった。
頭上で数条の流れ星が瞬く。マスドライバーで衛星軌道まで打ち上げられたロボットがプログラムされた量の
チキュウ世界では見慣れた光景だ。旧時代に使われた衛星軌道兵器の残骸を全て回収するには、あと半世紀この夜空が続くだろうと言われている。
無言のまま空を見上げた美しきビカム。それだけで彼は一枚の名画になっていた。
だが、チキュウには星を見に来たのではない。
ビカムが手綱を握れば、魔法の白馬は緩やかに大地を踏み行く。
夜空の下を進むビカムだが、その目的地は彼の視線の遥か先で闇を跳ね返す光を放射乱舞させていた。
そこは、雑草が生えるがごとく超高層建築物が密集し、毛細血管以上の密度でネットワークとエネルギーラインが網羅する。
莫大な生産と消費が絶えず行われる不夜城にして摩天楼――シティと呼ばれる人類居住地であった。
旧時代の最終戦争により一度崩壊の寸前まで陥ったチキュウ文明は、密かに戦火から身を隠していた企業群の台頭により息を吹き返した。
クローン技術と食糧生産プラント建造技術が人類を飢えという恐怖から解放し、
自然環境のほとんどが失われた星において、しかし人類はむしろ、かつての栄華を超えるほどの絶頂に浴していたのだった。
風以外、
だが突如発せられた女性の機械音声が静寂を破る。
『――ビカム、前方二キロメートルの直進物体から限定救援信号が出ているわ』
ビカムの左腕の機械鎧に宿るAI――アイである。
左の二の腕を多く占めるディスプレイに取得・解析・整理された周辺情報が表示された。確かに信号を発しながら高速で移動する物体がリアルタイムで映し出されている。
真に助力を請うべき状況であれば、
『大方、シティの手を借りたくない後ろ暗い連中なんじゃないかしら? 提示報酬はたった七十万レジット。貴方にとっては……ね。まあどっちにしろ私たちには関係ないわ。無視を推奨』
アイは無視してシティへ進めと促す。
その通りだ。関わり合う理由など何もない。
――だというのに、ビカムが手綱を繰り白馬の鼻先を向けたのは、救援信号の発信源の方向であった。
『ちょっと! 私の話聞いてた? 関係ないって言ったじゃない!』
慌てふためくアイをよそに、白馬はぐんぐん加速していく。
一流の手綱捌きが荒れ地から最適なコースを選び取る。
ビカムは最速の風となってチキュウの荒野を駆けた。
やがて彼の長い耳が、亡霊のごとき機械人形たちの咆哮と、夜風を切り裂く刃の唸り声を捉える。
勾配のある地形に突入し、音は谷の底へ、ビカムは崖上より見下ろす形となった。
「……(あれか!)」
一台の無人トレーラーがもうもうと砂煙を上げながら爆走している。
トレーラーは無数の暴走アンドロイドに追いかけられており、次々と車体に取り付くそれを護衛と思しき車上の人物がブレードで斬り捨てる光景が目に飛び込んできた。
金属製のアンドロイドを紙のごとく切断できるのは、得物として振るう高周波ブレードの性能もさることながら、レザースーツの上から装着した
護衛の人物は攻撃を受けたのか、フルフェイス型ヘルメットの右上が半壊し、濡れ羽のような艶めいた黒髪が露出していた。体格からおそらく少女であろう。
シティから物資輸送の護衛を引き受け、あと少しで到着という時に暴走アンドロイドの群に補足されたか……。
一人で護衛を任されるあたり実力はあるのだろうが、数の力には窮したと見える。
だがシティに救援を要請すれば護衛としての評価が落ちると思い、シティまで届かない限定の信号を放った。
危うい判断だ。
名を守りたいあまり、偶然至近に手を差し伸べてくれる者がいるという限りなく可能性の低い可能性に縋る。
何よりも優先すべきは荷物の無事。なりふり構わず助けを請うべきであろうに。
――しかし、結果として少女は賭けに勝った。
ビカムが背中に吊った武器に手を伸ばす。
引き抜かれたのは長身のハイテク銃。様々な改造やアタッチメントの増設を施されていることが見た目の武骨さから分かる。
「……アイ(弾道計算、お願い)」
『もう! ――弾種《モード》:エネルギー弾・
引き金が引かれた直後、銃口から一筋のビームが発射された。
尾を引いて水平に飛翔した光の帯は急激に上昇。
そしてトレーラーの頭上で急降下しながら分裂し、アンドロイドのコアを次々撃ち抜いていく。
致命的な損傷を受けたアンドロイドは脱力したように動きを止め、脱落していった。ヘルメットの奥で護衛の少女が息を呑んだのが伝わった。
安心しかけたその時、地の底から轟くような重苦しい地響きが一帯を満たした。
トレーラーの斜め後方より岩を破壊しながら出現したのは、先のアンドロイドの十倍近い全長をほこる巨大個体だった。
無数のアンドロイドを無理矢理に継ぎ
巨躯の頭部にあたる部分、中心に埋め込まれた顔がコアなのか、不気味なエラー音声を吐き出しながら四つん這いで迫り来る――驚異的な速さだ!
トレーラーは既にアクセル全開なのか、これ以上加速する様子はない。
巨大アンドロイドとの距離がみるみる縮まっていく。
「……(アレはさすがに、マズい!)」
少女は諦めることなくブレードを構えるが、巨体に対して爪楊枝サイズの武器ではどうすることもできないだろう。
巨大アンドロイドが右腕を叩きつけんと大きく振りかぶった。
「……!」
――少女は見た。
空中に描かれた、黄金の軌跡を。
崖上から弾丸のごとく、一直線に跳躍したビカムが、鋭い剣閃を放ったのだ。
まさにトレーラーを襲うはずだった一撃は、肘関節のあたりで腕を斬断されたことにより空振りに終わる。
巨大アンドロイドは攻撃の勢いを制止できることなく転倒、猛烈な砂塵を巻き上げた。
砂煙の向こうにシルエットを映しながら、起き上がることができず遥か後方へ遠ざかっていく……。
かくして暴走アンドロイドの脅威は鮮やかに取り除かれたのだった。
一連の光景を目の当たりにした護衛の少女は、助太刀してくれた剣士の姿をようやく落ち着いて見ることができた。
ビカムは帽子を目深に被り直し、その美貌を、広い鍔の下へ慎ましく収めた。
窮地を救った者として偉ぶりそうなものを、無言のまま並走するのみ。
見返りを要求することに卑しさを覚えて躊躇っているわけでは、万が一にもないだろう。お互いの無事と健闘を称え合う、彼なりの挨拶なのかもしれない。
少女はしばらく放心したように見つめていたが、この麗しい助太刀へ当然支払われるべき報酬に気づき、弾かれたように懐から端末を取り出した。
『……、入金を確認したわ』
少女が操作を終えた直後、報酬の受領を確認する素振りを一切見せず、ビカムは馬首を巡らせ荒野の彼方へ去っていく。
別れの言葉も再開の誓いも不要だと、沈黙を従えて。
報酬など二の次だと言わんばかり。まさしく高潔なる剣士の風采であった。
――頬を撫でる風だけが気づいた、ビカムの淡い微笑。
「……(よし、短時間で七十万レジット……! 申し訳ないくらいだ)」
少女の無事を守ることができた。
それこそが彼にとっての、真の報酬だったのだろう。
***
アキツ・シティには二つの壁が存在する。
危険な存在が跋扈する外界とシティを隔てる最外殻、通称〝瓦礫の壁〟。
その〝瓦礫の壁〟の内側に存在し、企業の社屋や工場設備が存在する区画とシティへの居住権を獲得した住人――シ民の居住区画を囲む、通称〝選別の壁〟。
では〝瓦礫の壁〟と〝選別の壁〟に挟まれたドーナツ状の部分は何なのか。
そここそは不法居住区画――ジャンク・タウンであった。
シティの居住権を得られなかった者。もしくは、居住権を持っていたが何らかの理由で失った者。それらの人間が身を寄せ合い暮らしているのである。
元々、壁は一つしかなかった。今でこそ〝選別の壁〟と呼ばれているが、昔はそれがシティの最外殻だったのだ。
しかし、様々な理由からシティに住まうことができなかった者が壁の近くに集まり、脛に傷を持つ後ろ暗い輩やシティに入るまでもないが羽休めしたい旅人なども混ざり合い、いつしか第二のシティとも呼ぶべき様相を呈し始める。
だが、そこに守ってくれる壁は無い。となると、暴走アンドロイドやミュータント兵器の襲来に自ら対処する必要がある。住人たちは組織的に武装を始めた。
その時点で、アキツ・シティの全システムを統括する中枢AIが、それらの区域も囲む新たな壁の建設を提言したのだ。
シティを運営する企業は当然難色を示した。壁の外の人間を保護してやる義理などないと。
それでも、『人類の保護とより良い未来の実現』を至上命題とするAIは意見を曲げなかった。自衛のための集団武装が、反シティ組織の誕生に繋がるリスクを重視したためと言われている。
かくして企業は渋々、壁の建設を決定したものの、意に添わぬ行為であることを表明するように可能な限りコストを抑えた建設を行った。
設計はAIに丸投げ、頑丈さだけは折り紙付きだが、備える設備は最低限。資材は全て旧時代の遺構を解体、転用してコスト削減。デザインなど当然二の次、固くて囲んでさえいればよいのだと言わんばかり。
結果として出来上がったのは、武骨で荒々しい鋼鉄の壁であった。
洗練されたデザインの最初の壁とは対照的な姿に、建設の方法も含めて人々は自然とこれを〝瓦礫の壁〟と呼んだのである。
鉄板を継ぎ接いで造ったような巨大な門が悲鳴を上げながら開いていく。
全高百メートルの壁を抜けると、無秩序に建設された構造物が左右に林立する。それが家なのか店舗なのか、あるいは別の何かは分からない。外観からでは区別がつかないからだ。
これがジャンク・タウンのありふれた風景。
この区画の
しかしながら〝瓦礫の壁〟の門と〝選別の壁〟の門を繋ぐ大通りだけは別だ。
ここだけはシティも道路標識映像を表示可能な電面舗装路を敷き、大型トレーラー六台が同時に擦れ違えるほどの空間を確保していた。
また、大通りの中間地点には、シティ保安部隊の詰め所まで設けられている。……不法居住者同士のトラブルには一切介入せず、道路を一ミリでも侵犯する者にブラスターを撃ち込むための武力である。
大通りを〝選別の壁〟まで
積み荷の
リンの端末へ、契約の報酬金百万レジットが振り込まれるが、当の本人はまるで浮かない顔であった。
武装請負人の中でもアキツ・シティから直接契約を結ぶに値すると認定された存在――通称サムライになることができて以降、リンの双肩には目に見えない
シティの信頼を勝ち得ていくには仕事の失敗……いや、成功であろうと、わずかな
重要な仕事だった。
仕事への侮り、護衛中の気の緩み、油断……わずかでもそれらを抱いた瞬間は一度もなかったと断言できる。
であるならば――今回の一件は、
同時に、
行きの積み荷を無事ミズホ・シティに納品し、帰りの積み荷を乗せてもう少しでアキツ・シティに到着というところで暴走アンドロイドの群に補足されてしまった。
そして依頼の完全な達成を諦めかけたその時、藁にも縋る思いで放った限定救援信号を拾ってくれた誰かのお陰で窮地を切り抜けることができた。
思い出したように心臓がバクバクと脈打っている。
(あの人はいったい誰なんだろう。お礼もちゃんと言えなかった)
数十体はいたアンドロイドを同時、かつトレーラーに被弾しないよう威力や軌道を計算して撃ち抜く芸当。
質量の暴力と化した巨大アンドロイドの腕を鮮やかに切断してみせた腕前。
ハイテク銃を高度に使いこなし、剣の腕も立つ。
自分の知る限り、そんな人物の話は聞いたことがない。
ただし、見当はつく。
(リンダリアルの〝異界渡り〟……)
リンの脳裏に、月を背景に佇んだ金髪に長い耳の剣士の姿がよみがえる。
……が、同時に、これから頭を悩ませなければならない厳しい台所事情への不安が鎌首をもたげる。
報酬金額がいかに高額であろうと、全ては利益が出ていればこその話である。
百万レジットという大金は既に額面から大きく目減りするどころか、マイナスの領域に足を突っ込んでいる。
フルフェイスヘルメットは破損し、相棒の高周波ブレード『SHINANO』は酷使により刃の交換が必要。
幸いにも無傷な
それら修理費と維持費の原資になる報酬の内、七割は救援の依頼料として支払ってしまった。完全な大赤字である。ただでさえ生活費、学費、治療費の支払いなど諸々の出費で余裕がないというのに。
「……悩んでても始まらないか」
とにかく帰ろう。足取り重くリンはジャンク・タウンを家路につく。
途中、路地裏の人気のない場所に設置してあった自販機で飲み物を購入し、喉を潤す。いくら金に困っているとはいえ、これぐらいの
不法居住区の歪な建造物……その切れ目から覗くシティ中心部の摩天楼の壁面に、今飲んだエナジードリンクを含む巨大電子広告が群れとなって躍っている。
『弾けるシナプス! 電脳作業にコレ一本! 「
嫌でも視界に飛び込んでくる宣伝広告。最近は、かつてこの地に存在した国家の精神を取り入れた商品がよく目立つ。
それもこれも十年前から始まった文化復興運動が原因だ。
――最終戦争によって一度地上から滅び去った旧時代の文化。企業のデータベースに残されたわずかな情報を漁るか、外界の遺構からサルベージすることでしか知ることはできない。
だが、シティの支配により人類が絶滅の可能性を脱し、生活の余裕を取り戻したことにより、世界中で自分たちのルーツを取り戻す旅が始まった。
発掘された旧時代の文化は、研究よりも拡散が重視され、瞬く間に共有される。
一つの文化を知り、それを咀嚼し味わうおうと思った頃には、既に次の文化が四方八方から送りつけられてくる。その速度はもはや病的だ。
今や企業の事業すら文化復興と切っても切り離せない。企業の社会的貢献と同様に、文化的貢献の度合いにも消費者は厳しく関心を寄せていた。
……とはいえ、芸術や音楽や文学を生業としないリンにとってはさして関心のない狂騒だった。それらに
歩き慣れた道の周囲を見回す。
軽量高耐久建材だからこそ成り立つ違法建築を、蔓のように伸びたパイプラインが覆う。
屋根は雨風を凌ぐと同時に道でもあり、学生が三次元的ルートの通学路をなぞり学舎へとひた走る。
主婦たちが電光掲示板に次々と表示されるファイナンスニュースを
露店の主人が愛想よく接客する後ろでは、中古アンドロイドが合成タンパク食糧を配合してエネルギーバーを調理する。
リンは不法居住区画で育ち、この光景が好きだった。
確かに混沌としているものの、人間の温かさが空気に乗っているような、生のエネルギーが充満した活気を感じるのだ。
中心部のサイバーな世界に憧れないわけではないが、自分で稼ぎを得られるようになっても生活拠点を移す気はなぜか湧かなかったのである。
「アカネさん、ただいま」
周囲に埋もれるように、ひっそりと佇む店構え。
『
部品取り用の機械や名称不明な工具などが雑然と並んだ薄暗い店内を奥に分け入る。
目当ての人物はその最奥で渋面を作りながら配線を繋げている最中だった。
「……ああ、リン。お帰り」
上下のツナギを着こなし、上半身部分は脱いで白いタンクトップを露わにした女性。年は二十代中頃だろうか。
アカネ・キクノジョー。
ツカモト商店の店長代理である。